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【奥田民生 × 斉藤和義】
ゲストに奥田民生と共にカーリングストーンズのメンバーとしても活動する斉藤和義が登場!
ギターとの出会い、初めて買ったギター、影響を受けたギタリストなど
OTが斉藤和義の「ギターにまつわる音楽人生」に迫りました。
さらに二人でスタジオセッションもお届けしました。
最初にギターを教わったときはおもしろくなかったけれど…
斉藤は栃木県出身、1966年生まれ。子ども時代は草野球をやったりする傍ら、吹奏楽部でトランペットを吹いていたという。
奥田:その頃はどんな音楽を聴いてたの?
斉藤:普通の歌謡曲、ジュリー(沢田研二)とか西城秀樹とか。最初に自分でお金出して買ったのはサーカスの『Mr.サマータイム』。
奥田:シブいね。そこからギターを弾き始めたのはなんでなんですか?
斉藤:家の近所に大学ができて、そこの学生も住んでた街なので、うちの前に引っ越してきた学生さんがギターを持っていたから、おふくろから「あの人、ギター持ってるから教わってみたら?」って言われて、わけもわからず教えてもらって。でもその人はギターが弾けたわけじゃなくて持ってただけで、「ギターは6本弦があって」とか「ドレミファはこうやって弾く」とかを教わったくらいで、全然おもしろくない楽器だなと思いましたね。そこから全くやらなかったですね。
しかし、まわりの影響で中学1年生のときにアコースティックギターを買ってもらったそうだ。
奥田:フォークソングを弾いていたの?
斉藤:そうだね。
奥田:井上陽水さんとか吉田拓郎さんとか?
斉藤:あとチューリップとかオフコースとか。バンドらしいものを学校のみんなと組んで、そこから結構ハマって。でも本当はエレキギターがほしいと思っていたから、中学2年生くらいに買って。
奥田:俺もエレキギターはそれくらいですからね。それで何をコピーしてたんですか?
斉藤:高中正義さんとか。フュージョンブームがあったでしょ。当時、高中さんがCMで、海辺でギターで『ブルー・ラグーン』を弾いてて、それがすごくカッコいいと思ってた。
先にデビューしたイエモンやスピッツを見ながら…
斉藤は中学3年生の頃に初めて本格的なバンドを結成。学園祭にも出演したという。
奥田:ずっとギターだったの?
斉藤:そう。高校になってドラムをやったバンドもあったけど、基本はギターでボーカルは別にいて。(奥田)民生も最初は歌ってなかったんでしょ?
奥田:うん。ボーカルが受験勉強するって言うから代わりに歌って。
斉藤:民生は吉川晃司さんと同級生で、同じ広島のバンドだったんだよね?
奥田:そう。バンド仲間の知り合いの知り合いくらいの感じ。直接話したことはなかったと思うんだけど、いるなあって。
斉藤:前に吉川さんと話したときに、「あの頃の民生を覚えてる。すごく大人しいやつで、いつもしゃべらずシャイな感じで端のほうにいたけど、急に歌ってビックリした覚えがある」って言ってたよ。
奥田:マジか。それ高校の終わり頃だと思うんだけど、吉川はデビューするにあたり卒業前に広島を離れたから、同い年だけど全然デビューは早いわけだから。
斉藤は1993年にシングル『僕の見たビートルズはTVの中』でデビュー。27歳に成り立ての頃だった。
奥田:それまで何してたの?
斉藤:バイトしながら「デビューしたいな」って思ってて。25歳くらいのときにテレビのオーディション番組に出てチャンピオンみたいなのになって、それからですかね。
奥田:いつの間にか(音楽シーンに)いたけど、そのときはユニコーン解散するくらいのときだったかな。
斉藤:そう、俺がデビューしてすぐに解散した気がする。
奥田:ウルフルズのデビューもその頃?
斉藤:92年じゃなかったかな。デビューしてすぐにトータス(松本)とは知り合ってたけど。イエモン(THE YELLOW MONKEY)とかスピッツとかもデビューはもう少し前だったんじゃないかな。そういう同い年くらいの人たちがデビューしててうらやましいなって思ってましたよ。どうやってデビューしたんだろうって思ってたもんね(笑)
奥田:山崎まさよしもそんなこと言ってたよね。あいつもなかなかデビューできなくて。
斉藤:この間、久しぶりに会ったけどそんなこと言ってたね。
なぜソロアーティストを選んだのか?
斉藤はデビューの翌年にリリースした『歩いて帰ろう』で一気に注目を集める。奥田は、斉藤がバンドではなくソロアーティストを選んだ理由を訊いた。
斉藤:みんながバンドでうらやましかったよ。FLYING KIDSとかユニコーンとかJUN SKY WALKER(S)とか。
奥田:確かに。
斉藤:俺もバンドはいっぱいやってきたけど、オリジナルの曲を作ってアレンジとかすると「全然そういうことじゃないんだけど」「なんでそうなっちゃうの」ってなっちゃうことが多くて、ストレスがすごくてヤダと思って、ひとりでやっといこうと思ってる時期にデビューになったから、バンドの人たちがうらやましいなと思って。解散しても「元ユニコーンです」とか言えるし、再結成してみたりもできるし。
奥田:そうですよね。
斉藤:ソロだと解散も再結成もできやしないよって。
現在、斉藤は奥田をはじめ、寺岡呼人、浜崎貴司、YO-KING、トータス松本の6人で構成したバンド「カーリングシトーンズ」としても活動している。
斉藤:カーリングシトーンズは楽器を持ち回るから楽しいですよね。
奥田:最初はシンガーみたいなのが集まってるから、ライブをやると普通だったらサポートみたいな人がいる感じだと思うんですけど、それがないですからね。それぞれできることをやるみたいな。
斉藤:カーリングシトーンズのツアーもやろうとしてたんだけど、コロナ禍で東京くらいしかやれなかったから、来年とかできたらいいですよね。
「ギタージャンボリー」の思い出は、井上陽水の弾き語り
奥田:両国国技館の土俵に見立てたセンターステージでやりましたけど、どうでしたか?
斉藤:360度にお客さんがいるステージってどこに意識を持っていけばいいのやらって最初は戸惑いましたけど、なんか不思議な場所ですね。あんなところでライブができるってこのときくらいなので。
奥田:そうなのよ。
斉藤:楽屋っていうかお相撲さんがいつもいる全部畳の部屋とかシコを踏むところとか待機場所とかあるじゃない。太い柱もあって。
奥田:お相撲さんがテッポウをやるところね。ペチペチって。
斉藤:そうそう。
奥田:それと、すごいのは大のほうのトイレですよね。クソデカい(笑)。
斉藤:ははは(笑)。
奥田:笑っちゃうデカさ。風呂かっていうくらい(笑)。
斉藤:座るところ自体がデカいんだっけ?
奥田:そうよ。だってお相撲さんによっては普通サイズは無理でしょ。
斉藤は、2019年の「ギタージャンボリー」で井上陽水が出演したライブが印象的だったと振り返る。
斉藤:素晴らしかったんだよな。2020年に亡くなっちゃったギタリストの安田(裕美)さんとふたりでやってた。陽水さんは昔は散々弾き語りをやってたんでしょうけど、最近は陽水さんの弾き語りライブはなかなか観れないじゃない。
奥田:最近は若いメンバーとバンドをしたりしてるもんね。
斉藤:それもすごくよかったし、おもしろいイベントですよね。
奥田:「ギタージャンボリー」とかフェスとかで徐々に人脈が増えていきますよね。いつの間にか知り合いが増えるみたいな。
斉藤:確かに。
奥田:友だちが増える現場ですよね。
ON AIR LIST
IN THE MIRROR / LOUDNESS
ダンシング オールナイト / もんた&ブラザーズ
BOY / 斉藤和義
パンのうた(スタジオセッション) / 奥田民生 & 斉藤和義
それは愛なんだぜ / カーリングシトーンズ