Guest : M.I.A.
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TOKIO HOT 100が注目するニューカマー・アーティスト、M.I.A.
クリス:今日のゲストはM.I.A.。目利きのいい人はすでに注目していると思いますが、TOKIO HOT 100には、今年の2月から「SUNSHOWER」という曲がエントリーしています。そして日本盤が6月22日にようやくリリースとなりますが、まずはそのM.I.A.のプロフィールをご紹介しましょう。 本名、マヤ・アルプラガサム。アーティストネームが、M.I.A.。現在28歳のスリランカ人で、さらに正確に言うと、少数派タミル族。 マヤのお父さんは、スリランカ反政府ゲリラの指導者でした。 11歳のときに、スリランカの内戦が激化し、そのお父さんをスリランカに残し、家族でイギリスに亡命し、戦争難民になります。 その後、マヤはデザインを学びながら音楽活動を開始。昨年、UKでリリースしたたった1枚のシングルがいきなり話題になり、今年になると海を越え、NYのシーンで高く評価されました。 そんな彼女が、先月、プロモーションのために来日。ココJ-WAVEにも来てクリス・ペプラーも会いましたので、今日はそのインタビューの模様をお送りしましょう。ラジオでは独占のインタビューです。彼女の肉声が聞けるのはこの番組だけです。 まずは、アーティストネームに<MISSING IN ACCTION(戦闘中行方不明者)/M.I.A.>という言葉を使ったわけから聞いてみましょう。
M.I.A.:アートスクールを卒業する一週間前に、同じ学校で誕生日も一緒で、毎日一緒に過ごしていたイトコがスリランカで戦闘中行方不明になったの。そのことに対してのオマージュで、彼のことを思い、この名前をつけることにしたの。 私の場合はイギリスに亡命して、教育を受けて、スリランカにいたイトコとはまったく違う人生を歩んできたんだけど、彼が戦闘中に死んでしまったことで、自分のすべきことを強く感じるようになって、クリエイティブな仕事で誰かを助けるようなことをしたかったから、この名前をつけることにしたわ。 クリス:音楽を始めたきっかけはいったいなんだったんでしょうか? M.I.A.:最初はデザインの勉強をしていてアートが好きで、同じく音楽も普通に好きで楽しんでいたんだけど、特にミュージシャンになりたいという強い気持ちは無かったわ。でもある日、友達の家で6時間くらい留守番をしていたとき、そこにローランドの505/グルーヴボックスというリズムマシンがあって、それをいじっているうちに急に音楽にのめり込んじゃったみたい。 クリス:随分、ユニークな音なんだけど、どうやって作ったの? M.I.A.:ビートを作るときって、普通だったらバスドラを入れて乗っけていくのに、私は無知だったから、何がなんだか分からないままに打ち込んじゃったから、独自のスタイルが確立したんじゃないかしら。 クリス:今や世界的に注目されるアーティストになったけど、オリジナリティや、インスピレーションの源は? M.I.A.:イギリスからスリランカの人たちに何かを与えたいと思っているわ。亡くなってしまったイトコは、先進国がもたらしてくれる良い部分を知らずに死んでしまったから、イギリスが自分に与えてくれたものを、私がスリランカの人たちに還元したい。また逆に、イギリスの人たちにもスリランカの良さを伝えていきたいわね。 インスピレーションの源に関しては人生のすべてで、嫌な事、つらい事もポジティブに、建設的にとらえていきたいって思っているの。人生って意外に簡単なことなのに、複雑にとらえてしまいがちだから、私はシンプルにするように心掛けているの。 クリス:この夏、日本でもライブやるよね。(サマーソニック05・8/13(土)のURBAN STAGE)ライブはどんな感じなの? M.I.A.:アルバムの中で「バキダンガン」という曲をプロデュースしてくれているディップロウというフィラデルフィアのDJがいて、彼の手法が私に近くて、異なるジャンルをぶつけたり、世界中からいろんな音を持ってきてマッシュアップしたりするのね。だから彼に来てもらって、もう一人、カリブ海で出会った女性をサポートボーカルとして連れてこようかなと思ってるわ。でも、その時によって面子は変わるかも。サーカスみたいなものかしら。
今年のサマーソニックの裏レコメン!大物もたくさんいますが、このM.I.A.という新人アーティストも要注目! デビューアルバム『ARULAR』は 6/22リリースです。
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