今回はただいま大ヒット中、マンガ版『君たちはどう生きるか』のHIDDEN STORY。もともとは1937年、吉野源三郎さんが発表した本ですが、80年後の今、羽賀翔一さんによるマンガ版が売れています。まずは、80年も前に発表された本を、なぜ今マンガにしようと考えたのか?そのきっかけについて、羽賀翔一さんに教えていただきました。

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「もともとはマガジンハウスの編集者で鉄尾さんというベテランの方がいるんですが、その方が、意外と若い人がこの本を読んでいるというのを発見して、マンガという形で今出したら、手に取ってくれるんじゃないかという企画を起こされたんです。はずかしながら僕は『君たちはどう生きるか』を読んだことがなくて、そこで初めて読んで、最初はやはり『君たちはどう生きるか』って強い言葉だし、堅い本なのかなと思っていて、しかもマンガにするというフィルターがかかった状態で読み始めたんですけど、だんだんとその物語のなかに没入していく感覚というか、人間が描かれているという風に僕は感じて。しかも、そこで起きていることって小さな出来事なんですけど、そこから本質的なもの、意味を見つけていくというのは自分の作風にあっていると感じました。なので、どうマンガにするかというアイディアはまったく思い浮かばなかったですが、これはできるかもしれない、と読み終わったときに感覚的に思いました。」

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吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』。この本が世に出たのは、1937年。日中戦争が始まった年です。その原作を、どうマンガにするのか。羽賀翔一さんは、吉野源三郎さんのご子息に会いに行きました。

「吉野源太郎さんという、源三郎さんの息子さんに会いに行って、『このたびマンガにしたいと思っている。』という話をしたら、基本的に吉野さんは僕のことを信頼してくれたというか、『君が納得するまで直して作ってくれ。』と言っていただいて。そのときにこの本が生まれた時代背景というか、状況をうかがって、やっぱり源三郎さんは、ちょうど1937年で太平洋戦争間近の当時、このまま世の中が戦争の方向に流れていって、軍国主義が盛んになっていってはまずいんじゃないかという想いがあって。反戦というメッセージを伝えたかったけど、当時は検閲が厳しくてそういう本が出せないと。ただ、児童書というジャンルならそこまで検閲が厳しくないので、そういう体裁なら出せるということで、この本は児童書となったんだよ、というお話をうかがったりして。」

『君たちはどう生きるか』。物語の主人公は、東京に暮らす少年です。父親は亡くなっていて、母親とふたり暮らし。近所に住むおじさんが話し相手になってくれます。おじさんは彼のことを、コペルニクスにちなんで、コペル君と呼ぶようになります。マンガ版のコペル君は、細い体つきで、短い髪にメガネをかけています。このキャラクターは、どんな風に考えたのでしょか。まるでお話をうかがった羽賀翔一さんのような姿ですが・・・

「僕が寄せているところはあります。校正的なことでいうと、1937年にこういう髪型の少年はいないんです。中学生はみんな坊主頭なので、これは間違っているといえば間違っている。でも僕が小説を読みながら感じた人物というかキャラクターを、自分が一番描いていていきいきするものというか、表情はどういうものだろう、ということで、こういう造形になりました。」

どうすれば、マンガのなかでコペル君がいきいきと動いてくれるのか?読者が物語に没入するためには、どんなことが必要なのか?羽賀翔一さんの出した答えは...

「感情的な部分というか、自分の記憶のなかでコペル君に近いものはたくさんありました。コペル君と同じように、いじめられっ子に手を差し伸べられずに救えなかったみたいな経験もやっぱりあるし、たぶん、どの人にもそういう経験はあって、でもだんだん忘れてしまっていると思うんです。そういう小さい経験の記憶みたいなものを引き出しを開けて引っぱり出しながら、ちゃんとコペル君の感情に近づいて自分が描くという。」

15歳の中学生コペル君が、壁にぶつかるたびにおじさんも一緒に悩み、考え、その顛末をコペル君への『手紙』という形でノートに記します。

「コペル君自身も何度もおじさんから『自分で考えるんだ』というメッセージを伝えられていますけど、この本は結局こう生きるべし、という答えを言っている本ではなくて、むしろ逆で、答えは提示してないけれども、どうやって考え続けるか、抱えていくかということが書かれている本だと思うんです。そのためにはやっぱり自分が経験したことを深堀していくというか、これって自分の人生にどういう意味があるのかということを考えていくのが重要だと思っています。【石段の思い出】という章で、コペル君のお母さんが『自分も若い頃にこういうことがあって...』という風に話すシーンがあるんですが、それも、今あなたが悩んでいることは苦しい経験だけど、役に立つというか、自分にとって大切な記憶に変わっていくという、それがこの本で通底しているメッセージだと思っていて。」

最後に、うかがいました。1937年、太平洋戦争の足音が近づいていた時代。そのなかで、編集者だった吉野源三郎さんが書いた小説を、いま、マンガにすること。 その意味について。

「あんまり今の時代と1937年の時代が重なっているというのはそこまで意識しないほうがいいだろうなというか、そういう意味では、反戦的なものは前に出していないんです。でも、例えば、浦川君をいじめてしまうような大きな怪物みたいなものをマンガのなかに描きましたけど、みんなが同調圧力に従って巨大な怪物の一部になってしまうというのは、どの時代にもそういう危険性があると思っています。それが狭いコミュニティというか、狭い世界で起きていることも世の中全体につながっていくというか。『君たちはどう生きるか』って、大きなメッセージだし、そう言われてもちょっとひるんでしまうところがあると思うんですけど、結局は、小さな出来事とか、自分の経験を元に考えることを繰り返していくというのが、どう生きるかにつながっていくのかなと思って。」

友達とのいさかいで、どう振る舞うのか?自分が間違ったときに、どう行動するのか?世界全体から見れば小さな出来事のなかに、世の中を変えていく種はある。本のタイトルをもう一度。 『君たちは どう生きるか』。