今回ご紹介するのは、音楽プロデューサーの藤沢宏光さん。
現在は神奈川県の三浦市で、かもめ児童合唱団のプロデュースに加え、【ミサキプレッソ】というカフェや【ミサキドーナツ】というドーナツのお店を展開されています。藤沢宏光さんにお話をうかがいました。
藤沢宏光さんは1959年、広島生まれ。まずはどのように音楽の世界に入り、その後、どんな道を歩んでこられたのか、教えていただきました。
「とにかく音楽のそばで生きていきたいという気持ちが強かったんです。もともと、下北沢で仲間と一緒にいろんな音楽の現場の仕事をしていました。楽器を運んだり、コンサートの制作をしたり。そんなときにYMOの高橋幸宏さんに拾っていただいて、そこから僕は、YMO関係のマネージャーが何人かいるんですけど、そのひとりになりました。そこからがらっと世界が変わって、本当に日本のトップミュージシャンのそばで仕事をさせてもらう状態が13、14年続いて、そのうちに僕は音楽制作の現場が好きだったので、いろんなアーティストのプロデュースをやるようになっていきました。THE BOOMとか、小野リサさんとか、いろんなアーティストの作品やコンサートのプロデュースも含めて、ずっと一緒にやっていました。」
大きな転機は、2004年。藤沢さんは、神奈川県三浦市の三崎で暮らすことになります。
「何の計画性もなく、下調べもなく、うっかり引っ越したんです。建物が漁港沿いの古い小さなビルで、僕が買うときはまだ倉庫のような状態でした。そこをたまたま暇な不動産屋さんが案内してくれて、僕が『ちょっと屋上にあがらせてください』って頼んで屋上にあがってみたら、前に城ヶ島が見えて、ほんとに美しい景色だったんです。で、もうその日のうちに契約して、直感的に2004年に三崎に引っ越しました。まだ自分の会社が南青山にありましたし、通っていたんですけども、『この距離感がいいな』と。すごくピリピリした気持ちでレコーディングをして、帰りに電車のなかで1時間ちょっと過ごす。そうすると気持ちがだんだんオフの状態に切り変わるんですよ。そしてすごく疲れていても、ちょっと夜釣りでもやるか、という気持ちになったりして、越してみてこれは面白いとおもいました。」
三崎に引っ越した 音楽プロデューサーの藤沢宏光さん。ご自宅の地下をスタジオに改装します。そして、新たな出会いもありました。
「2008年、音楽業界がだんだん様変わりして、CDがすごく売れる時代から音楽配信に移行して、僕に限らず、経験豊かなプロデューサーやエンジニア、アレンジャーとか、そういう人たちの仕事が少なくなってきたんです。そんなとき、何かプロデュースの仕事を地元の三浦市でもやってください、という話が回りからありました。じゃあいろいろ見てみようか、というなかに、かもめ児童合唱団がいて出会うことができたんです。最初出会ったときは10人くらいかな、上手な子だけを集めてなくて、だれでも入りたいといえば、はいどうぞ、という合唱団。僕は最初にかもめ児童合唱団を見たときに、あ、これはおもしろいと思って、この子たちのCD作品を作ってみたいと思ったんです。仲間のアレンジャーとか、演奏家たちに声をかけて、2008年に最初のシングル盤を作りました。」
最初のシングルで手応えをつかんだ藤沢さん。アルバムも制作することになりました。そこには、矢沢永吉さんの『アイラブユーOK』や、L⇔Rの黒沢 秀樹さんによる書き下ろしの曲、『焼いた魚の晩ごはん』もレコーディングされました。
「ある日、僕の家に来られたときに、『頼まれてないけど、曲を書いてきました』ってメロディだけラララで書いて来てくださったんです。『ほんとありがとう』って、そのまま彼と、そのときは伊藤銀次さんも一緒だったんですが、銀次さんと黒沢秀樹さんはうちの地下にこもって作曲を始めたんです。で、その作曲をしている間に僕が作詞をしたんですよ、2時間くらいで。それが表題曲の『焼いた魚の晩ごはん』という曲になりました。」
その後も、井上鑑さんや坂本慎太郎さんとレコーディング。さらに、ゆずのツアーで オープニングにかもめ児童合唱団の曲が流されるなどさまざまなミュージシャンとのコラボレーションが続きました。そして、そんな活動のかたわら、藤沢宏光さんは、 【ミサキプレッソ】というカフェを開店。加えて、【ミサキドーナツ】というドーナツショップもオープンしました。
「新しいことがね、うっかり始まるわけですよ。僕は、新しいことが始まるということにワクワクしたり、前向きな気持ちになるんですけど、そういうことがきっと好きなんです。前職が音楽で、音楽と飲食ってまるっきりかけ離れているようだけど、音楽のような店をつくればいいわけですよ。だから、現在の仕事をどこまで深く一生懸命やれたかで、それをしっかりやってこれたら、全然違う異業種にチャレンジしたときも必ず役に立つ、という風に僕は思いました。今まで三崎を支えてこられたマグロ業界の方とか、そういう人たちをリスペクトしつつ、今までなかったものを作ろうと。ひとつひとつが魅力的であってほしくて、この何とも言えない新しさがいいね、とか、古新しいねみたいな。この迷路みたいな街を歩いてみようか、というような、そういうことを三崎に遊びに来られた方に感じてもらえたらなと思いますね。」
藤沢宏光さんに最後にうかがいました。かもめ児童合唱団のこれからの目標とは?
「いろんなところに歌いに行ったりとかできたらなとは思っています。理想は全国の港町に、各地のかもめのコピー合唱団ができてもいいし。なんかそういうの、楽しいなと思ってます。僕も作りながら何回泣いたことか、というほど、ボロボロきますね。子ども達の声が持つ力もあるしね、かっこよく見せようとか、そういう飾りがないし、ストレートに一生懸命歌っているだけなので、それが曲のよさが一番届きやすい表現方法なのではないかと思っています。」