今回ご紹介するのは、群馬県みなかみ町でカスタネットを作る、冨澤健一さん。冨澤さん、昭和の最盛期には、年間230万個ものカスタネットを世に送りだしていた、ということですが、実は今、このカスタネットづくりが、自然保護の活動につながっています。冨澤健一さんにお話をうかがいました。
群馬県みなかみ町の冨澤健一さん、カスタネットづくりは、もともとお父様が手がけていたもので健一さんも、子どものころから その仕事を手伝ってきました。
では、そもそも、冨澤さんのお父様がカスタネットを作るようになったのは、どんなきっかけからだったのでしょうか?
「一番最初にカスタネットができたときは、大学の音楽の先生がこの近くに友達がいるということでたずねてきたんです。丸いカスタネットができたのは、うちでは、おぼんとかをつくっていたからだと思います。
来た人は、ミハルスという打楽器を持ってきたんですけど、それはフラメンコを改良して、長さが7~8センチ、幅が5センチくらいの板の真ん中へこませてあわせて手で音をさせていました。
だけど、うちでは丸いものを作っていたので、今のカスタネットの原型になったんだと思います。」
音楽の先生が『こういう楽器を作ってほしい』と持って来た【ミハルス】という打楽器は四角い形をしていました。
しかし、冨澤さんの木工は、おぼんなど丸いものが多く、そこで、丸い楽器をつくることになり、これがのちに日本中に広まる、あのカスタネットとなったのです。
「売れ始めて、20歳くらいかその辺から、うちだけでは間に合わないので合計4軒で作るようになりました。栃木県の足利の2軒と、高崎の倉渕村に1軒頼んでやっていました。材料はうちから全部持って行っていました。木の種類はだんだん数が増えるに従って木の調達ができなくなっていったので、徐々に変えていきました。最初は山桜で作り、その木が調達できなくなってきたら赤城山の裏にかえでという木が林野庁から出ていたのでそれをずっと使っていました。数を作っていくのに材料が間に合わなくなっていったのです。」
カスタネットは、日本全国の学校で音楽の授業で使われ、冨澤さんの会社では、最盛期には、年間230万個を製造されました。
ちなみに、カスタネットの 印象的な 赤と青の色。これはどのように生まれたのでしょうか?
「いま赤青で組み合わさってますけど、最初は赤は赤で組んで女の子用、青は青で男の子用で作っていました。しかし、別々にあると毎年男の子と女の子とで入ってくる生徒の数が違うので、1年間、店に在庫で残ってしまうんです。そこで内であわせようとあわせました。共用にすれば、全国のお店に在庫が残らなくなるので。」
子どものころからカスタネットづくりを続けていた冨澤さんですが2013年に いったん製造を中止。しかし、あることがきっかけで製造を再開することになります。
「みなかみ町の観光協会と赤谷の森にいるイヌワシの調査をしている東京の日本自然保護協会の人たちが『ごはんを食べよう』と言って、食べたのがきっかけです。
『イヌワシのえさ場を切った時、ちょっと木が出るからそれで作ってよ』と言われたのが始まりです。
えさ場を切ったときに出た廃材の悪い木とか、あと、今は森が荒れているので、切らないとどうしようもないところがあるんですよ。それも一緒にカスタネットを作ろうということでやっています。この辺も森の奥に熊がいてもそれが見えないくらいに森が荒れています。」
みなかみ町の北部にある『赤谷の森』。多様性を持つ森を再生するプロジェクトで出る間伐材を使ってふたたび、カスタネットづくりをスタート。今、その売り上げの一部は、豊かな森を作る活動に役立てられています。
冨澤健一さんに、最後にうかがいました。カスタネットの魅力、どこに感じていますか?
「誰もが、ちっちゃい子が来ても何しても一番喜んでもらえるので、ずっと使える楽器じゃないかと思います。なので、これから先も頑張っていきたいと思います。」
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