今回は、沖縄の環境を守る活動に深く関わる浦島悦子さんにお話を伺います。

鹿児島ご出身の浦島さんが、東京、そして、奄美大島での暮らしを経て沖縄に移住されたのは、1990年のこと。山歩きをするなかで、浦島さんは、あることに気づきます。

「山歩きをするなかで山が破壊されていることに気がついて、なんでだろう?と考えたら、これは基地と深く関係があったんです。沖縄の人たちが基地のない沖縄を目指して復帰運動をやったのに基地が残されてしまった、ということに対する怒りをしずめるというか、日本政府が沖縄に高率補助金といって、公共事業について他の地域では56割補助の公共事業を、沖縄では 89割の補助率でやって、必要以上の開発がおこなわれていて、自然が破壊されているのに気がついたんです。それで山を守る運動を同じ想いを持っている人と始めて、1992年、復帰20年のときに、この20年は何だったのか、自然破壊の20年だったじゃないか、ということで、その会を立ち上げたんですね。そのときに最初に喜納昌吉さんに来てもらって歌を歌ってもらったのを覚えてるんですけど。」

『やんばるの山を守る連絡会』で環境にまつわる活動を始めた浦島さん。その後、海にも目を向けることになります。きっかけは、1996年4月、当時の橋本龍太郎首相とウォルター・モンデール駐日アメリカ大使の会談でした。

「橋本モンデール会談というので、普天間基地を5年から7年以内に返還すると。ただし、県内移設という条件がついていた。ちょうどそのときに、私は佐喜眞美術館で働いていたんです。普天間基地に隣接している私設=個人、佐喜眞さんがやっている美術館ですが、佐喜眞さんが普天間基地の一部を軍用地になっているのを返還させて作った美術館なんですよ。そこで働いていたときに、普天間基地を返すが辺野古に移設するという話が持ち上がって、移設先として上がっている辺野古というのはどんなところだろう、行ってみようよ、ということで佐喜眞美術館の人たちと行ったのが最初です。」

浦島さんが初めて辺野古をたずねたとき、すでに、基地の移設に反対する活動が始まっていました。

「その中の中心的な人で、比嘉盛順さんという方が船をだしてくれて、辺野古のイノー=サンゴの内海に平島という無人島があって、そこに連れて行ってくれました。その島はちっちゃな島ですが、沖縄の島の浜はサンゴの砕けたものとか、貝殻の砕けたものでできているので本当に真っ白なんです。その平島の砂浜に比嘉さんが立って、私達の前で砂をサラサラして、指の間からこぼれて落ちるんですけど、『見てください、私達が守りたいのはこれなんですよ』とおっしゃったんですね。私はもうそれが胸に響いたというか、真っ白な砂の美しさと同時に。」

辺野古の海に新たに基地が、、、ということなんですが、いま、工事が進められているのは、どんな場所なのか、浦島さんに教えていただきました。 

「辺野古の岬、辺野古崎と呼んでますけど、新基地でいうと、岬の両側を埋めて滑走路を作ろうという計画です。岬の辺野古側と大浦湾側、その真中に突き出している岬で、さっきイノーと言いましたが、サンゴ礁の内海は、ものすごく豊かな漁場なんです。そして大浦湾側は、かなり深くなっていて、海底地形が複雑なんですね。海底地形が複雑ということは、それぞれの場所に応じた生き物が住んでいる。日本じゅう、世界じゅうから研究者が調査に来るようになって、調査すればするほど新種が見つかる、というすごい海だというのがだんだん明らかになってきたんですね。世界的に見ても生物多様性の高い、貴重な海だというのがだんだん明らかになってきたんです。」

生物多様性、という言葉がありましたが浦島悦子さんが力を注いできたのが、ジュゴンを守る活動です。 

「ジュゴンは昔は沖縄の近海に普通にいた生き物なんですが、彼らの食べる海草は海の藻とはちがう植物で、太陽で光合成する陸上の植物と同じ性質を持っているんです。なので、太陽の光が届く浅くてきれいな海にしか育たないから、そこに来ないとジュゴンは餌を食べられないし、この浅いところに生えている海草しか食べない。でも、沿岸域が人間の開発で埋め立てられたり汚染されたり、餌場がなくなってジュゴンが住めなくなった。しかし、今生き残っているジュゴンが最も好む場所、生息の中心が辺野古、大浦湾の海だったんですね。この基地の工事が始まるにしたがってジュゴンがいなくなってしまいました。海草藻場は浅いところにしか生えないですが、そこはもう埋め立てられてしまった。」

沖縄の環境を守る活動に深く関わり、文筆活動を続ける浦島悦子さんに最後にうかがいました。本土復帰50年、いま、どんな想いをお持ちなのでしょうか?

「1950年代は在日米軍基地のなかで沖縄にあるのは30%だったらしいです。それが復帰のときは60%、いまは70%。復帰のときと変わっていないどころか、基地負担が強化されている。私も30何年かここに暮らす中で、沖縄に来るときは沖縄に基地があるということは知っていましたが、基地と共存するというのがどんな暮らしなのかは暮らしてみないとわからない。ほんとは県民集会という1万人規模の集会をやろうと言っていて、コロナでオンラインになったんですが、その中で元山仁士郎さんという県民投票を中心になってやった方、30歳くらいの青年がおっしゃっていたんですが、『やっぱり、復帰50年というのは、沖縄の人が考えるというよりは、日本国民が考えないといけない問題ですよね』と言っていたんですよね。戦後教育のなかで、日本の戦後がどういう成り立ちで沖縄が矛盾のしわよせがどうしわよせされているのか、やはりそこはきちんと学んでほしいと思いますね。」

浦島悦子さんの本もぜひご覧ください。

「豊かな島に基地はいらない」。

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写真家・石川真生さんとの共著、「シマが揺れる―沖縄・海辺のムラの物語」。

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なかちしずかさんとの共著「ジュゴンの帰る海」。

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