今回は、石川県の伝統工芸、九谷焼をポップに展開!

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スケートボードを模したお皿をはじめ、九谷焼に新たな風を吹き込むブランド『九九谷』のHidden Story。

『九九谷』の代表、吉田良晴さんは青森県三沢市、米軍基地のある町のご出身。幼い頃からアメリカのカルチャーに触れ、中学生の頃にスケートボードと出会います。その後、上京。2000年代の初頭には、企業やメーカーなどからスポンサードを受けスケートボーターとしても活動されました。

今オリンピックの競技にもなってますけども、当時はそういうスポーツ的な側面の印象はなく、本当にストリートで滑っていまして。街で滑って、ビデオのカメラマンや写真のカメラマンとそういった現場をおさめて、雑誌・ビデオなどに出るというのが主な活動の場でした。それで、僕が2223歳の時にですね、初めてスケートボード業界にNIKEが参入してきまして、その時に最初に契約した日本人のスケートボーダーという中の1人になりました。」

吉田さんはその後、20代の半ばからバンド活動【One Peace Session Band】をスタート。そして...。

「バンドもですね、みんなバンドメンバーそれぞれいろんな色が音楽に入っていたんですけども、自分はバンドをやりながら東京の三鷹の阿波踊りの連に入って、篠笛なんかもやってみたりして。そういうエッセンスを音楽に取り入れたり、日本の要素を取り入れたいなというのが自分の中であったんですね。そもそもスケートボードでアメリカを旅したり、ヨーロッパを旅したりしてまして、その中で自分のアイデンティティをすごい強く意識するようになって。よくある話なんですけども、日本というものを自分で学ぶというか、掘り出していくというような作業も自然にやってまして。そして30代半ばの時にですね、バンドメンバーが"もうバンドで食ってくのが難しいんで、ばらそう"みたいな話になってバンドをばらしたんですけども、その時まではバンドメンバーみんな東京にいたんで東京にずっといるヴィジョンだったんですが、バンドをばらした時にですね、東京だけじゃなくて日本中、まして世界の中で自分がフィットする仕事というか、やりがいのあるものはないかなという風にリサーチしました。その時に、石川県小松市で九谷焼の総合文化施設、建築家の隈研吾さんが設計された九谷焼の施設のセラボクタニというところのスタートアップの運営者を募集してまして、それにエントリーしました。」

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吉田さんは、石川県小松市の九谷焼にまつわる施設〈九谷セラミック・ラボラトリー〉、通称CERABO KUTANIの運営に地域おこし協力隊として参加。そして、この運営にたずさわる中で、『九九谷』が生まれます。

「セラボクタニを運営させてもらって、実際にご購入される方がどんな方なのか肌感でリサーチできている状況にあったんですが、やっぱり焼き物の中でもやっぱ九谷焼っていうのは美術的な側面が高いので。上絵があって作家性があって、というものが多くあるので、ちょっとお値段もしますし。となると、やっぱりちょっと富裕層の方・ご年配の方が好んでいる傾向にあるというのと、あと若い方、20代、30代、40代の方も多くセラボクタニには来られるんですが、美術館を見るような感覚で"いや、すごいね"とか、"こういう風に作られるんだね"と見てはいただくんですけども、買われる方というのはなかなか少なくてですね。理由としては、デザインが花鳥風月という古風な側面と、ちょっと高額な部分というのが原因にあるんじゃないかなという風に僕の中であって。九谷焼の幅として、もっとポップなカルチャーとミックスすることで、そういった中間層や若年層にも興味を持っていただいたり、もしくはご購入いただいたりという方向に繋がってくんじゃないかなと思って九九谷を立ち上げました。」

その九九谷の最初の商品が、スケートボードの形のお皿でした。

セラボクタニに常にいらっしゃって体験などで先生をやってくださってるような職人さんにいつも相談していて。まずは自分がスケートボードをやってきたのもそうですけども、スケートボードっていわゆる遊び道具という認識もあるんで、ポップなアイコンになるんじゃないかなと思って。まずはスケートボードのお皿を作る作業、形を作る作業から始めました。仕事が終わってからセラボに残って職人さんと相談しながらスケボーの形を作るところからスタートしたんです。あと、スケートボードの形というのは九谷焼の職人さんじゃわからないので、形っていうのはやっぱり僕自身がわかってるので、その辺は職人さんと相談したり、実物を持ってきたり。あと、実際のスケートボードの大きさじゃなく縮小して作るもんですから、知り合いの東京のデザイナーにちょっと型を作っていただいたりとか、実際に東京にいるスケートボードのシェイパーにシェイプの形を提案していただいたりとか。本当にスケートボードの方向でも九谷焼の方向でも妥協ない作り方にしたいなと思って、いろんな方に相談させてもらいましたね。」

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その後、工事現場にある三角コーンの形をした一輪挿の花瓶、さらに、VANSとのコラボによるスニーカーなど、九九谷は、ポップな商品作りを続けてきました。

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そんな九九谷、昨年元日の能登半島地震発生後、同じ石川県の被災者を支援するため、展覧会でチャリティ活動を実施。さらに、《PRAY FOR 能登》と題したTシャツも製作しました。

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地震で大きな被害があった土地からお客さんがいらしゃって、実家が壊れたと。で、ご両親が避難している。そして、これからその両親を支えるのにもお金作んなきゃいけないとか、そういった辛い現実を知ってですね。九九谷に遊びに来たその方自身がカリグラフィーという文字を書くアーティストでありまして、じゃあ一緒に仕事しようっていうことで、Tシャツをデザインしてもらって、僕が全部製作して。で、能登半島のお店にも置いてもらって、その売り上げの一部がそのアーティストに入るようにTシャツを制作しました。このアーティストとは、奥能登生まれのNONDELさんという方で、現在も、九九谷のウェブサイトなどで《PRAY FOR 能登》のTシャツが販売されています。こちらもぜひご覧ください。

いろいろお話うかがってきましたが、最後に、今後のビジョンについて、吉田良晴さんに教えていただきました。

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「[産地小松より掛け算する九谷焼]というサブタイトルがありまして、九谷に掛け算の九九を混ぜて九九谷なんですね。いろんなカルチャーやポップアートなどと九谷焼を掛け合わせて商品を作ったりですとか、そういった取り組みにしたいっていうところが1つと、あと伝統工芸の九谷焼という作る土壌が、ここ石川小松市にありまして。ただ、蓋を開けてみると高齢化が進んでまして、事業者さんも70代、80代という方が多くて、どんどんこの仕事を辞めるところも増えてるんですね。作れる人が減っているという実情が裏にはありまして、なのでやはり九谷焼をビジネスに変えて、地元の九谷焼の事業者の方にお仕事をお願いして、例えば新しい人が入ってきてくれたり職人さんが増えたりできないものかっていう、そういった一石を投じる思いでもありますね。」

九九谷 公式ウェブサイト

九九谷 インスタグラム