今回は、宮城県亘理郡山元町にある いちご屋さん、『燦燦園』のHidden Story。
2011年3月11日。いちごの産地である山元町は、ちょうど いちごの出荷の最盛期。そんな中、地震が発生しました。
「この亘理山元町といういちごの産地は、もう海に本当に近い。浜通りにいちご屋さんが並んですごく活気のある元気のいい街だったんですけど、だいたい95パーとか97パーセント、ほぼほぼのいちご農家さんの自宅をはじめ昔から培ってきた畑やハウスが流されてしまった形です。うちは直売所だったり、そういったところも経営してたんですけど、全部浜にあるので、私たちの深沼家として今までの農地は全て流されてしまったんですけど。ただ、1か所、私の父がすごく力入れていた畑の1か所だけがなんとか残った状態で。1メーター20ぐらいまでそこも波は上がったんですけども、なんとかハウスは倒れずに、中身はもう本当に見るも無残なものだったんですけど、父親はそれを見て"やれるな"という希望を抱いていたので。そこのところから私も気持ちを切り替えて頑張って、今もやっております。」
お話を伺ったのは、株式会社 燦燦園の代表である深沼陽一さんです。以前は、『深沼農園』という名前のもと、ご両親が中心となり、家業として いちごの栽培に取り組まれていました。
2011年、震災で大きな被害を受けた深沼農園。再スタートを切るにあたり、法人化。『燦燦園』と名称を変更されました。
「その時、震災後って、様々なことが本当に目まぐるしくあった中で、震災ではうちはほんとにありがたいことに、ほとんどのものが流されたんですけども家族だったり親戚も、一部はやっぱり被害に遭われましたけど命を落とすことなく津波というところを乗り切ったんですけども、元々、母が病気をずっとしていたところがあって、すごく友達が多い母だったんですけどちょっと体調を壊して、その年の夏ぐらいに亡くなってしまって。その時には、母が以前から"私が亡くなった時には【愛燦燦】を流してね"っていう風に言ってもらっていたので、【愛燦燦】を流してたところ、周りの方々から、自分も会社を設立したけど名前を作れてなくて悩んでいた時に"燦燦園にしなよ"っていう風に言ってもらって燦燦園になった感じです。」
お母様がお好きだった、美空ひばりさんの【愛燦燦】。この曲にちなんで、『燦燦園』という名前で再出発されました。農業生産法人として動き始めた『燦燦園』。今は、ITの技術も導入しています。
「やっぱりいちごを作るってすごく難しくて。なかなか私も元々はIT化をしていくことには賛成ではなかったんですけど。ただ、やっぱり会社として面積が増えていく中で、私も父の背中を見て農業を学んできた部分はあるんですけど、いま私の会社にも本当に20代前半から大体60代後半・70代の方までいろんな方がいてくれる中で、私たちの技術をいろんな方に教えていく、そして常にいいものを作っていくために、面積が広くなってくるとやっぱり目が届かなくなってきて、どうしても技術の安定化が難しくなってくるので、ITを取り入れてハウス内の環境をモニタリングできるようにしていって若い人たちにもできるだけ数字で物を教えるように、暑くなってから開けろではなくて、大体この時間は湿度がこのぐらいだから温度をこのぐらいにしてというような。作物を作る環境を数字に起こして、で、それをデータでちゃんと記録をして次の年に繋げるようにというところでIT化を進めました。」
ハウス内の環境をモニタリングする、という言葉がありました。このことについて、もう少し詳しく教えていただきました。
「やっぱりいちごを作ることに関しては、とにかく美味しいものを食べさせる、栄養があるものを与える、というのは大事ではあるんですけども、ハウス内環境もすごく大事な技術の1つなので。父親たちがなんとなくやっていたことにプラスちょっとサイエンスを入れて、科学的な植物体としてのベストを取り入れるために、温度変化だったり、時間によってその環境を変化させなきゃいけないので、ハウスが開いたり閉まったり、暖房がついたり消えたり、作物が育つために必要なCO2、光合成を促進させるために必要なCO2を出したり止めたりとか、そういったところを全部機械化で行っております。」
ITの技術も使いながら生産される、燦燦園のいちご。こだわりは、《完熟》。完全に熟したものを出荷することです。
「どうしても足が早いいちごというのは、市場出荷をするにはやはり日持ちを考えなきゃいけないので。私たちも出す中で、大手の方に出してそこで市場に出ていって、それで市場から仲買さんに行ってスーパーだったりデパートの方に流れていくためには時間がかかってしまう。
そうするとやっぱり時間がかかっていることを逆算して、完熟ではなく大体70パーセントの熟度であるとか、いちごでいうと真っ赤にならない状態で出荷しないとお客さんに届いた時になかなか日持ちがしないので。
いちごっていうのは少し青い状態で摘んでもだんだん赤くはなるんです。ただ、メロンとかマンゴーのように追熟っていうことはしないので味は上がっていかないんです。見た目は赤くはなっていくんですけど、味的には落ちてってしまうので、やっぱり摘んだ状態の時にいちごが全て真っ赤な状態、それが完熟になっております。」
燦燦園では、生のいちごについては《完熟》のものを出荷されています。それに加えて、〔いち氷〕という商品が大人気。この商品の誕生秘話も明かしていただきました。
「いちごの催事とかイベントをやっていたんですけども、完熟いちごを常に凍らせて、それをジャムにしたり、様々なものに変えてたんです。その時に、うちの専務の子どもがアンパンマンのかき氷の機械をうちの会社に置いていたので、それをそのまま削ってみて、うちにあるジャムとミルクをかけて食べたらすごく美味しかったのでそれを本当に次の日に出したところ、前の日も"すごく美味しい"って言ってくれたお客さんたちの雰囲気がもう一変したので、そこから考え方を変えて、やっぱり私たちのいちご屋としての商品作りってこんなんかなっていうところで進めました。」
以前と比べ、いちごの生産量は3倍から4倍に増加。現在は、燦燦園に加えて『ベリープラネット』という会社も設立。仙台市で、いちご狩り体験や いちごのショップなど、いちごを楽しんでもらえる事業も 展開されています。
3月という、いちごの最盛期に取材にお応えいただいた深沼陽一さん。最後に、今後のヴィジョンを教えていただきました。
「やっぱり自分の最初から持っている根底であるこのイチゴだったり農業の魅力っていうのは本当に価値があるもので、美味しいだけではなくて、こういう体験だったり、あとはこの作物を使った加工食品、こういった部分もやっぱり農業者が行うことっていうのはすごく今ニーズとしても大きかったり。もっともっといちごを広めながら。あとはいちごで楽しんでもらえる現場作りっていうのをもっともっと進めていきたいなって思ってます。」