2021年05月20日

地元・清澄白河で感じた「下町と文化」について伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー今、拠点となっているのは清澄白河。
幼少から下町を見てきた名カメラマン
の目に、その変化はどう映っているの
でしょうか?

矢口さん「東京の中ではあまり
変わっていない方だと思いますが、
やっぱりバブルの時代に仲間が
土地を売ってしまってビルが多く
なりましたよね。
煙草屋の息子がビルの最上階に
住んでいるとか…お金持っていない
人間が土地売った瞬間に金持ちに
なりますから。」
小黒「地元では日常的に何かを
撮ったりしているんですか?」
矢口さん「下町で自分が率先して
何かを撮るというのはないんです
が、近所に商店街があって仲間も
多いのでお店や料理を撮ってよ、
と言われてお手伝いしていますね。
近所の人は世界遺産のカメラマン
だなんて誰も思っていませんから笑」

小黒「清澄白河もずいぶん素敵な
中華料理屋とか、飲食店のレベルも
上がったんじゃないですか?」
矢口さん「そうなんですよ。
やっぱり下町に外の血が入ってくると
化学反応で中国の方がいらしゃって、
中華料理は美味しくなるし。
あと、ブルーボトルさんという
カフェが入ってきたことで、
周りにカフェが増えましたね。」

小黒「清澄白河には現代美術館が
あるので周りにギャラリーが
できるかなと思ったけど、
まだポツンポツンですね。」
矢口さん「そうなんですよ。
そこはやっぱり下町のいいところと
悪いところなんですけど、
新しいものを受け入れる土壌が
少ない。カフェによって
ギャラリーも増えましたけど、
美術館の増え方は都心部と比べると
やっぱり遅いですよね。
ただ、流れは間違いなく文化的な
匂いを感じていますね。」

今夜の選曲…ERDAYDIDDER ERDIDDAR / BIBIO

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2021年05月19日

Youtubeでの活動…動画のこれからについて伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー矢口さんにこれからの動画の
世界について伺いました。

矢口さん「これから、皆さんが持っている
モバイルがどんどん高画質になっていくと
思うんです。そうすることでどんどん
動画は身近になっていくと思いますね。」

小黒「矢口さんが見ていて、面白いな
と思った同世代のYoutuberとかいるんですか?」
矢口さん「海外には結構いらっしゃいます。
私はカメラマンであってカメラオタクなので
知る限り多くのカメラマンが
結構いたりします。
どの分野でも専門家っていらっしゃると、
思うんですけど、私たちみたいなマルチな
テレビカメラマンってどちらかというと
個性があまりないんですよ。
でも、Youtubeだと専門チャンネルが
いくらでもあります。
実際に私は、建築家の高松伸さんの
作品をテレビ番組ではできない様な
インターネットのチャンネルで、
しかも4Kで発信しています。」

ーー実は将来、月に行ってみたいという野望も!?

矢口さん「海外行き出した時に、
人のいけないところに行けるのは
この仕事の特権かなと思ったんです。
月面と南極はまだ行ってないので、
その二つはいきたいんですよね。
世界を回った時に、記憶に残る
のは生命を感じない様なところが
楽しかったりするんですよね。」

HP:下町STUDIO TV
Youtubeチャンネル:下町チャンネルTV

今夜の選曲… A THOUSAND SYLLABLES / BIBIO

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2021年05月18日

進化を続ける、映像の技術革新について伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー矢口さんは世界40カ国で
特別許可によるドローン撮影を
行っています。
ドローンの登場によって映像の世界は
どれほど変わったのでしょうか?

矢口さん「ドローンは空中に三脚が
くっついている様なものなんです。
ヘリコプターだと、どうしてもローターが
風を起こしてしまって低空には
入っていけない。ドローンだと、
低空に入っていっても、動物を含め
かなり接近した状態で撮影ができます。」
小黒「今までで矢口さんの中で会心の
ドローン撮影の経験について
教えていただけますか?」
矢口さん「自分で撮影しているので
いうのもあれなんですが、
世界で初めてドローンで撮影した
マチュピチュの空中都市。
あれは、人が全くいない状況で
撮らせてもらっているので
誰もみたことのない映像が撮れた、
というのが一番ですよね。」

小黒「今、映像の世界では4K、8Kと
どんどん進んでいますが、プロの矢口
さんから見て、この先もあるんですか?」
矢口さん「いくと思います。
というのも、私は4K、8Kの専門の
カメラマンですので次に起きることは
なんとなく予見できますね。
4K、8Kは全く違います。
解像力なので、近くで見ると物凄い
高密度の映像になっているので、
目の前で見ている様な感覚です。
8Kで撮影したのはここ2、3年です。
去年、知床を8Kで撮ったり
しているんですが、オンエアを見るより
撮った素材のままで見るととてつもなく
きれいですね。」

ーー収録時は清澄白河にある事務所兼・
スタジオからリモートで
出演していただきました。
下町STUDIO TVという
ホームページ、Youtubeチャンネル
下町チャンネルTV」も開設されています。

矢口さん「スタジオは研究室みたいな
映像オタクの部屋ですね。
名前はついていないんですが、
”下町の玩具箱”と勝手に言っています。
動画ホームページは結構前からの夢で、
海外でいろいろなものを見てきて、
インターネットを使って世界発信をしたい、
と思っていました。
結構前から4Kで動画を配信しています。
スタジオが固定なので仲間が来て音楽を
やったり、対談したり、他愛もないことを
やったり4KのVTRを流していたりしますが、
もう完全の趣味なので、何の利益にもなりません…笑」

今夜の選曲… CARBON WULF / BIBIO

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2021年05月17日

「世界遺産」の撮影でおなじみの名カメラマンに、「映像の現状とこれから」伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー矢口さんは82年から「新世界紀行」
「世界ふしぎ発見」などの番組で
年間200日間世界の秘境を
踏破されています。
アフリカ・アマゾン・
ヒマラヤなどの世界自然・
文化遺産を撮影されています。
今までに回ったのは100か国以上!
その中で危険な事態に陥ったことも。

矢口さん「病気や警察沙汰など
ありますが、なんとかなります」
小黒「アフリカではマラリアに
罹ったとか…もちろん感染症等
の予防もされていくんですよね?」
矢口さん「予防薬などを持って
いったりするんですが、全く
通用しなかったりするんです。
結局、気休めになってしまう。
マラリアになった時、最後、
吐血して全く目が見えない状態で
砂漠に飛行機を降してもらって
助けてもらったんです。
その時はマラリアって分かって
いるんですけど、全く知らない
病気かもしれないって思っちゃう
んですよね。」

矢口さんはTBS「世界遺産
特別番組”エベレスト”
サガルマータ国立公園、
神の山を見下ろす」のロケで
軍の飛行機で地上9000mから
特別撮影もされました。

矢口さん「当初は窓を閉めている
んですが、開けると外気が
マイナス何十度なので矢が
突き刺さる様な寒さが目に
くるんですよ。」
小黒「他にもエジプトで史上初の
ツタンカーメンのミイラCT調査の
全貌を独占撮影されたとか?」
矢口さん「当時、世界5カ国くらい
から選ばれたカメラマンの1人に
選んでもらって、1人持ち時間
5分でどれだけ撮れるかというのを
やりました。CTスキャンをする前の
ツタンカーメンを距離にして50cm
くらいの距離で撮影しました。
今でも忘れないんですが、
とんでもないエネルギーというか、
オーラが見えて、これは危ないな
と思いましたね。」
小黒「そして、ペルーのマチュピチュ
の空中年も世界で初めてドローン
撮影に成功したと」
矢口さん「そうなんです。
運がいいことに、撮影が出来まして。
10年くらい前にも空撮をしているん
ですが、それも最後の空撮だったと
思いますね。」

今夜の選曲… BEFORE / BIBIO

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2021年05月13日

映画「きみが死んだあとで」に代島監督が込めた思いとは…?

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

小黒「映画『きみが死んだあとで』を
拝見して思ったのが、インタビューを
受けている皆さん、読書家ですよね?
後ろに本がいっぱいあって…
だから、当時の思想っていうのは、
読書によって培われたんだな
と思いました。
で、今の若者たちはメディアが
違っていて今の彼らの思想を
形成する物っていうのが
一体何なのかという疑問も
持ちました。」


代島さん「若者たちの思想を
形成するものはわからないんですが、
彼らの感想で面白かったのが、
『今の時代は同調圧力が強くて、
萎縮して同調しない人間が生きづらい。
けれど、当時の社会にも同調圧力は
あったんじゃないか。
時代が変わってもあまり人間の
特質は変わっていないんじゃないか』
という受け取り方をしている
人もいました。」

小黒「『きみが死んだあとで』の
冒頭は、弁天橋で亡くなった
学生の遺影を学生服を着た
監督自身が掲げているじゃないですか。
あのシーンの意味を教えていただけますか?」

代島さん「特別意味はないんですが、
彼…山崎博昭は遺影の姿…
18歳のままです。
彼が今の時代に橋の上に出現したら
見る人はどんなイメージを持つのか
と思って、弁天橋の上で撮影を
してみました。ただ、僕が
拘ったのは、土砂降りの雨の日に
撮りたかったんです。そこは
僕の気持ちが入ってしまいましたけど。」

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代島さんの最新作「きみが死んだあとで」 が
渋谷のユーロスペースで上映中です。
映画公式HP:http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲… AS TEARS GO BY / ROLLING STONES

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2021年05月12日

広告代理店から映画監督へ。代島さんが監督になるまでのお話、伺います。

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

ーー代島さんは早稲田大学
政経学部を卒業後、博報堂に勤務。
その当時は映画監督になろうと
思っていなかったそうです。

代島さん「僕らの世代はモラトリアム
世代と呼ばれていて、大学時代
執行猶予みたいに自堕落に
遊んで就職していくイメージ。
僕自身は、体育の授業を2単位
落として留年したんです。
ちょうど留年仲間に広告代理店を
受ける友人がいて、彼に願書を
取り寄せてもらい、彼は電通、
私は博報堂に受かりました。
ただ、どうも自分が何を
やりたいのかよくわからない
状態で就職したのもあって、
2年で博報堂をやめてしまい
ました。」

その後、代島さんは94年から
ポレポレ東中野を代表を
勤められました。
博報堂を辞めてからは、
多くの映画監督に近付いたり、
放送作家…雑誌やラジオ、
イベントなど様々な
活動をしていたといいます。
そんな代島さんに映画監督を
目指すには、何をしたらいいのか
お聞きしました。

代島「それは僕からは
なにも言えないですね。
というのも、ドキュメンタリーの
監督というのは大掛かりなスタッフ
編成で作ったりしないんです。
「きみが死んだあとで」も
カメラマンと2人で撮っていますし。
ただ、映画の学校で教えていたことも
あるんですが、映画監督というのは
学校に通って教えられてなるものでは
ないな、と思いますね。」

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代島さんの最新作「きみが死んだあとで」 が
渋谷のユーロスペースで上映中です。
映画公式HP:http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲… HONKY TONKN WOMEN / ROLLING STONES

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2021年05月11日

当時の若者たちにとって”青春と挫折”はセットだった。

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

代島さんが監督した最新映画
きみが死んだあとで」が
ユーロスペースで上映中です。
今夜もこの映画について伺っていきます。

小黒「この映画はどういう人に
見てもらいたかったんですか?」
代島さん「大きくは二つ。
一つは学生運動に実際に関わった
人たちや時代を共有した当事者世代。
一番見て欲しいのは、
今の若い人たちです。10代から20代、
全然違う世代がフィクションのように
感じて、実際にその時代があったことを
見て欲しい。」

小黒「今、若者たちは何らかの
動きをしようとしているんですかね?」
代島さん「日本の場合、
過激になっていった学生運動を
納めていく中で教育を含め、
若者たちをコントロールしていく
体制がプログラムされてしまった。
香港や今回のミャンマーもそうですが、
なかなか行動を起こしずらいんです。
ただ、この映画を見て、昔の日本の
学生はそれが可能だったというのを
知ってもらい、同時に愚かなことも
あったという事を知ってもらいたい。
その上で、自分たちがどう動けるのか
考えて欲しいと思います。
日本の今の若者たちは生きていくことへの
不安がとても大きいので、
道を外れたらダメなんじゃないかと
思っている。
日本はリーダーも現れなければ、
運動も構築できない。
今は、動きやすい気候変動みたいな
ソフトな問題で動き始めています。
あとは、昨年のBlack Lives Matterの
ような人権問題や、女性の人権問題。
そういう取り組みやすいところから
当事者が声をあげていくのが、
日本の場合は盛り上がっていくと
思いますし、この映画を見て、
それを実際にやって欲しい
というのを思っています。」

小黒「映画を見た実際の
若い人の反応はどうですか?」
代島さん「まるでフィクションだと言いますね。
宮崎駿の『コクリコ坂』みたいに学生が
盛り上がっていた時代があったことに
ただただ驚くといった感想です。
一つ面白い反応は、就職活動をしていた女性が、
『貴方にとっての一番大きな挫折体験を
教えてください』と言われた時、
自分は挫折した体験がないことに
気づいたと。
映画を見て、『学生運動の時代は
挫折と青春はセットだった、
挫折をするために青春をやっている
感じがあった』と……。
それに一番驚いて、自分も挫折を
するような青春の行為をしてみたく
なったと言っていた女性もいました。」

※代島監督が語った大学生との対談の
様子が下記のリンクからYoutubeでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=nwdXYcsfD5E

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映画「きみが死んだあとで」 HP
http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲…THE ROLLING STONES / HEART OF STONE

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2021年05月10日

第一次羽田闘争でのある1人の青年の死、そしてそれを取り巻く人々を描いた最新作「きみが死んだあとで」とは?

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

代島さんが監督した映画
「きみが死んだあとで」が
ユーロスペースで上映中です。
http://www.eurospace.co.jp
この映画について伺いました。

小黒「すごいよね。3時間20分の
長編ドキュメンタリー作品。
時間に関してはどう思って
お作りになったんですか?」
代島さん「僕も映画の一番適度な
商品としての長さは
知っているんですけど
もうこれ以上切れない、
という感じでした。」
小黒「私もずっと見ちゃいましたね。
学生運動をやった人たちの
熱いドキュメンタリーとしても
見れますが、僕にとっては
1人の人間が人生の終盤に
向かって自分の青春の衝動で
動いた事をどうやって総括
しているのかを、それぞれ
違う思いで語ってくれるのが
面白かったですね。」
代島さん「ちょうどあの僕は1958年
生まれで、団塊世代よりも10歳下です。
逆に言えば、希望も絶望も全部
あの世代に見てきた世代なんです。
小黒さんのいうように、死ぬ前に
総括してくれよ!という思いで
作った部分もあります。」

代島さん「この映画は1967年の
10月8日、ベトナム反戦を唱えて
首相が南ベトナムに訪問するのを
阻止する闘争を羽田空港に通じる
橋の上でやったんです。
そこで、当時18歳の若者が
機動隊に頭を殴られて死んで
しまったと言われているんです。
そして、その若者の兄や友達、
先輩をインタビューで取材しました。
彼の死以降、それが号砲となる
様にその後の学生運動が
どんどん盛り上がっていきます。
ただ、東京大学の安田講堂の
決戦を境に雲行きが怪しく
なっていき、浅間山荘事件などへ
つながっていく…。
70年代に希望を持って始まった、
彼らの闘争が絶望の淵に立たされる
ようになっていくまでを、
1人の死者を中心に描いていく
ドキュメンタリーになっています。」

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映画「きみが死んだあとで」 HP
http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲…THE ROLLING STONES / JUMPIN’ JACK FLASH

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2021年05月05日

大企業から、ベンチャー企業への転身…

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

ーー小堀さんは中央大学経済学部を
卒業され、住友銀行へ入行されます。

小堀さん「住友銀行時代は、資産運用を
担当していて、外回りが主体でした。
当時もう、金融の預金は儲からないと
いう商品だということで、外貨預金や
投資信託を一般の人に販売し始めた
年に入りました。
資産運用を会社社長や経営者の方に
お話しするのが私の仕事でした。
ただ、私には全くあっていませんでした。
もともと、食べ物が好きだったので
食べ物の会社に入ろうとしていたら、
尽く落とされていたんです。
女性の総合職は1名、取るか
取らないかみたいなところだったので、
全て受けた会社は落とされていたところ、
ご縁で住友銀行の方々と10名くらい
会う機会があって、こういう人たちと
働きたいという思いを持ったんです。
その時は、したいことよりも、
この人たちと働きたいという方向に
変わって銀行に入りました。」

小黒「そういう人たちと働きたいと
思って 銀行員になったと思ったら
たった3年でオイシックスに
転職した理由は何だったんですか?」
小堀さん「外回りをしていた時に、
私は体育会系だったので、1日にローラーで
100件とかをやっていたんです。
あとは名刺に必ず一言書いて
ポスティングするというのを
やっていた時に、数字がものすごく
上がって成績は良かったんです。
ただ、回っていた時にお客様の声を
よく聞くんです。
その際にそれを本店へと返していくんですが
大企業って商品やサービスを替えるのが
簡単にできませんでした。
お客様の声を聞いたら、すぐに
商品やサービスを変えられること
がしたいと思った時に、大企業ではなく
ベンチャー企業だと思いました。
あと、もともと目指していた食への
興味がすごく湧いてきたので、
食のベンチャー企業を探したら
オイシックスしかなかったんです。」
小黒「君がいなかったら今の
オイシックスはなかったと思うよ?」
小堀さん「そんなことないですよ〜。
ただ、オイシックスが成功したのは、
経営者と産地の担当が別だったこと。
産地側から出てきた人って、産地よりに
なりやすい。利益を出していくのが、
それでは難しい。産地と経営が意見を
言い合って最終的な落とし所を
見つけていくのが成功した事例だと
思いますね」

今夜の選曲… I NEVER LOVED A MAN(THE WAY I LOVE YOU) / ARETHA FRANKLIN

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2021年05月04日

野菜バイヤーとして野菜のヒットを生む、というお話伺います。

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

ーーオイシックスで野菜バイヤーとして
試行錯誤の日々を続けていた小堀さん。
ある日、自身が名前をつけた
”ピーチかぶ”という商品が大ヒットしました!

小堀さん「もともと、小玉スイカの
蔓を引っ張って止める誘引という
作業を教わりにいっていた畑で、
遠くの方に1列だけ兵隊のように
カブがポコポコって出ていたんです。
そのカブがあまりに可愛くて
スイカのことより
『あのカブって何ですか?』
って聞いたら、
『これは売れない黒いカブなんだよ』
と言われたんです。
その春のカブを畑で食べた瞬間に
桃みたいな食感だったんです。
柔らかくてすごくジューシーで
見た目もまん丸で桃くらいの大きさ。
これを”ピーチかぶ”って名前で
売り出したらいいんじゃないですか?と、
それで売り出したら大ヒットしたんです。」

小黒「そのピーチかぶは19年前の
話ということですが、その農家さんは
作り続けているんですか?」
小堀さん「他の農家さんでは
作れないというのがあり、
千葉県富里市の田中さんが
今でも作り続けています。
当時は全くの素人だったので、
市場のプロの方々の目利きとは、
全く違う価値判断だったと思います。」

今夜の選曲… CHAIN OF FOOLS / ARETHA FRANKLIN

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