2020年04月02日

昨年、日本を賑わせた「ONE TEAM」。選手の目から見た、“チーム”という組織とは?

元ラグビー日本代表 大畑大介さんと、
車いすラグビー日本代表 池崎大輔さんをお迎えしています。

0330_LOHAS_4.jpg

昨年から言われている『ONE TEAM』について。
大畑「組織って一つのことを達成させるために、
しっかりとした明確な目標がないとダメだと思うんですね。
その目標に対し、全員が同じ温度感でできるかは別だと思う。
だけど、やはりそれぞれが自分の中で、自分の価値を見出しながら、
自分ができることに対して、100%全うできるかだと思います。
そのことによって、同じベクトルを向いて、
そのチームが一つ広がっていくということになると思うんですね
そういったところが『ONE TEAM』として皆さんに
受け入れられたことだと思います。
またラグビーはエースや4番の集まりだけじゃない。
一般的にスポーツのトップ選手、その組織というのは、
全てに置いてトップの選手が集まってると思われがちですが、
ラグビーの場合はそうじゃないんです。
確かに素晴らしい能力のある選手もいますが、
その周りにどういった選手がいるかによって、
チームの構成は変わっていくんですね。
その中で、自分が何のために、誰のために、
チームのためにって思いが、一番重要なことになってきます。
そういったことが出来たからこそ、素晴らしい結果に
繋がったんだと思います、自分たちの中で、社会の中で
どういったとこに置かれているかって、それぞれあると思います。
そういったものに自分を投影できたのが、ラグビーにはあったと思いますね。

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年04月01日

車いすラグビーの発祥は? その魅力と普及活動

元ラグビー日本代表 大畑大介さんと、
車いすラグビー日本代表 池崎大輔さんをお迎えしています。

0330_LOHAS_2.jpg

車椅子ラグビーはマーダーボールと呼ばれているくらい、
激しいスポーツなんですけど、これはどの国で誰が発案?
池崎さん「1977年で僕の生まれる一年前の
43年前にカナダの方で作られた競技なんです。
障がいの重い人にも、スポーツをやる機会を与えよう、
何かスポーツを作ろうっていうので生まれたのが、
この車椅子ラグビーなんです。でもやってる人は、
両手両足に障がいがあって、障がいの重い人たちなんですけど、
競技を見てみると、一番車椅子の競技の中で激しい競技ではあるんです。
そこにはいろんな意味があるんですけども、
車いす同士のぶつかり合いっていうのは、激しい転倒もある。
その激しさからマーダーボールという名前がつきました。」

三菱商事の障害者スポーツ支援プロジェクト
『DREAM AS ONE』は、障がい者スポーツの理解や
認知度を高めるために様々な活動を行っています。
池崎さんはサポーターとして参加されていますが、どんな思いが?
池崎さん「一番僕がすごいなと思うのは、パラアスリートと、
オリンピアンとパラリンピアンの違いってスタートが違うんです。
そのために、障がい児がパラスポーツを小さいうちから体験する。
スポーツっていう人生もあるんだよって、
そこの出会いと気づきときっかけを作るイベントをしているんです。
ターゲットを小学生とかに向けてやっていまして、
小さいうちからスポーツに関わってもらう。
そして、大きくなったときに、もっと早い段階でパラスリートとして、
世界に挑戦できる力を付けてもらう。
そういうのをやっていきたいなと思っています」

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月31日

ラグビーとの出会いは? お二人のプロフィールを紐解きます!

元ラグビー日本代表 大畑大介さんと、
車いすラグビー日本代表 池崎大輔さんをお迎えしています。

0330_LOHAS_1.jpg

大畑さんは小学校3年生からラグビーを始められ、
高校日本代表に選出。大学時代から日本代表となり、
海外クラブでもプレーされています。
小学校3年でラグビーを始めるきっかけはなんだったんでしょう?
大畑さん「協調性のない子どもだったっていうことですね、
一番大きなポイントは。僕は大阪生まれ大阪育ちで、
大阪の公立の小学校で育ったんですが、
みんな当時は一番初めに始めるスポーツが野球で、
応援するのが阪神タイガースだったんです。
それがたまらなく気持ち悪くて,,,(笑)
でも、子どもなんで友達欲しいじゃないですか、
友達作りって考えたときに、みんなが興味あるもの、
みんながやっているものに対して、そこに入って行けば、
友達は簡単に出来るけど、僕はそれが出来ない子供だったんです。
けど、友達が欲しい、じゃあどうしようかって考えたとき、
『みんなに興味を持てないならば、
みんなに興味を持ってもらえる人間になろう』と思ったんです。
だから、自分から歩み寄れない分、
向こうから歩み寄ってもらえる人間になろうと。
みんながしてないことで、あいつなんかすごいぞってなったら、
否が応でも距離って縮まっていく。
だから、そういうことをやろうと思ったときに、
自分の父が学生時代ラグビーをしてたことと、
大阪は非常にラグビーが盛んなんです。
国内ラグビーがテレビでよく目にする機会があったということもあり、
自分の中の消去法ですね。野球はしたくないって言う、、、
野球以外の一番近くにあったのが、
ラグビーだったと言うだけで、ラグビー始めたんですよ。
そして、ラグビーしたときの一番初めの練習で、
僕がチームの中で一番足が速かった。
その瞬間、みんなが僕に興味を持って話しかけてくれたんです。
要はラグビーをした瞬間に、僕に興味を持ってくれて、
僕に対して歩み寄ってくれた、って言うのが一番大きなきっかけですね。」

池崎さんは6歳の時に、
手足の筋肉が衰えていく難病を発症して車椅子生活に。
岩見沢高等養護学校時代に、車椅子バスケットを始められ、
2008年に車椅子ラグビーに転向されました。
ラグビーに転向された理由を教えて頂けますか?
池崎さん「僕は15年間車椅子バスケをやっていたんですが、
同じ障がいを持ってる人たちで、スポーツをやる楽しさ、
そこに惹かれてやっていたんです。ですが、
バスケがどんどんレベルが上がっていくにつれて、
手にも障がいがあった僕は、
上手くできないって言うのがあったんですね。
その時に北海道のチームから、
車椅子ラグビーという競技があるよと言われて、
色々訳わかんないことがたくさんあったんですが、
聞いているうちに、車椅子ラグビーっていうのは、
両手両足に障がいを持ってる人がやるスポーツと言われて、
じゃあ自分に出来るんだなと。しかもパラリンピックの正式種目。
やるんだったらパラリンピック目指したりとか、
世界一目指したりとか、そういうところを目標をおいて、
自分の可能性にチャレンジしていきたいなと思い
車椅子ラグビーに転向したんですね。」

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月30日

負けず嫌い2人によるラグビー論、精神論

元ラグビー日本代表 大畑大介さんと、
車いすラグビー日本代表 池崎大輔さんをお迎えしています。

0330_LOHAS_3.jpg

お二人は年齢も同世代。大畑さんが1975年生まれ。
池崎さんが1978年生まれです。
アスリートは負けず嫌いが多いとか言いますが…。
大畑「いや、もう池崎さんはすごいですよ。
負けず嫌いですよ、めちゃめちゃ」
池崎「いやいや、僕はもう負けず嫌いですよ。
だって負けるのってかっこ悪いじゃないですか。
しかも、今日だってすごくテンション上げてきてはいるんですけど、
なんせ大畑さんがいるんで。なんでかというと、
以前、負けてるんです、勝負して。」
池崎「車いすスラロームとか。そういうあの、番組ですね。
それで負けてるんですよ。その悔しさが湧いて出てきて、
あんまり顔見れないです。好きですよ、大畑さんは大好きですよ。」
大畑「4年前に番組で一緒させてもらったときに、
どれだけすごいんだって話をしてたときに、
一応服も元アスリートとしてね、
勝負させていただいたんですけど、
ハンディマッチで一度やったときに、
結構あっさり勝ってしまったんですよ。
これちょっと良くないなと、
ハンディを短くしてやったときに、
大体そういうとき負けるじゃないですか。
でも、僕そんな空気読まないから…
また勝ったんですよ。その時の池崎さんの悔しそうな顔。
まぁでもね、僕は思ったんですよ。
あの時にあの悔しい顔をしたからこそ、
リオでメダルに届いたなぁと思ったんですよね。
だから、間違いなくリオでの活躍の、
一端は僕のおかげかなって(笑)」
池崎「いやーもう、それは間違いなく、その力は大きいですよ。
それだけの悔しさをバネにっていうところで」
大畑「だから、それがあった後、
数年前に、丸の内でイベントしたんですよ。
いろんな方に来てもらったときに、
パラスポーツのアスリートのすごさみたいな、
コーナーがあって、僕がまぁ車椅子に乗ってたときに、
池崎さんがウィールチェアーラグビーの
タックルの凄さどのくらいなんだって、
皆さんにみてもらうときに池崎さんは
その悔しさがあるので、僕を指名して、
僕に本気で当たってきたんですよ。
びっくりしましたね。飛んでいくと思いました。」
池崎「そこはやっぱり自分の力を全てぶつけなきゃいけないので…
でも、まだ晴れてないです’(笑)」

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月26日

3月30日から4月2日は

元ラグビー日本代表 大畑大介さんと、
車いすラグビー日本代表 池崎大輔さんをお迎えします。

0330_LOHAS_3.jpg

負けず嫌い2人のラグビー論、
精神論、などたっぷりと伺います。

staff| 19:57 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月26日

地方のクラウドファンディング

READYFOR株式会社
代表取締役CEOの米良はるかさんをお迎えしています。

0324_LOHAS_2.jpg

地方のクラウドファンディングの
利用率っていうのは伸びてるんですか?
米良「逆に地域を応援したい方はたくさんいらっしゃいます。
そういう意味では、地域でのクラウドファンディングの
活用も増えてきています。READYFORだと、
岡山県には、新聞社さんと一緒に提携させていただいて、
岡山限定のクラウドファンディングの仕組みを
やらせて頂いたりとか、あとは、地方の大学。
いろんな大学さんと提携をさせていただいてまして、
大学の研究費集めというようなところもお金集めをして、
お手伝いさせていただいてます。
東京にいらっしゃる方でも、自分の地域を応援したいとか、
自分の母校を応援したいとかで、
東京から地域を応援するってこともありますし、
地域間同士での応援っていうところもどんどん広がっています。」

今夜の選曲:THE MOON OF MANAKOORA / JANET SEIDEL

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月25日

新型コロナウイルスによる中止イベントへの支援プログラム

READYFOR株式会社
代表取締役CEOの米良はるかさんをお迎えしています。

0324_LOHAS_4.jpg

新型コロナウイルスによる影響が各所に出てますが、
政府からの大規模イベントの自粛要請で、
中止延期せざるを得ない状況になってからの
READYFORにどのような相談が持ち込まれてるんですか?」
米良さん「コロナウイルスで、いわゆる中止や延期を
決めてしまったイベントがたくさんあるっていうのは
報道などで我々も知っていまして、その損害分を主催者側が
被っているケースとか、保険が適用されないケースというのが
非常に多いと聞いていました。そんな中でクラウドファンディングが
何かサポートできるようなことってないのかなって、
会社の中で話し合いまして、コロナウイルスによる
中止イベント支援プログラムというものを
READYFORの中で立ち上げました。
このプログラムはイベントの中止や延期を決めた方々、
そこに関係する損害分をクラウドファンディングで
多くの方々、そのイベントには行けなかったけど
応援したいという方々がお金を出せるような仕組みになってます。」

今夜の選曲:TILL THERE WAS YOU / JANET SEIDEL

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月24日

SDGs推進に向けての法人事業、その活動

READYFOR株式会社
代表取締役CEOの米良はるかさんをお迎えしています。

0324_LOHAS_3.jpg

READYFORでは、SDGs推進に向けて
法人向け事業を行ってます。これは?
米良「READYFORに今まで、1万3000件くらいの
プロジェクトが公開していきまして、
クラウドファンディングの
プラットフォームが色々あるんですけれども、
その中でも私たちはいわゆるソーシャルと言われる、
補助金とか助成金とかが、資金調達の手段であった方々が、
非常に多いプラットフォームになっております。
それぞれの活動というのが、例えば、
教育分野であったり、サステナビリティに
寄与するような活動だったりとか、
どのプロジェクトもいわゆるSDGsに資するような
事業、活動とがすごくたくさんあります。

そう言った活動に、このクラウドファンディング、
個人の方々からの応援だけじゃなくて、
社会課題を解決するような活動をもっとお金集めて
多様にしていきたいなと思い始めました。
仕組みとしては、個人からのクラウドファンディングだけではなくて、
企業さんがそれぞれSDGs、ゴール、ターゲットを
指定されて、そのターゲットに資する活動をしている方と
マッチングをしていくような形になっています。」

今夜の選曲:TWILLIGHT TIME / JANET SEIDEL

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月23日

2011年スタートした、READYFORのこれまでとは?

READYFOR株式会社
代表取締役CEOの米良はるかさんをお迎えしています。

0324_LOHAS_1.jpg

米良さん立ち上げたREADYFOR は2011年3月にスタート、
これまでにどのくらいのプロジェクト数を? 最初のプロジェクトは?
米良さん「最初は、2011年は6件のプロジェクトからスタートしていて、
アート系プロジェクト、国際協力プロジェクトとあったんですが、
大体20万円ぐらいのが一番大きかったかなと。
そのくらいの金額を集めるだけでもすごく大変だったなと思っています。
日本は寄付文化がないとよく言われてると思うんですが、
わたしたちから見るとお金を集めるってことが
日本人にとってハードルが高いことだったなと思っています。
自分のやりたいことを誰かに伝えたりとか、
それの協力者を集めたりとか、お金を集めたりとか、
そういうこと自体がすごく日本人の文化と
ちょっと合ってなかったと思うんですね。
ただ、2011年にスタートしたときに、
ちょうど震災があって、そのタイミングで、
復興で何か事業をやっていきたいと思われる方々がすごく増えてきた。
どちらかというとポジティブなチャレンジに対して、
みんなの共感でお金を集めるっていうのが、
一つのトレンドになって、そのトレンドに乗って、
クラウドファンディングもどんどん広がっていきました。
今はアンケートとかだと7割くらいの方が、
クラウドファンディングっていうキーワードを聞いたことあるよ、
知ってるよっていう風に答えていただくので、
ようやく市民権を得ることが出来たかなと思ってます。」

今夜の選曲:DON'T BE THAT WAY / JANET SEIDEL

staff| 19:57 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

2020年03月19日

広がる海洋プラスティック問題、鈴木流のゴミ取集とは?

岸壁幼魚採集家の鈴木香里武さんをお迎えしています。

0316_LOHAS_4.jpg


現在、海洋プラスティック汚染が問題になっていますが、
鈴木さんがこれに関して何か活動を?
鈴木「やっぱり漁港にいると、年々ゴミが増えてるのって、
如実に感じます。悲しいな、って思う一方で、
普段トークイベントなんかで
お話しさせて頂いているのがゴミは拾いましょうと。

(僕の場合は)網持ってるんで拾いやすいのが
大前提なんですけど、ゴミを拾うことが目的というよりも
僕はやっぱ魚が好きなので、幼魚をとりたいんです。
幼魚をとるためには、手っ取り早いのがゴミごとすくうことなんです。
というのはやっぱり幼魚たちって
何かに身を寄せて隠れていることが多いんですね。
海藻が流れてれば、海藻にくっつくんですけども、
海藻がない時期なんかゴミに、寄り添って身を隠してるんです。
なので、ゴミもある種彼らにとっては隠れ家になってる。
そのゴミを網ですくえば、同時に幼魚を観察することができるですね。
そんな感じで、目標をゴミではなくて、
その先に一つ置いておくことで、すごくその観察と
ゴミの回収が楽しくなってくるなと思います。」

今夜の選曲:WHAT IS THE REASON / YOUNG RASCALS

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク


バックナンバー

カテゴリー