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国際フェンシング連盟 理事 公益社団法人 日本フェンシング協会 会長 1985年11月25日生 平安中学・平安高校(現:龍谷大学付属平安中・高校)、同志社大学出身。 小学校3年生からフェンシングを始め、小・中学と共に全国大会を連覇。 高校2年生で全日本選手権優勝。 2008年北京オリンピック 個人銀メダル獲得。 2012年ロンドンオリンピック 団体銀メダル獲得。 2015年フェンシング世界選手権 個人金メダル 2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場。 日本人で初めてとなる国際フェンシング連盟 理事に就任し同年に現役引退。 2017年6月、日本フェンシング協会理事に就任。 2017年8月、日本フェンシング協会会長に就任。
フェンシングを始めた太田少年の出会いの数々
フェンシングをこどもの日に始めた太田少年。
フェンシングの練習で実家の滋賀県比叡平から京都府大山崎まで父親と2人で車に乗って1時間、この行きと帰りが音楽を聞く空間だったとか。
練習までの緊張感、練習が終わった開放感、練習とともに音楽が近くあり、よく聞いた1曲が・・・・スピッツ「空も飛べるはず」
そんな太田さんが初めてCDを買ったのは小学4年生。
お姉さんがCDを買うときに、「僕も買って!」とお願いして買ってもらった1枚が・・・・小沢健二「痛快ウキウキ通り」
小学5年生の時に何を言っているのか魔法のように聞こえて、耳に残ってリズムにやられ、ベルリンなど海外の地名も出てきて、オリンピックに出たい太田少年がちょっと世界を感じた曲・・・・PUFFY「アジアの純真」
佐藤千亜妃