「夏休み」
冒険の季節がやってきた。
いつもの場所を離れてみること。
未知の世界へ踏み出すこと。
違う文化に触れること。
冒険の旅に出た少年は、
夏が終わるころには、すこし大人になる。
でも今はまだ、夏の終わりのことを考えるのは やめよう。
Theme is... SUMMER VACATION
夏本番!
今となっては満足できる「夏休み」を取ることが難しい訓市が
かつて過ごした「夏の長期休暇」の思い出を語ります。
幼少時代に過ごした日本の夏、アメリカ初体験、
留学時代の破天荒な夏休み・・・ などなど。
彼ならではのユニークなエピソードとは?!
★★★★★
番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
「こういった特集をやってほしい」「あの国の話が聞きたい」
というリクエストも随時募集しています。
番組サイトの「Message」から送信してください。
ハガキ、手紙も大歓迎!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
Antenna TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
I Won't Last A Day Without You / Carpenters
That's The Way Of The World / Earth,Wind & Fire
Too Much Heaven / Bee Gees
Do That To Me One More Time / Captain & Tennille
夏のクラクション / 稲垣潤一
For Da Love Of The Game / DJ Jazzy Jeff
I'm Gonna Love You Just A Little More Babe / Barry White
Pass The Plugs / De La Soul
Saving All My Love For You / Whitney Houston
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking...
★★★★★★★
8月最初の週ということで、世間一般、学生さんたちは夏休みを楽しんでるんじゃないかと思います。夏休みというと大学生までなのかな。22・3歳に取ったのが最後だと思います。1ヶ月以上も、大学ならほぼ2ヶ月くらいですかね、学校も行かず、夏の暑い陽の長い素晴らしい季節をですね、何もしなくてもいいという。ありえないですね、本当に。強制的に仕事を授けたいと思ってしまうんですけど。そういう僕はかなり適当な暮らしをしていたので、30過ぎまではほぼ毎日が夏休みというか、夏休みの間に学生がするバイト程度の仕事が僕の仕事でした。なので、罪悪感みたいのがあって、仕事をちゃんとするようになってからは、休まず働くもんだと思って10年くらいはがむしゃらに働いていたので今度はパンクしそうなんですけど。
小さい頃っていうのは夏休みが本当に待ち遠しくて大好きでした。うちは古い耐震ゼロの、風が吹いたら倒れそうな別荘みたいなのが軽井沢にありまして、小さい時から夏はずっとそこに兄弟と母親と一緒に過ごしました。7月の終わりになると住んでる家の荷物を全部片付けて、雨戸を閉めて、自分が持ってく物を全部詰めて車で出かけたものでした。関越道がまだ通っていなくて、高崎までだったのかな?そこから国道を通って碓氷峠が空いてるっていうので旧道、日光のいろは坂みたいに曲がりくねる道を通って軽井沢に行くものですから、片道で4時間くらいかかってました。とにかくその間の母親の運転というのが恐ろしくて。いつも車線ギリギリに曲がっていたり、話しかけてくるんですけど、話に夢中になるとこっちを向くんですね。正面向いて運転してくれって注意しながらの4時間というのはなかなか苦痛だったんですけども。その間に窓を開けてセミの声を聞いたり、景色がだんだん山に近づいて行って緑が豊かになると気分もすごく高まってきて。この夏はどうしようかとか、田んぼに行ってミズカマキリ取ろうとか、夏の予定を考えるのがすごく楽しかったです。妙義山というのが群馬のはずれにあるんですけど、わりかし恐ろしい形をした山で、だいたい出発して夜くらいになるとその辺を通過するんですけども、母親が急に声のトーンを落として「ここは昔、連合赤軍ていう人達がアジトを持っていて、たくさんの人が亡くなったの。」みたいな。話してて自分で怖くなっちゃうんで車を停められなくなっちゃうんですよね。毎年なんでこんな話をするのかと思ってました。道中の音楽を聞いて行くのがすごく好きだったんですけども、音楽の選択肢というのがうちの車には3つしかありませんでした。一つ目がNHKの名曲アルバムといういろんなクラシックが入っているやつです。二つ目がカーペンターズ。これはもう親がすごく好きでして、ずっとループでかかってました。そして3つめが誰の趣味だかわからないんですけど、由紀さおりのベストでして、聞くものに飽きて由紀さおりの聞き出したときに妙義山なんかに来ると夜明けのスキャットとかが本当に恐ろしくて今でもトラウマなんですけども。その中でもその夏休みの思い出をリンクしているのはやっぱりカーペンターズでして、あれを聞くと夏の匂いとか車で遠くを目指して走ってた頃のことをよく思い出します。
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★★★★★★★
夏休みというと思い出深いのが、自分が中学入った最初の夏休みだったか、86年になりますかね、生まれて初めてアメリカに行きました。ロサンゼルスとニューヨークで、母親の親友がロスで働いていたのと、ニューヨークにはいとこのおじさんがいたので、どちらも宿代がかからないからいいだろうということで行ったのが最初です。最初にロスにいったんですけども、僕は音楽とかスケートボードが大好きで、どうしてもその本場っていうところで見てみたいっていうそれだけでした。ベニスビーチっていうところとかハンティントンビーチっていうのが本場で、そこに行って何をしたわけでもなくてですね、遠巻きに派手な兄ちゃんたちを見て「本物だ、本物がいる!」みたいな感じで興奮してました。スニーカーのVans。あれも日本だと今じゃ考えられないくらい高くて買えなかったんですけど、当時はまだアメリカで作ってまして、工場の横に直営のお店とかがあって安かったんですよ。それで日本で売ってない色のバンズを買ってもうすごい興奮してしまったり楽しかったですね。それから今度ニューヨークに行きまして、僕パンクとかも好きだったので、パンクとニューウェーブの聖地と言われていたCBGBというライブハウスがありまして、そこに行ってTシャツ買うだけで大興奮して。実はそこまで渋くなくてですね、今度ハードロックカフェに行って、ヴァン・ヘイレンのギターを見て大興奮したりですね、PrinceのPurple Rainの衣装もあったりして「大人になったらこれ着る!」みたいなね。今思うと竹の子族ですけど、とにかく見るもの全てが新鮮で、いつかここに住んでやろうっていうか、遠いところに行こうっていう決心みたいなものをしてしまったのはきっとこの時ですね。きっと僕の親は後悔してると思いますけど。楽しさと距離っていうのが比例するんじゃないかと思ってしまったのがたぶんこの旅がきっかけで、それ以来どこに行きたいっていうよりは、どれだけ遠いとか行ったことのないとこに行きたいっていう欲にかられるようになった旅でした。特にニューヨークにはですね、今思うと今の観光都市となってしまった街とは全然違いまして、映画で見たどこか危うい感じの街っていうのがまだ残ってまして。消火栓から吹き出る水で遊ぶ子供達とか、道を疾走してタクシーとかに「どけどけ!」と言う自転車のメッセンジャー。パフォーマーなんていうのもものすごくたくさんいまして、ゴミ箱を叩いてドラムをやる人たちとか、地下鉄に乗ればプラットフォームだろうが駅の電車の中だろうがパフォーマーがいて、たいした芸じゃないんですけども堂々と小銭をせびって行くんですよね。それすらも子供の僕にはかっこいいと見えてしまいまして、危うく将来の夢がそういうパフォーマーになるところだったんですけど。場所もすごく危ないところが多くて、今でこそアルフベット・シティっていうのはアベニューAからCまであるダウンタウンの一角でおしゃれなところで僕もよくカラオケボックスがあるので行ったりするんですけど、昔はアルファベット・シティなんか絶対行っちゃ駄目でしたし、タイムズスクエア。今ではみんなセルフィーで撮って、ネオン管のブロードウェイの観光地ですけど、80年代っていうのは周りが風俗街みたいになってまして、ニューヨークのなかでも一番危なくて行っちゃいけないっていう。おいはぎがいたりもうとにかく人種の坩堝のひどい版というか。ただ、夏休みにそういう自分のテリトリーを離れてですね、危ないっていうところをおっかなびっくりで見てしまう刺激っていうんですか。それはどっかの学校があるときの週末とかではなくて、その夏休みのあいだに遠いところに行って見てしまうっていう経験というのはものすごく強いものがあってですね。ぜひ大人になりましたけどもそういう夏休みがまた持てたらいいなと思っています。
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★★★★★★★
最後のちゃんとした夏休みっていうのは、高校のときにアメリカの半分をバスで回ったときが最後かもしれません。東海岸の半分を同じ留学団体の子達と一緒にバスで一ヶ月近く回るっていう旅行でして、これはすっごく面白かったですね。まず年頃のどこよりもませたヨーロッパの留学生達も大挙しているので。しかもね、期間中朝から晩まで何百人っていうのが一緒なんですよ。当然、2・3日に1回は新しい人と付き合ったり別れたりものすごいドラマがあるんですよ、横で見てても。なんか結婚して4年みたいな雰囲気を1日2日で醸し出してですね、3日後くらいに平気で別れてその友達と付き合ったりとかですね、すっごく濃い、これぞ青春の凝縮というか、カルピスで言えば原液くらい濃かった日々でした。実際にこのバス旅行で何を見たのか僕はほとんど覚えてないんですよね。地図を見ればなんとなくここ行った、あそこ行ったっていうのは覚えているんですけど、観光名所みたいなとことか、そういうところで何をしたかっていうのは全く記憶がなくて、覚えているのは夜中に貨物列車にみんなで飛び乗ってスピードが上がって降りれなくなって隣町まで行っちゃったとか、走ってる車から湖に飛び込んだりとか。今考えても何をしてたんだって感じですけど、それも青春の一部ということなんじゃないでしょうか。一番楽しかった街っていうのだけは覚えていまして、それはニューオリンズです。今はハリケーンで破壊された復興の後でまだまだ戻ってないらしいですし、僕が行った頃とはだいぶ違うとは思うんですけど、とにかくこのニューオリンズという街は観光地なんですけどなんでもありというか、道もなにも開けっぴろげで、本当に楽しかったですね、歩いてるだけで酔っ払いがボトルを渡してきて「兄ちゃん、これ飲むか?」とか。飲んでいいのかわかんないから困りましたけども。それからジャズバーとかもたくさんあって、ライブやってるんですけど、全部のお店が窓も開いてて開けっ放しなので、入場料払わなくったって見れるんですよ。で、みんな道からやんややんや歓声あげたりもできましたし、こんな自由な場所っていうか。もちろん危ない街でもあったらしくて、横道とかに入ると泥棒がいたり強盗がいたりっていうのもあったらしいんですけど、あの街は楽しかったですね。今はどうなってしまったのかすごく気になるんですけども。夏休みのその冒険ていうのを、全て凝縮したような街でした。ニューオリンズっていうとジャズとかクレオール料理とかっていうのが有名でして、ついついその音楽系の人とかが行きたがる街かもしれませんけども、もしアメリカに行く機会があったらニューオリンズにはぜひ行ってみてください。きっと気にいると思います。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。