「雑誌」
雑誌のページをめくって、そこにある写真や文章から
想像をふくらませる。
歩いたことのない街角、世界の果てのような風景、まだ無名のアーティスト。
聞こえない音が、聞こえた気がした。
感じないはずの匂いが、ただよってきた。
想像力をふくらませる余地が そこにはある。
Theme is... MAGAZINE
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かつて目にした「洋雑誌」がきっかけでアメリカに憧れた訓市。
現在手掛けている編集・執筆の仕事をする上で大きな影響を受けた雑誌とは?
ミュージック・ストリームは「文章を書くとき」にオススメの曲、
聴いてはいけない曲のセレクション!
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
「こういった特集をやってほしい」「あの国の話が聴きたい」
というリクエストも随時募集しています。
番組サイトの「Message」から送信してください。
ハガキ、手紙も大歓迎!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Ghost Ship In A Storm / Jim O'Rouke
アメリカ人マルチ・アーティスト、ジム・オルークが1999年にリリースしたアルバム『Eureka』に収録されている曲。ジムは大の親日家で、東京在住とも・・・。
So Why So Sad (Avalanches Remix) / Manic Street Preachers
英国ウェールズ出身のロックバンド、マニック・ストリート・プリーチャーズ。2001年のアルバム『Know Your Enemy』に収録されている曲をオーストラリアのグループ、アヴァランチェスがリミックスしたヴァージョンです。
If I Have To Go / Tom Waits
2006年にリリースされたCD3枚からなる大作、『Orphans』に収録されている曲です。
Ruby / Eric Clapton
ミッキー・ローク演じるボクサーが主役の映画『Home Boy』のサントラから。
悲しくてやりきれない / 奇妙礼太郎
テレビCMで使われている松田聖子のカバー・ヴァージョン「渚のバルコニー」も歌っている奇妙礼太郎。訓市は雑誌の編集・執筆作業で完徹した時、あまりにも眠すぎてこのような気持ちになるとか・・・。
Tone Twilight Zone / Corlenius
小山田圭吾ことコーネリアスが2001年にリリースしたアルバム『POINT』に収録。
Green Arrow / Yo La Tengo
米ニュージャージー出身の3人組バンド、ヨ・ラ・テンゴ。ジャンルを超越したヴァラエティ豊かな音楽性が魅力!1997年のアルバム『I Can Hear The Heart Beating As One』に収録されているチルなインストゥルメンタル・トラックです。
Vine Street Piano (Orchestral) / Sun City Girls
米アリゾナ出身のバンド、サン・シティ・ガールズ。グループ名は「ガール」ですが、メンバーは男性3人。サーフ・ロック系のインストゥルメンタル・トラックです。
Blue Line Swinger / Yo La Tengo
今年12月に来日公演が予定されているヨ・ラ・テンゴ。この曲は1995年のアルバム『Electr-O-Pura』に収録されています。訓市は徹夜明けに車を運転しながらコレを聴いて、気持ちを上げているとか・・・。
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking...
★★★★★★★
僕は海外のいろんな所に行くんですけど、行きたいなあと思うきっかけ、その一番最初の一つというのはたぶん雑誌だと思います。特に洋雑誌が持つ紙の手触りとかインクの匂いというのは洋菓子と一緒で、クンクン嗅ぐと舶来品の匂いがするな、と小さい時よく思っていました。最初にはまった雑誌というのはBMXっていう自転車の競技があるんですけど、その雑誌のFREESTYLIN’とかBMX ACTIONという雑誌、あとスケートボード雑誌のTHRASHERでした。友達にいまちゃんというすごくサブカルというか、アメリカ物にやたら強い友達がいまして、彼はよくハワイに行ってたまにこういう物を持って帰って来てたんですね。それを僕にもくれたり、貸してくれたり。英語も読めないのに毎日眺めてました。一枚のかっこいい写真、それを想像するだけで10分でも20分でも眺めることができました。情報がないのでその写真を見ながら「この人は誰なんだろう?」とか「この格好はなんなんだろう?」とか疑問だらけで。洋雑誌って表紙は中綴じなんですけども、しまいには取れてボロボロになってしまうので背表紙にセロハンテープを貼ってバラバラにならないようにしてひたすら眺めてましたね。とにかく想像するっていうのが一番楽しかったのかもしれません。「カルフォルニアに行ったらこういう人が普通にいるんだろうか」とか、影響を特に受けたのはTHRASHERで、スケーターの写真にも影響を受けましたけど、音楽のレビューページというのにものすごく影響を受けまして。そのページっていうのは人の名前だけ出てくるから英語がわからなくてもまぁわかるんですよ。例えばハードコアの音楽リストなんていうのが書いてありまして、スケートするからみんな悪そうな音楽、ハードコアみたいなのを聞くのが男らしいとされていたんですね。そうするとそのリストには新譜だけじゃなくて過去の音楽も載ってるんですよ。最初の方にパンクバンドで男らしいとされていたBlack Flagとかそういうバンドの名前と一緒にMiles DavisだのColtraneだのBlack Sabbathとかジャンル違いのバンドか出ていて、これはなんなんだと。たぶんそれが自分でジャズを聴いたきっかけでしたね。いとことかに聞いてMiles Davisとか聴いてもサッパリわからないんですよ。なんでこれがハードコアなのか。でもきっとTHRASHERが言ってるんだし間違いないんだろうとか。聴いてるうちに自分の中でハードコアとかオリジナルとかルーツミュージックはこれだっていう彼らの勝手な解釈で決まった音楽のジャンルっていうのが僕の音楽ジャンルのたぶん基礎になったというかそれですごく雑多な音楽を聞くきっかけになったと思っています。
★★★★★★★
洋雑誌なんですけど、次にはまったのがアンディ・ウォーホルという人が作ったInterviewという雑誌でした。A3よりも大きいのかな。ちょっとざらっとした独特の紙と、そこに出てくる写真というのが世界の巨匠と呼ばれるフォトグラファーが撮ったポートレート。あとはアーティスト同士がインタビュアーになってインタビューするロングインタビューとか、すごく面白くて知らない単語はすっ飛ばして。ちょっとエロ小説を読む小学生みたいな感じですけど。漢字が読めないとすっ飛ばして、頭で補完しながら読むような感じで読んでました。気づいてみると、BMXのフォトグラファーが実はスパイク・ジョーンズだったり、このInterviewという雑誌でよく写真を撮ってたのがブルース・ウェーバーだったりして、僕が子供の頃にすごく憧れた人たちと雑誌をきっかけっていうわけじゃないんですけど仕事をするようになって、人生ラッキーだなと思ってるんですが。それもこれもずっと旅をしていろんな人に会って、わらしべ長者のようにたどり着いたわけで。本当に雑誌というのは素晴らしいなって僕は思ってます。「書を捨てよ、町へ出よう」っていう有名な寺山修司の言葉がありますけども、僕の場合は書を持ったおかげで町に出ることができたんじゃないかなと思います。このインタビューという雑誌がすごく好きで、「スプートニク」という雑誌を僕が作った時に似たような大きさで作りました。それを見た人たちが「この子は名前知らないけどプロなんじゃないか」と勘違いして、いろんな人が取材をしてくれて、雑誌の告知だと思って受けていました。そしたらそのうち、当時、『relax』っていう雑誌がマガジンハウスからでてたんですけども、そこにいた編集のユザワさんという人が「お前おもしろいからうちでコラム書いてみろ」と。インタビューを文字で起こすのと自分が思ったことをそのまま書くっていうのはえらい違うので、「書いたことがないから無理です。」って断ったんですよ。そしたら「いいんだよ、思ったことを書けば。おもしろいやつが書けばおもしろいものになるから、苦手でもちゃんとやっていれば後で覚えるよ。」って言われて。その人の誘いがなかったら今みたいに書いたり、編集っていう仕事をしてなかったなぁと思って、それも雑誌のおかげだと思ってますし、ユザワさんには本当に足を向けて寝られないなぁと思っているんですけど。その時に、どきどきしながら友達に「雑誌でコラムを書けって言われたんだけどどう思う?」って聞いたら、みんなに言われたのが「誰がそんな仕事をお前に振ったんだ?」って。『relax』のユザワさんていう人と言ったら「その人は勇気があるね。」って、その人のことをみんな褒めてました。
★★★★★★★
雑誌を見る側から今度は雑誌を作る側になって、それもまた本当に面白かったです。まあ今もやってるのでおもしろいです。最近は予算がそんなにないので変なところに行けるっていうのが減りましたけど、随分といろんなところに行きました。そしていろんな人を取材をしたりするなかで友達になって、今も連絡を取り合ったり、その町に行くときに会う仲になったりした人も少なくないです。名刺、僕持ってないですけど、取材だって言って人に会っていろんなもの見せてもらって、その町や国を冒険するっていうのに、雑誌の編集者っていう名前ほど素敵な商売はないですよ。僕にとって雑誌が素晴らしいのは、ものすごく安いのに、人によっては邪魔だから捨ててしまう人もいれば、これから自分がやることに対しての一生のきっかけになってしまったり。いくら出しても惜しくはないっていう、本当に一生持ち続ける宝物になる。そんなきっかけになれるものだと僕は思ってます。雑誌っていうのは編集力だと思うんですけど、開いたときにものすごくかっこいいポートレートや知らない風景、知っていると思ってた人の全く違う肉声が、自分のペースで読んで風景を頭の中で浮かべることができるじゃないですか。だからデジタルの世の中ですけど、やっぱり残ってほしいなとすごく思います。それはレコードだったりラジオとかもそういうものに近いのかもしれません。すごく不自由、そして古いメディアなのかもしれませんけど、想像が働く分、自由で身軽なメディアだと思います。僕はフリーの編集としていろんな仕事をして雑誌をやってるんですけども、これだけはずっと一生やっていきたいなと思います。最近も昔の雑誌で『STUDIO VOICE』っていう雑誌があって、それの復刊をやっていたので、40すぎて1週間ほぼ徹夜とか本当の罰ゲームで、辛いんですけども。でも、なんかそういう雑誌を僕はなるだけ20代や30代の若い子と一緒に作っていて。若い人に読ませたいなら若い子と作らないと視点がずれてくると思ってやってたんですけども、なんとか雑誌というフォーマットがいつまでも残るように、それが僕らの世代だけじゃなくて、若い世代にとってもおもしろい発表の場になればいいなとすごく思っています。雑誌はすごくいいですよ。もしこの番組を聴いている若い人で興味がある人がいたら、明日からでも自分で作れると思います。ぜひこれから何をするか迷っている人がいたら出版とか編集という仕事にも目を向けてみてください。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。