Let's travel! Grab your music!
Theme is... Rest in Peace! PRINCE
『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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先月、57歳という若さで突然この世を去ってしまった「プリンス」に
追悼の気持ちを込めてお届けします。
「殿下」を心から敬愛し、日頃、彼の作品を愛聴していた訓市が
その想いを語り尽くします。
ラジオではあまりオンエアされない楽曲を始め、
他アーティストによるプリンス・ナンバーのカバー・ヴァージョンもセレクト!
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
ゴールデン・ウィークに旅したエピソードや
ドライブで聴いた曲なども教えてください。
旅に紐付いた「リクエスト曲」をオンエアさせていただいた方には
図書カード1,000円分をプレゼントします!
3曲セットの「ミュージック・ストリーム」セレクションでもOK!
番組サイトの「Message」から送信してください。
手書きのハガキ、手紙も大歓迎!
日曜日の夜に聴きたい「ゆったりした曲」をゼヒお願いします。
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
I Wanna Be Your Lover / PRINCE
1979年にリリースされたセカンド・アルバム『PRINCE』のオープニング・トラック。
Do Me, Baby / PRINCE
1982年にリリースされた4枚目のアルバム『Controversy』に収録されているスウィートなバラード曲。1986年には女性R&Bシンガーのメリッサ・モーガンがカバー・ヴァージョンを発表しています。
Adore / PRINCE
1987年にリリースされた通算9枚目のアルバムで、2枚組の超大作『Sign Of The Times』のエンディングを飾っているスロー・ジャム。
When We're Dancing Close And Slow / PRINCE
セカンド・アルバム『PRINCE』に収録されている隠れ名曲!
Pop Life / Dump
ヨ・ラ・テンゴのベーシスト、ダンプが全編にわたってプリンスの曲をカバーしたアルバム『That Skinny MF With The High Voice?』から。実は本人に許可無く制作された為、リリース後に問題勃発! オリジナル・ヴァージョンは1985年のアルバム『Around The World In A Day』に収録されています。
Manic Monday / Bangles
1980年代に人気を誇ったアメリカの女性ロック・バンド、バングルスのためにプリンスが書き下ろした曲で、当時、全米と全英で最高2位!という大ヒットを記録しました。
How Come You Don't Call Me / Alicia Keys
2001年にリリースされたアリシア・キーズのデビュー・アルバム『Songs in A Minor』に収録されているプリンスのカバー・ヴァージョン。オリジナルは1982年にリリースされたシングル盤「Purple Rain」のB面曲として発表され、1993年のコンピレーションCD『The Hits / The B-Sides』に収録されています。
Sometimes It Snows In April / Shawn Smith
米シアトル出身のシンガー・ソングライター、ショーン・スミスによるプリンスのカバー・ヴァージョン。オリジナルは1986年のアルバム『Parade』に収録。「プリンス逝去」のニュースを耳にした訓市が最初に思い浮かべたのがこの曲とか。
Nothing Compares 2 U / PRINCE
元々はプリンスがプロデュースしたグループ、ザ・ファミリーのために書き下ろした曲で、1990年にシネイド・オコナーによるカバー・ヴァージョンが世界的に大ヒットを記録。これを受けてプリンス本人がライヴでセルフ・カバーした音源が『The Hits / The B-Sides』に収録されています
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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完全に僕の独断と偏見でプリンス、殿下の特集にします。とにかくびっくりしました。どうして知ったかというと、インスタグラム。あれをスクロールしていたらPrinceの顔を使ったスケートボードの写真が出てきて、「この板欲しいな」なんて思っていたら、その次もまたPrinceで、その次もまたPrince。ハッシュタグを見たら”rest in peace”と入っていて、亡くなったと。まだ60歳にもなっていないPrinceが亡くなるというのは本当に想像すらしていなくて、僕の中ではDavid Bowieと並んでPrinceは爬虫類系男子の筆頭で、歳を取らないし見てくれも変わらない。一生死ぬことはないんじゃないかと思っていた人だったので、まさかこんな日が突然来るとは本当に思ってもいなかったんです。Princeの音楽を知った時、僕はたしかまだ小学生の低学年くらいだったと思います。ちょうど洋楽に目覚めてラジオでTOP40なんかを聞きかじっている頃でした。スケートボードとかBMX、自転車とかアメリカのカルチャーにものすごくやられていて、アメリカ製だったらなんでもいいという、非常に偏った思考を持っていました。当時のTOP40のミュージシャンというのはとにかくザ・80年代というか、全員派手で、音もシンセサイザーの音がブリブリベースで鳴るグラマラスなものが多く、これこそ音楽だ!と思っていました。そんな80年代の中でもPrinceというのは別格に派手で、その派手さというのがどちらかというと下品というか、子供心に「これはなんか、いけないものを見てしまったな。聞いてしまったな。」という、キワモノ感溢れる音楽とビジュアルで、どこか思いっきり引いてしまっているところがありました。というのも、僕の頭の中の理想のアメリカは、西海岸・健康的・青空でカラッとしている、という雰囲気だったので、Princeは青空よりは妖しいネオン管の夜。ビーチというよりはキャバレーのような気配。格好も中性的というか、「なんでヒゲが濃いのにメイクをしているんだろう」とか、「片耳にピアスがあるなんて、女じゃないのか?」とか。そしてそのキレッキレの踊りというのもMichael Jacksonを見た後とかと比べると、「親の前で見られないぞ」というような妖しい動きで、当時はラジオで「Purple Rain」とか「When Doves Cry」がかかりまくっていましたが、音だけ聴くと「格好いいな、このPrinceという人はなんだろう」と思いつつも、なんか近寄っちゃいけないんじゃないか、という気持ちの方がいつも勝っていました。
★★★★★★★★
小さい頃からそのルックスとねちっこい歌声に引き気味だったんですけど、それでも気になってしまって視界から消えることはありませんでした。Princeというのは自分で曲を書いて歌って、演奏してプロデュースもして、しかもライブでは踊って演奏するという、完全無欠のエンターテイナー。そして他のアーティストにも楽曲を提供していたので、Princeを聞きたくないと思っても否が応でも耳にしましたし、小さい頃に潜り込んだディスコでも、やっぱりかかっていました。アメリカに行った時も、どこのラジオ局に合わせてもやたらとかかるし、卒業式や別れの時、そしてバーで必ず大合唱になるシネイド・オコナーの「Nothing compares 2 U」という名曲がありますけど、それがPrinceの作曲だと知ってびっくりしたこともありました。「Nothing compares 2 U」、この曲名の書き方ですぐPrinceの曲だとわかります。Princeの英語の書き方というのは必ず同じ法則で、例えば「To You」と書く時には「To」は「2」、「You」は「U」。今でもメールでこういう風に書く友達がいて、見ると笑ってしまいます。特に電話を使ったテキスト。一文字ずつお金がかかるので、短くしたい人は全部「おぉ、Princeだ!」みたいな書き方をします。あとPrinceで覚えているのは、小学校高学年くらいの時に父親が単身赴任で名古屋に行って、「知り合いに車をもらったぞ」というので見に行ったら、紫のラメのスカイライン。親父は隠れPrinceファンだったのか!と驚愕したこともあります。Princeといえば、タモリ倶楽部の空耳アワーによく登場して、それもまた懐かしい思い出です。そもそもソラミミストの安斎さん。僕はあの人の笑い声が大好きなんですけども、安斎さんは熱狂的なPrinceファンで、床屋さんで「Princeカットにしてくれ」と言ったら7:3カットにされた、というエピソードがありました。あと、「泊まるときはプリンスホテルだけだ。」と言っていたのも思い出深いです。Princeはファルセットとかがねちっこい歌い方なので、いろんなフレーズが完全に日本語に聞こえたりします。これを聞くと悲しさも少し吹き飛びます。いろんな理由でだんだんPrinceというのはハマっていくんです。あの音楽はとにかくジャンルで区別できないので“Princeという音楽”と呼ぶ以外、ないんじゃないかな。だんだん自分の服や身の回りに紫が入りだしたらそれは、発病したサインでした。
★★★★★★★★
紆余曲折あって僕もPrinceにハマってしまった一人でした。あのねちっこい歌い方、ファルセット。そしてあの弾きまくりのギター。歌い方が苦手とかルックスがちょっといやだとか、拒絶反応を起こす人も好きな人と同じくらいいたと思いますが、そういう人は是非ギターを聴いてみてください。ずいぶん前にジミ・ヘンドリックスの伝記映画をハリウッドで作るという噂を聞いたときに、誰もが「Prince以外にジミヘンの役をできる人はいないんじゃないのか。なぜならジミヘン以上にギターがうまいからだ。」と言った、という話がありまして、それを聞いたときは深く頷いたものです。リズム感とか、本当にギターが上手いんですが、ソウルフルで弾き始めると音がどんどん上がっていって落ちない。
僕は、いつか行こうと思いながらPrinceのライブを逃し続けまして、いつか本拠地のミネアポリスにあるペイズリーパークのアベニューAというライブハウスの打ち上げライブに行きたいなと夢見ていました。どんなに売れても本拠地は自分の出身地であるミネアポリスから離れなくて、打ち上げがただの飲み会じゃなくて、自分の周りのミュージシャンを集めたドロドロのジャムセッションだったらしいです。全盛期には2次会3次会と、朝とか昼までずっと弾いてる。そんな夢もついに果たせぬまま終わってしまいました。思えば小学生の頃から今までPrinceの音楽はいつも身近にありました。ニューヨーク出身のカメラマンの友達がいるんですけど、彼が1枚の写真をインスタグラムにあげていました。それは80年代のニューヨークのバーかなんかの写真なんですが、そこに写っている男の子たちが全員、Princeみたいな格好をしていました。一言、「誰もがあの頃Princeだった」と書いてあって、それを見て「あぁ、確かにこんな光景ってあったなぁ」と。アメリカを夢見たときに女の人は誰もがマドンナやシンディー・ローパーみたいな格好で、男の子はPrinceでした。Princeの曲は亡くなってもまだ何千曲もあるんじゃないかと言われています。すごくたくさんあるので彼の音楽を通ってこなかった人もぜひこの機会に、といったらなんですが聞いてみてください。どれもとにかくファンキーでゴージャスだったりしますけど、本当にメロディーも綺麗です。僕はよく旅をしていた頃に、Princeの曲ばかり引き語りする人たちに何人も会いました。そういうとき、Princeの曲というのは本当に素敵なメロディーなんだなって気づいたことも多かったです。そして、興味のある人は目のつくところに紫のものを置いてろうそくでもつけて、今頃、殿下がギターを心ゆくまで存分にかき鳴らして、ジェームス・ブラウンとかジミ・ヘンドリックスとか、彼が好きだったミュージシャンとジャムセッションをしていることを祈りつつ送り出してあげようじゃありませんか。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。