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Let's travel! Grab your music!
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Theme is... SARAJEVO
『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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番組前半は番組リスナーの皆さんから手紙、ハガキ、メールで寄せられた
旅にまつわるエピソードとリクエスト曲をオンエア!
後半のテーマは「サラエボ」。
少年時代にテレビ観戦した冬季五輪で観た美しい街「サラエボ」...
内戦から数年を経て訪れた現地で訓市が体験したこと、感じたこと、
そして、平和であるために思うことなどを語ります。
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
リクエスト曲をオンエアさせていただいた方には
番組オリジナルの図書カード1,000円分をプレゼントします!
番組サイトの「Message」から送信してください。
手書きのハガキ、手紙も大歓迎!
日曜日の夜に聴きたい「ゆったりした曲」
「旅で聴いた思い出の曲」「動かない旅ができる曲」などなど、
リクエストもお願いします!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
(Just Like) Starting Over / John Lennon
Heysatan / Sigur Ros
Love Theme From St. Elmo's Fire (Just For A Moment) / David Foster
Fire In The Middle / Nightmares On Wax
気楽な話 / Evisbeats
Soldier Of Love / Pearl Jam
You Saw It All / Herbert
Electric Counterpoint Slow / Steve Reich & Pat Metheny
One / U2 & Mary J.Blige
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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先日、フィルムの話をしました。現像を忘れていたロールの中に、いろんな写真が入っていた、という話なんですが、その中にサラエボの写真がありました。それは多分、サラエボの紛争が終わって5、6年後の2001年とか、そのぐらいのことだったと思います。僕が昔習ったヨーロッパの地図というのはと今だいぶ違っていて、僕らが子供の頃にはヨーロッパにユーゴスラビアという国がありました。そこの独立運動の中でセルビアやクロアチアという国が生まれたのですが、そこにもう一つ、ボスニア・ヘルツェゴビナという国が誕生し、首都がサラエボでした。そこにはムスリムのボシュニャク人、セルビア正教のセルビア人、そして、カトリックであるクロアチア人という、異なる宗教を信じる民族が住んでいたために、対立が生まれ、やがて内戦となりました。
僕は小学校の四年生とかそのくらいだったと思うんですけど、冬季サラエボオリンピックをよく覚えていて、テレビで見て覚えのあったサラエボの町というのは、復興しているどころか、まだまだ戦争の跡がそのままで。燃えたビルや銃弾の跡が残る町並みを見てものすごいショックを受けました。というのも、ヨーロッパで戦争の跡というものをちゃんと見たのが初めてでしたし、それまで戦争の風景というのは教科書とかに載っていた古いモノクロの写真とか、ベトナムのジャングルとか、中東であった砂漠での戦争とか、そういう場所でしか見たことがありませんでした。僕は湾岸戦争が始まったときにちょうどアメリカに住んでいたので、アメリカ軍の攻撃が始まる様子を学校でCNN の中継で見たんですけども、それはもうまるで映画のようでしたし、戦争というのは恐ろしい、というのを知識としては知っていましたが、実際に人が生活している町の中に残る銃弾の跡とか、その戦争の跡ほどリアルでなかったことにその時初めて気付きました。サラエボの町にいる間は戦争の生々しい話はいたるところにありましたし、一時は人口の半分以上が町からいなくなったと聞きました。脱出した人たちももちろんたくさんいましたし、殺された人もたくさんいました。サラエボの町は山に囲まれていて、その山あいをミリャツカ川という川が流れています。そこに美しい緑の土手がありまして、僕はそこを歩いてみようと思ったんですけども、現地の人に止められました。なぜなら、まだ全ての地雷の撤去が終わっていないので危ない、と。もう5年も6年もたっているのに、まだまだ戦争は終わってないんだな、とその時思いました。
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サラエボの町ではいろんなところを歩き回りましたが、テレビでかつて見たオリンピックスタジアムの横のグラウンドが、全て墓地になっていることにもとてもショックを受けました。増え続ける死者を埋葬する場所が足りずにそうなったらしいですが、平和の祭典であるオリンピックのスタジアムが墓地に囲まれているというのは、これ以上の皮肉はないと思いましたし、普通だったらそんなことしないと思います。でも、普通じゃないのが戦争で、僕らが普段振りかざす常識とか、良識というものでは計れないものなんだなと、その時思いました。現地で知り合った人に家に呼んでもらって、当時のビデオを見せてもらうこともありました。その人はボシュニャク人だったんですが、同胞を助けるためにとアフガニスタンの内戦を戦ったムジャヒディン達が、サラエボにも参戦して戦ったというビデオで、我らは主を恐れない、というシーンとか衝撃的でした。彼にとっては自分たちを助けるために戦ってくれたムジャヒディンというのはとても勇敢な、感謝の対象になる人たちです。こうなってくると、僕にとって何が正しくて何が間違ってるのかっていうのが本当によくわからなくなってきました。立ち位置が違えばどちらにも言い分がありますし、正義をお互いにうたうわけです。
今は世界中で紛争の足音がするというか、もう戦争が近いんじゃないのかとか、いろんな問題があります。そして僕らが暮らす日本でも選挙がありました。何が正しいんでしょうか。根拠なき平和主義、というのも現実的でないというのもわかります。ただ、戦争に行ったことも、殴り合いの喧嘩をして怪我をしたこともない。そんな政治家の人たちが勇ましいことだけを言うのも、また現実的に聞こえない気がします。僕が思うのは、政治家の人はお付きの人とか抜きで戦争や紛争地に一人で行って、しばらく滞在してから意見をまとめて発信してもらいたいなと思います。そして、過半数を取った党もそうでない党も、多数派だけではなくて、この国にもいろんな考えの人がいるということを忘れないでほしいです。国を良くして平和にするっていうのが、そもそもの選挙の目的なんじゃないでしょうか。なぜ、サラエボの話をしたかというと、一番心に残っているのが、殺し合いをしたセルビア人クロアチア人ボシュニャク人、それぞれ宗教の違いで争いましたが、もともとの民族的には同じ人たちだということです。信じるものが違うということが戦争を起こして、同じ国の国民だった人たちが戦争で殺し合いをしました。なので、意見が違う、と対立を煽るのも、もしかしたら最後はこういう悲惨な結果を生むかもしれないのです。僕はあれからまだサラエボという町を訪れてませんけども、できれば平和になったであろう町を訪ねてみたいなと思ってます。そして今度こそ緑豊かだった川べりを歩いてみたいなと思っています。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。