ON AIR DATE
2018.09.09
BACKNUMBER
  • J-WAVE
    EVERY SUNDAY 20:00-20:54

★★★★★★★★★★

訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・

伝説のカクテルレシピ本。その著者の美学が映画に。


TUDOR logo

Theme is... RESTAURANT

『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。


★★★★★★★★★★
番組前半はリスナーの皆さんから手紙、ハガキ、メールで寄せられた
旅にまつわるエピソード、そして、その旅にひも付いた曲をオンエア!

後半のテーマは「レストラン」。
かつて、訓市が働いていた店の閉店を耳にして・・・
未経験だった訓市がバーテンダーの仕事に就いたユニークな経緯とは?
ほとんどが外国人の従業員という店で体験した愉快なエピソード、
そこで学び、今も心に残っている貴重なことについて語ります。


★★★★★★★★★★
番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
「旅」に関する質問、「旅先で聴きたい曲」のリクエストでもOK!

手紙、ハガキ、メールで番組宛にお願いします。
メールの方は番組サイトの「Message」から送信してください。
手書きのメッセージ大歓迎!

リクエスト曲がオンエアされた方には番組オリジナル図書カード、
1000円分をプレゼントします。
皆さんからのメッセージ&リクエスト・・・ お待ちしてます!


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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛

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2018.09.09

MUSIC STREAM

旅の記憶からあふれだす音楽。
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
1

Sloom / Of Monsters And Men

2

Brushed With Oil, Dusted With Powder / Scritti Politti

3

Likufanele / Zero 7

4

At Rest / Kevin MacLeod

5

愛は私の胸の中 / 喜納昌吉とチャンプルーズ

6

Lovefool / Cardigans

7

Love Ya ! / Hyukoh

8

As Time Goes By / Frank Sinatra

9

Snug / Aso

2018.09.09

ON AIR NOTES

野村訓市は、どこで誰に会い、
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。



Kunichi was talking …


★★★★★★★★★★

8月の頭に初めての公開収録をしたんですけど、その会場をどこにするかという話になった時、J-WAVEのスタッフさんが『訓市さんが昔バイトしていたというレストランはどうですか?』と言ってくれました。すっかり忘れていたと思って、『ぜひ!』と言ったんですが、偶然と言いますかなんといいますか、その店はちょうど夏前にクローズしてしまいました。僕が働いていた時とは建物も違いますし、スタッフももちろん変わっているので、もはや別の店ではあるんですが、閉店と聞いてとても淋しく思いました。なぜかといいますと、そこはすごく特殊というか、変わった店だったんです。表参道のちょっと奥にあったお店で、僕が働いていた時は戦後にイギリス大使がずっと住んでいたという洋館を改造した、木造の古い建物でした。90年代の頭、当時もすでにバブルの後で、都心にある古い洋館なんていうのがどんどん壊されていたので、その当時としてもかなり特殊な建物だったんです。その店は手前に別館があって、そこは1階にギャラリー、2階には古い中古の本を売っている洋書店。そして、中庭がテラス席になっていて、気分良く食事をしたりお酒も飲めました。本館である洋館には1階に大きなレストラン、入口横には小さなバー。らせん階段の踊り場にはタトゥースタジオがあった時もありましたし、2階には美容院とサロンが入っていました。どれもが独立採算制で繁盛すれば店主は非常に儲かるし、下手を打てば自分のバイトよりも手取りが少ない。本当に当時の東京ではとても変わってる店でした。変わってるといえば、そこには総勢30人ほどのスタッフがいましたが、日本人は裏方に2、3人いただけで、ほとんどが外国人だったことです。どういう経緯で集まったのかはわかりませんが、当時は円高で、東京でちょっと働いて金を稼ごうという、一獲千金を狙ったトラベラーとかがものすごく多くて、東京にはいろんな国からたくさんの若者が集まっていたんですけども、この店はその最たるもので、本当にいろんな人がいました。しかも男の子たちはほとんどがゲイで、小綺麗で華やかな子たちが多い。僕だけが長髪で、どちらかというと毎日風呂にも入らない、“ザ・野郎”という感じだったので、最初は視線が本当に冷たかったです。何にも悪いことしてないのに、『寄るな、この野郎』みたいな。長髪というだけでもう許せないっていうのがあったと思います。そもそも、なぜこのお店で僕が働くようになったのか。誰だったか覚えてませんが、誰かに連れてってもらって面接みたいになったんですけど、『君、お酒作れる?』『いえ、作れません』という会話があったにもかかわらず、『わかった、じゃあ今晩から働いて!』という謎な経緯をたどって、そこでバーテンになりました。



★★★★★★★★★★

僕はそのレストランの中で、入り口すぐ右側の小さなバーで働くことになりました。そこのマネージャーはオーストラリア人で、酒はカクテルブックを渡されて、『わからなきゃオーダーの後すぐ裏に行って調べて作れ』という、かなり雑なことも言われましたが、お酒の作り方だけじゃなくて、いろんなことを教わった気がします。例えば、知り合いが来たらタダ酒を出すのはおろか、原価でも絶対出すな。それはつまり、そこで儲けられたはずの利益が無くなるわけだから、“プラマイゼロではなくてマイナスなんだぞ”という考え方や、どうやって接客をするか。もちろん、棚卸の仕方から原価計算までうるさく言われました。経費、例えば僕らのバイト代とかその店の家賃、あと光熱費などを払った後の残りが自分の取り分なわけですから、その辺の責任感というのはものすごく強くて当たり前なんですけど、僕が一番役に立ったなぁと思ったのは、客と店の“線引”です。『どんなに仲良くなっても、その線引をすぐ曖昧にするな。僕らがやってることはあくまで客商売なんだ』っていうのを最初にものすごく言われました。その後すぐ、酔っ払いの客と意気投合したんですが、バーの中に客が入ってきたのを僕が許したのを見て、その人は激怒しました。『いや、すごくいい人だし、いい客になると思うよ』って言ったら『絶対だめだ!』と。それが正しいと分かったのは、そのうちそのお客さんが来るたびに絡み酒になって、『俺はもう常連なんだから、バーの中に入ってもいいし、何をしてもいい』という態度になってしまって、『駄目だ』言うと、『最初はよかったのになぜだ?』って。結局、お客さんじゃなくなってしまったんです。こういうのは確かにそうだなと。時間をかけて友達になることはありますが、すぐに判断してはいけない。それはなぜなら、その場所はあくまで客商売の場であって、僕は店の人間で、相手はお客さんなんだっていう。これは自分がその後にやってる仕事にもすごく役立ったような気がします。仕事で会った人とは必ず、まず、ちゃんとけじめをつける。でも、そこはそんな堅いことだけじゃなくて、とにかく愉快な店でした。なにしろ華やかで、スタッフ全員、シャンパン飲んで酔っ払いながら配膳したこともありますし、ドンチャン騒ぎしたハロウィンパーティーでは、あまりの騒音にお巡りさんから『装甲車を出すぞ』と散々怒られたりもしました。スタッフがみんな外国人なので、謝るのはいつも僕で大変な思いをしましたが、それよりご近所の皆さんには本当に申し訳なかったです。そんなお店を作ったのはすごく変わった日本人のオーナーで、この人もめちゃくちゃでした。酔っ払うとチップを1万円とか2万円くれるんです。『いいんですか?』って聞くと、『その代わり付き合え』と言われて朝の8時までずっとお酒を作らされたり、『もう疲れたから帰ります』って言うと、『貴様!』みたいな喧嘩をふっかけてきたり。本当に“なんなんだろう?このオジサンは”っていう感じの人でしたが、若い頃に海外に行って触れた自由な雰囲気とか、コスモポリタンみたいなものをそのオーナーはすごく愛していまして、どうにかそんな場所を東京の真ん中に作りたいと、それまで稼いだお金を全部突っ込んで、そういう所を作ってくれた素晴らしい人でした。国籍ってなんだろう?とか、性別ってなんだろう?とか。どんな国でも、良いところもあれば悪いところもあるように、大事なのは共通する価値感なのかなという、そんな考え方を一番最初に感じさせてくれた所はあの店だったかもしれません。そういう外国人バーとか、一定のグループの人が集まる店っていうのは多分、たくさんあると思うんですけど、ここまで雑多で誰でも来られるようなお店っていうのは、あのあと1回も行ったことがありません。