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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
築70年の神楽坂の元料亭がブティックホテルに。
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Theme is... DESIGN
『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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--- 世界第1位に輝いた訓市たちの仕事 ---
番組前半はリスナーの皆さんから手紙、はがき、メールで寄せられた
旅のエピソードと、その旅に紐付いたリクエスト曲をオンエア!
さらに、お悩み相談や選曲のオーダーにもお答えします。
訓市の“質問返し”にもご期待を!
後半のテーマは「デザイン」。
幼馴染みと3人で始めて現在に至る内装やデザインの仕事で
世界第1位という快挙を成し遂げた訓市と仲間たち・・・
これまでの15年間を振り返って感じることとは?
内装の他に編集者としてだけでなく様々な仕事を手がけ続けている理由、
その時々に言われる「片手間」という言葉を乗り越えてきた思いについて語る。
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--- 冬のヘヴィーメタル・バラード again!---
日頃はあまりセレクトする機会がない「ヘヴィーメタル」・・・
その「バラード曲」限定で皆さんのリクエストを募集します。
リクエスト曲と、その曲にまつわるエピソードや思い出を書いて
番組宛てに送ってください。
前回の「冬のヘヴィーメタル・バラード」特集は
2017年1月8日にオンエアしました。
下の【BACK NUMBER】をチェックしてダブリ無しでお願いします。
なお、番組オリジナル図書カードのプレゼントは終了しました。
現在、次のプレゼントを製作中です。そちらもご期待下さい!
完成次第、番組でお知らせします。
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
「旅」に関する質問、「旅先で聴きたい曲」のリクエストでもOK!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
メールの方は番組サイトの「Message」から送信してください。
皆さんからのメッセージ&リクエスト・・・ お待ちしてま〜す!!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Be Thankful For What You Got / Yo La Tengo
Travels / Pat Metheny Trio
Midnight Lullabye / Tom Waits
Honey, I / Wes Reeve
スタアスタアスタア / 東京スカパラダイスオーケストラ
Knockin' On Heaven's Door / Guns 'N' Roses
Isn't This A Lovely Day ? / Ella Fitzgerald & Louis Armstrong
Where Can I Go Without You / Feist
Christmas Will Break Your Heart / LCD Soundsystem
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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先日、この年の瀬に一つなんだかんだとても嬉しいなぁということがありました。それは、僕は幼馴染の友達と内装の会社をやっているんですけど、僕らがデザインをさせてもらった東京にある小さなホテルがイギリスの「ウォールペーパー」というプロダクトデザインやインテリア、建築などを扱う専門誌が選ぶ「世界の都市ホテル2019年」というジャンルで1位になったと連絡が来たからです。別に僕らのデザインが1位になったというわけではなくて、そのサービスとか食事とか全てが込みで選ばれたんですけど、まぁそれでも一度もそういう賞というものを受賞したことがなかったので、言われてみると皆んながとても喜んでいるのを見ているうちに僕も嬉しくなっちゃったりみたいな、とにかく嬉しかったんですよ。褒められたことがなかったからっていうのもありますけど。僕らはそもそもデザインを学ぶ学校にいたわけでも、そのような会社に就職してイロハを学んだわけでもありません。3人とも集まってやってみたところ、“嫌いじゃない、むしろこれならもうちょっとやりたい。一緒にやろうよ”という感じで見よう見真似で続けてきました。それで気づいたら会社にして15年も経っていたんですけど、友達同士で会社をやって、いやそうでなくても10年以上残る会社っていうのは100あると5社ぐらいしか無いらしいんですよね、平均で。なのでこうやって残って潰れもせず、かといって人数が増えて大きくなることもなく、ただ淡々と続いているっていうことは実にありがたいなと。何もコネもなく始めたんですけども、考えてみるとコネというより一つ大きなことがありました。それは知り合いが東京には沢山いたということです。「内装を始めたから何かあったら仕事を振ってくれ」っていうのを人に会うごとに言っていると色々な知り合いが振ってくれた仕事で最初の何年かは食い繋いだものでした。知り合いの事務所のデスクを間借りして数年・・・そこも内装屋さんだったんですけど優しい人たちで見積もりの作り方とか業者さんはここに電話すると良いよとか色んなことを教えてくれました。まぁそこから仕事を受けては、その仕事をしながらやり方を学ぶということをしてきました。これは僕が昔、色々な仕事をする人たちをインタビューした仕事の時に「待つな、自分から動け。そして学校に行かなきゃダメだと諦めるな。やりながら学ぶ。それが一番だ」と口を酸っぱく言われたことが心に深く残っていたからだと思います。「分からなかったら聞けばいい、知らないということを認めるのは恥じゃない。逆に一番恥なのは知らないことを誤魔化そうとしてそのままにしたり、知っていると嘘をつくことだ」とアメリカやイギリスのアーティストや物作りをする人たちにずーっと言われていた気がします。
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内装の仕事を始めて暫くはとにかく電話で「ちょっと分からないんだけど、教えて下さい」「こういう時ってどうするんすか?」「これは何を意味しているんですかね?」という質問ばかりだった気がします。そんな時にも内装以外に僕は一人で外で色々な仕事をするものですから、それに付随して内装の仕事が取れるという良い点もあり、「営業の鬼」と僕の友達は言ってましたけど、逆にそのことが少し僕の仲間の足を引っ張っちゃったこともあったかなーっていうのも多々ありました。と言うのも「片手間でやっているんだろ!」って思われたり、「派手にどっか上手いことやって仕事を取ってくるっていうのはコネがあるからだろ!」とか。まぁ最初は自分も怒っていましたけど、言われてみればそれぞれの職種の人たちっていうのはその仕事を専門にして、やろうと思えば1日24時間、週7日出来るわけですから。それに対して僕の仲間はともかくとして僕自身は出来ません。ですから“片手間野郎”とか“親のコネ”だろうみたいな、なんて言うんですかね誹謗中傷みたいなのを言われると実際は「またか…」とちょっと凹んだりもしましたけど、一晩酒でも飲んでいるうちに「とにかく仕事で見返してやるぞ」とメラメラとしてきて働いていました。僕たちの仕事っていうのは自分たちのトレードマーク的なデザインとか、必ずこれを使う!というようなものは全く無くってですね、どこかお客さんが喜んだり、そのお店とかがいつからその町にあるのか誰も気づかないぐらい馴染んでいるものを作ろうとやってきました。ですから発注してくれたクライアントさんたちに凄く喜ばれたり、そこで物を食べたり買ったりするお客さんにも「とても良いね」って言われることは多かったんですけど、いわゆるデザインデザインした業界の人たちから特別に評価されるというようなものでもなかった気がします。ですからまぁ海外のメディアが評価してくれたっていうのは嬉しいもので、それもこちらが誰だか知らないからフラットに見てもらえたのかなーとも思います。今回のホテルというのは古い料亭を改装したもので、外見は一切いじっていない外装です。古い町並みに馴染んでいるので、それを一切いじりたくなかったっていうのもあるんですけど、僕は誰にも言わなかったですけど、いじらなかったのは尊敬するスネークマンショーの皆さんたちがやっていたコント「ホテルニュー越谷」、それは愛する人たちの為のホテルのCMなんですけど、売りが「人目につかない出入り口」って連呼していたんですよ。やっぱりそうか、ホテルというのは目立っちゃいけないんだな。まぁそれを頑なに守ったデザインです。友達は「15年経ってこんな賞みたいなものを貰って、努力が実って良かったね」って言われたんですけども、「努力してないよ」って答えました。何故かと言うと賞を取ろうとか、大きい仕事をしようっていうような努力っていうのは本当にしてこなかったですし、何より徹夜しても楽しいねって思いながらやっている楽しい仕事でした。でも、唯一努力したかなと思うことは辞めない努力ということでしょうか。続けていく努力というのは中々どうして大変なものです。長くやれば良いっていうものでもなくて、どこか人間引き際というのも大事だと思いますが、地道に長くやっていれば良いこともあるんだなと、そう思える年の瀬っていうのは素晴らしいなと感じました。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。