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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
ライブだけじゃない! FUJI ROCK FESTIVALを最大限楽しむためのスポットガイド
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Theme is... Fuji Rock Festival
『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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--- 1年の節目が無くなってしまった件 ---
番組前半はリスナーの皆さんから手紙、ハガキ、メールで
お寄せいただいた旅のエピソードと、
その旅に紐付いたリクエスト曲をオンエア!
選曲のオーダーや悩み相談にもお答えします。
後半のテーマは「フジロック」。
例年であれば毎年この時期に開催されて
第2回を除き皆勤賞の訓市にとって
フジロックに参加する意味、思い、楽しさとは?
単なる音楽フェスを超越したフジロックの魅力について語ります。
第1回目で体験したトホホなエピソードも・・・
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
「旅」に関する質問、「旅先で聴きたい曲」のリクエストでもOK!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
メールの方は番組サイトの「Message」から送信してください。
皆さんからのメッセージ&リクエスト・・・ お待ちしてます!!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Take On Me / Weezer
Peach / Kevin Abstract
Misty / Ella Fitzgerald
Houses / Elyse Weinberg
Wonder Wall / Punpee feat. 5lack
Summer Breeze / DJ Quick
I'm Getting Ready / Michael Kiwanuka
Lo Que Siento / Cuco
All I Wanna Do / Sheryl Crow
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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例年でしたら今週末っていうのは多分、『フジロック』がある時期です。最初のフジロックが開催されたのは1997年。僕がまだ24歳の時のことでした。日本でとうとう世界的なバンドを集めてロックフェスが開催される。ロン毛のフェス男として世界各地を渡り歩いていた僕にとって、こんなに嬉しいことはないと胸を震わせたと同時に、どうやって行こうというのが一大事になりました。何しろ当時は万年金欠、得意技といえばどうやってタダで潜り込むかということで、世界中のフェスでもほぼまともにお金を払うことなく回ってきました。友達を作って友達に入れてもらう、なんだか孫請けのような形で誰かのゲストリストに入れてもらう、オーガナイザーと仲良くなり入れてもらう。ところが、フジロックは本当に大きなロックフェスっていうことで、どこから潜入すればいいか全く分からない。そんな時に知り合いがフジロックで水を売って儲けながらライブを観るという話をして、それに参加することになりました。つまり、出店者ということで入れることになったわけです。2トントラックで2往復して、4トンものミネラルウォーターを持ち込みました。ラインナップもレッド・ホット・チリ・ペッパーズからテクノですとエイフェックス・ツインと、今あったとしたらもうとてもじゃないけどありえないという素晴らしいラインアップ…。期待に胸を膨らませて臨んだ第1回目だったんですけど、まぁ皆さんも聞いたことあると思いますがその時は台風が直撃して地獄絵図のような光景でした。そもそもフェスというものをほとんど知らない若い人たちがたくさんいたので、山なのにほぼTシャツ短パンで、2日間の開催だったので多分テントなんかいらない、寝ないで見て帰るみたいな人がたくさんいたんだと思うんですけども、全員が雨でズブ濡れになって凍えて震えている。けれども傘なんかさせないですし、横殴りの雨で逃げ場もないその会場。そんな中で僕らが売ろうとしていたのはドブ漬けした冷たい水で、大変それは難しいものでした。翌日こそ「たくさん水を売るぞ!」と気勢をあげてたんですけど晴れましたが、そこにテントに投げ込まれた1枚の紙、「公演中止のお知らせ」。まぁひどかったですよね。ペットボトルの水が段ボールに入っていたんですけど雨で全部濡れて壊れてしまって、その後は4トン分のペットボトルがぐちゃぐちゃに地面に落ちているのを1本1本拭きながら、それをトラックに2回に分けて往復したんですよ、また。青山にあった酒屋さんに一度戻して、それでまたトラックで富士山に戻ったら台風の第2波が来まして、そこで今度はトラックが水浸しの地面でスタックして土砂降りの中今度トラックを押すっていう。ひどい思い出って後で笑い話になるじゃないですか。ただし、この1回目のフジロックの思い出っていうのはなかなか笑い話にならないほど酷い思い出でした。それでも野外でレッチリも観られたし、絶対に次回はリベンジだということになりまして、第2回目はヨーロッパにいて行けなかったんですけど、会場が苗場に移った3回目からは毎年コツコツとその来場回数が積み上がり、気がつけば「フジの地縛霊」と言われるぐらい、毎年苗場に現れる男となってしまいました。ロックフェスは若者のもので、なんでこんなオッサンたちがいるんだなんて思っていましたけど、自分が立派にその1人になってしまったわけなんですが…。昔は1年に1度は海外のフェスに行きたいなと思っていたり、実際に行ったりしていましたけど、途中からフジロックにさえ行ければそれでいいと思うようになりました。それはもちろん歳をとって腰が重くなってきたこともありますが、フジみたいに素晴らしいフェスが海外を見渡してもそうはないと思うようになったからです。
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フジロックは「とにかく会場が綺麗でゴミも落ちていない」とか、「オーガナイズが本当にしっかりしてる」っていう風に言われますけど、それだけじゃなくて苗場の山は本当に緑も美しいですし、音楽だけじゃなくて子供が遊べる所とか、ちょっと河原で休む場所がちゃんと作られていて、子供から老人まで遊べる場所だと思います。毎年3日間全ているんですけど、行く度に「家がここだったらいいのになぁ〜。もう僕の住んでいる街が丸ごとフジロックだったらいいのに…」とついつい夢想してしまいます。なにしろ友達がたくさん近所っていうか同じホテルだったりテントにいて、音楽が1日中至るところで鳴っていて、散歩に行きたければふらっと出かけられるし、しかもどこへ行くにもビールを飲みながら行けるっていう。こんな1年に3日間の天国のような日を味わってしまうと欲深くなりますからね。「これが日常だったらいい」って思うに決まっているじゃないですか。振り返ってみると西暦が2000年代になってから夏は必ず僕は苗場にいたのです。どんな台風の時もどんな雨の強い時も、朝まで必ず酒を飲んでは寝床につく前になぜか知らないけどもカレーを食べる。正月よりも欠かさず大事にしてきたこの行事が今年はない。1年の折り返しと位置付けていたフジロックがないという事実は若い子たちが言う「残念だねー」とか「行きたかったよねー」などという簡単な言葉では表せるはずがありません。「訓市さん、今までフジで観て1番のライブってなんでしたか?」ってよく聞かれるんですけど、もちろんビョークとかニール・ヤングとか、興味もなかったけど見たら素晴らしかったRCサクセションとか… 素晴らしい演奏を挙げだしたらキリがないんですけど、それよりバラバラなジャンルの音楽を本当の大物からデビュー直後の新人まで、バラエティーに富んだラインアップを作っているところがフジロックの1番のすごいところじゃないかと思います。この番組でかけてきた色んな曲の多くもフジロックという出会いから知ったものがたくさんあります。来年の8月にという発表がありましたが、本当にそれが来年の8月にあるのかさえ誰も分かりません。けれども、もし来年ちゃんとコロナが終息してフジロックが開催されることになったら、その時はリスナーの皆さんも1日でもいいので行ってみてください。僕的にはもちろんオススメは3日間通しなんですけど、チケットの元を取ろうとハードに会場を回って1日中音楽漬けになるのも良し、のんびりキャンプ中心と構えてゆっくりするのも良し。そして1年に1度の大人の修学旅行ととって友達と一緒に酒を1日中飲み続けるのも良し。フジロックには決まった過ごし方っていうのはないわけで、色んな過ごし方ができます。「ロックフェスはつまらない」とか「年寄りには辛い」とか「知っているアーティストがあんまりいないからいいかな」なんていう風に思わず、行ってみたら思いの外楽しめたり感動したりするものです。そして、1度でも行ったらきっと僕のように「死ぬまで毎年行くぞー」って思うに違いありません。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。