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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
日本人が気にする「A Happy New Year」の“A”の真実
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Theme is... 年賀状
『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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前半はリスナーの皆さんから手紙、ハガキ、メールで
お寄せいただいた旅のエピソードと、
その旅に紐付いたリクエスト曲をオンエア!
進路、恋愛、仕事などなど日々の生活で抱えている悩み相談や
選曲のオーダーにもお答えします。
後半のテーマは「年賀状」。
訓市が毎年恒例で送っている電子メールによる年賀状…
2021年の元旦に送信した内容とは?
日本国内だけでなく世界各地に住む友達から届いた
多数の返信メールを読んで感じたことについて語る。
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
「旅」に関する質問、「旅先で聴きたい曲」のリクエストもOK!
また、恋愛、進路、仕事、人生などの質問や
選曲オーダーにもお答えします。
メールは番組サイトの「Message」から送信してください。
皆さんからのメッセージ&リクエストをお待ちしています!!
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手紙、ハガキの宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Volare / Gypsy Kings
Whispering Wind / Moby
Lose It / Oh Wonder
Someday (Triple J Like A Version) / Julia Jacklin
Boy / 踊ってばかりの国
No More Tears On The Dancefloor / DJ Nature
Kota / Bonobo
The Circle Game / Joni Mitchell
Why / Annie Lennox
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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以前、去年もかな? 番組で話をしたことがあるんですけど、僕は正月にいつも年賀メールというのを書きます。番組ではよく手紙とかお葉書をくださいと言っていたんですけど僕自身は本当の筆不精で、とても年賀状を書くのが苦手です。PCを使って原稿を書いたりするのは「オリンピックレベルに速い」といつも褒められるんですが、手紙を書くっていうのは本当にダメで、何がダメなのかというと郵便局に行くとか、ポストに投函するっていうのがものすごく苦手なんです。なので小学生の頃っていうのは年賀状を出すっていうのはほぼマストな国民行事でしたけど、僕だけほとんど出した記憶がないんですよね、失礼な話なんですけど。電子メールっていうのがあるって知った時は俺の時代が来たって本当に嬉しかったです。しかも、「なんで年賀状を書かないんだ」って言われればですね、「エコだからだ」って言えばみんな納得するんですよ、昔から。時代が自分に追いついてきたのかなと思ってるんですけど、まぁそれは置いといてですね、毎年1月になってから日本語のものと英語のものを2つ作ってそれぞれ送ります。たくさんの人っていうのが最早この年賀メールのみのやり取りになってるっていう事実もあるんですけども、連絡を絶やさない手段としてはとても良いものだと思っていました。「お前からのメールを見ると年を越した気がするよ」とか、「今年こそはメールにあるようにどこかで会ってビールを飲もう」とか、「会わなくなってもう10年だ。俺の髪は真っ白になったぞ」とか、「子供が巣立ち、かみさんと2人でイギリスを歩いて横断しているよ」というものもありますし、「子供が出ていって、かみさんと2人で会話がゼロだ」なんていうものもあります。中には「子供が大学に入って寮に入ってしまったので、初めて自分に時間ができて自分は自分で大学に入ってみた」っていう人もいますし、そういう色んなメールを1通1通見て、数日かけて1人ずつまた返信していくっていうのをもう20年以上かな?やってます。「次に連絡を取り合うのはまた来年かな」、そう笑って書いてくる人もいますが、こうして僕は自分が学生時代から知っている者、それからバックパッカーの頃の旅の途中で出会った人、仕事で知り合った人、遊びで知り合った人、バラバラな人たちと連絡を取ってきました。「日本でか、お前の住む街でか、どこでもいい、いつかどこかで再び会って乾杯しよう」。だいたいがどちらが書くまでもなくそんな終わり方で、実際に本当に機会があって会えた時っていうのは本当に嬉しいものですし、会えなくても来年こそはと言うのが約束の年賀メールになっていました。去年の正月に書いた年賀メールっていうのはまだコロナの気配を感じていなくて、2020年代という新しい10年の始まりをどこかでみんなで出会って、一緒に酒が飲めたら良いなで終わっていましたが、まさか全く会う機会というより可能性そのものが無くなるとは思いもよりませんでした。
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今年も1月の元旦に年賀メールを送りました。昔は元旦なんかにわざわざ送ったりしないで遅れたりもしたんですけど、恒例行事になると1日、2日遅れただけで「俺をメーリングリストから外したな?」とかって言ってくる人がいるので、ちゃんと送んなきゃと思ってそれだけはやるんですけど、例年と違ったのは宛先不明のメールとして何通もメールが戻ってきてしまったっていうことです。長年働いた会社や事務所をたたんでしまった友人が何人もいたということになります。どういう状況だったのかは分かりませんが、いつかまた会えるかなぁ、連絡がつくかなぁと少し悲しい気持ちになりました。どんなことを書いたかっていうと、今までみたいに「どこかで会おうよ」とかいうことじゃなくって、逆に「今までなんて恵まれた世界に住んでいたんだろう」って書きました。安いチケットがあり、いつでもその気になれば世界のどこでも出かけて行ける… そういう心の余裕を持てるだけでもすごく恵まれていたなと。僕も番組で今年こそサハラ砂漠にまた戻りたいとか、色んなところに行きたいって言って、結局この7年間ほとんど行けていませんけど、それでもいざとなったら行けるはずだとか、仕事で毎月のようにどこか海外に行けるっていうのがありましたし、それって本当に恵まれていたんだなと思いました。だからあんまり高望みはしないで、とにかくみな元気で、いつか国境が開いて自由に飛行機が乗れるようになったら今年じゃなくてもいいからまた会えたらいいなと。海外にいる友達はみんなそれに対して返事をくれました。内容っていうのは本当に酷いもので、例えばロンドンに住んでいる友達は「海外旅行はおろか、自分が住むロンドンの反対側にも去年の2月から1度も行っていない」とか、「外食を半年以上していない」とか。ニューヨークにいる友達は随分引っ越したっていうメールが来ました。特に小さい子供がいる者、生まれたばかりの赤ちゃんがいる者たちにとってニューヨークに住み続けるということが現実的でなくなってきたと言っていました。高い家賃に狭い家、1歩外に出ればすぐ街中で、庭も無ければ緑も窓から見えない。去年の春にみな家に閉じこもっていた中で、子供が退屈して騒げば下の階の人たちから苦情を言われる。1人の友達は中西部から1人ニューヨークに出てきて、真面目に働いて写真や動画のプロとしてキャリアをやっと作ってきました。何もない地元を離れて、どこでも徒歩で行ける街の暮らしを心から愛していたし、本当にニューヨーク好きだったんですけど、そんな彼もロサンゼルスに引っ越したときました。「今でもロスが肌に合わなくって、街の暮らしが恋しいっていうんだけど冬からのコロナでやっぱり諦めたし、僕と同じようにニューヨークに住み続けようとして心が折れた人たちがたくさんいるよ」と書いてありました。ロサンゼルスも今は大変な状況らしいんですけど、それでもニューヨークと同じ家賃で庭がありますし、車でビーチに出かけて散歩は出来ると。日本も今は大変ですけど、亡くなる方も感染する方の数も段違いで多い国では僕らが考えるよりはるかに厳しい日常をはるかに長く過ごしています。メールの終わりに必ず誰もが書いてくる「stay safe, stay healthy」。今までだったら「keep in touch」とか、また連絡を取ろうとか、「I love you」みたいな言葉だったのが、みんな「stay safe, stay healthy」、安全で、健康でいてくれ、と書いているんですけど、簡単な言葉なんですけどもそれが本当に深い意味を持つようになりました。今年1年どんな1年になっていくのか? 正月の時は少しやっぱり浮かれましたけど、嫌な2020年が終わって新年だと思ったら暗い始まりとなりましたが、まぁあんまり夢見ずにですね、良い意味で。とにかく今年1年は健康で、そして安全に皆さんと過ごせていけたら、そこから夢を見られたら良いのかなと思ってます。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。