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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
良い音楽と酒を求めて。BRUTUSおすすめの全国リスニングバー WEB版マップ
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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#452 --- Hi-Fiについて思うこと ---
前半はリスナーの皆さんから寄せられた
“お便り”を紹介。
曲のリクエストや選曲のオーダーにもお応えします。
後半のテーマは、「Hi-Fi」。
ニューヨーク在住の友人デヴォンと二人で思い描いていた
Hi-Fiサウンドを再現するシステムが東京で実現!
最新を追い求める派 vs.
古き良き、好きで憧れた時代を深く掘り下げる派・・・
この二つの派閥による結論なき論争。
まだ現存しているうちに足を運んで欲しい
ホンモノの音=Hi-Fiサウンドが聴ける店。
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
“お便り”をお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
English Man In New York (Ben Liebrand Remix) / Sting
Why Does It Always Rain On Me? / Travis
Three Is A Magic Number / Bob Dorough
Sun King / The Beatles
春の修羅 feat. 塩塚モエカ / 奇妙礼太郎
Until I Found You / Stephen Sanchez & Em Beihold
Saturday Night / The Blue Nile
Honey Bunny / Vincent Gallo
Come Over / The Internet
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
KUNICHI was talking
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先日、『PRADA MODE』というイベントの手伝いをしました。日本でも色んなハイファッションのブランドが大きいパーティーやファッションショーをやったりしますが、今回はPRADAというブランドが手がけるカルチャーイベントなんです。毎回テーマが変わったりするんですけど、今回は日本の建築家の瀬島和世さんがキュレーターとなって、目黒にある庭園美術館を舞台に建築と音楽と食を合わせて提示するもので、僕はイギリスから来たDJでロンドンにある大箱で音が良いクラブ「fabric」のミュージックディレクターをやっているクレイグ・リチャーズと一緒に音のキュレーションをやることになりました。「訓、できる?」って言われて、「内容分かんないから教えて」ってその制作をやっているイギリスの会社に言ったら、もうPDFに勝手に名前が入っていて、「ああ、こういうこと?」って。「もうアプルーバル取れちゃったから、よろしく頼むよ」っていうことで始めたんですけど、どんちゃん騒ぎをしようっていうパーティーと違って、建築に合うサウンドスケープというか、現代音楽とか普段あまり聴かない音をライブで届けるっていう企画がすごく面白いと思って引き受けたんですけども、それと共に自分の友達と一緒にリスニングルームを作れるというのが大きな理由でした。僕にはデヴォンというニューヨークの友達がいます。彼は僕より10歳くらい若いのですが、元々はグラフィティをやっていたり、2000年前後は「Nom de Guerre」という尖って有名だったセレクトショップの立ち上げにも関わっていて、ストリートとかそういうものが好きなんですが、僕の世代では当時数少ない音好き、つまり昔のハイファイマニアだったのです。ある時、「訓と似た、変わった奴がいるよ」「古いもん好きな骨董趣味だ」ってそいつには言われましたけども、それで紹介されて仲良くなりました。僕が昔の音響システムにハマったのはヴィンセント・ギャロという俳優・ミュージシャンで世界有数のハイファイマニアの彼と出会って仕事をしたのが大きなきっかけです。よく「今の音響と昔どっちが良いの?」って言われるんですけども、それを比べるのは野暮なもので、新車のスポーツカーと昔のどっちが良いの?みたいな。使用用途が違うと言いますか。ですが、たまに最新の方が良いに決まっているじゃん派と、昔のものは今じゃ使えない金属も使っているし、真空管の方が音がまろやかでいいんじゃ!という昔肯定派が議論を始めると、終わりのない無駄な戦いとなります。僕はどちらかというと昔派だったわけです。というのも自分が好きな昔の音楽、例えば60年代の音楽を聴くならば、その当時のスタジオなどで使われていた音響システムの方が、その時の音を再現できるから!というのが理由です。作った張本人のミュージシャンが自分のレコードをこういうシステムで鳴らして聴いていたんだ、そう思って聴くと断然古いスピーカーの方が良く聴こえてきてしまうから不思議です。その中でデヴォンというのはストリートとかすごい詳しいし好きなんですけども、実は大学で電子工学を学んでいて、50年代とか60年代の古い機材のパーツを使って今にアップデートしたシステムを「OJAS」という名前で作っています。今、世界中にあるSupremeの店舗は全てそのスピーカーを天井から吊って使っていますし、僕がバンコクで設計したレコードバーのスピーカーも全てOJASです。今回、そのOJASのシステムのフルセットを作って、色んなレコードを聴きながら美味しいご飯を食べようという部屋を作れることになって、僕とデヴォンは大喜びしていました。
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デヴォンのシステムと自分が6年かけて作った特製のミキサーも持ち込んで音を鳴らしたら、自分で言うのもなんですがちょっと信じられないくらい気持ちの良いものでした。「すごいね、大きい音なのに隣にいても普通に喋れる…」と皆に言われましたが、そうなんですよ。良いサウンドシステムってバランス良く聞こえるので、無理にベースが鳴っていたり高音がキンキンしたりすることがなくて、耳も痛くないんですよね。6年前から日本で一緒にサウンドシステムを作ろうとデヴォンと話していたのですが、当時は僕もミキサーを作ってないですし、彼もそんな大きいシステムを作っていなくて、「俺たち有言実行だな!」と大満足でした。普段、携帯からの音楽をイヤホンばかりで聴いている人が本当に良い環境でレコードを聴くと、「これ同じ曲なの?」とびっくりするので、ぜひ近場でレコードバーなりジャズ喫茶とか探してみてください。この古いシステムを使ってレコードを聴くというのは日本が発祥の文化だそうです。今はそれがSNSを通じて世界中で流行り出していますけれど、作った張本人である国の人たちが気にも止めなかったようなことを掘りまくり、文化にしてしまうのが日本人。それって時代と距離があったからだと思います。本場があまりにも遠くて情報も少ない。その中であまりお金をかけないで、欲しかったものと外さないように徹底的に調べていく。あの憧れの人が使っていたのは…とブランドだけじゃなくて、どの年代でどう繋いでいたとか。本当にマニアの調べ方って日本はすごいと思うんですけども、それは音響だけじゃなくて古着でも車でも何でもそうですが、遠い島国という環境と情報が無いという時代が日本を世界1位のマニア大国にしたのだと思います。ただ、前にも言いましたが、そんな文化は後継者も少なく市場も小さくなって、今や急速に消えようとしています。パーツを買いに行くと張り切って秋葉原や文通相手のマニアを尋ね歩いていたデヴォンと話していると、その現実をまざまざと感じさせられました。減る店舗に一生をかけて集めて手入れしてきたヴィンテージの機材を全て売ってしまったマニア。デヴォンが帰国前に一緒に和食でも食べようと食事をしていたんですが、その解説を聞いているうちにだんだんと悲しくなってきて箸が止まってしまいました。とにかくレコードバーみたいなのが流行って、渋谷界隈のレコードバーは外国人観光客で混みすぎて入店できないことも多々あります。「素晴らしい」「最高だ」と、みな口々に言いますが、そのお店自体がいつまで存在するのかなぁと考えてしまいます。客は「最高だね」「また来るよ」と言うのは簡単ですけども、それを実際に自分がお酒を作ったりしながらレコードをかけてっていうのを長い期間やるっていうのは本当に大変なことです。今インスタとかでも調べられますけども、日本中にはこんな場所にもっていう所までジャス喫茶とかレコードバーと呼ばれる店がたくさん残っています。皆さんもぜひ良い音を聴きながら一杯のコーヒーをゆっくり飲んだり、ハイボールを味わいに行ってみてください。まだ行けるうちに。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。