Just relaxing, because it's Sunday night.
Theme is... HOUSE
『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
★★★★★
番組前半はリスナーの皆さんからお寄せ頂いた旅のエピソードと、
その旅に紐付いた曲をオンエア!
後半のテーマは、「家」。
バックパッカーとして長期の旅に出ていたころ、資金を稼ぐために一時、
日本に帰国した時に大きな問題だったのが「住む家」。
当時、訓市はどのような家で、どのような人たちと暮らし、
時を過ごしていたのか・・・。
そして、訓市が将来の理想としている家とは?
★★★★★
番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
ドライブ旅で聴いた曲なども教えてください。
旅に紐付いた「リクエスト曲」をオンエアさせていただいた方には
図書カード1,000円分をプレゼントします!
番組サイトの「Message」から送信してください。
手書きのハガキ、手紙も大歓迎!
日曜日の夜に聴きたい「ゆったりした曲」をゼヒお寄せください。
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Fool To Cry / The Rolling Stones
ザ・ローリング・ストーンズのアルバム『Black And Blue』に収録されている曲で、当時、シングル・カットされてヒットを記録している。名手ニッキー・ホプキンスのソウルフルなピアノをフィーチャーしたブルージーなトラックで、このアルバムからロン・ウッドが正式なメンバーとして加入しました。
Sunshine / Sparklehorse
アメリカのオルタナティヴ・ロックバンド、スパークルホースのセカンド・アルバム『Good Morning Spider』(1998年リリース)に収録されている曲です。なお、中心メンバーでヴォーカルのマーク・リンカスが2010年に自殺したことでグループは解散しました。
The Day (That You Gave Me A Son) / Babyface
米インディアナポリス出身の黒人アーティストで、ソングライター、プロデューサーとして数多くのアーティストの作品を手掛け、大ヒットを生み出す一方、自らもリーダー作をリリースしています。この曲は1996年にリリースされた4枚目のアルバムのタイトル・トラックです。
I'm Not In Love / 11CC
10CCの名曲カバーで、ユニットの名義は「11CC」・・・ 誤植ではありません!
エイリアンズ / キリンジ
堀米兄弟により結成されたバンド、キリンジの代表曲。2000年にシングルでリリースされ、その後、アルバム『3』に収録されました。ジャパニーズ・ソウルの名曲です!
Golden Lady / Jose Feliciano
プエルトリコ出身の盲目のヴォーカリスト&ギタリスト、ホセ・フェリシアーノ。スティーヴィー・ワンダーの曲をカバーした名ヴァージョンで、ギター・プレイも抜群!
Take A Bow / Madonna
1994年のアルバム『Bedtime Stories』に収録されているミディアム・スローのメロー・トラック。ソングライトとプロデュースはベイビーフェイスとマドンナの共同作業です。
I'd Rather Leave While I'm In Love / Dusty Springfield
イギリス出身の女性アーティスト、ダスティ・スプリングフィールドによる1977年のアルバム『It Begins Again』に収録されている曲です。
Vive / Djavan
ブラジル出身の男性ヴォーカリスト、ジャヴァンが2012年にリリースしたアルバム『Rua Dos Amores』に収録されている切なくて、心に沁みる名曲です。
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
★★★★★★★★
僕は旅をしていた頃、たまに日本に戻ってくるといつも問題になったのは、どこに住むかということでした。出たり入ったりを繰り返していると、お金がないから普通に家を借りることができません。借りてもすぐにどこか行ってしまいますし、いない間家賃を払うというのも意味がないです。今みたいに民泊というのはなかったし、そういうときに僕らの周りが重宝していたのは外国人向けの短期滞在用アパートでした。礼金なし、敷金1ヶ月のみで、これは出て行く時に返ってきます。古いアパートを改造したようなところで、場所だけはやけに便利なんです。渋谷とか原宿、あとは広尾や西麻布なんかもありました。ただし風呂はもともとないようなアパートで、部屋の真ん中に誰かがバスタブを強引にくっつけて、給湯器からホースでつなげてシャワーを浴びられるようになっている、というようなのが多かったです。六畳一間くらいの部屋にトラベラーが4人くらいで住んで、バイトをしてお金を貯めてはまたアジアとかに旅立って行きました。90年代は円高で、1ヶ月必死に働けば海外で結構な暮らしができたので、みんな必死に働いたものでした。狭くてエアコンのない部屋でも、もう少し辛抱すればどこかに行けると言う話を延々としたものです。特に夏の日なんていうのは暑すぎて部屋にはいられないので、みんなで代々木公園に行って昼寝をしたり、ギターを弾いたりしていました。あのころは夏が永遠に続くんじゃないかなと思ってましたけど、今ではもちろんそんなこと考えません。僕はもう40歳を超えましたが、平均寿命まで生かしてくださいとお願いしたところで、夏はあと40回あるかないかです。皆さんも考えてみてください。自分の人生で、平均まで生きるとしても夏があと何回あるか。そう思えば、“暑い暑い”とクーラーをギンギンにかけた部屋に閉じこもっていたり、“面倒くさいなぁ”と出不精になるなんてことをは絶対になくなるんじゃないかなと思います。特に若い人には夏に1ヶ月か2ヶ月長期の旅に出かけてほしいなと思います。若い人たちにとって出入りが楽な安い家がたくさんあればいいんですけどね。例えば、イギリスなんて家賃を週単位で払ったりできたのでもう少し楽だったり。民泊というのはいろんな問題があるみたいですけど、アイディアだけはすごくいいと思うんです。家を借りて、自分が旅行に出ている間に自分の旅行代を稼いでくれる、というのは素晴らしいアイディアだと思います。
★★★★★★★★
僕はほとんどが人の家のカウチにお世話になりながらの旅でしたが、一軒家を借りていたことがありました。今のシェアハウスの走りみたいなものです。ある区の元区長の家だったという古い大きな日本家屋で、周りを土塀に囲まれていて庭もありましたし、蔵までありました。この家を見つけたのは僕らの古い友達で、六本木一人気があると言われたオーストラリア人のホステスさん。彼女は綺麗なんですがものすごく豪快な完全に親分肌の人で、近所もバスローブ一丁で行って八百屋さんと話したりするのでみんな惚れてしまって。そんな彼女がある日お店で『一軒家に住みたいなぁ。』と言ったら、お客さんの不動産屋さんが『無人の家が一軒あるから、君になら安く貸そう。』と紹介してくれて、そこになだれ込んだのが僕らだったんです。母屋に7部屋あって、僕は友達と庭に面した縁側のある、元居間だった部屋を借りていたんですが、この僕の家は勝手に住所がまわされまして、十畳くらいの部屋でしたが、ある時は11人くらいがほぼ一畳につき一人みたいな感じで住んでいました。今でもこの家のことはよく思い出します。一夏だけその家で過ごしたんですが、本当に楽しかったです。遊びに来たことがある古い友人たちもすごく印象が強かったみたいで、『あの家はどうなったのかなぁ』と言われます。住んでる人も古いハーレーを輸入するアメリカ人やオーストラリア人のバーテン、そしてベネズエラのダンサーとかいろんな経歴の人がいて、そこにボスのオーストラリア人のホステスさん。みんなが疲れて寝ていても、朝の4時くらいに彼女が帰ってきて、『客にドンペリをたくさん買わせたから、今からドンペリパーティーだ!』って叩き起こされて、朝の4時から『もったいない。』とドンペリを必死に飲んだり。その時に初めてちゃんとドンペリを飲んだのかな、値段を聞いて気絶するかと思いました。そうやって騒いでましたが、夏なんてみんな起きてくると縁側に座って麦茶を飲みながら庭を眺めていたものでした。どこの国の人も縁側を絶賛していたのをよく覚えています。通路なんだけど共用の場でもあり、人が好きに使える場所。そしてよく門から人が勝手に入ってきていましたが、玄関なんか通らずみんな縁側にあがってくるんです。そこでギターを弾いたり下らない話をしたり、僕は今でも縁側のある古い家に住みたいなと思っています。歳をとったら縁側でお茶でもすすりながらぼんやり庭の草木に水をやって、遠い国から訪ねてきた友人たちをもてなして、日が暮れるまでタラタラ話す。そういう老後を夢見てます。そのために今は働いてバリバリいろんなところに行って、思い出をたくさん作りましょう。まだ夏は少し残っています。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。