Let's travel! Grab your music!
Theme is... STORE OF MEMORIES
『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
★★★★★
番組前半はリスナーの皆さんからお寄せ頂いた旅のエピソードと、
その旅に紐付いた曲をオンエア!
後半のテーマは、「思い出の店」。
旅先で訓市が足繁く通った、お気に入りの店に共通した条件とは?
30年以上前の幼い頃に通っていたある店の店主から学んだ
「人生の教訓」とは?
今でも印象に残っている「店」と「店主」について、訓市が語ります。
★★★★★
番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
ドライブ旅で聴いた曲なども教えてください。
旅に紐付いた「リクエスト曲」をオンエアさせていただいた方には
図書カード1,000円分をプレゼントします!
番組サイトの「Message」から送信してください。
手書きのハガキ、手紙も大歓迎!
日曜日の夜に聴きたい「ゆったりした曲」をゼヒお寄せください。
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Rocky Mountain High / John Denver
アメリカのカントリー系シンガー・ソングライター、ジョン・デンバーによる70’Sフォーク・ロックの名曲で、彼の故郷であるコロラド州の公式州歌となっています。
Blackbird / Rumer
パキスタン出身の女性シンガー・ソングライター、ルーマーによる2010年のデビュー・アルバム『Seasons Of My Soul』に収録されている曲です。
Medley: Monologue/(They Long To Be) Close To You / Bobby Womack
アメリカ南部・オハイオ州出身のR&Bシンガー、ボビー・ウーマックの通算4枚目にあたるアルバム『Communication』に収録されている曲で、前半はボビーのモノローグが続き、中盤から「Close To You」へと繋がるソウルフルなカバー・ヴァージョンです。
Clude Da Esquina No.2 / Milton Nascimento
ブラジル出身の男性シンガー・ソングライター、ミルトン・ナシメントが1972年にリリースしたアルバム『Clube Da Esquina』に収録されている曲です。「ブラジルの声」とも呼ばれるミルトンの歌声は人種や言語の壁を超越してココロに響きます。おススメ!
スローバラード / RCサクセション
今は亡き忌野清志郎率いるロックバンド、RCサクセションの代表曲。1976年にリリースされたシングル曲で、その後、アルバム『シングル・マン』にも収録されました。
Leave A Tender Moment Alone / Bill Joel
米ニューヨーク出身のピアニストでシンガー・ソングライターのビリー・ジョエルによる1983年のアルバム『An Innocent Man』に収録されている名曲で、邦題は「夜空のモーメント」。
Hot Fun In The Summertime / Sly & The Family Stone
強烈な個性をもったヴォーカリスト、スライ・ストーンを中心としたファンク・ロック・バンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーン。伝説の「ウッドストック・フェスティバル」に出演した1969年にリリースされた曲で、当時、全米チャートで2位を記録しています。
Leave It All Behind Me / The Fuzz
米ワシントンD.C.出身の女性ソウル・グループ、ザ・ファズによる1971年の曲で、メロウ&スイートなトラックです。
In My Place / Coldplay
英ロンドン出身の4人組ロック・バンド、コールドプレイのセカンド・アルバム『A Rush Of Blood To The Head』に収録されている曲です。
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
★★★★★★★★
好きなお店。思い出深いのは知り合いが昔、ロサンゼルスでやっていたスクーター屋さんです。ベスパみたいなイタリアの古いスクーターとか、おしゃれな感じのももちろんありましたが、専門は峠をスクーターで攻めるための改造パーツ。ちょっとした改造だと工具を渡されて『自分で直せ。』って言われちゃうような店で、完全に近所の親父たちの溜まり場でした。お金にはならなかったと思うのですが、コミュニティーセンターのようなその感じがとても素敵でした。あとは何が素敵だったかというと、持ち主がマイナーなソーダやジュースが大好き。日本でいうとチュリオとか、あったら懐かしいな、みたいなものをどこかで仕入れてきて、あとは古いボトルビン用の自動販売機。もうボトルじゃないとダメだ、みたいな強い信念がある人でした。大の大人が一直線に自動販売機に行ってそのビンのソーダを嬉しそうに飲んでる姿は最高でしたね。スクーターの店というよりかは駄菓子屋にスクーターの店がついているような感覚とでも言いましょうか。そしてその店主と客の会話も、聞いていると商売とはまるで関係ないような、プライベートなこととかくだらないジョークも混ざってまして、『本当にいいなぁ。近所にもこういう店があったらいいなぁ。』と思えるような店でした。僕が好きなのは、その店に行かなければ絶対に会えない店主がいて、その店主目掛けていろんな人が出会い集まれるような店です。昔はそういう店がいっぱいあったと思います。今はフランチャイズが増えてしまって、例えば、普通のフランチャイズのコーヒー屋さんで働いてる人にコーヒーのすごいマニアックなことを聞こうと思っても、そもそも話しかけられませんし、話してもマニュアル通りのことしか返ってこないです。仕事場として働いている。でもそれが個人商店で、自分がそのモノを売りたくてしょうがなくて、買い付けもやって店番もやるようなお店というのは、もうそのものに対する執着心が最初から違うのですごく面白いです。いま昔を振り返って自分がどんなお店が好きだったかなぁと思うとそんなお店ばかりです。酒を飲むのでも、ニューヨークには40年間たわいもないパブでバーテンをやってるというおじさんがいたり、あと僕は古着も好きなんですけど、昔ラグナビーチかな、道沿いにすごくいい古着やがありまして、こういうところの主人は一つのことを聞くと100倍にして返ってくるというか。『これをちょっと見せてください』って言うと『この服を知っているのか。』みたいな。『倉庫にいらっしゃい。』って倉庫に連れて行かれたり、そういうのが一番の思い出です。
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いいお店。チェーン店が悪いとは言いませんけど、店員さんとコミュニケーションが取れないお店というのはつまらないなぁと思うんです。僕はいろんなお店に行って、そこで雑学ですけど本当にいろんなことを教えてもらいました。内装とかもやりますが、家具はどういうデザイナーがいて何がいいというのを教えてくれたのも、いろんな国で行った家具屋さんのおじさんたち。偏ってますけど教えてくれるんです。『自分はこれが好きだ。お前もこれが好きならこのデザイナーのテーブルも好きなはずだ。』みたいな。そんなところから勉強したり、写真集にすごい詳しい本屋さんとかに行って『これを買います。』って言うと、『これを買うならこっちを買いなさい。これがルーツだ。』みたいな、そんなところから会話が始まったり。
僕にとって一番思い出深いお店というのは、僕がまだ幼稚園とか小学校の低学年の時にあったプラモデル屋さんです。僕が小さい頃というのはプラモデルがすごく流行りまして、一番最初は宇宙戦艦ヤマトから始まって、ガンダムや戦争物。家からそのプラモ屋さんがすごく近かったのでしょっちゅう通いました。初めて僕が親抜きで一人で通うようになったお店だと思います。そこには少し髪が長い、2・30代くらいの店長さんがいて、あらゆるプラモデルに詳しくて、お客さんと立ち話をしながらいろんなことを親切に教えてました。そして、最年少の客であろう僕に対しても同じように接してくれました。子供心にそれがわかって、とっても嬉しかったことを今でも覚えています。初めて大人扱いというか、一人の人間として接してもらえたんですね。親切でしたけど子供向けの喋り方とか子供だから優しくするというのがない人で、それが本当に嬉しかったんです。ある日、僕はそこに欲しかったプラモデルを買いに行きました。たしかその人に教えて貰ったアメリカの飛行機の模型だったと思うんですが、貯めたお金の金額を勘違いしてまして、100円足りなかったんです。どうしてもそれを買って作る気でいたのですごく落ち込んでいると、そのお兄さんが『近くの電車の高架下にたくさん空き缶が落ちているから、それを自分で集めておいで。』と急にビニール袋をくれました。いつも優しいお兄さんだったんですけど、自分で行っておいでって。僕は絶対に手伝わないよっていう気配がすごくありまして。僕はわけもわからず必死でゴミ袋いっぱいの空き缶を集めました。ものすごい時間をかけて黒いゴミ袋いっぱいの缶を集めてお店に戻ると、お兄さんが『空き缶も集めて売ればお金になるんだよ。お金を作るっていうのは大変だろう。君が集めてきたのは僕があとでお店に売ってお金にするから。』と言って、100円引きの金額でプラモデルを僕に売ってくれました。今思うと、そのお兄さんがあの空き缶を本当にどこかに売ってお金にかえたのか疑問に思います。多分、足りない分を自分で払ってくれたんだと思うんです。いつも買っていたからといって安易にまけたり、子供だからたまにはいいよっていうのではなく、ちゃんとその100円分働きなさいって。初めてバイトをさせてくれて、お金の価値を僕に教えてくれたお店です。それが今でもずーっとずーっと僕の心の中に強く残っています。本当にいいお店でした、ナカマ模型。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。