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Let's travel! Grab your music!
Theme is... Summer of 18 Years Ago
『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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番組前半は番組リスナーの皆さんから手紙、ハガキ、メールで寄せられた
旅にまつわるエピソードとリクエスト曲をオンエア!
後半のテーマは「18年前の夏」。
バックパッカーに終止符を打った訓市が日本で始めた仕事...
そこに込められた思いとは?
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
リクエスト曲をオンエアさせていただいた方には
番組オリジナルの図書カード1,000円分をプレゼントします!
番組サイトの「Message」から送信してください。
手書きのハガキ、手紙も大歓迎!
日曜日の夜に聴きたい「ゆったりした曲」
「旅で聴いた思い出の曲」「動かない旅ができる曲」などなど、
リクエストもお願いします!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
All My Days / Alexi Murdoch
Blackbird / Carly Simon
That Particular Time / Alanis Morissette
Postcards From Italy / Beirut
ひとつだけ / 矢野顕子
Daydream / The Lovin' Spoonful
Sugar Man (Chari Chari Remix) / Silent Poets
Continental Head Board / Mighty Math
Vessel (Four Tet Remix) / Jon Hopkins
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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もう9月10日。夏も終わってしまい、今は関東近郊、湘南のビーチとかも静けさを取り戻していると思います。海の家が立ち並んで華やかだったはずの浜辺が、いつの間にか人影もまばらになっているのは、寂しさを通り越して暴力的な悲しみだと思います。
僕は昔、海の家をやっていました。始めるときは何かしらもっとおしゃれな名前をつけようとしていたんですが、途中でそういうものが億劫になって、ただ“海の家”と呼ぶようになりました。始めたきっかけというのも、僕らはその前、ずっと旅をしていました。それも、心のどこかで“やりたいことが他にあるんじゃないか”とか、“なにかものすごいドラマチックな出会いがあるんじゃないか”“すごいことが始まるその場に居合わせてしまうんじゃないか”と、淡い期待と希望を持っていました。本当の言葉の意味とは違いますが、『他力本願』というやつです。そういう何かを求めてぐるぐるとこの星の表面を這いずりながら何周分も回っていたのですが、確かに人が普段見られないようなものやとんでもない風景、そして一生の出会い。いろんな思い出がありますが、結局そこで“これがやりたい”とか、人生が変わってしまうようなドラマというのは起こりませんでした。今考えるとそれくらいドラマチックなことというのはたくさんあったと思うんですが、当時はもっと都合のいい何かがあるだろうと、それを待ち続けてしまいました。やがて僕らは日本に帰ってくると、ものすごく落ち込んで、冬の時代を過ごしました。ちょうど、世紀末を迎えるちょっと前の頃のことです。金もなければ仕事もない。ましてや家もない。ついでに言うと、何かをやろうという気力もない。現実の怖さを人の家の布団の中でゴロゴロしながらやり過ごしたりしました。そして、いろんなバイトをしている中でお金を貸してくれる奇特な人と出会い、始めようと思ったのが海の家でした。東京で何かをやるにはお金がなさ過ぎましたし、なによりも人の群れの中で何かをやるのではなくて、少し離れた、けれども東京に住む友達が、ちょっとした旅を味わえるような距離にある、日常と懸け離れた場所を作りたいと思っていたからでした。そして、それは誰よりもそんな場所を、当時の僕たちが求めていたからだったと思います。
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1999年。最初は4人で始めた海の家ですが、そこにすぐ旅仲間3人が加わり、そのうち地元のお客さんとしてきていた若い男の子たちが友達となって、なんとなく片付けや配膳を手伝ってくれるうちに、賄いを作って『食うか?』なんて言っていると、そのまま僕らのスタッフになっていきました。夏が終わって、なんとなく余ったお金を等分に割ったんですけど、時給にしたら100円いくか、いかないか。何しろ誰も家に帰ろうとしないので時給を出しようがないのですが、確実に言えるのは、今でいうスーパーブラック企業だったような気がします。ただし、笑いと酒の絶えない場所でした。酔っ払いながらビーチを毎朝片付けて、台風の日はずぶ濡れで建物を守ったり、そのまま銭湯に行ったりしました。これを僕らは“台風クラブ”と名付けていて大はしゃぎしていたんですが、ちなみに“日の出クラブ”というのもあって、それは日が出るまで酒を飲み続けるというものでした。僕はここの名誉会長といったところでしょうか。
僕は自分たちが旅先で時を過ごしたような海辺の場所が作りたかったんです。例えば、ぼんやり海に沈む夕日を静かな音楽とともに眺められたり、夜は陽気な音楽で安いビール片手に踊り明かしたり、時には可愛い外国人の女の子や弁護士のおじさんみたいな人と出会って一緒に酒を飲んだりする。旅というのは僕にとって、そんな時間と等しくて、だからそんな環境を作れば旅のような気分を味わえるんじゃないか。それがこの海の家に、番組名と一緒ですけども“TRAVELLING WITHOUT MOVING”というテーマを持たすきっかけとなりました。そして、その場所で出会った人たちとそんな動かない旅を毎年やっていました。本当に旅先のような場所だったと思います。裏の団地に住むおじいさんから、本当に旅行途中で噂を聞いてきた外国人、普段は投資家だという人も来ましたし、銀行家や市議会委員の人もいました。もちろんスケーターも。一番助けてくれたのは地元の大工のおじさんで、コンクリートでスケートランプを作っていたんですけど、毎日酎ハイを飲みながら、コンクリにヒビが入るとそれをコテで見事に直してくれるんですよ。一緒に働いていた男の子たちの中には海外に一度も行った事のない子、国内すらあまり行った事がないという人もいましたが、その子たちに“旅というのはこういうものなんだろうか?”って聞かれたことがあります。僕は『そうだよ。』と答えました。旅の感覚というのは、どんなものも心をオープンにして、なんでも見てやろうという気持ちだと思います。それがなければどんなに遠くに行こうともどんなに頻繁に海外の地を訪ねても、それは旅ではないと思うからです。そんな事を寂しい海を見ながら思いました。来年まで夏が来ないのかと思うと、本当に、本当に、本当に、つらいです。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。