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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
映画監督スパイク・ジョーンズ、「THE NORTH FACE PURPLE LABEL」とコラボ!
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Theme is... SPIKE Jonze
『Travelling Without Moving』=「動かない旅」をキーワードに、
旅の話と、旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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番組前半はリスナーの皆さんから手紙、ハガキ、メールで寄せられた
旅のエピソードと、その旅にまつわる思い出の曲をオンエア!
後半のテーマは「スパイク・ジョーンズ」。
訓市にとって長年の友人であり映画監督のスパイク・ジョーンズとは
どのような人物なのか?
「THE NORTH FACE PURPLE LABEL」とスパイクのコラボによる
トラベルバッグが誕生するまでのエピソードについて語ります。
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番組では皆さんの「旅」と「音楽」に関する
エピソードや思い出のメッセージをお待ちしています。
「旅」に関する質問、「旅先で聴きたい曲」のリクエストでもOK!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
メールの方は番組サイトの「Message」から送信してください。
リクエスト曲がオンエアされた方には番組オリジナル図書カード、
1000円分をプレゼントします。
皆さんからのメッセージ&リクエスト・・・ お待ちしてます!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
White Ferrari / Frank Ocean
Harvest Moon / Widowspeak
Go No More A-Roving / Leonard Cohen
Free Fallin' (Live Version) / John Mayer
銀河 / 原田郁子
It's Oh So Quiet / Bjork
Undone - The Sweater Song / Weezer
Hang On / Teenage Fanclub
Guess I'm Doing Fine / Beck
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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先日、インスタにスパイクと作った鞄を載せてその話をしたら、“その話をラジオでもしてくれ”というコメントがあったので、スパイクの話でもしようかなという気持ちになりました。皆さんはスパイク・ジョーンズという映画監督を知っているでしょうか。僕は今45歳なんですが、だいたい僕と同じくらいの人たちでスケートボードが好きだったり、MTVで洋楽のビデオを観まくっていたという人にとっては、神様のような人の1人です。オリンピックの競技になったBMXという自転車がスパイクは10代の頃から大好きで、その雑誌で写真を撮りだしたのが確か13歳くらい。それからスケートボードの雑誌で写真家として活動をして、そのあとスケートビデオの歴史を変えたといわれている『Video Days』という作品を監督します。これはマーク・ゴンザレスというアーティストと、『あの頃ペニーレインと』でバンドのシンガー役をやっていたジェイソン・リーの2人が立ち上げた“Blind”というブランドのビデオです。今あるスケートビデオの元祖みたいなもので、これがもう世界中のキッズを虜にして、その波は日本にも到達したわけです。このビデオを本当にすり切れるまで見たっていう友達は何人もいて、90年代にはミュージックビデオやGAPを始めとした企業のコマーシャルなどを撮って賞も取りまくるわけですが、これがどれもこれも傑作。ロックやヒップホップなどジャンルも関係なく、どこかひねくれていたり異様な動きを突然したり、一発の大きなアイディアで1本撮ったりメランコリックだったりと、とにかく彼にしか撮れないようなものばかり。それから、いよいよハリウッドに進出して映画『マルコヴィッチの穴』で映画監督デビューをしました。そんなスパイクがどうして神様だったかと言うと、彼の生き様がとてもユニークで一つの指針となったからです。今はネットで個人が自由な活動をして、そこで発表したものがある日脚光を浴びたり、いわゆるプロになるっていうことが普通になってきたと思いますが、昔は全然そんなことはありませんでした。例えば、映画監督を目指すなら、アメリカだとみんなNYUの映画科や大学の映像学科を出ていたり、監督の下で長く下積みを送ったり、その道にはその道を辿るための厳しい道筋みたいなものがありました。日本では昔は映画会社に就職して助監督になったり、映像会社で下積みをして、まずはCMからとか。それをスパイクはスケート写真から独学で覚えたビデオカメラ、それからミュージックビデオや CMと、学歴とかそういうものをすっ飛ばして、自分がやりたいことしかやらずに結果を残す。そして、とうとうハリウッドまで行ってしまったんです。ミュージックビデオにしても、決して売れてる人たちの作品を頼まれてやるっていうわけじゃなくて、自分が好きなものを作品化して、ビデオがすごくて曲も売れた、みたいなことをバンバンやるスパイクに物凄く憧れました。
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僕がスパイクと最初に会ったのはよく覚えてないんですが、多分、前の奥さんを通じて知り合ったのかな。仕事で会ったりしていて、気づけば定期的に会って一緒によくご飯を食べたり、彼はあまりお酒を飲まないんですが、1年に1回の大騒ぎの夜には必ず一緒だったり、旅行したりする仲になっていました。とにかく突拍子もない人というか、突然タクシーをジャンプで飛び越えたり、僕が寝てるホテルの部屋に自分の部屋から伝っていきなり窓から入ってきて脅かされて起きたり。そういうことを無表情で何のジャブもなく繰り出してくる。怒ってるのか笑ってるのかわからない、本当に味のある人です。彼の代表作のビデオと言えばファットボーイ・スリムの『Praise You』という曲。ショッピングモールでダンスグループがいきなり人の目も気にせず、そのリーダーが振り付けをして一心不乱に踊るというもので、そのリーダーが実はスパイク本人なんですが、実際のスパイクに物凄く近いのかなと思います。アカデミー賞にもタキシードにスニーカーで行ってしまうし、いつも頭がボサボサ。そんなスパイクは本当に面白くて毎年必ず会うんですが、東京に最後に来たのは4年前で、映画のプロモーションで来ていました。渋谷の駅前でヒッピーの格好をしてギターを一緒に弾いて2,000円稼いだり、いろんなことをしたんですが、その時に僕がThe North Faceというブランドの鞄を使っていたんです。それはリュックとブリーフケース、そして肩掛けにもなる3ウェイという形のやつだったんですが、それをスパイクが妙に気に入りまして、帰る前にプレゼントしたんです。普通はこういうものって『ありがとう』で終わることが多かったりするんですが、以来、スパイクに会うと必ずその鞄を持ってるんです。「ずいぶん好きだね」って言ったら、「必要なもの全部入るし、これだけで旅ができるよ」って。普通の鞄の大きさなのでPCとか下着は入りますけど、それで事足りちゃうっていうのがスパイクらしいといえばスパイクらしいです。本当に気に入ったみたいで、そのうち「自分の好きなチェック柄とかウールでこれが作れたらいいな」と言い出しまして、素敵な考えだけど、きっと難しいだろうと。でも、あんまり楽しそうに話すので、なんとか願いを叶えてあげられないかなと思って日本のThe North Faceに連絡をして、そのプロジェクトがスタートしました。まずは、スパイクモデルができるかどうかの交渉。「何でうちと?ブランドでもファッションデザイナーでもないのに」っていうところから始まりまして、スパイクがいかにしてその鞄と出会って、どう使ってるかっていうのを説明していくうちに、「それは、なかなか素敵な出会いなんじゃないか」ということで正式にスタートしたんですが、その頃にはすでに2年が経っていました。そして始めたら始めたで、彼が望む生地で強度がちゃんとある生地がなかったり、見つかったと思ったら柄が違うとか色が嫌だとかっていう、よくある話が延々と続きまして。紆余曲折、もう忘れた頃になってようやくできました。発売したのは先月なんですが、気づけば4年経ってました。僕は手伝っただけなんですけど、この鞄をちょっと誇りに思ってます。というのは、今の世の中、コラボレーションというのはやたらあるじゃないですか。売れそうなものをくっつけたりとか、ただ名前が二つ。でも、この鞄は彼が気に入って、そのきっかけを相手に話して相手も気に入ってっていう、意味のあるものだったんじゃないのかなと思います。そもそも、スパイクはデザイナーでもなければ限定で作った鞄が売れたから、そのお金で贅沢しようとかっていう気もさらさらないし、そんな必要もない人で、情熱だけで出来たっていうのが素晴らしいなと思います。そして、この鞄が出来上がって最初のメールが「これを持ってまた旅に出掛けるよ」って。世界で一番素敵な旅行用バッグなんじゃないのかなって、僕は思ってます。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。