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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
ハナレグミ、全国5箇所Zeppツアー<発光帯>5月開催
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#343 --- ハナレグミと一緒! ---
『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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プライベートでも交流があるハナレグミ、
永積崇さんをゲストに迎えて二人で番組をお届け!
親しい間柄だからこそ飛び出す話題、
米西海岸を旅した時に現地で飛び入り演奏した
秘蔵の音源もオンエアします。
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
メッセージをお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
皆さんからのメッセージ&リクエストをお待ちしています!!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
深呼吸 / ハナレグミ
When Did You Leave Heaven / Lisa Ekhdal
岬めぐり / 山本コータローとウィークエンド
ハンキーパンキー (ライブ音源) / ハナレグミ
Free Fallin' / Tom Petty
きみはぼくのともだち (生演奏) / ハナレグミ
発光帯 / ハナレグミ
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi with HANAREGUMI
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訓:後半は「旅と音楽」というテーマを話を伺おうかと思ってるんですけど、旅といえばですね、以前崇くんとお晩酌させていただいた時に、コロナの前ですけどアメリカに行った時の話とか、向こうで飛び入りで音楽をしたっていうのがあって「それは公共の電波で飛ばすっしょ!」っていう。
永:やったよね。
訓:話をしてたんですけど、あの時の旅の話と飛び入りしてアメリカで演奏した時の感じっていうのが聞けたらいいなと思ったんですけど。
永:そう、一昨年の9月くらいに1ヶ月くらいアメリカ旅行してて。まぁ基本カリフォルニア、西海岸側にずっと行ってて。
訓:それはもう早めの夏休みとか、インスピレーショントリップっていう…
永:インスピレーショントリップです。
訓:それがないとアルバムが書けないってレーベルに駄々こねたみたいな。
永:まさにそれです。
訓:そこから発売まで随分、時間かかったと思うんですけど。
永:そうそうそう。1年半くらいかかっちゃったんですけど。
訓:消化するのにね。
永:そう、消化するのに時間かかっちゃったんですけど。
訓:やっぱり旅って普通、いつもの日常から離れたいっていうのがあると思うんですけど、その時に西海岸を選んだのは?
永:単純にカリフォルニアのミュージシャンの人すごい、音としてすごい好きで。トミー・ゲレロとか、トム・ペティとか、乾いたあのギターの音だけで景色が見えてくるああいう音。そういうバ イブレーションっていうかフィーリングを体で入れ込みたいなっていうのでカリフォルニアを。
訓:実際すごく吸収したり、作品には役に立ったんですか?
永:うん。立ったと思ってます。その時に作ったメロディーっていうわけじゃないけど、そこで感じたアイディアとかっていうのはもちろん入ってて。あとは本来ならコロナになることなんて想像してなかったから、自分の場合ライブとCDっていうのが同じだけ自分の中で比重が大きくて。向こうの人ってやっぱりライブの楽しみ方がちょっとまた日本と違うじゃないですか。
訓:うん。
永:音楽とその生き様とそれを取り巻くオーディエンスとのコミュニティっていうか関係性の深さとかはやっぱりすごいなぁって、この場所で聴くことに意味がある音楽があるなって。
訓:いつかアメリカツアーをしたいとか…
永:やりたいですね。僕の場合、結構フォーク的なものが多いと思うんですけど、やっぱ日本語でも言語関係なく感じてもらえると思ってはいて、それで全然全く違う意味で捉えててもいいなと思うし。
訓:崇くんのはアメリカできっと通用すると思うんですけど、実際飛び込みでやったんですよね?
永:うん、そう。その旅の時にサンタフェのモーテルの中に…
訓:サンタフェっていうから宮沢りえさんしか思い浮かばなかった。
永:その青春もありますけど!サンタフェのモーテルのバーでたまたま地元の若い子たちが演奏していて、そのモーテルの支配人に「ちょっと演奏したい」って言ったら口を聞いてくれて。それで飛び込みで1曲演らせてもらって、その場でキーを言ってこんな感じって言ったら、その曲が元々自分も向こうのいわゆるフォークミュージックだったりとか好きだったから、そういうのをモチーフに作った曲だったの。それで演ったら彼らのフィーリングと繋がったのか、すぐに曲に付いてきてくれて。最初は… 向こうのオーディエンスって良い意味でもずーっとお喋りしながら音楽聴いていたりするでしょ? 日本みたいに黙って聴くよりかは。
訓:すごい真剣ではないっていうか、まあ楽しく。
永:楽しくやってて、そういう状況で僕の歌も始まっても最初はすごくざわざわしてて、それも嫌な感じじゃなく演ってたの。それで歌っていくとだんだんみんなが「なんかこいつ良さそうだぞ」みたいな感じで言ってくれたのか「シーッ」っていう風になってみんなが。どんどんどんどん静かになって、そうするとサビが来たところで一緒に合わせてハモってきてくれる人が出てきたりとか。
訓:それに気付いた時の自分はどうでした?
永:ワーオ!だよね!
訓:アメリカでみんながだんだん日本語でもついてくるってミュージシャン冥利に。
永:いやー、それはビックリして。これは絶対面白いことになりそうだって思って。それで本来ならそのバースが無いんだけど、途中でスチャダラパーのBOSEさんと作った「PEACE TREE」っていう曲のラップを無理矢理ねじ込んだんですよ。ラップやったら面白がってくれるかな?みたいな、日本語で。
訓:欲しがっちゃったの?(笑)
永:そうそう。それで演ったらまんまと盛り上がって。なんだか分かんないけどその日のスペシャルな演奏にはなって。
訓:っていうことでその時の音源っていうのが、実はこの後ろで鳴ってる音だと思うんですけど…。
永:iPhoneで録ってて。
訓:ちょっとじゃあその盛り上がるところは集中的にこのままかけたいと思います。
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訓:今日、崇くんに番組に出てもらったのはちょうど3月の終わりぐらいでしたっけ?アルバムが出たのって。
永:そう!3月31日。
訓:3月31日。なんで「発光帯」っていう。
永:去年、やっぱりコロナになって人が会えなくなった時にフィルム写真を撮ることで記憶をとどめるようにしたっていうんですか。
訓:撮ってたね。
永:そうー、なんかほら曜日の感覚もどんどん無くなってたじゃないですか。
訓:無い。
永:写真を撮ることによって曜日感覚を取り戻してて、そういうところからフィルム写真っていうものをちょっと凝りだしたんですけど、いつになくやっぱり光が綺麗だなと思ったんですよ、去年。まぁ車が少なくなったとかいうこともあるのかもしれないけど。あとはやっぱりちょっと極限状態になった時に、なんでもなかったように見えていたものがやたら美しく見えたのかもしれないんですけど。きっと今、誰もがそういう感覚で目の前の景色を改めて受け止めているんじゃないかなと思って。それでそれは自分にとっては迷ってる姿、「その先どうなるんだろう」って思ってる姿だったとしても人によってはその景色が逆に、「だったら俺もいけそうだな」っていう思う背中に見えたりもするでしょ? だからそういう瞬間全てが自分にとっては輝いているように感じて。この景色を例えばカメラが俯瞰した時に天の川じゃないけど帯のように日本列島がパーっと光ってるのかなって意味で発光する体の方じゃなくて帯の発光体っていう風に。
訓:そんなこと1ミリも思わなかった。早くみんなと集まって酒飲みてぇなーとか爆音で肩組みながら泣ける曲とかを聴いて迎えたいなとかすごい思ってたから。
永:いやーだけど俺は訓ちゃんの背中見て「発光してんなー」って思ってたよ。
訓:ハッコウってそれ匂いの方でしょ?
永:うん、それもあったけど。
訓:デラックス版っていうのかしら、写真集にCDが付いてるみたいなやつで、見てなんとなく去年の春っていうか今ごろの不思議な世界、きっと10年後ぐらいにあの2020年の4月とか5月ってああだったよねって話す時が来るんだろうなと思うんですけど。なんでもない景色だけど完全に違うし、多分崇くんが撮ろうと思ってる普段の景色っていうのも去年がなかったら絶対撮らないものだったり、なんかそういう感じで見てたら自分のこともすごく思い出しちゃったし、すごい不思議な気分になって。是非その写真も見てもらいたいなって僕的には思ったんですけどもね。中には見覚えのある風景とかも。
永:そう、訓ちゃん家のケーキがね。
訓:ちょっと写っちゃって。だからすごいパーソナルなものにもなってしまったしっていう感じなんですが。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。