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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
いまも色褪せない90年代の音楽。
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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#368 --- 秋のお便りナイト ---
リスナーの皆さんからのお便りをまとめてご紹介!
モチベーションになっているのが「お便り」。
選曲のオーダーにも喜んでお答えします。
訓市が選びます。
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
メッセージをお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
皆さんからのメッセージ&リクエストをお待ちしています!!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
She's Not There / The Zombies
Barcelona / George Ezra
Say You Love Me / Simply Red
Never Let Go / Tom Waits
Love Is Gravity / The Engy
That Summer Feeling / Jonathan Richman
Love Me In No Special Way / Tamia
I Don't Want To / Alessia Cara
My Friends / Red Hot Chili Peppers
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
Kunichi was talking …
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★★From RN:who? さん
この番組は息子ともよく聴いていました。聴いていましたと過去形なのは、この夏の終わり彼はハンガリー留学に旅立ったからです。息子は21 歳。目指していた大学に入れず引きこもったり、アルバイトしたり、ハつ当たりしたり。ようやく自分で決めて、自分で稼いだ金で旅立ちました。ガラガラの成田空港で見送りは家族とサプライズで友人数人。初めての海外が留学。ずっと引っ込み思案で甘ったれな彼の不安そうな顔が目に焼き付いて…。彼の友人たちに深々とお礼をして別れた帰途、 胸が苦しくて仕方がなかった。結局は支えているようで支えられていたんだと改めて気付かされました。
☆Kun:
「支えているようで支えられていた」っていうのは良い言葉というか、僕もそういう風に感じたことが何度もあって。自分が面倒見てやってるって偉そうに上から目線で見ていた友人とかもぶっちゃけいたんですけど、でもある時にそういう友人がいるから好きにできてる自分がいるんだなっていうのに気付いてしまったりしたことがありまして。すごく持ちつ持たれつで、自分が〇〇してやってるっていう風には口が裂けても言っちゃダメだなと、気付いたの遅いんですけどね。それからそういうことを無意識で言ってるかもしれませんけども絶対口にしないですし。なんでしょうかね、やっぱり人って1人じゃ生きていけないので、あらゆる身の回りにいる人っていうのは意味があって周りにいるんですから、なんだかんだ感謝だなって思うんですが。
★From RN:norico さん
先日音楽アプリでランダムに聴いていると、20代後半の頃によく聴いていた曲が流れてきました。当時のことを思い起こすと、好きなだけ仕事に打ち込んで、好きなだけ寝倒す週末であったり、お昼過ぎにようやくシャワーしてから通ったカフェであったり、かと思えば思いついた時好きな時間に遊びに出て、散歩して、自転車で夜道を走り通したり、終電で帰るような時間帯に仕事を切り上げれば、そこから遊びに行くなど、全ての時間を自分の好きなように使っていたものだなと、今では考えられないような生活を送っていたのを思い出しました。気が済むまでとことんやって、それなりに悩んで、遊んで…しかもたっぷりな時間で。それはなんだか色々なことに猶予を与えられたような、とても特別で、 不思議な時間であったかのように思えてきました。きっと、もしかしたら今現在のことも、娘と過ごしてきたこの時間が私自身の人生のうちのほんの一部となった時、何か特別で不思議な時間であったと思う時が来るのかもしれないなとも思います。
☆Kun:
好きなことやってましたよね、お金はないけど時間はあるっていうのが決め台詞のような感じでしたからね。今、時間を作るってすごく億劫というかめんどくさいっていうか、無理して何かをするっていうことに対してみんな腰が重くなってくっていうのがきっとあると思うんですよね。noricoさんにとって娘と今過ごしてる時間っていうのが特別で不思議な時間だあったと思う時が来るのかもしれないって言ってますが、絶対に来ますよ。若い時以上にその過ぎ去った小さな娘さんとの時間っていうのは絶対に手が届かない、どんなに欲しても。そしてその時のことを友人とシェアもできないんですよ、若い頃の友達っていうのはある一定のその時間を一緒に語ろうと思ったら語れるんですけども小さい子供達っていうのは一緒に後で喋られないですから。だからnoricoさんが今我慢して自由にやれてない時間が多いのかなと思うんですけど、娘さんと一緒にいる時間ってあと10年後20年後振り返った時に1番大事な、特別な時間だときっと思うはずですからそれを胸に刻んで、子供に時間を犠牲にしてるって思わずに今特別な時間を貰ってるって思って過ごしてみてください。
★From RN:Karman さん
56のオヤジです。あの波平さんが54歳だと言う事で追い抜いてしまいました。
子供の頃から「サザ工さん」を見ていた世代としては、56歳と言えばもう孫の成長と家族が大事で、平穏な日々を生きて行くのが当然みたいな。訓さんの世代でもウスウス感じてるかも知れないけど。そうね、ほぼほぼ30代半ば位から成長してません。4年前に離婚してからは付き合う女性は途切れる時期もなく、コロナでなければオヤジバンドでライブハウスで歌っているはず。下半身と本能の赴くまま、人生のトラベルを続けてます。まあ、じきに還暦ですね。訓さんが今、還暦の訓市に向けて言うことがあれば何ですか?
☆Kun:
波平さんを超えるっていうのは1つのベンチマークのような気がしますけども。バカボンのパパの歳を超えた時もそれなりに傷つく自分がいました。とうとう、パパに勝ってしまったっていう。波平の上っていうのはかなりショッキングかもしれないんですけども、とはいえKarmanさんは波平を見下してませんか?波平は54歳で一瞬おじいさんですが、カツオとワカメの父ですからね?僕は小さい時、カツオとワカメはサザエさんの子供だと思ってましたから、フネと波平の子供だって知った時に顔を赤らめてしまったものです。あの磯野家の構造でどうやって…。まぁ、どうでもいいんですけど。自分がもし還暦の自分に向けていうことがあればなにか?Keep On Dancing, Men!
★From RN:神宮ライトスタンド さん
私は20代前半、海外を旅して過ごし、今は国内でもコロナの影響の小さい地方で比較的制限の少ない生活を送っています。とはいえ国内外、旅に出るのが難しい状況で中高生と関わる仕事をしているのですが、彼らに旅にでなよ!と、けしかけたくてもできない状況に歯痒さを感じています。そんな中、彼らとレイモンド・カーバーやサリンジャーの短編などを原書で一緒に読んだりして、少しでも「ここではない世界」へのイメージを膨らませてもらおうと試行錯誤しています。「旅」で得る歓びも痛みも、何も知らないまま大人にならざるを得ない彼らに、野村さんからメッセージをいただけると嬉しく思います。
☆Kun:
激しく同意というか、今の10代20代前半って1番色んな人に出会ったり知らないものを見たりすることが食事のように体に吸収される年齢なわけで、何も出来ないっていうのは本当に可哀想なんですけども。とはいえ、嘆いてもしょうがないですし、その行きたいところに行けなかったっていう経験から行けるような何かアプリを開発する人とか、普段の生活で思いにも浮かばなかったことをアイデアにして形にする人たちが出てくるというのもこの年代の人だと思うんです。何か同情しがちなことばかり言ってしまうんですけども、それよりかこの特殊な時代に特別な年齢の時を迎えた人たちを褒めてあげるというか、君たちは特別だよ、今のこの時期を逆に活かせっていうのを僕ら歳上が言ってあげないといけないのかなとも思いますし。逆に行けないところにですね、こうやってアメリカの小説や原書を読んでイメージさせるっていうのもすごく素晴らしいんじゃないのかなと思うんですよ。想像力って時間も場所もすべて超越するから自分たちの思考っていうのがもしかしたら本物のタイムマシンでありワープできる宇宙船なのかとも思ったりします。
★From RN:あきんこ さん
すっかり秋らしい夜になり、 安普請の窓から見える街の明かりが寂しく感じる今日この頃、 訓市さんの心地良い低音のお声を聴きながら若かりし頃の、妻となる彼女とmidnight cruisingと称して仕事終わりに夜の首都高を流した思い出を窓ぎわで秋風に吹かれながら反芻しております。新卒で海外の仕事に憧れ、就いた空港での職場で出会って互いに寮生活で息の詰まる空港の街を抜け出したくて、遅番終わりによくボロ車に乗って都内へドライプに出たものでした。外苑東か西か良く覚えていませんが今はあるのか分からないTo the herbsという深夜まで空いているチェーンの路面店でお茶したり。そんな思い出に浸っている40歳間近のオッサンですが、当時の車内は夜に合うR&Bばかりの選曲でした。その中でも2人がこれこそmidnight cruisingの定番で名曲と勝手に言っていたTAMIAの『LOVE ME IN NO SPECIALWAY』が久しぶりに聴きたくリクエストさせてください。
☆Kun:
まだTo the herbsはありますね、といっても深夜までやってるのか何時までやってるのかも分からないですけども。2人でmidnight cruisingしてたっていうのは微笑ましいんですが、今でも奥様とcruisingをされているんでしょうか。まあだんだん夏よりかは人の数も増えてきたと思うんですけど、深夜の高速は本当に気持ちの良いものです。事故にならないように気をつけながら、cruisingをぜひ続けてください。
★From RN:三崎 さん
先週の放送を母と父と3人で家の庭にて焚き火をしながら聞かせていただきました。私は今年から高校生になったのですが、高校生になると友達やSNS中心の生活になってしまい、両親と何かをするという機会が取れない日々が続いていました。そんな時に、父が突然「よし、肉焼こうか!」と家族を収集。5時半くらいからだらだらと肉を焼き始め8時前には食事を終え、コーヒーを飲みながら訓市さんのラジオを聴きました。久しぶりに聴いた訓市さんの声と、久しぶりに両親と語らう夜。常に人と繋がっていられる時代にこうして過ごすのも悪くないと、そしてすごく幸せだと改めて感じました。また近いうちにこんな夜を過ごしたいな、と思いました。
☆Kun:
本当に、ありがとうございます。三崎さんは良い娘さんですね。高校生なのに収集してきたお父さんに嫌と言わないで、さらにはコーヒーまで飲んで、ラジオも一緒に聴く。娘っていうのはこうあるべきものですよね、そうは思いませんか。自分のところがどうなってしまうのか考えただけで恐ろしいんですけども、間違いなく一緒にラジオなんか聴かないだろうなということだけは、もう分かっています…。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。