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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
【独占】ジョナサン・アイブ〈Apple〉後の初プロダクトは〈LINN〉のターンテーブルでした。
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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#460 --- 50歳にして得た“気付き”---
前半はリスナーの皆さんから寄せられた“お便り”を紹介。
曲のリクエストやセレクトのオーダーにもお応えします。
後半のテーマは「旅に出る理由」
10代の頃から現在に至るまで
数え切れないほどの「旅」を経験し、
その都度、何かを感じてきた訓市・・・
先日訪れた約2週間ほどのアメリカ旅の時に
初めて痛感したこととは?
50歳を機に自身の「旅」について
見直そうと考えていた矢先の出来事・・・
訓市にとっての「旅」に出る理由を語る。
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
“お便り”をお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Hand In My Pocket / Alanis Morissette
Light My Fire / Will Young
Sunshine Reggae / Laid Back
Can't Take My Eyes Off Of You (The Remix) / Lauryn Hill
July / Bloodthirsty Butchers
Mama / Raury
One More Time (Romanthony's Unplugged) / Daft Punk
Pigeon / The Durutti Column
Isn't It A Pity / George Harrison
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
KUNICHI was talking
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先日もアメリカに行った時の話をしましたが、今回感じたのは自分もやはり歳を取ったなぁということでした。サンフランシスコやロサンゼルスがある西海岸との時差は東京と16時間、西海岸から東海岸、ニューヨークはさらに4時間の時差があります。最初にサンフランシスコに行って、そこからニューヨーク、またロスに戻って、日本に帰って来るとなると、時差ボケに時差ボケのトッピングがあるわけです。時差ボケ防止には着いた初日から酒をたくさん飲んで、夜中、もしくはできるだけ朝近くまで引っ張って起きていれば一発で向こうの時間に体が慣れる。それがストロングスタイルの時差ぼけ防止法であって、僕はその方法を広く皆に伝える宣教師のようだと言われてきました。今回その方法が全く上手く作用しませんでした。サンフランシスコは2泊だったのですが、思えばそこからニューヨークまでの移動に時間と宿代をケチって夜行便で行ったのが失敗でした。シスコの夜を飲みっぱなしで過ごしてから深夜便で、なぜか気圧の関係か全く寝れなかったんです。そのまま早朝にニューヨークに着いて、4時間の時差があるニューヨークの初日を朝から動き回ったからでしょうか、翌日から本当に体が鉛のように重くて、よく言う「沼に足が取られた」というようなかなり手応えのある重さで、ニューヨークに滞在している間中、結局それは抜けることはありませんでした。長い長いアメリカ出張生活の中で、今までこんなことは無くてびっくりしたのですが、まぁロスに着く頃にはいい加減治るだろうと思っていました。ところが、ニューヨークからまた4時間の時差があり、1日が長く感じるわけです。西海岸と東海岸を行ったり来たりしたからだと言われればそれまでですけども、それにしても近年稀に見る疲れっぷり。その疲れっていうのは日本に帰ってくるまで取れず、東京に帰ってきたら帰ってきたで、さらなる時差ボケとのダブルパンチで本当に身体にきました。やはり50歳という歳と誕生会ラッシュだった4月がボディブローのように今になって効いてきたのかもしれません。コロナの頃に思っていた、そろそろいい歳だし、海外へ行く年間の回数を減らすという考えを実行しなければな〜と思ってましたけど、振り返ってみれば今年に入ってほぼ毎月1回はどこかへ行くようになっていましたから、やっぱり前とは違うのかなと感じています。
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日本に帰ってきてまだ身体に疲れを引きずっている時に、早朝からZoomでインタビューをしなければならない日がありました。サンフランシスコにいるジョニー・アイヴ、Appleを退社して新しい会社を立ち上げたデザイナーで、過去のMacやらiPhoneなど、Appleが手がけてきたプロダクトを一手に引き受けてきた物凄い人です。デザイン界の神みたいになっていますけど、僕が最初に会ったのはプライベートな時で、お酒を飲む友達の1人なので、どうしても「あのジョナサン・アイブ?」って言われてもピンとこないんですけども。とは言え、コロナ以来3年ぶりにちゃんと話すのが雑誌のインタビューとなったもので、ちゃんと話さないと、と前日に酒を飲まずに臨んだのですが、話している最中に自分のMacのモニターの右上にアメリカの友人から届いたテキストが出てきました。それは、ほんの10日ほど前にロスで会った友人が亡くなったという報せでした。頭が一瞬真っ白になってしまって、なんの質問をジョニーにしていたのか忘れて本人に確認するぐらいでした。「ごめんごめん、ちょっと一瞬頭が飛んじゃったよ」と言って、必死にそのあと話してインタビューを終えると、すぐアメリカの友人に電話をしました。週末に車を運転中にトラックに突っ込んだということ。先ほど家族が見守る中、生命維持装置を外して亡くなったという話でした。僕がロスにいる時に連絡があり、ちょうど牧場で写真の撮影をしているから会いに来てくれと言われました。そこは車で1時間以上離れた場所で、その後に用があって行かなければいけない場所からさらに遠い場所でした。どうしようかな、疲れているし止めようかな、けれど一緒にいた友人が「自分が運転しますし、会いに行ってあげたら?せっかくいるんだし、向こうは訓に会いたがっているよ」と言うので、重い腰をあげました。行ったら行ったで友達は大歓迎してくれました。2時間ほどだったでしょうか、色んな話をしました。彼は元々はギャングで、銃で撃たれた痕がまだ残っていたり、刑務所に入って更生して自分で働くぞと思ったらすぐ末期ガンになってステージ4から奇跡的に復帰した彼。今は自分が始めたブランドの仕事もいい感じで、新しく生まれた子供を抱えながら「僕はこれからあれもやるんだ、これもやるんだ。日本でも色んなことをしたいから訓も手伝ってくれ。俺が今生きているのは神様からのギフトだから、それを自分のためだけじゃなくて自分の家族や周り、ロサンゼルスのコミュニティに恩返しするんだ」そう熱く語っていたので、そんな彼が夜の高速で1人死ぬなんて信じられませんでした。葬式に伺うこともできませんでしたが、唯一良かったと言えるのは2時間でしたが亡くなる前にああやって会えたということです。そういう機会を与えてくれるのだと思うと、やっぱり旅って機会がある時に行かないわけにはいかないのかな、ということに気付きました。一期一会という言葉がありますが、その機会で得た繋がりを大事にする。旅に出る理由とは、そのことなのかもしれません。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。