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訓市が antenna* からセレクトした記事は・・・
あなたのお気に入りは? 高速道路大好きな筆者が選ぶ、お気に入りの路線 私的トップ5
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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#464 --- 2023年・夏〜シメは“お便り” ---
2023年夏、8月のラストサンデーナイトは
皆さんからの“お便り”をまとめて紹介します。
今回は洋楽・邦楽のバランスを逆転!
日本人アーティストの楽曲をメインにした選曲です。
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
“お便り”をお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Lucy / HOME
真夜中のパーティー / 小島麻由美
All Things Must Pass / ルルルルズ
二人の夏 / 浜田省吾
You And I Both / Jason Mraz
想い出を永遠にかえて / Birthday Suit
M / プリンセス・プリンセス
懐かしい未来 / 大貫妙子
カントリー・ロード / 島本須美
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
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★From RN:ミツル さん
46歳の男です。娘2人と妻の4人で聴いていますが訓市さんがお便りを読む時、家族で議論になったりするのが恋愛の相談の時です。娘たちと私の考え方が違うのは理解できますが、”訓市さんに相談するより自分の意思で告白しろ”と辛辣な主張は父親の私としては男心を分かっていないな〜と思っています。娘たちがどんなボーイフレンドを紹介してくれるのか楽しみでもあります。訓市さんはお子さんと恋愛について話をする時、どう恋愛観を話しますか?
☆KUN:
・・・って言うか、これ旅番組で…確か。恋愛の相談って最初は無かったと思うんですけどね。いつの間にか増えてしまいましたが、自分のこともよく分からないのに、相手の気持ちなんか分からないっていうのがありますけども、それがましてやお便りのリスナーさんの恋愛となると1ミリも分かりませんし、どうぞご勝手にという感じなんですけども。娘さんたちの感じで良いんじゃないんですか?ガッツがあった方が良いと思いますし。まあ、うちはどうなるんでしょうね。よく言われるのが「訓ちゃんのところは可哀想だね。お父さんが訓ちゃんだもんね」って、それしか言われないんですけども、どういうことでしょうかね。これでも話の分かる50歳です。
★From RN:さかな さん
私は深夜の高速道路のパーキングエリアが好きです。トイレと自販機しかないような小さくて暗いパーキングエリアが好きです。フェンスの向こうの山の中にポツポツと民家があって、その灯りを眺めながらタバコを吸う時間が至福です。深夜のパーキングエリアは孤独に満ちています。それはとても心地良い孤独です。訓市さんのお気に入りのパーキングエリアがあれば教えて下さい。
☆KUN:
そうですね、僕も人っ気のない所がすごく好きです。そんなに頻繁に深夜高速乗ることもないので最近はあまり行っていませんが、どこが一番好きかな…。どこでも好きで、ここがあったら入るっていうのが逆に無いかもしれませんけども、それより都内を自転車で走り回ってたりすると外苑の方に行って、ええ僕の大好きな外苑ですよ。パーキングエリアのような自動販売機コーナーがあるのを皆さん知ってますか?そこが夜中、良いんですよ。もう本当に誰もいなくって自動販売機だけがぼーっと光っていて、あそこで飲み物を買って自転車を止めてふぅっと一息つくっていうのが至福の夜中かもしれません。
★From RN:ベーグルあんこ さん
私は笑い上戸でツボに入ると止まらなくなり、仕舞いには涙が出るほどに。母も妹も同様なので遺伝のようです。もちろん笑いで救われることは多々ありますが、笑ってはいけない状況の時は本当に困ります。訓市さんの印象ではそんな経験皆無だと思いますが、もし笑いにまつわるエピソードがあれば教えて下さい!
☆KUN:
笑い上戸の人って何を言っても笑ってくれるんで、こちら側としては大変ありがたいというか気持ちよく喋れたりするんですけども。中学の時とかって怖い先生たちが僕らの時代にはいたんですよ、ちょっと私語をしただけで定規で叩かれたりとか。なんですけど、そういう怖い先生の時に限って顔を見てると鼻くそが出てるとか、そういうのに気づいてしまって笑っちゃダメってなると、もう横隔膜が震えてくるじゃないですか。笑っちゃダメ、笑っちゃダメ…と思うと余計に笑いそうになって。そういう状況になっている自分に気づく知り合いっていませんか?視線を逸らそうと思って横を向いたら、すごいニヤニヤ見てる友達とかがいて、結局叩かれた覚えがありますけども。どうすれば良いんでしょうね?笑っちゃいけない時に笑ってしまうっていうのは。多分、まず他の人を見ちゃダメですね。すごいタイミングでいや〜な顔でこっちを見る裏切り者みたいな人がいますから、爪をいじるとか身近なものに視線を合わせるのが良いんじゃないんでしょうか。
★From RN:ふかさん さん
全国各地で夏の風物詩『花火』が復活しましたね。都内に住んでいる自分は足立の花火、隅田川の花火を見に行きました。目の前で聞く打ち明けの音、目の前で見る大輪の花、最高に痺れます!訓市さんは海外の旅行先で花火を見た経験はありますか?
☆KUN:
そうですね、ふかさんも年齢が20歳とありますが、10代後半の大事な季節に花火大会に行けなかったというのは大変な損失だと思うんですけども、楽しいですよね本当に。海外でももちろん、やたらめったら色んな所で花火を上げるのでたくさん見ましたけども、日本みたいなのって結構少ないんじゃないのかなって思います。どこで見ましたって言ったら、移動のカーニバルが上げるちょっとしけた花火も見ましたし、たくさん見ましたけど。アメリカのニューヨークで独立記念日にものすごい量の花火が上がるんですけども、ある夏すっごい天気が良くって、たまたま友達が住んでるアパートの屋根の上にみんなで登ってビールを大量に持ってって斜めの屋根の上に寝っ転がりながら見た花火っていうのがなんとなく忘れられません。
★From RN:じゃがいもポテト さん
生まれる前から胎教として「Traveling Without Moving」を聴かせていた娘は無事に成長して、夕食時に何か聞こうとすると「訓ちゃんのラジオにして」と言ったり、ちょっと低い声で「旅に出て…」とモノマネしています。「訓ちゃんにかけて欲しい曲ある?」と聞いたら「プリンセス!」と言っていますが、番組でかけられるプリンセスの曲があればかけて頂けると娘も喜びます。よろしくお願いします。
☆KUN:
今おいくつなんでしょうね?まだ小さいんだと思うんですが、プリンセスの曲、おじさんはプリンスの曲は大好きなんですけどね。プリンセスというと1個のバンドしか浮かびませんので、そちらをかけたいと思います。
★From RN:まいき一 さん
私は生命科学の研究者を志し、社会人を経た後、昨年からご高名な教授の下へ大学院生として受け入れて頂いたのですが、私が入ってから研究室で指導してくださる先生がおられなくなったり、残られている先生がハラスメント気質が強い先生ということが分かったりと状況が大きく変わってしまいました。研究テーマもトップダウン式で決まる形で、自分の本当の興味を改めて突き詰めた時にテーマとしてもそこまで魅力に感じないことに気がついてしまいました。研究への夢は捨てられないので、研究室を移動する他ないと思っているのですが、最初に受け入れて頂く際に口利きして頂いた先生に申し訳ないと感じたり、今の先生にどのように言うべきかなど、これからしないといけないことについて漠然とした不安が心を占めています。抽象的な話にはなりますが、環境を変えるしかない、でもそれには勇気と行動力が必要で周りに迷惑をかけたり、申し訳ないと感じる部分もある、みたいな経験をされたことはありますか?
☆KUN:
なんだか切実な感じのお便りですけども、環境を変えるしかない…まぁコロコロ変えてますしね。仕事ごとに組む相手も違ったりしますし、あまりお役に立てないとは思うんですが。迷惑かけたり申し訳ないと感じたりすることっていうのはぶっちゃけたくさんあるんですけども、そう思ったらまず相手にちゃんと話してみるっていうのが良いんじゃないんでしょうか。時と場合によってそれをすごく理解してもらえて、迷惑と思わないで逆に応援してくれる方もいると思いますし。僕のような単発の仕事で2、3ヶ月我慢すれば良いというより研究っていうのはその後も長く続くものだと思うので、状況を説明してちゃんと理解してもらうっていうのが大事なんじゃないんでしょうか。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。