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Let's travel! Grab your music.
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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#518 --- “9月”の“お便り”ナイト・・・ ---
リスナーの皆さんから寄せいただいた
“お便り”の中から訓市が独断でセレクト
旅のエピソードからお悩み相談まで・・・
テーマは何でもないOK
曲のリクエストや選曲オーダーにもお応えします。
毎週1名の方には、
「500回オンエア記念Tシャツ」をプレゼント!
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
“お便り”をお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
訓市がセレクトした“お便り”の中から
毎週1通を厳選して、
「番組オリジナルTシャツ」をプレゼント!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
星の彼方へ / フリッパーズギター
Renaissance / Punpee
水色のワゴン / ハイファイセット
Reflections In A Palace Lake - 京都慕情 - / 武田カオリ
Talassa / ペトロールズ
Lovers Rock / TV Girl
Neon / John Mayer
This Will Be / Natalie Cole
Robinson Crusoe / Art Of Noise
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
KUNICHI was talking
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★From RN:痩せ我慢 さん
今年の3月にオーストラリアのメルボルンから帰国した22歳学生です。オーストラリアにはワーキングホリデーで行っており、普段の学生生活では得られなかった経験や、会うことの無かったような人と友達になれました。しかし帰国してからというもの、また同じような日々が帰ってきてしまったと何か物足りなさを日本に感じていました。そんな中、刺激を求めていつもと違う道で帰ったり、学校の可愛い女子に話しかけたりすると、失敗したとしても何となく生き生きとしています。
☆KUN:
僕も留学して帰ってきた時に物足りなさというか感じましたけど、何が違うって留学する時って1年って決まっていたので、慣れ出してからあと9ヶ月しかないとか半年しかないっていう終わりがすごく見えてることに意識的に生きるじゃないですか。そうすると心意気が変わるといいますか。みんなついつい忘れがちだと思うんですけど、今の自分の日常っていうのも永遠なわけではなくて、もしかしたらあと1年とか限りがあるって考えた方がいいと思うんですよ。そうすると何気ない日常とか今の環境っていうものも、ちょっと違った感じで見れるんじゃないのかなって思うんですけど、どうですかね。
★From RN:ナナバ さん
先日、お盆休みに実家へ帰省していました。時間があり、自分の部屋を整理していたところ、懐かしい写真が出てきました。その中で以前乗っていた「青いアメ車のワゴン」が目に入り、このワゴンで色々な所に行ったなぁと思い出しました。アメ車なので燃費が悪く、狭い道は通れませんでしたが、これも良い思い出です。訓市さんも愛車にまつわる思い出などありましたら、お聞かせください。
☆KUN:
アメ車ね。本当に、こんなに手がかかっていいのかっていうぐらい手がかかるのがアメ車です。前も話しましたけど、友達がアメ車に乗っていて、「エンジンのマウントが錆びてエンジンが落ちた」とか、車としてありなのか?その錆び方はとか。まあ中古で買ってくると、どこの州から来たかっていうのがすごく大事らしいんですよ。例えばネバダとかアリゾナとか乾燥してる所の車はサビがなくて良いとされているんですけども、シカゴとか寒い州で、冬になると雪道に塩を撒いて溶かすところは塩がフレームにくっついて錆びやすいらしいんですよね。なので、ボディーだけ綺麗に塗装されていても中がグサグサっていうことがよくあるらしいんですが・・・。愛車にまつわる思い出ですか?こう、汁だくのようになって自分で押したりとか、止まってしまって。ろくな思い出はないですけどもね。そういうのがあればあるほど愛着が湧くって言いますけども、愛着も湧かないぐらい嫌な思い出ばかりです。それでも縁が切れない、それがアメ車という車だと思います。
★From RN:宮古島とよみつ さん
訓市さん、沖縄宮古島へ旅したことありますか。2006年、真夏の宮古島。「スタンディング・パーラー」と店名を付けながらも、イスが10席の店に初ご来店の京都人。霜が付くまでキンキンに凍らせたビールジョッキにサーバーから注がれた生ビールと宮古島の夜風に吹かれるという反則的な状況下で一気に距離が縮まり、数年後には彼の地元である伏見の街を飲み歩きする仲に。春の初京都は桜の嵐山を愛でて、「伏見十石舟」は燥ぎ、寺田屋の通りを歩き、坂本竜馬に思いを馳せ、伏見造り酒屋巡りで、結局酒に辿り着く。2度目は秋の京都で、朝ラーから始まり、伏見の清酒まつり、私リクエストの 「観光客の居ない京都人の日常」 を楽しみながら、結局飲み歩き。結婚を機に店を閉め、宮古島と沖縄本島を往復する生活ですが、今でも京都の旅を思い出すと決まって頭の中で流れ出すのが渚ゆう子さんが歌った「京都慕情」。沖縄と京都の思い出があれば、お聞かせいただけると幸いです。
☆KUN:
昔、ロンドンバスって言われる2階建てバスを買って、北海道から沖縄まで縦断旅行をしたことがあるんですけども、2ヶ月半かけて。もう20年経ってしまったのかな。まあ楽しい珍道中で色んな所で野宿をしたりフリーパーティーをしたり、京都は楽しかったですね。ちょうど大文字焼きの頃かな、西部講堂という京大の敷地なんですかね、講堂でパーティーをしてどんちゃん騒ぎをしました。朝起きたら、その仲間たちがみんな空き瓶のボトルとかそういうのを握ったまま気絶してるんですよ。ほんと、道というか土の上で。それがすごく楽しかったですし、沖縄は沖縄で、その当時で戦後最強っていう台風にぶち当たってしまいまして、結局その日のイベントっていうのは中止になって、初めてちゃんと宿を取って待機したんですけども。台風が真南から来て真北に抜けていったんですが、ちょうど僕らの泊まっていた宿っていうのが東西にぴったり建ってる宿でして、一番最初は南側の部屋にいたんですけども風が横殴りに吹き付けてきて、窓枠から全部水が浸水してくるんですよ。「もう南側の部屋にはいられないから、北側の部屋に移動してください」って言われて北側に移動したら、ちょうど台風が北側に抜けて。今度そっちにものすごい風が吹いて、また水が染みてきて。通過するのに1日ぐらいかかったのかな、とにかくとんでもなく遅い強い台風でびっくりしましたね。宿から出た時に電柱とか倒れてたり、街灯の柱が曲がってたり、トラックとかもひっくり返ってました。沖縄の台風ってこんなに強いのかっていうのが思い出です。それ以外にもいろいろあるんですけどね。ラジオ向きの話ではないかもしれませんので、ただ、泡盛のせいだと言っておきます。
★From RN:みーやん さん
田舎でしがない大学1年生をしています。ここ最近、野村さんのラジオを聞き始めて、考え方がとても好きで楽しく聞かせてもらっています。6月中旬頃に昔好きだった女性を亡くし精神を病んでいたのもあって、「あぁ、時が来てしまったんだなぁ」と思うと同時に、もっと会っておけばよかったかな…と、「後悔、先に立たず」を実感しています。辻堂に住んでいたあの子をもっと幸せにしてあげたかったなと思います。野村さんは「あー、あの時、あの子に何かしてあげればよかった」 などのほろ苦い恋愛話などあるでしょうか。
☆KUN:
そうですね。生きていれば突然身内がなくなったりとか、それもある種、大往生じゃないですけども長生きして挙句っていうのじゃなくて、突然若いうちに事故にあったりとか色んな理由で人っていうのは亡くなっていくんですけども、それを感じた時に他人ごとじゃなくて自分もそうだっていうか、本当に誰にでも起こることで、そういう機会がある度に、もっと自分の日常っていうものを感謝した方が良いだろうなっていうのが自分が思っていたことです。ホロ苦い恋愛話ですか。僕のはだいたい甘酸っぱいイチゴ味なんで、ホロ苦いのは無いかもしれませんね。コーヒーで言ったらミルクと砂糖がたくさん入った、もはやココアみたいなお話しかないので、この番組ではお話しすることは無いかもしれませんが、ただ、ご縁があった人たちっていうのは色んなきっかけがあって付き合ったり別れたりしたと思うんですけども、それって本当のご縁ですから。自分が生きてる間、すごく綺麗事に聞こえますけども、みんな幸せになってほしいなって思いますし、自分も幸せでいたいなと思いますし。、それがウィンウィンの世の中を作っていくんじゃないんでしょうか。何の話だか分かんなくなりましたけども・・・。
★From RN:みきち さん
普段、営業をしている社会人3年目の男です。この度、会社のお盆休みを利用して、1人でメルボルンに来ています。旅行のきっかけは 「自分にとっての幸せとは何なのか」…。それを考える時間が欲しかったためです。学生時代には、とにかく高い年収を得て良い暮らしをすることを目標に就職をしましたが、現在はその目標への過程で仕事ばかりになり、友人や恋人・家族との時間が取れなくなっています。大切な人と過ごす時間や心と体の健康など、改めて人生において大切なことを整理したいという思いから、このメルボルンでゆっくり観光地など巡りながら考え事をしています。訓市さんにも人生における“幸せの定義”のようなものがもしあれば、お聞かせいただきたいです。
☆KUN:
“幸せの定義”、なんですかね。毎日楽しくいたいし、もちろんお金もたくさんほしいし、嫌なことは1ミリもしたくないって当然みんな考えると思うんですけども、そうはいかないじゃないですか。どこか順番とかもつけなきゃいけない時ってありますし。僕もずいぶん若いころは考えましたし、 もちろん今だって考えるんですけども、でも、この番組でも何度も言ってますけども自分という人間で生きる人生っていうのは一生に1回、今だけです。となると自分のたった1回の人生でこれを仕事にする意味があるかとか、夢が描けなかったり、今すっごい2、3年きついけど、そのあとに展望が開けるっていうことに対して自分はやりたいって思えるかどうかとか、結局それに尽きるのかなって思うんですけどもね。どう思いますか。僕はいつもそういう風に考えますし、かっこつけてやせ我慢の人生でしたけど、18歳ぐらいの自分っていうのを頭の中にこさえてですね、その人に聞いたりするんですよ。「これどう思う?」って言うと、「ダッサ」って言われるものは「そうだよな、ここまでやせ我慢したから、ぜってぇやらねえぞ」とか、そうやって生きてます。なので、リスナーの方は「訓市さんって、よく何やってるか分かんないけどすごく楽しそう」だとか、「ずっと調子よくやってんのか」って思う方もいるかと思いますけど、お金とか稼げるっていうか、ちゃんとしたのってほんと40入ってからですよ。ちょうどラジオが始まるぐらいからですかね。常にギリギリでしたし、痩せ我慢でしたね。でも絶対にやりたくないものはやらないっていうのが、周りが折れてきたり、「あいつはしょうがない」とか陰口なんかも勿論言われましたけど、40過ぎたら、「お前はもういいよ。なんか頑張って」みたいな感じにノリも変わりましたし。とにかく、みきちさんの人生は1回です。一生に1度の人生で自分がどうしたいかっていうのを、それをいつも覚えていれば何かしらの指針になるんじゃないのかなって思います。
★From RN:髪食い坊主 さん
上海在住の38歳、男性です。この夏休みを利用してベルリンを旅しています。友人たちと予定が合わず、今回は1人旅。自由気ままに明日の予定も決めず、ビールを飲んでは好きなものを食べ、飽きが来るまで街をフラフラ。そんな中、唯一行こうと決めていたのは、かの有名なクラブ「ベルクハイン」。クラブに入れるか入れないかはバウンサー次第と聞いていたので緊張の面持ちで会場へ。予想していた様な長時間のウェイティングは無く、すぐ自分がジャッジされるタイミングになり、屈強な男たちに囲まれ一言二言の言葉を交わし、あっと言う間もなく、「No」の一言。自分という存在が否定されような落胆の気分で深夜1時のベルリンの街を歩きました。いつかまたこの街を訪れ、チャレンジしようと思います。訓市さんは「ベルクハイン」へ行かれたことはありますか?そして、忘れられないクラブはありますか?
☆KUN:
「ベルクハイン」っていうのは有名なベルリンのクラブで、世界一退廃的だとか、テクノがかかって24時間ずーっと続くとか色んな伝説のあるクラブで、未だに存続してるってのもすごいと思うんですけども、行ったことあります。ただ、もうベロンベロンで友達と行って、コネとかっていうのがなかなか効かないらしいんですけど、DJの友達だったので入れてもらいましたが、そうですね、忘れられないクラブかって言うと、僕は「別に」って感じですかね。色んなクラブに行きましたけど、どこが一番思い出深いかな・・・ちょっと考えておきます。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。