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Let's travel ! Grab your music.
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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#525 --- 第二の故郷だった街、ロンドン ---
かつて、訓市にとって「海外」と言えば
最も近い街だったのが「ロンドン」
この10月に訪問した目的は女子プロレス、
「SUKEBAN」のリングMCとしての仕事...
マイアミ、ロサンゼルスに続いて、
いよいよ、英国に上陸!訓市がマイクを握った。
ロンドンで足を運んだ、とあるパーティ会場の
クラブに居合わせた若者たちの姿を目にして
訓市の頭に浮かんだ“あの頃”とは?
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毎週1名の方には、
「500回オンエア記念Tシャツ」をプレゼント。
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番組スタートから11年目に入って、
10月からPodcastがスタート!
毎週日曜日の20時に最新版をアップします。
こちらも聴いてください〜
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
“お便り”をお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
訓市がセレクトした“お便り”の中から
毎週1通を厳選して、
「番組オリジナルTシャツ」をプレゼント!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
New Scream / Turnover
True Love / Hovvdy
Guitar Song / Rex Orange County
A Piper For Janet / Cosmo Pyke
月光ワルツ / こだま和文 meets UA
Waterloo Sunset / Peter Gabriel
We Fell In Love In October / Girl In Red
The Water Is Wide / Eva Cassidy
Turn Me Inside (Zero 7 Remix) / Vegyn
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
KUNICHI was talking
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2000年代に入ってからか1番訪れる機会が多い街といえば、それは僕にとってはニューヨークなんですけども、その前は断然ロンドンでした。ちょうどイギリスが「クールブリタニア」のスローガンのもと、好景気に沸いていた90年代の終わり頃には住んでいたこともあり、最近再結成でやたら名前を聞くことの多いオアシスがちょうど全盛期を迎えた後のこのことで、まぁパブでもどこでもガンガン、オアシスの曲が鳴っていました。なのでロンドンと言うと、どうしても懐かしいと思うとともに、ある種感傷的な気分になってしまいます。青春時代の最後っていう感じなので。羽田からヒースローまで向かう・・・そう言えば90年代も羽田から行ったことがあったっけな、なんて思い出していました。「いやいや、90年代は全員成田だろ」って思うかと思うんですが、数本、国際線っていうのが羽田から出ていたんですよ、昔。その一つが台湾行きで、僕はそれに乗っていたんです。何でロンドンに行くのに台湾行き?それはもう安いからで、1年オープンの往復で10万円したかなっていうぐらい。その代わり羽田〜台北〜バンコク〜アムステルダム〜ロンドン、だいたい30時間ぐらいですかね。トランジットの間のツライことときたら。1ポンドが240円ぐらいしたのかな。とにかくイギリスって言うと空港の入国審査がやたらと厳しかったんですよ。「どのくらいいる予定だ」「銀行の貯金残高証明書を見せろ」・・・こんなこと他の国で言われることはないんですけど、なぜならポンドが強いってのもあったと思うんですけど、「ロンドンに行って住んでやろう」「ちょっと働いてやろう」という若者が多かったせいだと思うんですよね。それに飛び火を食らって、お金貯めてちょっと2、3ヶ月ふらふらしようなんて気持ちで行った子が「働く気だろ」って空港でそのまま強制送還されたりとか、そういう人も結構いました。ファッションの世界に憧れて、フォトグラファーを目指して、ヘアメイクになりたくて・・・目的は様々でもロンドンを目指す若い日本人はとても多かったのです。そんなことを思い出しながらヒースローに到着。 また入国審査うるさいのかなと思ったらスタンプすら押されず、時代って変わるんだなと思いながら外に出ました。ちょうど夕方、日暮れ前で絵に描いたようなロンドンの空が広がっていました。つまり、低く立ち込めた雲で絨毯のように覆われている空。ロンドンと言えばこの空だ。この暗い空で気分が上がるっていうのもロンドンぐらいなんじゃないんでしょうか。この天気の悪さこそが色んな素晴らしいデザインとか美しい音楽をたくさん生んできた源になってるんだって向こうの人も言っています。もしロンドンがバルセロナみたいに天気が良くて、近くに海があったりしたら、多分イギリスのあのメロディアスな音楽も、やたらと公共サインなど、こだわるデザインっていうのも生まれなかったんじゃないのかって思います。僕の場合は住んでいた当時、創作活動をしていたわけでも何でもなくてですね、暗い天気に誘われて、「俺の人生って何だろう?」とか「先に何があるんだろう?」という答えのない深い沼のような問いかけを本気で自問自答するきっかけとなった場所でもありました。そんなことを思いながら外の景色を眺めていると、本当に人様のお金でロンドンに来られるということに対しての感謝の気持ちがふつふつと蘇ってきました。これだけは何度ロンドンに来ても消えないんですけども、あまりにもお金が無い時に無理してロンドンに来たせいか、こんなにラッキーでいいのだろうかっていう。直行便に乗って宿が用意されてるロンドンって現実なんだろうかって。僕51になりましたけど、たぶん一生ロンドンに来る度に己のこのラッキーさを感謝し続けるんじゃないのかなって思います。
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滞在中はたまに青空が覗くものの、基本曇りで時に雨。もちろん誰も傘をさしてる人はいませんでした。ちょっと降ればフードや帽子をかぶり、何事もないように曇り空の空の下を歩く。それもまたすごく気持ちが良かったです。今回ロンドンに来たきっかけって言うのはロサンゼルスに続き、またまた日本の女子プロの試合「スケバンワールド」のリングアナとしてでした。なぜこのポジションに収まってしまったのか?本当に自分でもよく分からないんですけども、「声が大きいから」「緊張なんて訓はしないでしょ」。まあ勝手な言い分でそうなってしまったのですが、僕だって緊張することはあるんですけども、ただ、その緊張するシチュエーションというのに、人前で話すっていうのは確かにないんですけどもね。なぜかと言えば何度もこの番組で言ってるかもしれませんけども、どうせまた会うことの無い赤の他人の集まりですから関係が無いというか、好かれる必要もないですし、失敗したとしてもそれでどうとなる訳でもないですし、それより、知り合い20人の前で話すほうがよっぽど嫌ですよね。にやにや、にやにやされて。ましてや英語で話す、母国語じゃないですから、自分が間違えてることすら分かりませんから緊張しようが無いです。 じゃあ淡々とやるのかっていう訳でもなくて、やっぱりサービス精神というのが出てきて、盛り上げてやろうという気分になっちゃう訳ですよ。特に海外だと大声を張り上げて語尾を伸ばしたりするだけで異常に盛り上がってくれるので、「え、こんなのでこんなに反応いいの?」みたいな。毎週やりたいなぐらい盛り上がるんですよ。アメリカ人と冗談の質がイギリスって違うじゃないですか。アメリカンジョークと言えば基本大味だったり、自分の手を噛んだりするだけで盛り上がったりするんですが、イギリスって皮肉なことを言ったり、ちょっと考えさせて1拍おいて笑いが出たりするみたいなところがあるんですけども、アメリカと違ってイギリスだからアプローチを変えなければいけないのか、なんて最初は思ってたんですけども、専用のウイスキーとかを用意されて試合前から飲みだしてるうちにすっかり忘れてしまって、アメリカと同じテンションで始めたんですけども、上手くいきましたね。閉店前のパブみたいな感じと言えば調子が分かるでしょうか。今回試合のMCをやって良かったなぁと思ったのはフライヤーとかを見てですかね、昔の、それこそ自分が住んでいた頃の友達が何人も来てくれたことです。もう20年近くメールでしか連絡をとっていなかった友人もいましたし、そのあとアフターだと言って一緒に飲めたのが最高でした。しかもそのあとはアフターアフターだって言って家が近くにあるから来いって何十人で行ったんですけど、「これ誰の家?」って言ったら誰も分からないんですよね。なんか住んでる気配も無くて・・・なんかそれもロンドンらしくて良かったです。みんな見事に白髪になったり、まあ薄くなっていたり、ビール腹。かつての姿とはCGを入れたぐらい変わってたんですけども、喋り出すと中身が全く変わっていない。変わったのは酔っ払うのが以前よりかなり皆早くなったぐらいで、一緒に飲めるのって本当に良いなって思いました。あと今回印象深かったのが、ある日、道を歩いていると知らないイギリス人から声をかけられました。「東京で会って、バーで酒を奢ってもらったことがある」「誰に?」「君に」って言われて、「あーそう」っていう感じだったんですけども、彼が「ファブリック」というクラブの運営スタッフで、今週はオープン25周年ウィークで大きなパーティーがあるからぜひ来てくれと招待してくれたことです。「ファブリック」は当時、ロンドンに最新のシステムを備えた最大の大型クラブとすごい話題になっていた所です。僕はその頃ちょうど「スプートニク」というインタビュー雑誌を作るために、人んちのカウチを渡り歩きながら、必死で取材アポを取っている頃で、「いいな、いいな〜ファブリック」と思っていたのが1999年、まだ僕26歳の頃です。あれからもう25年経っちゃったの?4半世紀祝いパーティー?もう目から鱗でしたね。パーティーにはもちろんお邪魔しました。上の階から眺めるダンスフロアには25年前の自分のような若者たちが汗まみれで踊っていました。あー、なんか年をとったというか、僕ずいぶん遠くまで来てしまったな・・・そう思いながら飲んだハイボールの味がいつもとは違う、そんな夜でした。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。