RADIO SAKAMOTOで2ヶ月に一度の近況報告という感じなのですが…。かいつまんで言うと、アルバム『/05』は、9月28日リリースになるそうなんですがほぼ完成しています。他は"言えねえ、言えねえ"ってのがあって(笑…揉み手しながら)言えないんだからしょうがないですよねえ。
最近、京都に行ってたんですけど、「法然院」っていうのがあってね(京都市左京区)、お気に入りのお寺なんです。若い住職さんがいるんですけどね。水曜日、6月29日の夜にライブをやったんですよ。内容的には、実は前日のリハーサルの演奏の方が凄くてね…「夕立ち」があったりして、その「雨音」や「カエルの合唱」が凄くてね。そのカエルが、どうもこっちの演奏に反応してるとしか思えなくて。僕もフィードバックしてカエルとセッションしちゃったんですが、これぞロハスな音楽ですよね(笑)。法然院っていうのは"雨の音を楽しむために建築した"としか思えないような造りでね。
それから、あそこは何がいいって『お墓』が良いんですよ。谷崎潤一郎をはじめ、河上肇、九鬼周造、稲垣足穂の墓もあるんですよね。有名な学者や作家のね。そこに刻んである文字とかカッコいいんですよね。お墓フェチ(笑)。いいデザインだったなぁ。そんな訳で、墓フェチな僕なんですが。
7月13日リリースのサウンドトラック『星になった少年』。今回のサントラで挑戦。挑戦ってほどの事でもないのですが、試みてみた事としては「おもちゃの楽器」ですね…それを大量に買って来てもらって。トイピアノとかね。そいうのを何曲かで使っているんですが、例えばオープニング曲とか。いいですよね。「Date」なんかは清々しい感じで。でも「Adventure」なんかは冒険というか激しい曲ですよ。不安になっちゃうでしょ(笑)。ちなみにエンド・テーマで笛がメロディを吹いているんですけど、これはカルロス・ニュネアスというスペイン人でケルトの笛吹きなんですが、六本木ヒルズのテーマ「The Land Song」でもメロディを吹いてもらっています。
映画の中では使われていないんですけど「ポップ・バージョン」というのを、このサウンドトラック(CD)の為に作りましたので聴いてみて下さいね。
最近は「誰かの声」をサンプルして作った曲とかも多いんですけど、そういうのは"2ちゃんねる系"とでも言うんですかね。似たような作品をネットで見つけたりもしますが。それから今回の応募作の中には、ニカ系の歌モノとかもあって(笑)。こういう女性ボーカルものって、最近だとR&B調のアレンジが多かったんだけど、ニカ系のモノが出てきましたねえ。ただニカ系の応募作に言える傾向なんだけけどね、スタイルは確立してるんだけど、「絵が小さい」かなぁ。ニカ系って小さい…軽くて小さいっていうね。あと、この番組のリスナーには多いのかな(笑)"引きこもり系"っていのもありますね、ヒッキー(笑)。僕もそんなに 元気な人好きじゃないけどね…まぁ人を悪く言うのはやめましょう、どっちでもいいです。それが個性ですからね。今回は応募が
すごい量になってて…(優秀者にプレゼントする)ステッカーが良かったのかな(笑)。もっとたくさんオンエアしたかったです。
「佐々木さんって、元々バンドをやってたとかギターを弾いてたとか…っていうのは」
「そういうの全然なくてですね。20代の頃は映画評論家だったんですよ」
「ですよね。その頃は映画のどの辺にフォーカスしてたんですか」
「映画を浴びるように見る。でもハリウッドの商業的な映画は見ない。っていうような人間でしたね」
「どのくらい観てたの」
「ちょうどミニシアターがいっぱい出てくる時期で、いわゆる作家主義的な映画がたくさん見られるようになって、1年間で600〜700本は見てましたね」
「スゴイなぁ…」
「なんか量が正義だ。みたいな時代があったんですね」
「う〜ん。で、それをずっと覚えている訳でしょ」
「(笑)映画的記憶ってやつですよね」
「それですよ。そういう頭脳の訓練をすると、新しい映画を観ると何の引用だ。って分かるんだよね」
「そうなんですよね、まさに…」
「そうなると、批評はおもしろいと思うの。でも作るのはなかなか難しいよね。今から思うんで実態はわかんないですけど、モーツァルトの時代とかは楽だったのかな。って」
「ああ…」
「新しい作曲法を勉強しに数週間かけてイタリアまで行く訳ですよね。わざわざ行って、オーケストラにクラリネットという新しい楽器が編入されて…とかっていうのをものすごい時間をかけて移動して聞きにいったりしてた訳ですからね」
「そうですね、知らないから過激になれる。っていう事もあるので…。知っちゃうと、何を思いついても先行例がわかっちゃうから」
「難しい…よね」
「ただ逆に今みたいにインターネットで過剰に情報が手に入るようになってると、情報のアーカイブに対するアクセサビリティは、ある意味で全員同じになっちゃったので…、10年ぐらい前はどれだけ情報を持ってるか。知ってるか。というのが結構価値になったと思うんですよ」
「10年前…ってことは、かなり昔からって事ですよ。例えば、明治以降の知識人は西洋の文物の紹介者なんですよ。自分の考えたことじゃなくて、ほとんど翻訳家だったんですよね。哲学にしても何にしても。それが権威だった」
「そうですよね…」
「それと同じで、音楽業界でもみんなの知らない珍しい音楽を紹介すると偉くなるんですよ」
「ああ、そうですよね。そういう価値のある知識や情報の一番近くにいる人が勝った。という時代があったんですけど、今後は、そこで本格的に才能とセンスが問われるんじゃないかと思うんですよ。」
「物書きでも作り手でもみんな同じですよね」
「音楽ライターなんかも同じですよ。以前だったら、こういう国にこういう音楽があるよ。というのを、さも専売特許のようにやることが可能だったんですよ。でも今はインターネットで検索サイトとかですぐ出てくるんで、試聴もできちゃうから、そういう意味で、紹介者的な意味っていうのを考え直さないと。っていうのがありますよね」
「佐々木さんと言えば、テクノ〜音響系・エレクトロニカが専門みたいに思われていたんですが、そういうロック的からではないアーチストは、どういう文脈で出てきたと思いますか」
「まずテクノっていわれる音楽があって。テクノっていうのは文字通りで、音を発するためのテクノロジーがあって、それを使って何か音をする。っていう」
「うん」
「バンド的なものっていうのは楽器を使ってますけど、楽器っていうのは身体の延長だと思うんですよね。でもテクノロジーあるいはエレクトロニクスっていうのは、身体から一回切り離されちゃってるんですよね、そこに変な回路が入ってるような…。そこが旧来の楽器が上手い下手みたいな事ではないブラックボックス化している部分というんですかね。そういうモノが90年代くらいにコンピュータの進化…ラップトップ・ミュージックが以前よりもやり易くなった時に、新しいものが出てくる土壌が出来たと思うんですよね。非ミュージシャン的なというか、そういうものが90年代半ばからあったと思うんですよね」
「例えば、典型的なアーチストっていうと、どういう人が居るんですか」
「典型的な人でいうと90年代は池田亮司なんか面白いですよね。とはカールステン・ニコライ…彼は元美術の人じゃないですか。あとオバルことマーカス・ポップ(最近は音楽で活動してないですけど)。そういう人たちは、それ以前の電子音楽の歴史とも切断されて出て来てて…」
「あ、電子音楽の歴史とも切断されてるの…」
「例えば、池田亮司の登場の頃を思い出すと、過去の自分よりも過去にあった音楽を十把一絡げにして批判する。と言うか音楽の歴史を総括して、強い言い方をすれば、句読点を打とうとした。という野心があったと思うんですよね。そういう考えを持った人が出て来たのがおもしろかった。アティチュードの上ではパンクっぽいっていうかですね。それはスゴイ気持ちよかったですね、それはすごく刺激的でした」
「それまでの歴史的なコンテクストは関係ないや。っていうね、乱暴な感じは池田くんもカールステンもありますよね。彼らは音楽を作る時、小節線みたいな観念がないのね。ぜんぶ時間でやってるの。この音は、0.782秒でループさせる…っていうようなね。それまでの音楽とは何かが違う。というね」