「こんばんは、坂本龍一です。この2ヶ月も、ほんとにいろいろなことがありましたけども、やはり福井県の大飯原発の再稼働が決まってしまいましたね。と同時に、国会の事故調査委員会の報告書というのが出てきまして、福島第一原発の事故というのは "人災である" ということを、大きく謳ってますね。福島の事故はぜんぜん収束してませんし、四号機の危険性などというのも、だいぶ聴かれるようになってきましたけど、再稼働してしまった訳です。それでも毎週金曜日に行なわれている官邸前の講義活動というのは、すごい盛り上がりを示していて、一般市民の方々がこのように声を揚げるというのは日本では珍しい……珍しいというのも悲しい話ですが、でも事実として珍しいので、これが盛上がるというか、せっかくここで、こう声を上げた経験というのがあるわけですから、他のことに対してもね、御上の言いなりになるのではなくて、自分たちの意思がきちんと表せるような社会になっていくと良いですよね。」
「2012年7月7日、8日と、脱原発をテーマにしたロックフェスティバル『NO NUKES 2012』を幕張メッセで開催しました。2011年3月11日の原発事故を受けてですね、僕たち音楽家も、いろいろな考えがあったり、実際に行動してる人もいると思うんですけど、僕たち音楽家にとっては音楽をするというのが職業ですし、自分の存在証明な訳ですから、その一番大事な、音楽という現場で声を上げるということをしてみたかったんですね。もちろん個別にやることもできますけども、特に今年の夏というのは政府が、今後何十年かに渡っての日本のエネルギー政策を決めるという、とても大事な時期に来ているので、この時期に自分たちも考えを表明するというのは、とても大事なんじゃないかなと思いますし、もちろん、音楽家だけではなくて、いろいろな職業の、どんな立場の人も、きちんと自分の言いたい事を言うということが大事かなと思います。」
「このフェスをやろうと決めたのは今年の1月なんですね。僕の誕生日よりも前だったので、1月7日くらいだったかな。このくらい大きなフェスを半年でやろうというのは無謀な話で、今年が1回目ですし。まず相談したのは、ROCK IN JAPAN FESTIVALというフェスを10年くらいやっている渋谷陽一さん。もともとは音楽評論家の方ですけども、脱原発という、とても強い意志もあって、彼に相談しました。すぐ、大変だけどやろう、と。ですが、それぐらいフェスをやってきてる渋谷さんでも、"全然読めない" というか "ほんとに成立するんだろうか" という感じだったんです。で、どういうミュージシャンに声をかけるか、っていう相談を毎日のようにして、声をかけ始めました。当初の予想よりも、賛同する、出演したい、という返答がたくさん帰ってきまして、今度はその時間の割振りとか、そういうことに大変な苦労があった訳なんですけど……そのね、苦労と言えば、渋谷さんていうのは、いわゆるガラケーなんですね。ガラケーのメールしかやらないので(笑) リンクとか張れないじゃないですか。コミュニケーションが問題がありましたけども、それは笑い話ということで。」
「それから5月に、ニューヨークのMoMAで、クラフトワークの8日間連続のコンサートがあったんですけど、その時に、僕も、2日くらい観に行って、なんと31年ぶりに再会したんですね。で、そのときに "7月にこんなフェスをやるよ" という話をして、出てよとは言いませんでしたけど、やりますよと。まあ彼らは、91年から強い反原発のメッセージを出しているので、共感してくれるかなと言う感じで話したんですけど、翌日 "出る、出たい" というメールが来て、出る事になりました。で、ものすごい積極的で、彼らの曲の中の「Radioactivity」 - 放射能という曲、古い曲ですけど、これを日本語で歌うために自分たちで日本語の歌詞を作ってきて、これでいいか、と。メールでほぼ毎日のようにやりとりしてですね、僕も少し助けて、日本語の詞にしました。クラフトワークとYMOが出会うのも31年ぶりでした。多分、クラフトワークは独自でツアーが今年の暮れにあるようなので、好きな方は、彼らの情報をチェックしてください。」
「「Radioactivity」は、1975年に発表された『Radio-Activity』というアルバムの曲ですけども、1991年に行なわれた、イギリスのセラフィールド、まあ日本の六ヶ所村にある再処理工場とおんなじものがある訳ですけども、それに対する反対の大きなフェスティバルがありまして、そこにクラフトワークも出ています。そのときに、この「Radioactivity」っていう曲を大々的に反原発のメッセージを入れ込んでですね、チェルノブイリやヒロシマ、で、今回の "NO NUKES" では、なんとそこに、フクシマの文字も入ってきましたけども。」
「会場でバンドとバンドの転換のときに、用意したビデオメッセージを流していて、小出裕章さん、飯田哲也さん、村田光平さんなどのビデオを割と短めに流してますけど、なんと、拍手が起こるんですよね、観客の。僕はやっぱり……引いちゃうのかなと思ってたんですけど、まあそう言う人もいるかもしれませんけど、割とこちらの予想よりも積極的に、そういうものを、まあ、楽しむといったら変ですけど、ちゃんと持って帰ってくれるような感じなので、すごく嬉しいですね。」
「『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック』……このフェスティバルのガイド本ですかね、参考書ですかね(笑) 会場で先行発売したんですけど、もともと、このフェスティバルといのは、当然、音楽を楽しんでもらうというのがメインのものですけど。楽しんでもらって、帰るときに、考える種を持って帰ってほしいというのが、僕たちの願いだったんですけども、その種の参考になる本を、見ただけじゃすぐ掴めないものもあるので、会場ではお見せできなかったものも、この本という媒体で盛り込みました。会場でも流した、小出裕章さんや飯田哲也さんの話の内容とか、それからこのフェスティバルに参加してくれたアーティストのメッセージなど、いろいろあります。若者たちが作った原子力発電の歴史、年表のようなものも付いています。少し、興味を持ってくれて、この本を手に取ってくれたら、とても参考になる情報がたくさん載ってると思いますよ。」
「NO NUKES 2012の収益は、"さようなら原発1000万人アクション" の中心である "『さようなら原発』一千万人署名市民の会" に寄付します。ご参加ありがとうございました。で、これが終わって、今度、8月はですね、WORLD HAPPINESSがやってきます。いつも暑いですよね、みんな完璧だと思いますけど、熱さ対策、水分補給とかには十分に気をつけてきて下さい。今年の参加アーティストとして、KREVAや木村カエラさんなどが追加発表になっていますけども、ここで、主宰の高橋幸宏と清水ミチコさんのコメントが届いているので、聴いてみましょう。」
「教授!そして、レディオサカモトをおききの皆さん、こんばんは。なんども登場しますけども、高橋幸宏です!」
「清水ミチコです、初登場でーす。」
「なんでミッちゃんなんでしょうね。」
「あっはっはっはっは (笑)」
「今年もワールドハピネスが近づいて参りました。」
「忙しくなるわ〜。」
「……いや(笑) 本番のときには、ミッちゃんいるの?」
「わたし、観に行きたいと思ってますし、前夜祭ライブ出ますからね。」
「出ますもんね。8月12日、夢の島公園陸上競技場で開催いたします。今年で5回目になりますけども。」
「はーい。新木場駅ってすごい遠いのかと思ったら、東京駅から10分くらいなんですってね。」
「だいたい駅からずらーっと皆さん並んで下さるんですけども、だいたい11時くらいに入れる状態になりますので、できればお早めに来ていただきたいと思いますが、ふたつステージがありまして、メインステージとサブなんですけども、交互にずっと引っ切りなしに演りますので、皆さん、移動しなくて大丈夫です。」
「出演者の方は……」
「すごいんですよ、ぜんぶ言ってるときりがないんですけども……えー、きゃりーぱみゅぱみゅ」
「言い方は、ドラえもんが道具を出すときみたいに言うと、間違いなく言えるそうです。」
「(ドラえもんの真似で) きゃりーぱみゅぱみゅー!」
「また似てないなあ(笑)」
「それから、ミッちゃんは前夜祭に出ていただくということでね。」
「そうです、7月14日に恵比寿ザ・ガーデンホールで行いまして、題して…… "WORLD HAPPINESS 大前夜祭 〜音楽解体新SHOW〜"」
「僕はTHE BEATNIKSとして出ますけども、このビートニクスも特別バージョンということで、ちょっと変わったこと、やりたいなと思っております。」
「高橋幸宏くんは、6月6日の誕生日に還暦を迎えられまして、イエローマジックオーケストラは "還暦越えバンド" となった訳で、今年のワールドハピネスでは、それを記念して "還暦記念グッズ" を作って販売することになりました(笑) 当然、赤いものもあるんですけど(笑) ……で、幸宏君の還暦を記念して、トリビュート・アルバムというのが出来た訳なんですけど、僕は細野晴臣さんと二人で「Happy Children」という幸宏の曲をカバーしまして。YMOからY……幸宏がいないので、MO(モー) というユニット名でトリビュートに参加しています。」
「6月20日に発売した映像作品『commmons schola: Live on Television vol. 1 Ryuichi Sakamoto Selections: schola TV』なんですけど、これは、Eテレで "スコラ" というシリーズ(『schola (スコラ) 坂本龍一 音楽の学校』) を2年に渡ってやりましたよね。そこには、必ず演奏が最後に付いているんですけど、時間の関係で完走したことがあまりないので、いつも編集してしまうことになっていた。まあ、残念だということで、完走バージョンを集めて、DVDとBlu-rayにしたというものであります。」
「バッハの「ゴールドベルク変奏曲」を録音した日、初めて僕はチェンバロをちゃんと人前で演奏したんですけど、同じキーボードだから弾けるだとうと軽く考えていたんですけど(笑) 、全然違うんですね。当り前かもしれないけど(笑) ちょっと甘く見ていまして、慣れるのに時間がかかってしまいましたけども、何とか演奏できまして。なんかチェンバロは、弾けば弾くほど、その魅力に取り憑かれるような楽器ですね。職人技が必要で作るもの大変だし、お高いので一家に一台という訳にはいかないでしょうけど、とても素晴らしい響きですよね。ヨーロッパの音楽の歴史の中でチェンバロは、何百年に渡って用いられて、モーツァルトの頃まで使われていたようですけど、それがゆっくりとピアノに代わっていくという形でしょうね。まあ、ベートーベンのピアノソナタなどが有名な訳ですけども、そのときもまだ改良の過程で、ピアノ自体も19世紀を通して、20世紀に入ってもゆっくりと今の形に改良されていった、という。その大きなチェンバロからピアノへという、まあ約400年ぐらいに渡る変化というのがある訳なんで、それを想うと、楽器の移り変わりって興味深いですよね。」
「それと時を同じくして、6月20日にコモンズスコラの10巻目『映画音楽(Film music)』も出ましたが、6月の約1ヶ月、コトリンゴをニューヨークに呼んで、いっしょに映画音楽を作っていたんです。まだタイトルとかは発表できないんですけども、日本の映画で、親しい方に頼まれたのでやったんですけど、割と若向きの映画なのかな、どうなんだろう。あまりそういうものをやったことがないので、ただ映画音楽としては比較的、作り易い映画でしいたね。奥歯に物が挟まったような言い方しかできなくて、すいませんけども。それで、メインテーマは僕が書いて、中のいろいろな、割とバリエーションというか、バラエティが多い映画音楽でしたね。映画によっては、ひとつのトーンで、こう支配するというか、オーケストラだったらオーケストラ、とか、音楽のスタイルを決めちゃう場合もありますけど、この映画の場合には、いろいろなスタイルが出てくる。ポップ的なもの、ダンサブルなというかクラブっぽいものなど。でまあ、コトリンゴに、映画製作というものを勉強してもらおうと思いましてですね、やってみましたけども。」
「映画音楽を作るっていうのは、音楽を作るのと、まただいぶ違うんですね。やはりその、映画というひとつの大きな目的のための、そこにはもちろん俳優さんもいれば、シナリオもあり、ライティングもあり、衣装もあり、で、音楽もあるという。たくさんの役割のひとつなので、その映画のため、そのシーンのため、その演出のため、に、どういう音が必要か、っていうことを、やはり強く、いつも意識してなくてはいけないのですが、コトリンゴはどうも、それを忘れてしまってですね、音楽の方に夢中になっちゃう、と。音楽を作る頭になってしまう。もちろん音楽を作る頭で作らないといけないのですが、そこにはいつも、まあメタとして、上にですね、何のために、どういう目的のために、というものがいつも、明確に意識されてないと、つい、音楽の文法を出してしまう、音楽の時間で作ってしまう。そうするとですね、目的からズレてきてしまう。音楽が必要以上に主張してしまって、あんまり良くないんですよね。コトリンゴ自身は、このニューヨークでの体験をどう思っているのか、本人に語ってもらいましょう。」
コトリンゴ「先週までニューヨークに行っておりました。目的は映画の音楽を、坂本龍一さんと作らせていただきました。実は、行くまで、何をやるのか具体的に解っていなくて、それもどきどきだったんですけど、参加させていただく作品は教えていただいていたんですが、具体的に例えば、坂本さんのお茶汲みをするのか(笑)、楽譜を書くのか、例えば坂本さんの書かれたテーマを基に何か違う場面の曲を作るのか、とか、全然解らずに行ったんですけども、映画音楽の製作でした。だいたいの曲の数と雰囲気は解っていたんですけども、"じゃあ、ここ作ってくる?" みたいな感じでふっていただいて(笑) ほんとにいろんなジャンルの曲を書かせていただきました。ストリング・クインテッドの曲とか、ちょっと大人なバーでかかっているような曲とか。私はいままで自分のアルバム、自分の曲っていうのにすごく慣れていて、CMのお仕事も少しずつ、やらせていただいてたんですけど、それはすごく短いし、音楽だけをつくるっていうのだったら、その曲が向かう方向に従えば良いんですけど、今回は映画のための音楽なので、私はよく、映像の事とかを忘れてしまったので、何度か注意されたりして。それでもやっぱり音楽としても成立させたいっていう思いもあったので難しかったです。すごく "積み木" みたいな感じで、最初の土台をきちんとしていないと、上に重ねるものもすごく不安定になってしまって、あとからそれを修正するのがほんとに大変で、いろんな事を勉強したんですけど、坂本さんの作業を見ているだけで、勉強になってしまったので、行けてすごく良かったと思います。」
コトリンゴ「今回、坂本さんといろんな話をさせていただいて、ラストエンペラーの時の曲作りのお話がすごく面白くて、私は映画を本当に小っちゃい頃に見てたんですけど、改めて大人になって観たときに、あの最後のエンドロールの音楽で、その内容ももちろんなんですけど、衝撃というか、立ちすくんでしまいまして。観艦式の玉座に出ちゃってっていうシーン……そこの音楽もばっちり作ってらっしゃったんですけど、実際、映画になったら、全部そこは音楽はまったく無く、無音になっちゃってて愕然とした……とか、場面にいろいろ合わせて作っていったのに、使ってもらえなかった、っていうお話とかを少し聞いて、でも、私が映画を観た時はそんなエピソードは知らないので、テーマ曲が、ちょっとずつ映画の中で聴けたりしたんですけど、なかなか全貌が解らないままで、最後のエンドロールで完全な形が聴けたときの感激があったので、その話が印象的でした。映画を改めてみたいと思います。」
そしてコトリンゴさんと言えば、公開されたばかりの映画「Light Up Nippon」のテーマ曲を担当。
コトリンゴ「去年から始まったイベントなんですが "被災地で花火をあげよう" という企画がありまして、発案者の高田佳岳さんを追ったドキュメンタリー映画になっています。今年も8月11日に開催されます、このぜひウェブサイトから募金をしましょう。それで花火をあげましょう。映画の売上金からも、一部、花火のお金になるそうなので、映画の方も観に行っていただけるといいなと思います。」
■「NO NUKES 2102」サイン入りパンフレットを10名の方にプレゼント!
RADIO SAKAMOTOからのプレゼントです。
今回は、「NO NUKES 2102」サイン入りパンフレットを、10名様にプレゼントします。
番組の感想やメッセージも、ぜひお書き添えのうえ、コチラからご応募ください(教授と番組スタッフ一同、楽しみにさせていただいてます)。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。
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