「坂本龍一です。二ヶ月に一度お届けしているレディオサカモト。皆さん、お元気でしたか。あっという間に2018年になってしまいました。よくね僕は、お正月が来たらその年がもう終わりだと、終わったと。ちょっと気が早いんですけど、というぐらいにね、今年のスケジュールもほぼ決まり、来年のことを考えているという。そんな事が続いてるんですけどね。皆さん、どうお過ごしでしょうかね。今年最初のレディオサカモトは、六本木のJ-WAVEのスタジオからお届けしています。」
<設置音楽2 = async 1.5 みたいな。>
「今回は12月のあたまから日本に来まして、一週間ずつ山があってね、最初の山は、新宿のICCと言うメディア・アートの美術館で、展示ですね。音楽の展示。で、実は去年、『async』を出した後に、4月から5月にかけて別の美術館で、音楽を設置する「設置音楽」と言う言葉をでっち上げてですね、展示をやってたんですけど。それの第二弾と言うのを、昨年12月あたまから始めまして。実は今も進行中で毎日、3月11日まで続くんですけども。是非、機会があれば行って、見て聴いて頂きたいんですけど。当然、最初のワタリウム(美術館)と言うところでやった設置音楽とは違うんですけども、両方ともその『async』に基づいてはいるんですけど。今回のICCでの設置はですね、より発展系というか進化系というか。ま、進化系とは言わないかもしれないけど。『async 1.5』みたいなね。に行く、一つの道標みたいな形ではあるんですけどね。ワタリウムの「設置音楽1」は、やっと出来た『async』をサラウンドできちんと聴いてもらおうという趣旨が強かったんですけど。今回の「設置音楽2」ICCの展示では、もっとインスタレーション的な音楽に少し解体してるというか、そういうものになっています。もう一つ大きな主眼は、『async』のアルバムでも音を使った、津波によって被害を受けたピアノ、これを僕がもらい受けまして、インスタレーションの一部として使っているというのも、大きなところなんですけど。でもこれが、音が鳴るようにね、しかも自動演奏になっているんですけど、自動演奏が出来るように楽器会社に協力してもらってやったんですけど、だけどその、津波をかぶった時に受けた傷とか、ゴミとか、泥とか、錆とか、それを全く綺麗にしないで、そのまま持ってきているんですね。で、何を自動演奏しているのかというと、地震のデータですね。地震ってまぁ、世界各地で起こっていますよね。大きいものも小さいものも。結局その、自身が起こるっていうのは地球が揺れている訳でしょう。その地球の揺れを、少し圧縮して……圧縮って言うのは、時間的に。1ヶ月を7時間にして、このピアノに弾いてもらってるんです。だから、演奏家が地球なんですね。そういうコンセプトなんです。だからその、人間の「こう弾きたい」と言うことは一切なしで、データを弾いているということなんですけど。地球の鼓動というか揺れをですね、音として体感するという、そういうものになっています。全然これ、近況よりももっと詳しいこと話しちゃったんですけど。えーと、昨年の11月には、『Ryuichi Sakamoto: CODA』というドキュメンタリー映画の公開もありまして、なんかね、年末に報知映画賞というのも頂いたりして。(映画が、ですね、僕じゃないですよ。) 僕は何もしてないっていう単に撮られた方なんで。もう一つ同じ時期にね、『龍一語彙』という本を、長嶋りかこさんのデザインで出したんですけど、これも別に僕は何もしてないですね。過去に僕が発言したものを、ある編集方針に基づいてカットアップして集めて、で、長嶋さんが凄くいいデザインで、分厚い本が出来ましたので、今回プレゼントしたいですね。5名の方に。同時に、これは僕は関係ないといえば関係ないんですけど、ただ推薦文を書かせて頂いたんですが、『ボウイ』というそのまんまのタイトルの、デヴィッド・ボウイについての。これはね、イギリス人のサイモン・クリッチリーという哲学者が書いているデヴィッド・ボウイについての本なんですね。これが推薦文を書いてくれっていうんで、読んだらとってもおもしろい内容で。さすが哲学者が書いてる、でも全然難しくないです。普通に読めます。ボウイというアーティスト、それからその音楽、作った詞について書いていて、僕もこういう読み方があったかと驚かされた部分がたくさんあります。ぜひね、これ皆さんに読んでほしいので、これも出版社の人に呼びかけて、プレゼントさせてもらいます。とういう訳で、『龍一語彙』と『ボウイ―その生と死に』という本2冊を、セットで5名の方にプレゼントするということをやっています。せっかくなのでね、ボウイの曲をかけますか。改めてボウイの曲、いろいろ僕も聴いてみたんですけど、今まで好きで、今聴いても変わらず好きな曲もあるし、この本を読んだ後だと、また聴き方が変わって、以前それほど引っかかってなかったのに、改めて聴くとおもしろいという曲もたくさんあります。えーと、今夜はこれ聴いてみようかな、「Andy Warhol」。」
<新春放談 : 福岡伸一さん>
「今夜一組目のゲストは、生物学者の福岡伸一さんです。もう、三年目ですかニューヨークは。」
「2013年から居ますから、五年目ですね。」
「意外と長い。当初は一年の予定だったんですよね。」
「そうです、なんとなく気に入ってしまって。わたしだけが行ったり来たりする生活になりました。あ、でも、坂本さんが非常に読書家で、いろんなおもしろい本を教えてくださるんですけど、フェノロサのね、漢字に関する考察っていう本を教えていただいて読んだんですけど、なかなか素晴らしいなと思って、やっぱりこう英語で苦労しいているから、いかに我々が日本語っていうか……象形文字を基にした文化で育ってきたことのある種の豊かさっていうか、それをね、改めて気づかせてくれたいい本だなと思って、あんな本、たまたま見つけられたんですか。」
(『詩の媒体としての漢字考―アーネスト・フェノロサ=エズラ・パウンド芸術詩論 』)
「ねえ。あのうちはいろんな本があって、自分でも忘れているような本があって、時が来ると、手にとって開いてみると、すごいっていう感じなんですよね。」
「坂本さん、あの本どういうふうに読まれたんですか、まずは。」
「去年、『async』というアルバムを作っているときに、いろいろな音楽を作りながら、そこから発展して思考実験みたいなことをやっていて、まあ以前、福岡先生にも話したんですけど、名詞を使わないで思考してみようとかね。」
「はい、それはすごい、大変な実験ですよね。」
「まあほとんど一秒と持たないんですけど、いかに名詞にしばられているかということなんですけど、あとは数を使わないで生活するとかね。もちろん1日も持たないんですけど、1日と言って、もう「1」が出てますから。だけど、それはもっと以前から福岡さんと話している……名前をつけるってことは分けるってこと、分断することなんですよね。切り取ることで、ところがその、自然界というのはそう簡単には切り取れないというか、ま、言ってみれば全てが繋がっている。しかも全ては流動状態。いつもかちかちに固まって動かないわけではなくて、常に動いている、変化している……だと思うんですね。それに名詞を付けるということは二つの誤りがあって、まず、繋がっているものを切り取る。もうひとつは、名詞を付けることによって動かない抽象的なものにしてしまうと、そういう間違いが起こっている。ところが、僕たちに人間の思考の枠組みっていうのは、そういうことによって形作られているというような話を、福岡さんとこの何年も会うたびに(笑)、出てくるわけで。」
「そうですよね、これが主要な議題になっていて、いかにその言葉というかロゴスの呪縛から、我々自身の本来の、生きてるっていうことは最も自然なことですから、その自然としての私たちを回復するかっていうのを、まあずっと話してきたようなものですよね。」
「そこにすぽっとそのフェノロサの本……漢字考っていう本が、はまってしまって、まあそれは大きくは英語……ヨーロッパ語と、中国語や日本語のアジアの言葉……漢字を使った言葉の大きな違いっていうふうにフェノロサはみていて、とても説得力があるわけですよね。で、英語的な思考方法っていうのは、単語があって、主語、述語みないなのがあって、それを煉瓦積みのように繋いでいくと。」
「A is Bという、ええ。」
「is がまあ、のりしろですよね。名詞がたくさんあれば、それを is で繋ぐことによってどんなことでも表現できると。煉瓦を積んでいけばどんなビルでもできちゃうと。まあ、便利は便利なんですが、でもそれは真実を表しているということには「ならない」というのがフェノロサの大きな主張で、漢字がいかにそういうリジットな思考から離れて、流動的な自然を保持しているかということを……漢字の中に流動性や、ものっていうのはひとつとして切り取れないということが表わされていると、かなり詳しくね、いろいろな漢字を例に挙げながら述べていると。」
「「桜」っていう漢字が、木と女とあとちょんちょんってあるんですけど、あそこはもともと貝がふたつ並べてある。だから女の人が首飾りを飾るようにさくらんぼが生っている……木だっていう、まあ非常に直感的にで、色彩的で、ビジュアルなところから自然をみようとして作られた字なわけですよねえ。やっぱりその分節化、分段……ロゴスによる名詞化っていう、人間の思考のひとつの大きな止められない動きに対する回復運動、ある意味のルネサンス運動としては、漢字がもってた喚起力の豊かさとか、音楽がもっている……音楽は時間の芸術ですけれども、いわゆるそこに流れてる時間ていうのは物理的な点としての時間じゃなくて、その……私は機械にある時間と生命にある時間は違う時間だって常々言っていて、機械の時間は点の時間。点はいくつ集めたって、ほんとは繋がらない。パラパラまんがが動画に見える、ある種の幻想を与えてくれてるだけだけど、でも実は生命の時間っていうのはその点の時間……飛んでる矢は止まっているような点のような時間ではなくて、もう少し厚みがあって、そこに過去のものが流れ込み、未来のものが先取りされるっていうか。音楽の音も、それまで鳴っていた音がそこに残っていて、その音が次の音を求めてるわけですよね。そういう意味の、何ていうか今っていう時間は、生命の時間と機械の時間では全然違うんで、私は今この非常に流行り言葉になってるAIが世界を支配してシンギュラリティがやってくるっていう風なね、言い方に、非常に食傷気味というか(笑)、あんまり生命を甘く見たらいけませんよって思うんですよね。」
「生命を含めた自然をですよね。必ずまたこう……自然災害、大災害のようなね、何かの形でそういう仮想世界はね、ばりっと破られることになるとは思いますけどもね。やっぱり人間ていうのは脳がそういう傾向をもっているからなんですけど、その仮想世界という壁を築いて、その中に閉じこもろうとする。煉瓦積みにしていくというね。」
「そうですよね。煉瓦が好きなんですよね、ええ。」
「数を使うことによって、経済も数で動いているわけですけど、そうすると有限なこの地球あるいはこの宇宙の中に無限性を持ち込んでですね、仮想的に。人間の脳が考えた、仮想としての無限を持ち込んで、無限に成長する、儲けるとかですね、そんな幻想を夢見てるわけです。もう馬鹿ですよね、馬鹿ばかしい。」
「だから、いつかは何らかの大きなカタストロフィーによって、煉瓦は崩れ去ることを目の当たりにするわけですけれども、でもまたすぐそっから石積みをはじめてしまうという愚かさがあるんですよね、ええ。」
「僕の好きなジョークでね、地球が住みにくくなったので、宇宙飛行士が他の惑星を探してロケットでこう飛び出ていくんですよね。で、まああちこち見て歩いてですね、そうすると、なんか住めそうな惑星が見つかったんで降りるわけです。そこには住人がいて、ここは何ていう惑星だとかって話しかけるんだけど住人たちは、ぼーっとしてるだけで何も言わない。それで宇宙飛行士は、ここはだめだ、こいつら馬鹿ばっかりだと、他を探しにどっか行ってしまうわけですね。その行ってしまうロケットを惑星の住人はぼーっと見ているだけ……というジョークなんですけど、それは一万年後の地球なんですね。人間は幸い進化して、全員がブッダのようになっていて、言葉は喋らない、もうお互いに……」
「なるほど。文節からの、道具としての言葉から離れてる、うん。」
「だから馬鹿に見えちゃうっていうね(笑)、分節化する人間からするとね。そうなれるかどうかっていうのはよく分からないですけど。」
「なかなかこの、分節化の呪縛、言葉の呪縛、名詞化の呪縛から離れられないと思うんですが、でも絶えず、それが作ったものが人工的なもので、私たちが生きている自然、私たちの生命自体の自然というものは、そんな分節化されたものではないっていうところに常に戻る往復運動が私は必要だと思って、動的平衡っていう概念でそれを繰り返し述べているわけなんですけども。片や、遺伝子を分けて分子を分けて、それをこう取り替えれば生命が改良できるんじゃなか、みたいなトレンドは止まりませんし。」
「ただ、音楽とかアートとかね、生命とか宇宙自身もそうですけど、なかなかAIでは分からないよっていうのはね……つまり、勝ち負けじゃないじゃないですか。あるいは、正解、不正解というような。ひとつの正解があってあとは間違い、というようなことは音楽にもアートにもないし、実は生命にもない。常に間違いを繰り返しつつ流動的に進んでいるのが生命じゃないですか。」
「ええ。むしろ、壊しながら進んでいるのが生命です。」
「だから常にエラーが起こりつつ、まあ進んで行くという。それがね、AIにはよく分からないはずなんですよね。人間がルールを決めた中でやるから勝ちとか負けとかができるわけであって、囲碁将棋とかは典型的ですけど、だからそれはできるわけですね、AIはね。」
「生物学でもすごくAI寄りの考え方に凝り固まっているひとがいるんですよ。かなり素晴らしい生物学者なのに、その人たちは、この地球の生命の歴史の38億年前と同じ酸素の濃度とか湿度とか水とか温度とか、そういう初期条件が同じであれば生命が発生し、この進化の38億年の歴史がそのままシミュレーションされる、再現されるっていうふうに信じてるわけです。それはまさにAI的な思考で、ある条件が与えられればそれに応じて次のアルゴリズムが進み、それが次のものを作りっていう……」
「機械的な世界観ですよねえ。」
「それは全然そうじゃなくて(笑)、進化っていうのは、いま坂本さんがおっしゃったようにエラーの繰り返しだし、別に優れたものが生き残ったわけでもないし強いものが生き残ったわけでもないし、たまたま変わったものが生き残ったに過ぎず、その変わり方も偶発的で自らを壊すことによって、あえて不安定さを生み出して前に進んでいるので、これは再現できないものなんですよね。だからアルゴリズム思考の落とし穴っていうのは深いなって思いますよね、いつも。」
「えっと、何か一曲選んでいただく……っていうのはどうします、あまり福岡さんの音楽の趣味って聞いたことがないんですけど。」
「いやいやいや(笑)。この前、あの坂本さんたちが行われた、グールドを巡るギャザリング、GGG (GLENN GOULD GATHERING) に行かせていただいて、非常に楽しいひと時を過ごしましたので、ちょっとグールドにリスペクトして、ゴルトベルクの中から選んでいただいたらいいんじゃないですか。あの中で坂本さんはどこがいちばん好きですか。」
「僕はね、第25変奏なんですよ。」
「ああ、そうですか。私はね、10が好きなんですよ。快活なやつ。」
「25はね、単調のね、いちばんしんねりしてるやつなんですよね(笑)。じゃあ、10を聴きましょう。」
<デモテープ・オーディション - 坂本龍一×U-zhaan×長嶋りかこ>
坂本「今回はね、ちゃんとね、ニューヨークじゃないですから。ここにいます。J-WAVEのスタジオにいっしょにいます。」
U-zhaan「ちょっと伺いたいんですけどこの、「今夜は『龍一語彙』のリスナープレゼントを実施中」だそうなんですけれども、長嶋さんがデザイン。」
長嶋「あ、はい。装丁をやらせていただきました。」
坂本「僕はなにもしてません。」
U-zhaan「してないとおっしゃってましたよね。書いたわけではないんですよね。言葉を集めた。」
長嶋「はい、これまで坂本さんが話された言葉がいっぱい集まって。」
U-zhaan「ちょっとさっき現物を見たんですけど、すごい厚さでしたね。」
坂本「ま、あの、広辞苑ほどじゃない。」
U-zhaan「広辞苑ほどは(笑)。」
長嶋「読み物っぽい感じで、中に坂本さんが撮られた写真が。」
坂本「ブロックずつに写真が何枚か。あれがいいんですよ、なんかこう区切りっていうかね、リズムが。」
長嶋「また坂本さんの写真が素敵なんですよ、これが。」
U-zhaan「教授、写真撮るのうまいですもんね。ニューヨークに居るときに、僕がケーキ食べてる写真、撮ってくれて、その写真がすごく評判よくて、アー写(プロフィール写真)にしたらいいんじゃないかってみんなに言われるんですけど。」
坂本「今回もね、たくさん、作品を送ってくれてありがとうございます。」
長嶋「100作品ってすごいですよね。」
U-zhaan「感想は、教授のボサノヴァの発言のときの厳しさがものすごく印象的だったなという。」
長嶋「でもU-zhaanも厳しかったですよ。」
U-zhaan「民族音楽に。なんでしょうね、厳しくなっちゃいますよね。ほんとにタブラの音とか鳴ると途端に厳しくなるから、教授もピアノの音が鳴ったりすると厳しくなりますか。」
教授「しますよ。」
U-zhaan「うーん。じゃあ、皆さん、ピアノの音を使わないのが選ばれるコツかもしれない(笑)。」
教授「そうですね、タブラとピアノの音は使わない方がいいかもしれないですね。」
U-zhaan「長嶋さん、厳しいものありますか。」
長嶋「傾向的には自然音が入ってると、入りやすい感じが(笑)。特に私は音楽的な意見が分からないので、なんかこう、やってみたいなとか、聴きたいとか食べたいとか、体にびしびしくるのが自然音が多いじゃないですか。だからすごい興味深くなる。」
U-zhaan「審査員の傾向が出てきたという(笑)、今回でした。」
坂本「そうなんだよ。すごい傾向が出てる、番組なんだよここは。ものすごく。だから、絶対無理だろうなっていうのをそれでも送ってきてるよね。だから、ここでかからないからといって悪いというわけじゃないんだよ。極端に好き嫌いが偏向してるんで。」
U-zhaan「いい音で録れましたって、シャッターの閉まる音とか、そういうのが流れてますから(笑)。」
長嶋「あれよかったなー(笑)。」
坂本「いい音だよなあとか言ってるわけですから。めげないでください、へこまないで。」
RADIO SAKAMOTOオーディションに、インターネットから作品を応募できるフォームができました。作品はファイルのアップロードのほか、YouTubeのURLを指定しての投稿も受け付けます。
詳しくは、エントリーフォーム内の応募要項をお読みください。
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<新春放談 : 巻上公一さん>
「今夜、二組目のゲストをお迎えします。巻上公一さんです。」
(♪巻上公一さんの口琴の演奏)
「すんごい、いい音ですね。」
「これ、結構いいんですよ。鍛冶屋さんが作った。」
「鍛冶屋さん。」
「そう鍛冶屋さん(笑)。小刀職人の人なんだけど。凄い精巧な作りなんですよ。」
「ちょっと持っていい……わあ、やっぱり、この出来不出来があんだろうなぁ。」
「いやー、すごい差がありますよ。」
「でしょうね。世界中の色んなところの口琴を集めてるの、やっぱり。」
「うーん、300個くらいありますね。」
「世界中にあるからね。Amazonにもある?」
「Amazonあります。今ね、Amazonにロシアのお店があって……サンクトペテルブルクに店があるところがあって、それが一番扱ってるかなあ。」
「ええ、おもしろい店だね。」
「うん。世界で一番いい口琴は、シベリアのサハ共和国のなんだけど、そこのも扱ってるから、ちょっと高いけど、そこ。1万円以上するけど。」
「あ、そんなにするんだ。」
「これも結構するんですけど……一日一個か二個しか作れないから。」
「そっかそっか。アイヌのムックリもやったりする?」
「アイヌのムックリは売ってますね、自分のサイトで。アイヌの人に頼まれて。で、笑っちゃうのがね、あの北海道から注文が来るときあるんですよ(笑)。君ん家にあるよ、とか思うんですけど(笑)。」
「送料が無駄じゃないですか(笑)。」
「通販であんまり売ってないみたいで。北海道の歴史学んだ方がいいんじゃないかって(笑)」
「結構、長く、二人とも音楽 をやっているのに、あまりちゃんと話したことはないんですけど。」
「そうですね。」
「当初は、まぁ僕らがYMOやってる頃は、ヒカシューもテクノとか言われてましたけど、テクノじゃないんだよね、別にもともとね(笑)。」
「(笑) まぁでもやっぱりYMOっていうのはプロフェッショナル的な、で、僕らはアマチュアリズムというか、そういったところがあったんで、試行錯誤して。僕らの特徴はメロトロンだったんですよ、ヒカシューの場合は。それをサンプリング的に使ってたっていうのが、一番の特徴。」
「今回、巻上くんに来てもらったのはね、音楽もとても興味深いんですけど、何かのきっかけで……ブログかな、見たら、憲法のページがあって、おやと思ったわけですよ。あんまりそういう社会性とか政治性とか、というイメージはなかったんだけど、おもしろいなあと。なかったひとも、ちょっと言わざるを得ないというような状況なわけですけど、今は。」
「そうですね、最初あまり言わないっていう態度だったんだけど、言わないでいることがどうも罪だっていうことがね、分かり始めて、ことあるごとに言うしかないだろっていう。フェイクニュース的にね、いろんなことが……歴史修正主義が起こってきて、そういうのと戦わなきゃならないっていうことが、まあ、使命になってきたのね、結局は(笑)。」
「巻上くんのようなひとが、そういうことを言い出すっていうのは、ほんとにおもしろいなと思って、嬉しかったですね。」
「あ、そうですか。ちょっと言うと、すぐ左翼にされちゃうのでね。驚異的ですよ。」
「まともなこと言うとね、左翼ってことになっちゃう。で、けっこうあれは、反響あるでしょう。」
「や、そうですね、僕もそう言われますよ、左翼だってね。」
「ははっ、そういう反響か(笑)。まわりのミュージシャンはどうですか。そういう発言はしない。」
「あんまりしないですねー。すべきですね、もう。しないと。特に若い人たちがね、けっこうその歴史修正主義的なYouTubeとかを見て感化されるってことがあって、それが大きな問題で。」
「多いですよね。けっこう身近な人までが、この人までがっていうね。でもこれほんとさ、ある意味、情報過多な時代にさ、それができるっていうのが不思議だよね。つまりトランプのフェイクニュースもそうだけど、情報がたくさんあって、どれがほんとでどれが嘘か、分かんなくなっちゃうっていう。その中でコントロールするっていうのかな、悪い方に道をつけることができるってことが驚きですよね。」
「みんな調べないですからね。そのうち人口知能にお前ら駄目だって人間が言われるっていう(笑)。」
「でも人間はAIの方を信じがちですからね。そっちの方が頭がいいんじゃないかと思ってますから。危ない(笑)。」
<坂本龍一 「この2ヶ月で聴いた曲から紹介」プレイリスト>
「ここからはね、僕がふだん聞いている曲のプレイリストの紹介ですけども。最初はですね、もう亡くなりましたけども20世紀のフランスの現代音楽の作曲家、オリヴィエ・メシアンという、まあ大先生でもあったわけですけども、遺作といっていいでしょうね。亡くなる少し前に書いたオペラがありまして、『アッシジの聖フランチェスコ』という、そこから聴いてみましょう。」
- Saint Francois D'Assise: Premier Tableau / ホセ・ファン・ダム, ウルバン・マルムベルイ, ジャンヌ・ロリオ, ハレ管弦楽団 & ケント・ナガノ
「それからですね、まったく飛んでしまいまして、昨年の11月末くらいに出たビョーク。ビョーク姉さんの新譜『Utopia』…もう、僕、大好きですね。全部かけたいくらいだけど、そっからじゃあ2曲ぐらい聴いてみましょうか。」
- Arisen My Senses / Björk
- Blissing Me / Björk
<『エコレポート』── エコロジーオンライン 上岡 裕>
「エコロジーオンライン 上岡 裕です。昨年末、音楽を活用した認知症ケアのお話をしてほしいと声がかかり沖縄を訪問してきました。アメリカの団体からトライアルを実施してくれないかと頼まれたMusic & Memoryというプロジェクトの結果について、講演をしてきました。」
「3ヶ月にわたるトライアル事業に協力してくれたのは、私の父と母がお世話になっている聖生会という地元の医療法人なんですが、この法人が運営する4施設、6人の方たちに昔好きだった曲を聴いてもらいました。それぞれの方によって効果の出方が違うんですが、6人中5人の方にポジティブな変化が出ています。1日30分〜1時間程度、週4〜7日、音楽を聴いてもらうことで、言葉が少なくなってきたおばあちゃんのおしゃべりが増えたり、おやつを選択する行動などに積極性が出たり、おどおどとしていた人が落ち着きを取り戻すようになったり、ひとり寂しそうにしていた人に笑顔が増え、大きな声で活発に歌う人なども出てきました。12月で一段落となるトライアル事業ですが、これだけ効果があるならぜひ続けようということになり、栃木では参加者を増やす形で継続することになりました。」
「沖縄の講演では介護事業に関わる60名の方が、ご参加いただきました。実際にグループホームを手がける医療法人の皆さんや、大きな病院のソーシャルワーカーの方など、何人かの方から、沖縄でも介護の場で音楽を活用してみたいとご提案をいただきました。次のトライアルではもっと多くの施設で手がけて欲しい、という要望がアメリカ本部からも出ています。ぜひ沖縄でも実施してみたいと考えています。」
「Music & Memoryの取り組みは、介護施設に入所された方の好きだった曲をiPodなどに入れて、聴いてもらうものです。元々、暮らしのなかに音楽が根付いている沖縄では、ちょっと違ったことができるのではないかという気もしました。実際に病の重い高齢者の方に三線を聴かせたりすると、踊り出してしまうみたいな……そんな奇跡的なことも起こるそうです。音楽家とともに介護施設やホスピスなどを訪問するようなことをコーディネートするとよいのではないか、そんな風に思った沖縄訪問になりました。」
「講演後、アメリカのMusic & Memoryの取り組みを伝える映画『パーソナルソング』の上映もしました。そこには琉球フィルハーモニックオーケストラの事務局長さんも参加していました。オーケストラとして地域貢献をテーマにしているとのこと。ぜひ一緒に活動をしていこうと、盛り上がりました。」
「今年はマダガスカルで自然エネルギーと森林再生をつなぐ事業が本格化します。それと並行して、沖縄でも音楽と健康をテーマにした新しい取り組みも始められそうです。沖縄とはかなり深い関わりを持つ教授ですから、今後、何かいっしょに手がけられたらいいなと思っています。本年もどうぞよろしくお願いします。」
■教授のサイン入り『龍一語彙』と『ボウイ』をセットで5名さまにプレゼント!
RADIO SAKAMOTO からのプレゼントです。
今回は、教授がサインを入れた『龍一語彙 二〇一一年 − 二〇一七年』と『ボウイ − その生と死に』の2冊をセットにして、5名さまにプレゼントいたします。
番組の感想やメッセージも、ぜひお書き添えのうえ、コチラからご応募ください(教授と番組スタッフ一同、楽しみにさせていただいてます)。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。
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