<明けましておめでとうございます。>
「坂本龍一です。今年もレディオ・サカモトをひとつ、ご贔負に、よろしくお願いします!いやー、ほんとに明けちゃいましたよね。長いような短いような2012年でしたけども。僕もいろんな事しましたね。意外と夏が長かった感じがしますけど。冬はツアーをしていて、韓国や日本のあちこちに行ったりしてね。去年の5月は、カールステン・ニコライと3カ所だけだったんですけど南米ツアーに行ったりとか、9月から10月にかけては、カールステンとヨーロッパ・ツアーやったり、大変ですよ(笑)。でも行くと、土地土地の美味しいものを食べたりね、珍しい風景に出会ったりと楽しいんですけどね。カールステンやツアーのクルーは気心が知れた友達というかね、その場では楽しいですけど、行く前が大変なんですよ、僕、出不精なんで。嫌だな嫌だなと思いながら出て行くんですけど。」
「今年、最初のレディオ・サカモト。恒例になってるのかな…… "新春放談" みたいな。新春対談というか。今回は3人のゲストをお呼びしています。例によって、ほとんど台本がない、ぶっつけの雑談なんで、どういう内容になるか解りませんけど、最後までお楽しみください。」
<"新春対談" 1組目:松浦勝人さん>
「まず1組目はですね、私たちがやっているcommmonsが所属している、エイベックス・グループ・ホールディングス(株)CEO、松浦勝人さん。僕より随分と若い方ですけど、成功している一部上場企業のCEOってどんな人なんだろう。」
「おめでとうございます。」
「正月はまったりできたんですか。」
「比較的、まったりですね。」
「なるほどね。いや、あの……ほんとに、僕らも5年目になるんですよ、ご厄介になって。なかなか黒字が出せないで、ご迷惑かけてるんですけども(笑)」
「いえいえいえいえ」
「そもそも、エイベックスを作る、前があるんですよね、松浦さん。その二十何年前……」
「28年前ですよね、20歳くらいの時の話ですから。あのー、僕がレンタルレコードの店員だったっていう話は、僕の中では有名な話なんですけど(笑) アルバイトしている店のオーナーに気に入られて、いっしょにやんない?って言われて、フィフティーフィフティーで会社を作ったんですよ。大学4年生のときに。それが最初で、エイベックスはまだないですよね。今の起業する人みたいに、お金儲けるぞとか、とにかくアイデア考えて上場するとか、そういうのは全くなくて、単純にユーロビートが好きだ。みたいな。」
「とにかく音楽が好きで、そこに行ってたと……」
「そうそう、それだけですね。最初はバイトにもしてくれなかったんで、タダで一生懸命、働いて、そしたら、たまたまバイトしていいよ。って言われて、そこからオーナーが……面白かったんじゃないですかね、ちょっと変わったヤツだからいっしょにやろう。って言ってくれたんで、50/50ですけど。あれ遣われてたら、100/0でやられちゃってたと思うんですよね(笑)」
「その人がほんといい人で良かったですよね。それで、自分たちの店を始めて、それは順調に行ったんですね。」
「そうですね、大学4年生の6月くらいに店を出して、10月くらいには、いきなり売り上げが跳ね上がって、会員制のビジネスなんで、ある程度、会員数が貯まってくると安定してくるんですけどね。」
「そこから、エイベックスというレコード会社を作ろうっていうのは、また随分、飛躍じゃないですか。」
「これもその、別に僕が作ろうって言ったんじゃなくて、お店っていうのは商売やってると、一店舗での売り上げっていうのは、どうしても限られるじゃないですか。それじゃ、つまんないと思ったんで、その当時、レンタル・レコードとかビデオっていうのが、地方とかにどんどん出来ていた時期で、そういうお店に、自分の知識で買ってきたレコードとかを売ってあげる。東京にしかないし、売ってたとしても、何を買っていいか、みんな全然解らないんで、そういう、目利き、見利きだけして、解説書いて、貼って送ってあげてたんです。それが割と、ばーっと店舗数が広がっていって、これだけでもビジネスになるんじゃないの。って先輩に誘われて、嫌々、作った会社がエイベックスです(笑)」
「えーっ(笑) ……衝撃の事実。」
「結局、お店から、いろんなレコード屋に売ると、"問屋" になる訳ですね。で、だんだんメーカーになっていく、っていう下から順番に上がって行ってる……だけの話なんですけどね。」
「なるほど、じゃあ割と正攻法というか、お店という現場から順々にこう、源流の方に……」
「順々に上がってったんで、一番最初から、今を目指していた訳ではない。」
「その、ユーロビートっていうのは、ど、どういうユーロビートだったんですか。聴かせてください。僕はそこ、弱いジャンルなんで教えてくださいよ。」
「僕は大学生になるまでは、ずっとハードロック、ヘビーメタル一辺倒ですから。で、大学に入って、みんなそのディスコに行くじゃないですか。で、なんか、軟派な遊びだなとか思いつつ、最初みんなと仲良くしとかないといけないんで、行くじゃないですか。その行く途中、電車の中で、同じ1年生の友達が、この曲ちょっと聴いてみろよ。みたいにして、ウォークマンで聴かされた曲があって。それ聴いて、なんだこれ。っていう。で、当時はユーロビートって言わなかったですね。Hi-NRG(ハイエナジー)って言い方をしてましたね。その曲を聴いて、人生が変わっちゃったんですよ。」
「えー……ちょっとそれ、どういうのだろう。僕もその頃、現役で、まあテクノっぽいものとか作ってたし、耳に入ってたはずなんですけどね。今日、持ってきてますか。ありますか。(ちょっと聴かせてもらって)……なるほどー。ちゃんと歌があるんですね。ユーロビートって言われるようになるのは、これよりも後ですか。」
「当時、ユーロビートって呼ばれる前は、全部じゃないですけど、割と黒っぽい人が歌ってる事が多かった。ユーロビートって呼ばれてからは白人っぽい。これは1983年の曲ですが、1985〜1986年頃じゃないですかね。急にレコード・ミラーのディスコ・チャートの中にハイエナジー・チャートっていうのがあったんですけど、それがユーロビート・チャートに名前が変わっちゃったんですね。」
「これ、ドラムマシンはLinnDrumなのかな、シンセは……とかいろいろ想像しちゃいますけどね。YMOを始めた頃は、シンセで和音が出せなかったんで、和音のシーケンサー作るときは、一個ずつ、ぜんぶバラバラに録らなきゃいけなかった、っていうほんとに大変な時代で、今は夢のようですけど。でもあんまり便利になり過ぎちゃうと、またこう無くなっていくものはあったりもするんですけどね。やっぱり、この頃は録音自体もアナログ録音だから、一回、録音して、何回もやり直すってことができなくて……」
「ここ30年くらい、ものすごい進化ですよね。」
「そのテクノロジーの進化に見合って、音楽も進化してるかどうかっていうのは(笑) ちょっとね、解らないところですけどね。音楽自体はそんなに変わってないような気もするな……」
「松浦さんはエイベックスを作って、それは音源を作る会社ですよね。」
「音源を作る会社じゃなくて、音源を見つけてきて、コメント、解説を書いて、っていう問屋さんですよね。その次の段階っていうのが、これがまた不思議で、問屋をやりながら、海外では輸出もするし輸入もする、輸入もするし輸出もする。で、レーベルも持っている。そういうディストリビューターが、結構どこでもいるんですね。イギリスでもイタリアでもフランスでも。日本には当時、ダンスのインディペンデント・レーベルなんてひとつもなかったですけど、どこの国に行っても必ずあって、それを束ねてるディストリビューターがいて、その小さいレーベルを束ねながら、自分もレーベルやって、うまくいけば……みたいなとこがいっぱいあって。当時、エイベックスはアナログの12インチを大量に買うんで、きっとこの会社はレコード会社もやっているだろうと思われて「権利を買わないか」って言われて。なんだこれ。これってもしかして、夢見たもの……みたいな。権利買って、それでCDにするなんて考えたことなかったんで。で、自分でCDやることってレコード会社だよね、って話になって。ま、若かったんで、作っちゃいました。誰も賛成してくれなかったですけどね。それで最初はダンス・ミュージックに特化するっていうのでやってたんです。」
「それで世界中と飛び回る訳でしょ」
「年がら年中、海外に行っていて、戻ってくると、FAXだらけなんですよ。イタリア盤、フランス盤、ドイツ盤、何が出る、何が出るっていう。それ見てオーダーして……」
「インターネットがないから、MP3でパッと聴いたりはできないんですもんね。とりあえず、送ってもらって聴いて……っていう感じですね。外れることもある訳でしょう。」
「送ってもらうものは、ほとんど外れなんですよ。100枚聴いて1枚いいとか。今は便利になりましたけど、これは良いんだか悪いんだか解んないですね。探すっていうか、まあ探すんだけど、昔はそういうダンス・ミュージックとか買うときは、お店でさえ聴かせてくれなかったんで、何の資料もないんですよ、ネットもないし。そういうのも今は、すごい簡単になったなと思いますね。」
「何らかの情報がありますもんね。そっか、じゃあ海外、行ってたんですね。その頃のユーロビートっていうのは、ドイツですか。」
「いや、イギリスと、ベルギー、オランダ。イタリアのレーベルでびっくりしたのは、社長室が真ん中にあって、そのまわりにスタジオが沢山あるんですよ。みんな作っていて、真ん中の社長が、聴きたいスタジオのボタンを押して聴いてるんですよ。もう、乱造みたいな。結構、そこはヒット曲、出してました。」
「CDを中心に据えた音楽ビジネスって、もう、ないと思うんですけど、どうしたらいいんですかね。」
「これってもう解ってたことじゃないですか。だから、解ってたことが来てるだけで、その事実を飲み込めない、認めたくないひとはいっぱい居ると思いますけど、事実なんで。事実の中でどうするかっていう事をもうちょっと考えた方がいいですよね。何かひとつに集中するっていうことは、もうない。いろんなものに広がっていくっていうことですよね。ま、根本的にはその、音楽は、楽曲の権利があるかないかで全然違ってきちゃうんで。それか、その過程のプラットフォーム的なものなのか。両方やってれば良いんですけど、プラットフォームばっかり上手くいくと、これまた会社的には、ものづくりっていう面で言うと、さぼりがちになる。ものづくりだけだと経営が安定しない。ここが難しいですね。」
「今年もどう、変わっていくのかね。楽しみに、傍で見ておりますけど。年頭にあたって、2013年の豊富とかありますか。」
「いや、そういうのが一番苦手ですね(笑) やっぱり去年、ある程度、プラットフォームのビジネスが上手く作れたんで、次やっぱ、そこに流すものを本格的に作んなきゃだめかな、って思ってますね。アーティストも、自分で見つけてこないと。結局、下の人間にやらせなきゃいけないですけど、それはそれでやってもらいながらも、自分は自分で一から探しに行く、みたいな事をしてみようかなと思います。大変なんですけどね。」
「ということで、松浦さんに来て頂いてですね、第一弾。ありがとうございました。2013年、期待してますんで、僕のことは、あまり期待しないでください(笑) またゆっくり、話しましょう。ありがとうございました。」
<"新春対談" 2組目:岡村靖幸さん>
それからですね、2番目はアーティスト。"岡村ちゃん" ですね、岡村靖幸さん。ちゃんとこう長くお話するのは今回、初めてなんですけど、まず「岡村ちゃん!」って呼んでいいかどうか聴きたいと思います。言わせてほしいな。なんか「岡村さん!」って感じじゃないじゃないですか。本人結構、シリアスな顔してると思うんですけどね、いつもね。歌うときとかも。……ぶっちぎりですよ、岡村ちゃんは。岡村ちゃんはエラい(笑)
「どうも。」
「どうも。初めて、こういう、ちゃんとお話するっていうね。まず最初に、"岡村ちゃん" ……とお呼びしてもいいでしょうか。」
「全然いいです。」
「そうですか。……岡村ちゃん。」
「はい。」
「岡村ちゃんって呼ばれることが多いんですか。何ででしょうね。」
「あんま遠い存在と思われないんじゃないですかね。僕としては、そんなつもりなかったんですけど、そうなってしまいましたね。ほんとはもう、ものすごい存在と思われたいんですけども、でも、ものすごい近い存在と、みんな思っているみたいで(笑)」
「であの、もちろん音楽もおもしろいんですけど、踊りも、すっごいおもしろいですよね。」
「ありがとうございます。」
「あれは、やっぱり、随分前から踊りも研究してるんですか。」
「好きでずっとやってますね。」
「目指す存在……マイケル・ジャクソンとか、いるんですか、こいつっていう……」
「ま、たくさん居ますけど、んー……僕の世代はやっぱJBとかマイケルとか、すごい好きですけども、この人でなければ、みたいのではなくて、そういう人たちをこう、自分の中で吸収して、自分なりっていうのが、今の年齢ですけどね。何にしろこの人を思い出しながらやるんだ、みたいな感じでは、もう、年齢的にはないですけど。」
「でも、あんなシャープな動きって、普通の人、できないでしょ。」
「トレーニングすればできると思います。筋トレとかたくさんやるといいと思います。」
「筋トレもやるんですか、今でも。」
「やります。やらないと結構、厳しいかも……」
「今、いくつでしたっけ。」
「47ですね、はい。」
「もう、老化は感じてますか。」
「加齢感でしょ、老化はしっかり、ええ。3年前くらいから、感じてますね、加齢感は。もう、あらがわねばと。……あらがわないといけないタイプの音楽なので、静かにそれを受け止めながら、粛々と自分のやるべきことをやる。っていうよりも、できるところまであらがって、やっていこうかなと思ってますけども。」
「ある日、ふっと気が付くじゃないですか。これが、その、老化ってやつかなって、僕もある日、気が付いたんですけど、気が付いたときはもう、相当いってるんですよね。で、そこに気が付き始めると、ほんとにまあ、僕の場合はですね、毎日毎日、坂を転がり落ちるように、どんどんどんどんいってるんですよ。いってたんですよ。僕が気が付いたのは42からなんですけど。最初、目から来て、お酒もだんだん飲めなくなって、徹夜はできないとか、どこか痛いとかね。よく子供の時に、おじいちゃん、おばあちゃんが、毎日のようにどこか痛いって言ってたんですよ。どこかの病院の集まりに行くだけの、口実なんじゃないかと、子供のときに思ってたんですけど、あれほんとですね。」
「例えば、今日、すごいいいライヴを演ったと。ものすごい信じらんないようないいライヴだったから、これはもう、みんなに、どんなにいいライヴだったか、もう、ずっと語ってほしいと、僕の目の前でと。そういう夜にしようじゃないか。とか言って、朝まではしゃぐと、次の日、影響が出たりするので。……最近、僕の中で静かに思ってることは、あきらめ力みたいなこと。例えば、こんなに素敵なパフォーマンス演ったのに、なんでこんなにこう、出逢いがないんだろうとか、女性が微笑みかけてくれないんだろう、と。コンサート終わった後に。」
「そこに耐えてかないと。」
「おかしいな、とか思うんだけど、それが、あきらめ力ですね。真摯にその、粛々とそうであろうがなかろうか……」
「30代じゃないんで。30代のときは、もうぶっちぎっちゃうんで、喜びと共にね。そこへ行けない訳ですから。それもね、慣れますよ。僕も相当、慣れたんで……」
「最近はそれが…… "あきらめ力" っていうのが。"粛々力" みたいのが付きました。この前、僕、(坂本さんの)コンサート観たじゃないですか。素晴らしいコンサートなさって、その後どうなさったんですか。みんな、俺を囲め、って感じでしたか。それとも、静かに帰っちゃうんですか。」
「静かに帰っちゃうんですね。これも老化なんですが、時間も遅いから(笑) あまり消化できないんでヘビーなものは食べれないし、美味しいお酒も少し飲んで(笑) 体力ないので、朝まで気を失うまでは飲めないんで、いろんな事を諦めないといけないんですよね。これでいいんだっていう、マインドを変えていかないといけないんですよね。」
「だからね、音楽も当然、だから、どっかで変わってくるはずなんですよ。僕は最近はですね、もう居直って、僕は60なんですけど、60にしかできない音楽がある、と。当然その、20代、30代のときのような、いい意味で乱暴でエネルギーのある音は、もう出ないんですよ。どうやっても。シンセでやっても出ないですから。だから、逆に今のような枯れた良さっていうのは、その頃は出来ないんで、やろうと思っても。だから今しかできない音楽があるので。」
「この前、コンサート観て思いましたけど、やっぱ、ずーっと坂本さんて、セクシーですよね、とりあえず。あの、ものすごく、突出した存在として。ものすごくセクシーだなと思いました、音楽が。それはもう、他の追随をゆるさない感じ。それはすごく感じましたね、セクシーだなと。」
「そうなんですか(笑) 細野さんの音楽もセクシーなとこがあるでしょ。」
「すごいセクシーですね、感じます。でも坂本さんもやっぱり、……下品な言い方すると、エロい。ちゃんとした言い方すると、セクシーだなと。ええ、思います。で、そこは加齢感は全く感じないです。」
「それは、保持したいですね。そのセクシー感はさ、70になってもさ、ある人はあるじゃない。100歳を越えても生きてらっしゃった、大野一雄さんていう舞踏の方も、ある意味でセクシーでしたよね。かっこいいですよね。……だからと言って、老いを賞賛するのもいかがなものかと、なんで老いの話になっちゃったんだろうね。」
「セクシーさって何だと思いますか。」
「元々、持ってる才能の大きいんですけど、訓練したりっていうよりも、もともと持っているエロさや色気だと思いますけどね。それが、表に出てるんだと思いますけど。あの、坂本さんのような経歴で、坂本さんのような仕事をなさった方でも、坂本さんのような音楽になってる人は、全く居ないので……例えば、学校を出られたりとか、多忙を極めたセッション・ミュージシャン時代とか、坂本さん以外にもいると思うんです、そういう人は。でも坂本さんのような音楽にはなってないので、やっぱ、元々、持ってるものとしか思えないですよね、僕としては。」
「自分の音楽のセクシーさっていうのは、どう……」
「理屈じゃないとは思いますけどね、坂本さんの音楽もそうですけど、セクシーであらねばとは思います。」
「まあ、言ってみれば、ブラック・ミュージックっていうのは、基本にあると思うんだけど、セクシーさっていうのが、まあ、基本中の基本だもんね。」
「そうすね、女性に対する求愛の活動でもありますし、女性がそういう、こう、気持ちになってくれる……ための活動でもあるので。」
「色気があるっていうね。まあ、一言で言っちゃえば、女好きっていうかね。いつまでも(笑)」
「そうですね。うん(笑)」
「ピカソなんてかっこいいもんね、あの人は固まりじゃないですか、もう(笑) はみ出してるじゃない、ね。人物からもう、それがはみ出てる感じがしますけど。」
「僕はもう、そうじゃないすけども、"英雄色を好む" って言いますし。」
「え、そうじゃないんですか。」
「僕…… "英雄色を好みたい" って感じですかね(笑) "英雄色を好めればなあ" ですね。」
「なんか、こう、ジャンルを作るんですね、おもしろいですね、言葉もね。言葉がおもしろいと言えば、「ぶーしゃかLOOP」 ……延々と聴いてられますよね。」
「やっぱりこう、改めて聴くと、JBの影響がありますよね。もう、若いときは、黒人になっちゃいたい!ぐらいの感じですか。」
「なっちゃいたいっていうか、凄い好きでしたよね、たまらなく。スライ(&ザ・ファミリー・ストーン)とかも。論理性を越えちゃうやつが好きでしたね、これ、どうなってんだよ。とか、論理でこういうことだからっていうのを、ちょっとだけ越えてるやつが、すごい好きでしたね。だから、そうであらねばとは思ってました。」
「でも、打ち込みで作っていくと、すべてはパーツで、きちんとコントロールできちゃうんで、なかなかその、そういうとこまで持っていくのが難しいじゃないですか。スライのような奇跡的なバンドだったら、それぞれの人がすごい能力があったり……」
「いろんなマジックがあそこには入ってて、例えば、何人かが白人であったりとか、あと意外とメロディアスな曲が書けたりとか、コード進行に対する才能があったりとか、いろんな要素が合体してはいるんですけども、すごい才能。でも結果的に出来たものが、身体性のすごい高いものになってて、おもしろいなとは思いますね。すごい好きです。」
「で、やっぱり教会音楽の影響が強いなあ、黒人音楽はね。要はそこの背景の部分は切り取られて、日本に輸入されて、まあ、表面的に聴いてるからね、ふつう、僕たちはね。だから、アメリカ人の黒人のコミュニティでの受け取られ方とは、また随分違うと思いますけどね。」
「坂本さんは、あの……M1とか、ああいうのが出る前って、例えばオーバーハイムがあって、プロフェットがあって、PPGがあって、その当時、マルチシンセがなかったから、PPG70パーセントくらいで輪郭のある音を出して、プロフェットにリバーブかけて、音圧出さないで、低域こう落として、鉄板系のリバーブかけて明るくして、それぞれをMIDIって、どーんって音出して、またパーセンテージ減らして、ってやってたじゃないですか、昔はね。今はもう、マルチでぽーんと出るじゃないですか。その練りにねってやってた事が、あの時しか出来なかったような事が、今もうやらなくなりましたよね、みんなね。」
「いや、プロフェット1台でも、そういうような事があって、結局アナログだから、どこまでも細かくいける訳じゃないですか。デジタルの場合なら目盛りがカチッといけば、その途中は飛んじゃいますけど、やっぱアナログだから機械の特性もまちまちで、ほんとフィルターとか、ほんっとに真剣に(笑) そのツマミのポイント決めるのに何時間もやってましたね。」
「その熱狂的なぐらいのまでの、その音色製作って、やらなくなるじゃないですか、こう、マルチシンセが出て……」
「プリセットも多いから、その何千もの中から、まあ使えそうなのを、4個〜5個、10個くらいあれば、めっけ物みたいな、すごいイージーな感じになっちゃって駄目ですね。いや、反省してるんですよ、僕(笑)」
「そういう気っていうのかな。その入魂している気って、音に出ますね、絶対に。そういうのを聴いてるっていうところありますもんね。あの、外国のものにしてもね。そういう気が入ってるかどうか、みたいな。感じますよね。演奏者のそういう気も感じるしね。姿が見えるときもありますしね。」
「そういうのやらなくなると、"ウィザード力" っていうか、なんかこう、出来合いの物でやっちゃうので、考えられないような音が出たりしないので。でも、僕もずっとそう思ってましたけど、作曲もしなくちゃいけないし、リズムも作らなくちゃいけないし、生きていかなくちゃいけないし……」
「恋愛も(笑)」
「恋愛もしなくちゃいけないし(笑) そうですね、そこもなんかこう、こう粛々と受け止めながらやってかなくちゃいけないなと、今は思ってますけど。」
「というような感じで、岡村さんの今年の豊富みたいなものは、ありますか。」
「今年の豊富……健やかに……健やかに、社交的に、生きていく、ですかね。あとコンスタントに仕事をしながら、粛々と。」
「ぜひ、ツアー観に行かせていただきますよ。」
「よろしくお願いします。」
<"新春対談" 3組目は、國分功一郎さん。>
「"新春対談" 3組目は、若き哲学者ですよ。高崎経済大学経済学部准教授の國分功一郎さん。30代……30代の哲学者ってどういう人なんだろう、ってね。そんな人がいるんだね、やっぱり20代も30代もいますかね、今でも哲学者と言うような人は。あんまり見ないですよね、普段。名刺交換しても "哲学者" って書いてないですよね、普通ね。僕は何度か、お話したことあるんですけど、素晴らしい人ですよ。國分さんの『暇と退屈の倫理学』という本が、とても評判が良くてね、売れてるんですけど、これ面白いんで、ぜひ、読んでください。読みやすいですけど、すごく深い事も書いてある。」
「明けましておめでとうございます。」
「どうも、明けましておめでとうございます。」
「どうですか、この暮れから正月にかけて。僕なんかは、選挙結果を受けて、翌日はもう、使い物になりませんでしたね。」
「僕もそうでしたね。昨年の末の日曜日に選挙があって、で、月曜日が僕、授業なんですけど、僕、大宮から高崎まで新幹線で通ってるんですけど、間違えて越後湯沢まで行ってしまってですね(笑) ぼけっとしてるなと思って、授業もなんか気合いが入らなくてですね、いつもは立って大声でやっているんですけど、ずっと座ってぼけっとしていました。ちょうどそのとき、カントの『永遠平和のために』っていうテキストをやって、やっぱ希望があるんだ。っていうのを喋りましたけども、しかし、僕の身体には希望がないような感じで(笑) 座り込んで授業してましたね。ま、東京の人は、都知事選とダブル選挙だった訳ですけど、まず都知事選が、猪瀬(直樹)さんが驚くような票を取って当選されて、で、国政の方は、言われていた通りとはいえ、自民党が驚くべき数の議席をとって、まあちょっと、あそこまで差が出る。っていうのは、もう、謎がありますね。それに、坂本さんも僕も関心あるとこですと、脱原発っていう大きな世論の動きがあって、まず、6割くらいの人が脱原発と思っていると言われてますけど、その意見っていうのは、どこに行ってしまったんだろうか。っていう、非常に不思議な現象でしたね。」
「かなり "脱原発" を争点にして盛上がる選挙かなと思っていましたよね。それが "反民主党" という国民のセンティメントによって吹き飛んでしまった感があるんですけども。今年はどうなるのか、去年からの推移っていうのを概観して、何か感じるところはありますか。」
「まず民主党政権がどうして出来たかって言うと、結局、自民党の前のばらまきができなくなって、自民党も反省して、構造改革路線に行って、でまあ、両方できなくなっちゃって、第三の道が求められるっていう、ある種、民主党の人気があったというよりは、どうしようもなかった訳ですね、新しいところに賭けるしか。そういう形で誕生したと。で、結局、民主党自身が、どういう風に政治を進めたらいいかって、はっきりとしたビジョンは無かったと思うんですね。で、新しい政治を作るには、僕ら多分、10年くらい待たなきゃいけない、って僕は思ってたんですよ。でも待てなかったですね。マスコミも結局、昔のやり方で、ちょっと問題があるとすぐそれを叩くという形で、ただ、民主党が新しかったのは、鳩山さんも管さんも、ある理念みたいなのを出したんですね。友愛とか、あれは非常に新しい政治のやり方だったと思うんですね。で、みんなもまあ、ちょっと歯の浮くような言葉だけど、付き合ってみようと思った。ところが、彼らにまったくその現実的な政治のセンスがなかったもんで、で結局、やっぱりこんな理念とか言ったってだめじゃないかってなって、そこからの揺り戻しが凄かったんだと思うんですよね。」
「諦めるの早いですよね(笑) あるいは、その理念をちょっといいなと、みんな思ったんならば、それが実現されるように協力してみるとかね。むしろやっぱり、叩く方ばっかり隙をうかがって、まあ、メディアがやるので国民もその気になってしまうようなね。ひとつのレポートによると、例えば、フランスなんかは国民の感情として、マスメディアが言ってることは信じない。まず疑ってかかる。っていう感情があるでしょう、フランス人の特性というか。国民の4割くらいしか信じてないそうです。それに比して日本は、7割だそうです。信じやすい(笑) 僕は割と信じない方ですけど。」
「僕、フランスに5年くらい留学して居たんですけど、政治とかに対して距離を取るっていうのは、当り前なんですよね。で、風刺の文化があるじゃないですか、フランス革命くらいから。ああいう形で政治家なんて馬鹿にするものだし、メディアなんて信用できないし、俺たちがきちんと路上に出て大声出して言わなきゃだめだ。っていう、そこは日本と全く違いますよね。」
「ヨーロッパには、比較的、そういう伝統がありますよね。政治家なんて、とか、政治なんてどうせ世界中そんなものさ。っていう事は、よく聴きますよね。日本だと、昔はスタンダップコメディアンでコロムビア・トップ・ライトっていうのが居たけど、そういう風刺の文化がなくなっちゃったのかなあ。」
「あとは、読売新聞が世界一の発行部数、ということから解るように、強力にメディアが統制されてますよね。それで、日本人ほど、よく新聞を読む国民は居ない。って昔から言われてますけども、毎日、ある新聞がひとつのオデオロギーを出して、1週間に1回、週刊誌がそれを補足して、で、テレビが音と映像を付けて。非常にばっちり統制されてるんじゃないですかね。」
「これまあ、安倍政権が誕生して、革命とまではいかないけど、政権交代であるんだけど、彼ら自民党がいわば、メディアをずっと押さえてた訳ですから、60年くらい。そのメディアの根っこを押さえているから、強いに決まってるんですよね。革命をやる側が、メディアを押さえている訳ですからね。それは、やられて初めて気が付いた感じはあるんですけどね、僕もね。そうか、っていう。」
「政治文化っていう概念がありますけども、時代と共に、日本の政治文化がもう少し変わっていかないといけないんじゃないかなあって感じがすごくあって、やっぱり、対立と、反対と、いちゃもんみたいので、ずっと来てるんですよね。それはもちろん自民党が強すぎたからなんですけれども、やっぱりもう、みんなで提案して、みんなで政策を組み立てて考えてやっていくっていうのが、非常に抽象的な言い方ですけどもね、そういう雰囲気が出てこないといけないし、民主党政権になったとき、やっぱそうなんないといけないと思ったんですけど、全然そうならなかったですよね。だから、ほらできないじゃないか。っていう事だけを、マスメディアが書き立てたってことですよね。」
「國分さんがフランスに5年間、留学していたということで、國分さんのブログに載っていた、フランスのデモの話が面白くて、かいつまんで話してください。」
「ジブリのPR誌のデモ特集に、なぜか僕が寄稿してるんですけど、その文章なんですけど、要するに、フランスのデモって、みんなで歩いてるだけなんですよね。その事を書いたんですよ、歩いてるだけでいいんだと。で、みんなが集まって、こんなに人がいるよって事を、存在として示す事がデモの役割であって、別に、そこに来てる人がものすごい高い問題意識とか、ものすごいコミットする気持ちとかを持ってる必要はない。っていうことを書いたら、ものすごい多くの人からリプライをもらって、すごく胸のつかえが取れました。とか、自分はこんな生温い感じでデモに参加してて良かったのかな、いいのかなこれで。って思ってたんですけど、すごく気が楽になりました、っていう感想をたくさんいただいて、なんでみんな、デモなんて、どれだけ小難しく考えてたのかなって思って、びっくりしましたね。」
オーディション・コーナーで紹介した作品はこのサイトでも試聴できます。またコーナーは、全体を世界へ向けてポッドキャスティングでインターネット配信しています。すでに著作権管理団体に登録している作品の応募は受け付けられませんので、オーディションに応募される方はご注意下さい。
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