<今回のナビゲーターは経済思想家の斎藤幸平さんです。>
「経済思想家の斎藤幸平です。坂本龍一さんが二ヶ月に一度お届けしているJ-WAVE レディオ・サカモト。今回も坂本さんは残念ながら病気療養中のためお休みです。僕、斎藤幸平がナビゲーターを担当します。初ナビゲーターということで緊張しておりますけれども、代演の僕に坂本さんからメッセージが届いているということで、代読させていただきます。」
どういうキッカケで斎藤さんの名前と仕事を知ったんだっけ。
それ程前のことではないのに、もう思い出せない。
こんな若くて一見「いまどき」な青年がマルクス?!という軽い驚きもあったし、斎藤さんがアメリカで行った大学のことを知っているので、親近感もあったんですよね。
とにかく『人新世の「資本論」』の大ヒット、おめでとう。
NHKにもお茶の間にもマルクスの名前が飛び交う日が来るとは!
感慨ひとしおです。旧世代のマルクスに対する忌避感が払拭された感があります。そのことだけでも、斎藤さんの功績は本当に大きなものがあると思います。
今後の研究が楽しみです。
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「いやー、ありがとうございます。坂本さん本当にいろんな形で応援してくださっていて。私は、坂本さんがどういうふうに私の名前をご存じになったのかは知らないんですけれども、ファーストコンタクトはですね……Facebookで坂本さんの個人アカウントみたいなものから、ダイレクトメッセージが急に届いて、「 坂本龍一です。 」っていう一文のメッセージだったんですね。で、これは……迷惑メールだなと思ってすぐ無視したんですけれども、その数週間後にアジカンのGotchさんと会った時に、「なんか齋藤さん、坂本さんがFacebookの申請無視されたって言ってたよ。」と言われて、えー、あれは本物だったんだ!というふうにすごい驚いてですね、それですぐにお返事したのを覚えているんですけれども。それからはこの番組も含めて、いろいろなところに呼んでくださったり、私の『人新世の「資本論」』の帯に推薦文を書いてくださったり、本当にお世話になっていてですね。今日はピンチヒッターとして、少しでもその恩返しみたいなものができたらいいなというふうに思っております。」
「今回はゲストをお二人、お迎えします。お一人目は、アーティストのコムアイさん。先日の雑誌の取材でファッションの未来について対談しましたが、今夜は「対話の可能性」について、お話ししたいと思っています。そしてもう一方は、哲学者の國分功一郎さん。レディオ・サカモトには2回目の出演となります。そして、いつものオーディションコーナーは、U-zhaanさん、長嶋りかこさん、蓮沼執太さんが務めます。」
「そして、番組からのプレゼントは、坂本龍一さんが帯のコメントを寄稿された藤原達志さんの著書『分解の哲学 ― 腐敗と発酵をめぐる思考』と、今日ゲストの國分功一郎さんも執筆されている「「利他」とは何か」、そして僕の最新著書『人新世の「資本論」』をセットで5名様にプレゼントをしています。僕の本には僕のサイン、藤原さんの本には藤原さんのサイン、國分さんの本には國分さんのサイン入りです。欲しい方は、番組の感想などとともに応募していただけましたら嬉しいです。」
■藤原辰史さん、斎藤幸平さん、國分功一郎さんのサイン入り著書をセットでプレゼント!
RADIO SAKAMOTOからのプレゼントです。
今回は、
○藤原辰史さんの著書『分解の哲学』(藤原さんのサイン入り)
◯斎藤幸平さんの著書『人新世の「資本論」』(斎藤さんのサイン入り)
◯國分功一郎さんも執筆されている著書『「利他」とは何か』(國分さんのサイン入り)
以上3冊をセットにして5名様にプレゼントします。
番組の感想やメッセージも、ぜひお書き添えのうえ、コチラからご応募ください(教授と番組スタッフ一同、楽しみにさせていただいてます)。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。
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<対談:コムアイ × 斎藤幸平>
「コムアイさんから "対話" をテーマに話したいって言われてドキッとしたんです。」
斎藤「コムアイさん、坂本さんと接点があったりします?」
コムアイ「はい。NO NUKESのイベントがあった時にお会いしました、楽屋で。一方的にはもちろん昔から知ってましたし、震災前後の頃とか反原発のことをたくさん発信されているのも拝見してたので。」
斎藤「コムアイさんもけっこう最近、気候変動の対策を求めるYouTube配信出られたりだとか、積極的に発言されてますもんね。」
コムアイ「そうですね。社会課題に対する関心っていうのは、中学生とか高校生ぐらいの時から結構強くあったんですけども、音楽活動をしていく中で、それが前面に出すっていうのは、なんか……どうなんだろうかっていう、やきもきしながらやっていて、実はそういう発言力を将来的に持ちたいと思って始めたところもあったんですけど。」
斎藤「うん。」
コムアイ「もう、音楽家は黙っとけっていう……政治のことに口出すんじゃない、みたいな空気も感じていたので、でも、いや思ったことはもっと言わないといけないし、みんながどういう立場でも、政治に関わらない人っていないなと思って、発言していかなきゃなっていうふうに今は思っています。」
斎藤「Gotchさんとかもそうですけど、コムアイさんも、この間(かん)、本当にいろいろ積極的に発言されていて、一回、SPURっていう雑誌で、ファッションの未来と持続可能性みたいな話については対談させていただいたんですけれど、 今日もう一回、ちょっともう少し広いテーマで、ぜひお話を伺いたいなと思いました。」
斎藤「今回、何を話しましょうかって、コムアイさんとちょっと相談したときに、コムアイさんの方から、"対話" とか "対話の可能性" についてぜひ話したいというご提案をいただいて、今日は、なのでテーマは「対話」なんですけれども、コムアイさん、その対話に関心を持たれている理由とかあるんですか。」
コムアイ「そうですね。例えば学校でも、答えはだいたい決まっていて、正しいことは決まってて、それに従うということを、とにかく訓練させらるような特徴があると思うんですよね。答えがないことをみんなで話し合って、答えが出ないんだけど近づいていく……みたいな、そういうことすごく大事だと思うんですけど、問題が起きたら、とにかく先生に解決してもらうということだったりとか。それって例えば、駅で誰か困っている人がいたりしたら駅員さんに任せてしまおうってしたり、区のこととか市のことは議員さんに任せよう……というふうになってしまうと思うんですよね。でも、駅で困ったことがあったり、困っている人がいたりしたら、市民が助ければよかったりすることもあると思うんですよね。」
斎藤「うんうんうん。」
コムアイ「世の中で起きてること、自分が関わる問題に積極的に関わって解決するっていう、なんかその感覚自体は教育によってこう欠如しているっていうことはあるかなって思いますね。」
斎藤「教育という話を出されると、もう本当に僕自身も、いま大学っていう場で教育をしている身として、今日だから「対話」というのをテーマにしたいです……って言われたとき、ちょっとドキッとしたんですよね。」
コムアイ「(笑)」
斎藤「対話っていう問題は、実はすごい大変なテーマだなと思っていて。でもまぁそれは、いくつか理由があるんですけど、まず1個目としては、哲学ってそれこそ最近対話哲学とかも言うし、割とソクラテスこそ対話の哲学みたいな感じがあるから、哲学者って結構対話して、それこそ答えがないような自由とは何かとか、平等とはなにかとか、そういう大きな問いをいろいろ考えている人たちなんじゃないか……っていうふうに、もしかしたら思われている方もいらっしゃるかもしれないんですけれど、他方で現実の大学とかで教えている哲学の研究している人たちって、「カントは何を言っていたか」とか、僕だったら「マルクスは何を考えていたか」みたいな……「マルクスの自由とは」みたいな、そういう感じで一歩間違うと、俺の方がマルクス知ってるぜみたいな……答えが実はあって、それに俺の方が近いんだ。みたいな、さっき仰っていたような、答えがあるところに向かって、みんなで競争しているみたいな……そういうことになりかねなくて、でもそうすると全然対話じゃなくて、なんなら下手すると俺の方がいろんなのを読んでいるみたいなマウントの取り合いみたいになっちゃう、っていうのがあって。だから、最近のそれこそ、前回このレディオ・サカモトにも出られていた、永井(玲衣)さんとかがやられているような……これまでの哲学研究者、特に日本の哲学研究者たちにとっては、いちばん盲点的なものを突いているというか。やっぱ非常に重要な問題提起をされているし、それを実践に繋げられている方だなぁなんていう風に僕は思っているはいるんですけど。だからそういう意味でいうと、僕自身もやっぱり対話というのは、まだまだ確かに一方的に発信して、講演をやったりだとか、メディアの発信はするけれど、いろんな人たちともっと向き合ってということは、まぁコロナで難しいというのもね、もちろんあるんですけれど、今やっぱもっともっと知っていかなきゃいけないというのは……だからその今日、「対話」って言われてドキッとした(笑)。やっぱりマルクス主義ってね、対話苦手なんですよね。」
コムアイ「え、そうなの?」
斎藤「なんかマルクス主義って、あんま対話って感じしないじゃないですか(笑)。どっちかっていうと、なんかこうゴリゴリしているっていうとあれですけど……ソ連のイメージとか中国のイメージとか、こう独裁みたいなイメージがあって、僕はやっぱそういうのはもちろん、全然間違っていると思うし、もっともっとこう人々の参加とか対話とか民主主義っていうのを重視しなきゃいけない……それはまぁもちろん前提としてね。他方で、政治ってやっぱ必ずしも対話じゃないよな、っていうのもあるんですよね、僕の中で。」
コムアイ「へー。」
斎藤「これ、どういうことかというと、ちょっとなんか哲学っぽい話……ってかどっちかっていうと勉強っぽい話になっちゃうんですけど、(ユルゲン・)ハーバーマスっていう哲学者がいて、彼はわりとその、熟議民主主義っていうのを提案していて、熟議……すごいみんなで、それこそたくさん対話して、自分たちのこう、エゴを捨てて理性的な対話を通じて、みんなで良い社会を作るための法律とか政策を対話を通じて考えていきましょう、ということを打ち出した哲学者なんですよね。」
コムアイ「はい。」
斎藤「それに対して、結構そのマルクス主義から影響を受けた人たちが、批判をした歴史があって。……で、その中の特にシャンタル・ムフという女性の哲学者がいるんですけれど、彼女は、政治ってそういうものでじゃないでしょ。だって政治って、実際にはハーバーマスみたいな世界だって、みんな平等で、それこそそういうさっき言っていたパワーバランスから自由になって、それでみんなで社会の問題を一緒に考える、みたいな。……そんなものできれば理想的だけれども、現実においては、お金持ちの人と貧しい人たちがいたりとか、男性と女性のジェンダーの不平等があったりだとか、人種的な差別があったりとかする中で、それでみんなでこう、平等なことを一緒に立場で考えましょう、というのは結構、暴力的なわけですよ。むしろそこにあるような不平等の経験とか、それに対する……怒りとかが政治にとっては非常に重要な原動力になるわけですよね。ところが、そういう怒りとかって、いやいやもっと理性的にみんなで話さなきゃいけない、これは普遍的なことを考える場所なんだから、そういう個別的な怒りとか持ち込まないで……という風になってしまうと、それはなんかある種のトーン・ポリシングみたいになったりだとか、結構本質的な経験というものを、それはあなたの経験だから政治には持ち込まないでください、みたいな排除の仕方になってしまって。で、ムフはそうじゃなくて、むしろそういうところにこそ政治の本質はあるんだ、みたいな話。だから敵対性っていうのが政治にとっては要なんだ。」
コムアイ「うんうん。」
斎藤「で、こういうのって非常にマルクス的なんですよね。やっぱり、マルクスの場合は階級闘争ですけど、やっぱりそういう労働者対資本家というの、そこで平等に話そうよって言われても、いやいやちょっと待ってくれよみたいな感じになるわけで……っていうスタンス、学問なんですよね。」
コムアイ「なるほど。そっかそっか、労働者階級の哲学ですもんね。そういうスタンスっていうか。」
斎藤「戦いみたいになっちゃうんですけど。」
コムアイ「うんうん。なるほど。だからそれが行き過ぎたりとかすると、いろいろな事件が起きたりとか、してきたわけですね。」
斎藤「まぁ、そういう問題はある一方で、そういうのはなくしていかないといけないと思うんですけど、じゃあ全部みんな対話で仲良く話して解決しようよ……っていうのは、それはそれでやっぱり、それはなんか政治じゃないんじゃないの……という気もずっとあるわけですよ。例えば、気候変動問題もにしたって、やっぱり今のお金持ちの人とか大企業とか、そういうところから献金もらっている政治家の人と、まぁ僕らとか、もっと若い世代の、Fridays For Futureの子たちとかが、単に対話して、ね、みんなでじゃあ止めましょう、みたいな話に絶対なんないじゃないですか。」
コムアイ「ならない(笑)。」
斎藤「(笑) で、もっとそれこそ本当に座り込みしたりとか、デモしたりとか、いろんなストライキしたりとか、まぁ原発の問題の時もそうでしたけれど。だからそういうこう、Conflictっていうのは、むしろ重要というか本質的なんじゃないかなというのは、ありますね。」
コムアイ「なんか、戦うんじゃなくて対話して解決しましょうということ……ではなくて、やっぱりシステムは変わっていくには、それって絶対Conflictだと思う(笑)。思うし、その一部の人が握っているものを手放してもらわなきゃいけないと思うんですよね。」
斎藤「そう。手放させなきゃいけないですよね。」
コムアイ「斎藤さんの本を読んで、より強く思ったんですけど、世界の本当に上位数%の人たちが、少しだけ譲れば富がすごく分配されるっていう……でも、そこがあんまり見えないようにしてあるということで、私たちをコントロールされてるっていう感覚が今はすごくするので。それは、もう立ち向かっていかなきゃいけないんだけど、私が思う対話や議論……必要だなって思うのは、そのConflictの為にこう気持ちを強くしたりとか、やっぱりこっちに向かっていくべきだよね、ということを共有する……仲間の中での議論かな、と思いますね。」
斎藤「ああ、めっちゃそうだと思いますね。やっぱりそのマルクス主義って、そこでこうすごい、いや戦わなきゃいけない、敵は強いんだから、みんなですごい団結しなきゃいけない……ってなった時に、だからその内部で例えばこう……裏切る奴が出たらもちろんあれだけど、ダラダラしている人とかやる気がない人とかいたらあれだから、すごい縛りつけを厳しくしなきゃいけない……みたいになっちゃうと、本当に危ない集団になっていっちゃった、っていう、そういう誤りの歴史というのは確実にあると思うんですよね。だから、いま本当にコムアイさんがおっしゃったように、ある種、Conflictをするためにも、その中ではしっかり対話をする……というような文化を作っていかなきゃいけないっていうのは、今までの社会主義とかコミュニズムってすごい垂直的なんか、絶対的な党の支配があってみたいな……そういうのは本当に解体しなきゃいけないな、っていうのはありますね。」
コムアイ「うんうん。」
斎藤「だからなんか、すごい複雑で、今日これ……今ね、まさに最先端ですごい起きている議論なんですよ実は、政治理論の中で。それで、こういう垂直型は終わりだと……もう時代遅れだと。それに対して出てきたのが、水平的な運動だったんですよね。オキュパイ・ウォールストリートとか、ああいうのってリーダーがいない、誰も中心的なメンバーがいないで、みんな自発的に集まってきて……というような運動だったんですけど、あれそこそこうまくいったように見えたんだけど、結構最近その研究が進んでくる中で、実はそういうリーダーがいない運動っていうのも、リーダーがいないからみんな平等で対話がガンガンできると思ってたら、実はそうじゃなかった、っていう研究があるんですよ。何でかっていうと、リーダーなしでみんな集まって、直接民主主義みたいな感じで、assemblyっていって集会をやって議論したりするんですけど、それするとどうなるかっていうと、結局いまの社会のパワーバランスみたいなのが、その中にも持ち込まれちゃうんですよね。要するに、その中で男性が中心主義的な役割を果たすようになったり、やっぱりこう何かものをよく知ってる人たちが積極的に発言をして、まぁ最終的に声が大きい人がそこのルールを決めるようになっていっちゃって、その運動に興味はあったけど、あんまりそれまで知識がなかったりだとか、人前で喋ることが苦手だった人とかは、どんどんこう……周辺に追いやられてしまったみたいな、そういう問題があったらしくて。だから単に、垂直はだめだけど水平にしていくとっていうのも、やっぱりそれはそれで限界があるんだっていう。じゃあどうすんだって話なんですけど(笑)、やっぱルールづくりって必要だと思うんですね。」
コムアイ「そうですね。」
斎藤「こういうことはしてはいけないとか、相手の言うことを否定しちゃいけないとか、あとはそういうのをこう……練習する場所とかね、そういうのにやっぱり参加する人々の余裕。」
コムアイ「うんうん。」
斎藤「議論をしたり考え続けたりするのってすごい大変じゃないですか。日々の生活に追われていたら、そんな考えてる暇もないから、誰か適当に決めておいて。っていうふうに、多分なっちゃっているのが、今の結果だと思うんですよね、この社会の。そういう意味でいうと、今回のコロナで、やっぱり日本も多くの人たちがそれに振り回されたりだとか、なかなか政府の対応が遅れ遅れになってしまってとかっていうことで、国に頼っているだけじゃダメなんじゃないか、っていうふうに思っている方たちも多いと思うんですよね。」
コムアイ「そうですよね。」
斎藤「だからこのコロナを、みんなワクチン打って忘れちゃうんではなくて、自分たちでやっぱりなんか始めていかないとそれこそ自分たちの身は自分たちで守らないと……この社会も大変なことになるし。民主主義も危ないな、というふうに思ってくれる人たちが、多分いまは結構いると思うんですよね、感触的には。そういう人たちが今度またコロナが終わって直接対話ができたりする時になったら、やっぱりそれこそ対話の哲学っていうのが、すごい重要になってくる……かもしれないですね。」
コムアイ「うんうんうん。いやー、本当そうですね。」
斎藤「僕らはそれでいうとね、アリシア・ガーザさんという方が……ブラック・ライブズ・マターのリーダーの一人なんですけれど、彼女は日本語でも翻訳になっている本があって、その本の中で、「今まではリーダーレスの運動を目指してきた」と。さっき言ってたオキュパイみたいな水平型の、リーダーがいないような運動を目指してきたけど、これからは「リーダーフルな運動をつくっていこう」……つまり、かつてはレーニンとかチェ・ゲバラとか毛沢東みたいなリーダーはもういなくていいんだけど、そうじゃなくてみんな一人一人が自分の持ち場で責任感を持って判断したり、アイデアを出していけるような、リーダーフルな存在になっていこうと。そのためには、もっともっといろんな組織とか対話の場を作っていって、それでこう社会運動をもっと大きくしていけばいいんじゃないか、っていう話を彼女がしていて、僕はすごいそれから勇気を今もらってるっていう感じですね。」
コムアイ「なるほど。」
斎藤「そのあたりも、もっともっと日本でこれから盛り上げていけたらいいし、その際にはコムアイさんといっしょに対話を、なんかどこかで……学校かどこかわかんないですけど、していきたいなと風に思っています。」
コムアイ「うんうん、なんかそういう機会があったら全国の皆さん、ぜひお声掛けください。」
斎藤「今日はその対話についての対話みたいな感じになってしまいましたけど、これからもいっしょに皆さんと考えていきたいなという風に思っております。」
コムアイ「はい。」
斎藤「で、そろそろちょっと別れの時間になってしまったんですけれども、コムアイさん何か告知がありますでしょうか。」
コムアイ「はい。えっとですね、去年制作した作品なんですけど、屋久島に行ってオオルタイチさんとパフォーマンスをした……映像作品なんですけど、ライブパフォーマンスの。カメラで映像として撮っているのではなくて、スキャンしてですね、空間を丸ごと。パフォーマンス中ずっとスキャンしていて、そのすべてその場所のデータをまず撮って、その後、その空間をカメラが移動してアングルを決めていくという特殊な映像の作り方をしてみたんですね。なので透けてたりするんですけど、表面だけになっていて、自分の体の中にカメラが入ったりとかするんですけど、そういう結構面白いもの作ったんですね。『YAKUSHIMA TREASURE ANOTHER LIVE』っていうふうに検索していただいたら出てくると思うんですけれど、それが、カンヌライオンズのブランズの賞をいただきまして、しばらく出してなかったんですけど、また配信することになりました。」
斎藤「おお、すごい。」
コムアイ「あとは、HYPE FREE WATERっていうプロジェクトも最近やってまして。アートディレクターの村田実莉ちゃんという子と2人でやっているんですけど、特に水にまつわる私達の疑問……例えば、ペットボトルに水が入ってなきゃいけないのは何でとか、入ってなきゃいけないのかとか、水はどこから来るのかとか、下水処理ってどうなっているんだろうとか、そういうことをフィールドワークしながら、架空の未来の広告みたいなのを作って、Instagramとか、各々の媒体で発信するってことで活動しているプロジェクトです。そんなこともやっているので、よかったら(笑)、見てください。」
斎藤「これからこの発信をきっかけにして、また新しい対話の場が生まれることを願っております。」
コムアイ「はい。」
斎藤「斎藤幸平がお届けしているJ-WAVEレディオ・サカモト。この時間はアーティストのコムアイさんをお迎えしました。どうもありがとうございました。」
コムアイ「ありがとうございました。」
<対談:國分功一郎 × 斎藤幸平>
「哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ。」
斎藤「ご無沙汰しております。」
國分「どうもこんにちは、ご無沙汰しております。よろしくお願いします。」
斎藤「実は会うのが2回目で、しかもこうした場で対談するのは初めてということで、とても楽しみにしております。」
國分「そうなんですよ。たぶん知り合ったのは、もう10年くらい前にTwitterか何かですよね。」
斎藤「そう、だからインターネット上でのやりとりはあったけれど、実際に会ったのは2018年に國分さんがドイツのスーパー哲学者、マルクス・ガブリエルと対談をしたときに、その時、僕はガブリエルの通訳として、あのご一緒させていただいたという感じなんですけれども、それ以来ということで。」
國分「いや、ほんと、久しぶりですよね。」
斎藤「今日は楽しみにしておりますけれど。あの実は、國分さん、このレディオ・サカモトに、以前、出られたことがあるということで。」
國分「はい。」
斎藤「で、調べてみると、その1回目の対談時は2013年ということで、その時は、ちょうどですね、民主党の政権から自民党に変わったときのタイミングだったということなんですけれども。國分さんは当時でいうと、小平市で道路の328号線という……ちょっとリスナーの方はご存知ないと思うんだけど。短い距離1.5キロぐらいのところに200億円くらいかけて、木も切り開いて住民も立ち退きを迫ってというような計画があったときに、住民の方が反対されたりしていて、それに國分さんも関わられていて、まぁ、このあたりの話は、来るべき民主主義という本の中にもあって、その話が、ちょうどこのラジオの時も話題に上がっていたと思うんですけど、もう8年前……どうですかね、この8年間を振り返って。」
國分「そうですね。いやだから、本当にその頃はあの日本社会でも、いろんなことが起こり始め、僕の周辺でも、いろんなことが起こったっていうので、僕にとってはすごく本当に……忙しいというか、いろんなことを考えたり、いろいろ行動しなきゃいけない時期だったんですよね。安倍政権が発足して、やっぱりいろんなことを考えさせられましたね。で、どういうふうに、その行政に住民の声っていうのを届けていったらいいんだろうっていう、すごく重い課題を突きつけられて、しかも……本に詳しく書いたんですけれども、哲学というものがこれまで果たしてきた、まぁ概念上のね、いろんな問題点が明らかになるっていうことがあって、やっぱり哲学をやっている人間として、これに関わらなきゃいけない……そして、さらにそれについてそのことを説明する本を書かなきゃいけないっていう、非常に強い思いがありましたよね、うん。」
斎藤「まぁなんか、僕、今回ちょっとこの本を読み返したんですけど。」
國分「ありがとうございます。」
斎藤「実は民主主義って僕らは民主主義の国に普通に生きていると思っているけど、できるのって投票だけで……でも、実際のさまざまな決定……しかも重要なやつほど行政で行われているけど、そこはノータッチだったり。今のオリンピックとか、見ていても、全然我々の意見は……表明はできるけど、なんか全然、左右できない感じはありますよねー。」
國分「民主主義っていうけど、基本的には議会に行く代議士を選挙で選んでいるだけなんですよね。まぁ例外としてね、市長とか県知事を選べるっていう点もあるんだけどね。で、実際にはいろんなこと国のレベルでも地方のレベルでも、地方公共団体のレベルでも大事なことは、まぁ役所の中で決まっているわけですよね。で、役所の決定に、僕らは直接関わることが全然できない。……にもかかわらずね、そういう代議士を選べているからっていうことで、僕らの社会は民主主義でしょ、ということになってしまう。っていうね、そこがすごくトリックがあるんですよね。」
斎藤「でも、実は僕ずっとだから、その10年ぐらい前からTwitter上で知り合いだった頃から追っていて、そういう意味でいうと、僕けっこうやっぱり……ちょうど一回りくらい違う世代なんですけど、すごい意識してきた……哲学者思想家の先輩だなというのはあって。それはあのもちろん、國分さんが、例えば『スピノザの方法』……スピノザの本を出したりとか、『ドゥルーズの哲学原理』でドゥルーズの本出したりとか、そういう哲学者としての発信とかっていうのもあるんですけれど、同時にやっぱりそういう……今も哲学者としての責任とか使命感みたいな話がありましたけど、それを実際に実践していくっていうのは、やっぱりマルクス主義者としては、すごく重要なテーマじゃないですか。だから、そういう意味では、こういう行動をされているのは本当にすごいなあ……っていうのが、ずーっと8年前の僕、大学院だったんですけど、あって、そういうのを今日ぜひ聞いてみたかったのですが、きっかけがあったんですか。」
國分「住民、まぁさっき言った道路の問題はね、住民投票、結局地元でやるってことになったんだけど、それに関わったのは本当に偶然なんですよ。ちょっと声をかけられたっていうだけで。」
斎藤「うん。」
國分「もともとね、僕、哲学を、まぁ一応大学で教えているんですけど、もともと社会科学で政治学だったんで、やっぱりすごく政治とかには関心はあって、単に論文を書いているだけじゃ駄目だろうっていう気持ちは昔からあったんだとは思いますね。」
斎藤「なんかやっぱり、どうしても社会の哲学のイメージって。象牙の塔にこもって、よくわからないことについて、すごい小難しく書いているみたいなイメージだと思うんですけど。なんかやっぱり國分さんとかのいろんな著作……『暇と退屈の倫理学』とかもそうですし、『中動態の世界 意志と責任の考古学』とかも結構本当に多くの人たちに、哲学の話が届いているな、という感じはするんですけどね。」
國分「いやいや、そんな言っていただいて嬉しいけれどもでも(笑)、それは斎藤さんも同じで、すごくベストセラーになっている『人新世の「資本論」』なんかも非常に多くの人に読まれて大ベストセラーですけど、他方で『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』とか、研究書も出されていて。僕はやっぱりその二つをうまくバランス取りながら並行してやっていくっていうのがすごく、大事だと思っていて。」
斎藤「うん。」
國分「特に最近はさぁ、大学人もその社会貢献とかね……社会にどれだけ研究が貢献しているかとかをさ、見せなきゃいけないというのもあるんだけど、別にだからやってるわけじゃないんだけど、給料をもらって時間ももらって研究しているわけだから、その成果をきちんと社会に還元してくっていうのは、建前じゃなくて本当に思っているところはありますよね。」
斎藤「それ、ガブリエルも結構言うんですよね、やっぱり(マルクス・)ガブリエルも大学は国のお金でやられているし、それをやっぱりしっかりと社会に還元していく責任があるんだ、っていうことを言うんですけど……リスナーの方でも、哲学が社会に還元されるって、どういうことみたいに思う人もいると思うんですけど、そのあたり……哲学の役割ってどういうふうに、國分さんが考えていらっしゃいますか。」
國分「そのやっぱり一言でいうと哲学っていうのはね、「概念」の学問なんだよね。だから、哲学を勉強するっていうのはうまく、哲学的な概念を理解して、自分で体得して使えるようになってく……っていうことだと思うんですよ。」
斎藤「うん。」
國分「だから、大学で毎年4月に一年生が入ってきたときも、僕は学生に最初の学期は、まぁいろんなテーマがあるけど、そのときに扱っているテーマで、みんながこう……うまーく概念を理解して自分の考えの中に組み込んで、それを使っていろいろものを考えていけるようになるっていうね。それを目指しているんですよね。」
斎藤「うんうん。」
國分「だから、例えば、カントとっていう人が何て言ったプラトンとしてなんとか言ったってことも、もちろんすごく大事なんだけど……ある種の、そういう訓練ですよね、概念的思考のね。それが大事だと思っているんですね。で、それをじゃあ社会との関係ってことでいうと、やっぱり社会の中にね、いろいろこんがらがっていて、よく理解されていない問題とかがあるわけですよ。」
斎藤「うん。」
國分「だから、民主主義のさっきの話にしてもね……「住民投票」って話が出たときに、日本は間接民主主義なんだから、直接民主主義はおかしいんだ、っとかっていう話が出てきたりするんですよ。それをきちんと概念的に話を整理しないと、もう全然問題が解けないわけ。そうするとやっぱり、哲学的思考を一応専門にしている人間が、きちんとその概念を、ここはこういうふうになっていたようになっていて振り分けたり、整理したりするっていうことは、まぁすごく大事なことで、社会であるたくさんの問題を考える上で、哲学はあの本当にたくさんのことをしなきゃいけないというふうに思いますね、僕なんかは。」
斎藤「僕、どっちかというと、ドイツ哲学なんであれですけど、ドゥルーズとかも哲学とはなにかとかの本の中で、やっぱり哲学って、あとクリエイティブだって話をしてるじゃないですか、概念を使って……やっぱり新しい概念を作ることができる、それが哲学的な鋭意だっていうことを言っていて。僕はこの『人新世の「資本論」』の中でもやろうと思ったのは、やっぱりどうしても今の社会だと、もう豊かさと言ったら経済成長だみたいな……そういう、固定観念があると思うんですね。例えば、市場こそが効率的であるとか、資本主義こそが最も良い社会であるとか。なんか、そういう固定観念がずっといろいろあるのをやっぱり解きほぐしていって、豊かさというのはもっと別のあり方があるんじゃないか……もっと家族と過ごすとかスポーツをするとか、そういう豊かさはお金を使わない豊かさもあるはずだし、まぁ今回のコロナを見ていても、市場だけが効率的だなんていう風には、到底言えないしとか、なんか実はマルクスがやろうとしたことでもあるとは思うんですけど、概念をやっぱり鍵として、それを揺るがしたり、整理したり、新しいものを作っていったりするのは、今やっぱりこういう時代だからこそ、結構求められているのかな……っていういうのは感じますね。」
國分「いや今さ、本当に世の中、複雑すぎるから……人が何か確信を持って、こうだと思って何か主張するとかって、すごく難しいんだよね。それはやっぱり相当、勉強しないとそうなれないし。」
斎藤「うん。」
國分「だからその時にやっぱり、この『人新世の「資本論」』はやっぱり今の社会、今の経済、今の市場、今の商品のあり方について、やっぱりすごく概念をうまく解きほぐしてくれるから……もちろん、その世界全体について、こうだ!というとこまで主張できるというのはなかなか難しくてもね、あるひとつの問題について、やっぱりこうじゃないか、という確信を持って人が何かを考えたり主張して、意見を言って、そしていろんな人と意見を交わすということが、やっぱりこの本を出発点にして出来るようになると思うんですよね。僕はそれはね、本当に大事なことだと思っていて……ちょっと話それちゃうかもしれないけど、最近、話題の陰謀論というの、ありますよね。」
斎藤「はい、はいはい。旧アノンとかね。」
國分「そう。ああいうのもやっぱりね、複雑化しすぎた社会に対するある種のアレルギー反応だと思うんですよね。」
斎藤「うん。」
國分「陰謀論みたいなんて、すごく単純な世界観で、で、それに飛びつくと、人はさ、確信を持ったりさ、確信を持ってなんか言ったりすることができるになるわけですよ。その喜びっていうか……いま自分は確信を持って正しいこと言っているんだっていうものすごい強い満足感があると思うんですよね。で、その時に、それは間違ってるいるに決まっているんだけど、間違ってる間違っているというだけではダメで、やっぱりきちんと概念とか情報に基づいて人がある種のある程度の確信を持ってね、何かこう考えたり、信じたり、言うことができるようになることが、やっぱり最終的には僕は陰謀論に対する処方箋だと思うのね。」
斎藤「確かにその複雑さを複雑さのまま扱うというのはものすごい難しいんだけれども、だからとだからといっててそれを単純化してしまうという……全体主義的な欲求かもしれないけれど、それはすごい強まってますよ。」
國分「うん。」
斎藤「だから、やっぱりまずは整理をして。やっぱり一部分全体を複雑なまま複雑に取り出すことはできないから、僕だったらマルクスを使って資本主義的な側面ていうのを、捨象して抽象して一部分を取り出して整理をしていく……っていうのと、なんか本当に全部を一気にこれはすべて陰謀であるみたいな風にしちゃうっていうのは、違うプロセスなんですよね(笑)。」
國分「違う、全然違うんだよね。それは、だからそうそうだからね。斎藤さん、さっきもマルクス主義者としてはっきりと言ってね、そういうとこ気持ちいいですけどね、話しててね(笑)。」
斎藤「僕、結構そういうの単純化をたまにしてしまうから(笑)。」
國分「いやいやでもそれは、単純化っていうか「切り口」ですよね。斎藤さんの場合はさ、まぁ僕は一応研究者だから、すごく感銘を受けたのは、この晩年のマルクスがこんなに違うんだって、へーって知らなかったって、すごい面白く読みましたけど、本。」
斎藤「ありがとうございます。」
國分「だから、その晩年のマルクスの……今までのマルクス主義では知られてなかった側面から今の社会をこうやって、すぱっと切ってみると、こういう断面が見えるんだってことを示しているわけですよね。それは断面を示しているわけで単純化しているってことじゃないんですよね。」
斎藤「僕は結構言っちゃうんですよ……マルクス主義者だからだとか、コミュニズムの方がいいじゃんみたいなこと言っちゃうんですけど。だから、こういうのが……言えない雰囲気っていうのが、僕が大学入って、まだいわゆる現代思想とかポストモダンっていうのが非常に強かった時代だったから、やっぱその複雑なものをさらになんなら複雑にしていくことが……よくて、マルクス主義とかっていうのは全部経済の問題とか階級の問題に解決しちゃうから、よくないし、そういう大きな話っていうのはもう終わりだ。大きな歴史の物語の時代はお終いだ……みたいな、そういう空気が日本でもあったし、僕がアメリカに行ったときも、すごい感じたんですよね、それが悔しいのもあったんですけど。」
國分「うーん。」
斎藤「でも、他方でやっぱりもっと大きい話をまずしたほうが、いいんじゃないのかっていう気持ちもずっとあって。」
國分「もちろん。」
斎藤「小さな話ももちろん重要だけれど、同時にやっぱり資本主義みたいなでかい話も、したほうがいいんじゃないかみたいな、そういうのはあったので、やっぱり今回、この『人新世の「資本論」』を出して、結構多くの人たちがそういう大きな話に、まぁ飢えていたっていうか……何か肯定的に、こういう話、面白いじゃんみたいな風に純粋に受け止めてくれた方々が多かったっていうのは、なんかすごい嬉しかったですよね。」
國分「今は二つの複雑さと……ある種の大きな大きな観点で二つの話が出たと思うんだけど、1つ目のその「複雑さ」ってことについて言うとね、僕なんかは今、まさしく斎藤さんが言ったポストモダンの思想とかね、そういうのを非常に強く影響を受けて哲学をやってきた人間だけどね……あのね、フランスに留学してみたらね、だいぶ印象が違ったんですよね。その本拠地に……本拠地のフランスに僕は5年留学したんだけど。」
斎藤「はい。」
國分「ジャック・デリダっていうね……そういう複雑でいったらもう一番、みたいな人がいますけど、ジャック・デリダの授業を受けたとき、ものすごい感銘を受けてね、もう……すごく明晰なのよね。だから本人はものすごい明晰で、複雑に見えるのは複雑な問題を扱っているからなんだよね。それをなんとかこう、明晰に示そうとしているって、僕は非常に感銘を受けて、これはもっとむしろ真正面から取り組みたいと思ったというのはありましたね。」
斎藤「なるほど。」
國分「あと、もうひとつその大きな話ということに関しては、僕は斎藤さんより一回りくらい上だけど、僕も大学院生くらいの時代ぐらいから、やっぱり大きな話をもっとしなきゃダメじゃないかっていうふうに、すごく思っていたところがありました。僕はほぼ最初に出した本が、その『暇と退屈の倫理学』という本だけども、あれも……ある意味では、まぁこれちょっと我田引水で恐縮です……恐縮ですけれども(笑)、『人新世の「資本論」』 に繋がるようなね、資本主義批判の本なんですけれどもね。」
斎藤「いや、そうなんですよね。誰も指摘しなくて、僕にこないだメールしましたけど(笑)、脱成長的な要素を結構含んでいるんですよね。」
國分「いや、そうなんだよ。だから……斎藤さんの言葉だと「潤沢なコモンズ」っていうふうになるのかな。僕はあのときは、消費と浪費っていうのを区別してね。消費社会というのは、人間を消費者にして、記号の消費みたいなのをがんがんやらせていくっていうね……今はこれが流行ってる、次はこれが流行っているぞ!って、どんどんどんどん人に、はぁはぁはぁはぁ言わせながら消費させるっていう社会だけど、浪費というのはそうじゃなくて、きちんと物を受け取ってお腹がいっぱいになって、「お腹いっぱいだ、もう食えないな。」っていう……十二分に飯を食うことだって、僕が書いたんだけど。その、資本主義社会あるいは消費社会っていうのは、人が浪費家になることを妨げて、消費者になることを強いるっていうのが、あの僕の本のテーゼの1つだったんですよね。だから、浪費的な贅沢さっていうのがすごく大事で、実はそれこそが無駄使いの社会を止めていくんじゃないかっていう、主張だったんですよね。斎藤さんはもっとこうある種……経済システムの観点から「潤沢なコモンズ」っていうね、みんなで使える資源というものについて話をされていて、僕はだから、ねえ、自分の本に引き付けちゃって恐縮ですけれども(笑)、大変そのコモンズの話はね、感銘を受けましたね。」
斎藤「「潤沢さ」とか「贅沢」とかっていうのはね、別にそのなんか、そこら辺の六本木ヒルズで、わーって遊ぶことじゃなくて……」
國分「全然違うよ(笑)。」
斎藤「(笑) 芸術品とか、まぁ……なんでもいいんですけれど、公共財とかをシェアしたりだとか、いろんな本を読んで議論したりとかっていう、そういうこう時間の豊かな使い方とか、そういうイメージですよね。 」
國分「まあねー、あと僕も年取ってきて思うけど、やっぱ時間ですよね。時間があるってことが本当、贅沢だし、大事だと思う。子どもと遊ぶとか。」
斎藤「そうですね。逆に時間が現代人になさすぎるんですよね。」
國分「なさすぎなんだよね。」
斎藤「やっぱり日本人は働き過ぎているし、空いた時間があったら、みんなすぐ携帯やって……まぁ、もうちょっとまとまった時間があったら資格の勉強をしてとか、投資してとか……そんなばっかりで、常にこうGAFAに取り込まれたり、証券会社に取り込まれたりっていう、まあ、そういう状態ですよね。」
國分「もう僕ね、あえてね……さまざまな問題も単純化して解決策を出すとしたらね、もうとにかく「暇」ですよって僕は言いたい。つまり暇がなきゃは、民主主義もできないわけ。」
斎藤「そうなんですよね。」
國分「投票選挙期間で2週間でさ……その間に1回しか日曜日来ないんだよ。だから、つまり投票日までに1回しか考えるチャンスはないんですよね。そんなにうまく考えられるわけないじゃない。」
斎藤「ない。」
國分「ない。だから、そしたら時間がたっぷりなきゃ民主主義なんてできないんですよ。もう、みんなの働き過ぎとかだってそうだし……あのちょっと話長くなっちゃって恐縮だけど僕は、イギリスの出版社と仕事して本まぁ1冊出したんだけどね、去年。」
斎藤「あぁ、ドゥルーズのやつ。」
國分「あれも、ちょっとたまげてさ。金土日って休みなんだよね、彼らは(笑)。だから、木曜日にちょっとメールが遅れたりすると、しまった、もう届かない。もう月曜日まで連絡が取れないってなるんですよ。そんぐらいでいいんじゃないって思って。」
斎藤「そうなんですよね、社会全体がそうなってればいいのに、我々はもう12時に送っても1時に返信が夜はやってくるみたいな世界……」
國分「おかしいんだよ(笑)。今日もね、あの斎藤さんの本を担当してくださった編集者の方がね来てくださっているんですけども、あまりにも親切で、すぐにメールを返してくださって……」
斎藤「スーパー編集者……」
國分「そう、スーパー編集者で。もうちょっとゆっくりでいいじゃないかと……うん、という風に思いますよね、ほんと。」
斎藤「でもなんか、やっぱりそういう意味で言うと、これほど忙しく、忙しくなっててじゃあ効率化をしようって言って我々ので、リニア建てたりするんだけど、それでいくら速く移動できるようになっても、このシステムが続く限り私たちは、結局もっと働くように運命づけられているし、そういうことをやってると、民主主義も深まらないって、さっきおっしゃってましたし、やっぱりコミュニティに使う時間もエネルギーもない……とか。どこかでスローダウンしていくっていう選択肢は、地球環境の面からもそうなんですけど、いつまでもこの、速く、遠く、多く、もっともっとみたいなこういうシステムっていうのはもう限界があるんじゃないのかっていうことを……今回のコロナなんかも含めて、結構多くの人たちが今感じ始めている……コロナでTwitterのハッシュタグデモとか盛り上がったりしましたけれども、やっぱり人々が少しこう……スローダウンを生活してテレワークになったりだとか、夜の飲み会がなくなったりして、新聞を読むようになったりとかインターネットのニュースを見たりとか、テレビのニュース見たりすることで、やっぱりそういう声も、起きやすくなってくる。」
國分「うん。」
斎藤「でもまた、コロナが少し出口が見えてきている中で全部忘れて……まぁ、原発の時もそうだったじゃないですか。僕はあのときも、やっぱり社会大きく変わるかな、なんていう風にデモとか見てて思ったし、國分さんが言っているの参加型民主主義みたいなの出てくるかな……なんて気もあったけれど、やっぱり宮台さんも言ってたように、結局は、なかなかそういうふうにならなかった……いま社会はむしろ、ますます分断されたり、他人に「俺も我慢してんだから、お前もそんな声を上げないで、もっと我慢しろ」とか、そういうフェミニズムに対するバッシングとかもありますけれど、厳しい状況にはなってきているなーっていうのは感じますね。」
國分「いや、今たくさん重要な問題を挙げてくれたけれども、俺も我慢してるんだからっていう……あれは非常に大きな問題ですよね。で、本当に我慢してんだと思うんですよね、我慢させられているのだと思うんですよね。で、我慢させられていると、他の人が自由に何かを言ったりしたりしてるのを見ると、妬みの気持ちからそれを叩き潰そうとするんだよね……心のメカニズムっていうのは、僕の研究してるスピノザって人が、非常に見事に分析している……つまり300年以上前に分析されてんだけど、つまり人間は全然変わっていないってことなんですけれども。そういうのが、本当に何か運動するのをストップしていくところがある、だから……やっぱり我慢させられている。いろんな面で我慢人々が我慢させられているってことが、本当に何とかしなきゃいけないと思うね。で、僕はやっぱりそのためにはひとつ「暇」……きちんと一人ひとりに暇が与えられるってことが大事だと思いますけどね。であと、コロナのことは非常に語るのが難しいですね。まず一方で、疫学的な面から言ったらね、いろんなお店閉じたりね、外人と会うのも人と話すのも我慢しなければならないということがね、一方で正しいんだけれども、それがね……とても人に負担をかけるっていうのもあるし。お店やっている方が非常に今、すごく困ってらっしゃるっていうのもね、たくさんありますよね。ただしね、他方で8時になるとね、お店が全部閉まっているのを見たときにね、僕はちょっと、これでもいいんじゃないかなって思った気持ちがあるんですよね。」
斎藤「うん。」
國分「今までなんであんな遅くまでスーパーマーケットとかやってたんだろうとかってね。」
斎藤「資本主義って実は、私たちの行動とか意識というものをものすごくパワフルに規定しているわけじゃないですか。」
國分「うん。」
斎藤「にもかかわらず、多くの人たちはその力に気がついていないっていうか……これ別に普通じゃんと思っちゃってるんだけど、実はものすごく私たちは特定の企業のマーケティングとかもそうですけれど、気がつかないうちにいろいろ情報も操作されているし、特定の仕方に誘導されているし、それに合わせた価値観を身につけるようになってしまっているけれど、そこを誰も真っ向から批判しないっていうか、これはこういうものだし、資本主義ってそういうものだよ……ってことが、すごい広まってしまって、自明視されてしまった。それがやっぱり、この30年間だったのかなという気がして。それこそ、そんな日曜日に働くなんてバカらしいし、お店がそんな8時まで開いてるなんていうのは、とんでもないっていう価値観が普通にあったわけですよね……でもそれが、このわずか20年とかで、コンビニがどこにでもあるのが当たり前、ファストファッション、ファストフードもどこにでもあるのが当たり前……で、それを僕らは普通に安くて、何でも買えれば、それが便利さや豊かさだと思うのも当たり前。その結果、私たち自身は同時に労働者でもあるわけで、非常に過酷な労働を強いられるようになってしまって、低賃金で長時間労働。これは、実はみんなで少し……我慢することが、大きく生活を改善するきっかけにもなる、って何そういう逆転をね、やっぱり本当に、このコロナ禍でしていきたいな。」
國分「斎藤さん我慢って言ったけど、僕は我慢というより、豊かさのために、そういうことを……するってことになると思いますよ。」
斎藤「そうなんです、そうなんです、そうなんです。」
國分「ね、むしろ今の世の中で、僕たちは贅沢を奪われているんだと。その贅沢を取り戻すってことによって、むしろ今のこの大量生産、大量消費、大量投棄の社会を変えられるんだ、というふうに、僕は思うんですよね。むしろ、贅沢をもっとこう……要求していこうということですね。」
斎藤「それ楽しいんですよね、多分。労働時間は短くして、みんなで……もっとパーティー家とかでみんな集まってね、ビール飲めたりワイン飲めたりするような生活ができれば、わざわざ居酒屋で、そんな美味しくもないのに3,000円、4,000円払って集まって飲むよりも、たぶん楽しい生活できるし、別に普通に家族で夕食を取ったりだとか、そういうような時間の過ごし方ができれば、必ずしも何でもワンクリックで届いて云々という生活じゃなくても、もっともっと楽しい。で、それはなんか、僕の『人新世の「資本論」』のメッセージのひとつで、まさに僕も清貧じゃなくて、潤沢なんだということを言っているんですけど、読み直すと、『暇と退屈の倫理学』は、本当そういう話を先取り的にというか……」
國分「いやいや。」
斎藤「まぁこういうテーマ自体が昔からもちろんあるっちゃあるわけじゃないですか、70年代ぐらいか、消費主義批判みたいなのは。だけど改めて読み直すとこ……脱成長という言葉は出てこないですけれど、『暇と退屈の倫理学』は本当共鳴するところがあるなという。」
國分「ありがとうございます。」
斎藤「(笑) いえ、むしろこちらこそ。」
國分「僕はね、でも本当はね、哲学が必要とされる社会は不幸であると思っているんだけど、ある意味ではね。……ブレヒトの "英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ" ってのがあるけど、哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だって思うんだけど(笑)……でも、僕はいま哲学が必要とされていると思うね、うん。だって、この始まる前もちょっと立ち話で言ってたけども、斎藤さんのこの『人新世の「資本論」』って資本論って書いてある本がめちゃめちゃ売れて、ビジネスマンも読んでるってね、ほんと、すごい世の中だなって思うんですよ(笑)」
斎藤「これが30万部超みたいな話って恐ろしいですよね(笑)。」
國分「いやぁすごいなぁって、どういうことだろうと思いますよね、それは……ある意味不幸かもしれないけどね、でもそういう風にある種の哲学が、世の中に伝わってってるとしたら、それは素晴らしいことだなと思うし。」
斎藤「これで「斎藤は資本主義の側に取り込まれた」とか言われてんですけど(笑)。」
國分「あっはっはっは(笑)。」
斎藤「でもこういう時代が、やっぱり今までの資本主義のサイクルだけを求めているだけじゃ……SDGsとかもそうだと思うんですけど、やっぱりそういうことを少し言ってるだけでは、もうちょっと限界なんじゃないのかないうことを多くの人たちが感じている。その結果として、この本が多くの人たちに手に取ってもらえているとしたら、確かに、それぐらい社会が悪くなって、それぐらい資本主義が、もはやうまくいかなくなってるという意味では、不幸な……時代だけれども、でもそこにやっぱり、この問題に対して違和感を感じたり、それでこれを読んで、本の末尾で「3.5%の人たちが動けば社会は変わる」っていう話をしているんですけど、その3.5%になろうと思うような人たちが出てくるんであれば、それは同時に……希望もあるし、捨てたもんじゃないかなっていう感じです。」
國分「そうです、捨てたもんじゃないんですよ。今日は、こうやってラジオでお話させていただいてますけど、斎藤さんも、僕もたまにテレビにも出るけど、ラジオは圧倒的にたくさんしゃべれて情報量は全然違いますよね。」
斎藤「1分とかでテレビでしゃべるコメンテーターとかやるでしょう。」
國分「いやもう、恐るべき……「経済問題について、1分30秒で解説してください」とか、テレビだと言われるんですけど、ラジオだと、ふんだんにこうやって喋ることができて、だからラジオでお話できるのうれしいし、こういうラジオを聴いてくださる方がいるってこともね……つまり番組があるって、残っているってことは聴いてくださっている方がいるってことだから、可能性だし、斎藤さんも僕も大学で教えているけれども、やっぱ学生と触れているとね、僕は毎年毎年ね、新しい学生と会うことでエネルギーもらってるようなとこがあって、全然捨てたもんじゃないなっていう気持ちを僕は持っていますね。」
斎藤「そうですね、若者はもし悲観的になっている……18歳の調査とか日本財団がやってるやつみると、「日本の将来、日本が良くなりますか」とか、そういう質問に対するポジティブな答えをしている人の割合って、世界で見ても最低クラスなんですよね……」
國分「あぁ、そうなんだ。」
斎藤「でも、そういう日本を作ってしまっているのは、やっぱり大人たちだから、やっぱり僕はその「最近の若者は……」っていうんじゃなくて、僕たちがもっと彼らに今の社会を変えていこうとか、もっと良い未来があるんだっていうふうに思えるような社会を作っていく……責任ていうのがあるんじゃないかなという気がしています。」
國分「いや、僕は全然最近の若者はとは思わない、逆だよね、「最近の大人は……」って感じだよね。」
斎藤「(笑) 政治家みてるとね。」
國分「だいたいさ(笑)、陰謀論とかに引っかかってんの、だいたい中高年なんだよね。」
斎藤「うーん。」
國分「だから、ネットリテラシーが若者で問題だよって……逆だよって。中高年にきちんとネットリテラシー教えろっていう、若者は持ってるいるよみたいな。」
斎藤「教わる場所もないですもんね。社会に1回出ちゃうと、もう本当に資本の奴隷になるだけなので、そういうことを一回勉強したりする時間もないから、やっぱり今日の結論としては…… "暇がない" (笑)。」
國分「(笑) それが、僕はもうずっと僕の主張です。」
斎藤「はい、それではそろそろお別れの時間になってきたんですけれども、今日、ちょっと本の話題がいっぱい出たんですけれども、そこでちょっと國分さんからも、プレゼントのお知らせが、ということで。」
國分「先日、『「利他」とは何か』……利他というのは "利己主義" の反対の "利他主義" の利他ですね。『「利他」とは何か』という本をですね、僕の前の職場である東京工業大学の同僚のですね、中島岳志先生、伊藤亜紗先生、若松英輔先生、磯崎憲一郎先生と出したんですけども、集英社新書から出ているんですけどね、こちらは集英社さんのご厚意によりプレゼントできることになりましたので、ぜひご応募いただければと思います。この本もね……「利他とは何か」なんて、タイトルで売れるのかなと思ったんですけど(笑)、意外と売れていてですね、びっくりしているんですけれども。」
斎藤「売れてる。これ、今ね確か6刷り3万部だと思いますよ。」
國分「今日の僕の話とも関係するし、あと僕が『中動態の世界 (意志と責任の考古学)』っていうちょっと難しい本を書いてるんですけど、それのすごくわかりやすいバージョンの話を、僕はこの本の中でしているので、ぜひお読みいただければと思います。」
斎藤「こちらはサイン入りになりますので、ぜひご応募ください。本当に今日はどうも、ありがとうございました。」
國分「どうもありがとうございました。」
■ 対談:國分功一郎 × 斎藤幸平 ノーカット版をYouTubeで公開しました。
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<坂本龍一:プレイリスト「RadiSaka2021-07」>
今回も、番組のために教授が選曲したプレイリストを25分間ノンストップでオンエア。Spotifyにプレイリスト「RadiSaka2021-07」としてもアップしています。
<デモテープオーディション – U-zhaan, 長嶋りかこ, 蓮沼執太>
U-zhaan「ここからは病気療養中の坂本龍一さんに代わって、僕U-zhaanと…」
長嶋「長嶋りかこ。そして…」
蓮沼「蓮沼執太の3人でお届けしていきます。」
U-zhaan「えー、前回は長嶋さんが多忙につき、ちょっと出られないという感じで…」
長嶋「すいません、初めて。」
U-zhaan「音楽を聴く時間が取れないという話だったんですけど、何していらっしゃったんですか?」
長嶋「初めて、そういう理由で。本っ当にやばくて、お休みさせていただきました。ヴェネツィア・ビエンナーレの建築展が始まる直前で、その私はウェブサイトとか色々作ってたんですけど、もうウェブサイトが本当に佳境の佳境で…」
U-zhaan「あの、番組ディレクターの方から、日程の再提案のメールとかがいった時に、「そういうことじゃないんです。」みたいな返事が。あ、やばいんだなと。」
長嶋「本当に…過去……初めて。すいません。はい。」
U-zhaan「えー今夜はここ2ヶ月の間に応募いただいた、200作品ぐらいの中から審査していきます。えーと、ものすごいレベルの高さでしたね、今回。」
蓮沼「レベルも高いし、やっぱりジャンルの幅が広いですよね……って思いました、聴いてて。デモテープじゃないですよね、もうね(笑)、クオリティーが高すぎて。」
U-zhaan「(今回の応募作を受けて) ……蓮沼さんは、その、悶えるような恋をしてそれを音楽に投影させて作ったこととかありますか。」
蓮沼「えっと、残念ながらそういう作風じゃなくてですね、あのー……感情を曲にするってことあんまないんですけど。なんかサウンドっぽい……サウンドアートっぽいアプローチもあったし、その歌ものっていうんですか、歌謡曲っていうんですかね。僕はニューヤナセさんとか、サボンさんとかの歌ものもいい曲だなーと思って聴き入っちゃってましたね、紹介はできませんでしたけど。僕もいつか、その自分の感情を曲にできるように、とは思ってますけど、はい。」
長嶋「(笑) U-zhaanさんは、自分の恋心を、タブラに乗せたことはありますか。」
U-zhaan「(即答で) あ、僕はいつもそういう気持ちで演奏していますよ。」
蓮沼「どうしてそういうことを言うの?」
U-zhaan「いや、こうするとしてたら、あ、なんか冷たい作風なのかなと思って。」
蓮沼「そうだよね。冷淡な。」
U-zhaan「うん。そうそう。それに比べてU-zhaanさんは感情が籠もってる、みたいな感じになるかなと思ったんですけど。」
蓮沼「好感度はね。」
U-zhaan「そういえば蓮沼さんは、先月リリースがあったんですよね。」
蓮沼「あの、春にやっていたNHKの "よるドラ" という夜のドラマの劇伴をやっていまして、「きれいのくに」というタイトルなんですけど、で、それのオリジナルスコアというか、まぁサントラですね、サントラがリリース……まずは配信で、CDとLPも用意しているんですけど。はい。配信で聴けます。」
U-zhaan「CDとLPはまだですね。」
蓮沼「はい。で、その中の……3曲ぐらいU-zhaanさんに、ちょっと参加していただいて。」
長嶋「ふ〜ん。」
蓮沼「なんかあの、ちょこっと前も言ったんですけど。U-zhaanが家でタブラ録ってもらって、それを僕に送りつけてもらって、曲にするというものが、まずそれでした。」
長嶋「はいはいはい。それがそうだったんだ、聴いてみます。」
蓮沼「ぜひ、聴いてみてください。」
RADIO SAKAMOTOオーディションに、インターネットから作品を応募できるフォームができました。作品はファイルのアップロードのほか、YouTubeのURLを指定しての投稿も受け付けます。
詳しくは、エントリーフォーム内の応募要項をお読みください。
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RADIO SAKAMOTOオーディションに御応募頂いたデモ作品にまつわる個人情報の管理、作品の管理は、J-WAVEのプライバシー・ポリシーに準じております。詳細は、こちらを御確認ください。 |
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■藤原辰史さん、斎藤幸平さん、國分功一郎さんのサイン入り著書をセットでプレゼント!
RADIO SAKAMOTOからのプレゼントです。
今回は、
○藤原辰史さんの著書『分解の哲学』(藤原さんのサイン入り)
◯斎藤幸平さんの著書『人新世の「資本論」』(斎藤さんのサイン入り)
◯國分功一郎さんも執筆されている著書『「利他」とは何か』(國分さんのサイン入り)
以上3冊をセットにして5名様にプレゼントします。
番組の感想やメッセージも、ぜひお書き添えのうえ、コチラからご応募ください(教授と番組スタッフ一同、楽しみにさせていただいてます)。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。
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