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PROGRAM

ARCHIVE:181104

「坂本龍一です。2ヶ月に一度お届けしているレディオ・サカモト、皆さんお元気でしたか。今夜はですね、久々、本当に久しぶりに、東京、六本木ヒルズ33階にあるJ-WAVEのスタジオから。この景色を眺めるのは本当に久しぶりで、10月は忙しかった。えっとね、4週間で6ヶ所、回ってたんですよ。それもほぼ全部、アジア、太平洋地域で行ったり来たり奔走してたんですけども。日本に辿り着くのを本当に首を長くして待つというか、やはりこの、ご飯ですよね、まずは(笑)。美味しいですよやっぱり。いやー、日本はいいな(笑)。で今回は、U-zhaanと長嶋りかこさんのオーディションコーナーはお休みです。長嶋りかこさんが、めでたく、おめでた……なんで、無事に出産なさったということで、次回は、来てくれるかなあ。お子さん連れで来ていただいてもいいんですけど、とても母子ともに健康そうなので、ほんとに良かったと思いますけども。」


<近況報告、いろいろあります>

「まずは近況報告ですけども。今年の5月26日からスタートした、韓国・ソウルでの展示ですね、僕の。エキシビション 『Ryuichi Sakamoto Exhibition: LIFE, LIFE』がですね、先月、10月14日をもって終了しました。 で、僕もクロージングにはソウルに行って出席したんですけども。なんか、何度も足を運んでくれたお客様とかですね、えー……その日本人のね、坂本の訳の分かんない展示ですから、そんなに人が来ないだろうと。で、5月から10月まで、5ヶ月ですよね。そんなに長くやっても、全然来ないんじゃないの人が……って僕は内心そう思っていたんですが、終わってみたらですね、なんと延べ6万2千人の人が来てくれた。ちょっと……ちょっと信じられない数字なんですけど。単純計算で、ひと月1万人以上、1万何千人……すごいなぁと。日本でやっても、こんなに来てくれないかもしれない、ですよ。そうですね、本当にありがとうございます。」

「その前なんですけど、10月頭ですね。初めて、あの有名な釜山映画祭に出席してきました。というのは、釜山映画祭のショーのカテゴリーの中で、『アジア映画人賞』というのがありまして、なぜか私が選ばれて、その受賞をさせて頂きに行ったんですけど、もう1つはですね、最近、僕が音楽を書いてた、提供した、日韓中……日本韓国中国共同合作のアニメ映画……てのがありまして、それの世界初上映が、その釜山映画祭を記念してあったので、それにも出席してきたということで。そのアニメ映画っていうのは、『マイ・ティラノ』(My TYRANO:Together, Forever) という、ティラノザウルスのティラノですね。名前から分かる通り、これは恐竜が主人公のアニメです。内容は観てのお楽しみなんですけど。僕のアシスタント役をやってくれた、篠田(大介)君という、とても若くて優秀な作曲家がいるんですけども、二人でやりまして。アニメ音楽をやるのは、それこそ30年以上ぶりなんじゃないかな。『オネアミスの翼』というのを、80年代にやって以来だったと思うんですけど。あまり普段、アニメも観たりもしないので、難しいですね。実写映画の音楽を担当することが遙かに多い訳で、全然違うんですよ。なかなか新鮮というか、難しかったです。ちょっと慣れましたけど、1作やったんで。」

「それで、その釜山とソウル行った後ですね、今度はオーストラリアに飛んで、メルボルンとシドニーの2ヶ所で、ドイツのカールステン・ニコライこと、Alva Noto ……& Ryuichi Sakamotoの『Two』ね。One,Twoの『Two』、『2』ですね。二人でやるから、単純なんですけど(笑)。『Two』というLIVE、これ実は今年の前半に、6月だったかな、ベルリン、バルセロナ、ロンドンでも3回演ったんですけど、それとほとんど同じ内容で、メルボルンとシドニーで演ったということなんです。で、シドニーと言えばっていう必ずその映像とか写真に出てくる有名なオペラハウスがあるでしょ……鳥の羽根のような形してる建築があるでしょ、港に面した。あの中で演ってきたんですよ。随分と立派なホールでね。あれ、外から見るとちょっと変わった建築じゃないですか、奇妙な。作るの大変だっただろうなと思うんですけど(笑)、近くで見るとなかなかいい建築でしたよ。もし行くことがあれば、ぜひ行ってみてください。セルフィースポットになってましたけどね。インスタスポットというか。」

「えーと、近況まだ、いろいろありましてですね、その少し遡りまして、9月。実はその、ちょうど20年前か、1998年に発表したピアノアルバム『BTTB』。これの20周年記念ということで、またCDが発売されまして。ま、内容は当時出た『BTTB』プラス、あの……覚えているかな、『ウラBTTB』というのが3曲入りのやつがあったと思うんですけど、それを合体したやつですね……全部収録して発売していますけども、なんと、ライナーノーツを村上春樹さんに書いていただいた。……で、書いてくれないだろうなぁと思ってダメ元でメールしたんです、僕が。本人宛に(笑)。そんなに普段、交流ないんですよ。最後に会ったのいつかなぁ……最後に会ったのが30年ぐらい前かな(笑)。でもね、ほんと快い返事をいただいて、とても素敵なライナーノーツ、読んだ?……あの、ライナーノーツだけ読んでください、聴かなくてもいいから(笑)。とても素敵な、短いエッセイのような、素敵なもの頂きまして、ありがとうございます。そんなのが出たりとかですね、ちょうどその『ウラBTTB』に入っていた、僕の唯一のヒット曲(笑)、『energy flow』。これをですね、なんとU-zhaanが……『BTTB』が20年ぶりに出るよっていう話をU-zhaanが聞いたんですね、きっとね。で、「実は『energy flow』をタブラで演奏したトラックがあるんですよねぇ。」とかっていきなりメールが来て、おもしろい、聴かせてよ!タブラでできんのぉ?みたいなね。で、聴いてみたら、とってもこう……のほほんとした、和やかな感じのタブラによる『energy flow』で、いい!と。素晴らしい!これもう出しちゃおう出しちゃおうって、急に出すことになりまして。そしたらU-zhaanが「じゃ、教授も寂しげなシンセと、なんかを入れてくださいよ音を。」とかって言うんで、それで僕が急遽、シンセとあと最近ハマっているギターですね……ガキーンっていうノイズギターなんですけど、を入れて、パッとミックスしてマスターして。で、全然、20周年の『BTTB』の記念盤とは関係ない、とは言えるんですけど、同じタイミングで出しちゃおうという。で、当時ね、確かその『energy flow』というのが、もともとはテレビのエナジードリンクのCMでしたよね。で、そのCMのキャッチコピーが『この曲を、すべての疲れている人へ』とかいうコピーでした。で、今回のタブラによる『energy flow』も何かコピーを作ろうよっていうやり取りをしていて、僕がじゃあ、"この曲を、すべての疲れたタブラへ" って……あれ、全然ウケないなぁ(笑)。結構、メール上ではウケたんだけどなぁ(笑)、いろいろ出した中でこれがウケたんで、これを使ったんですけど、イマイチですねぇ……。で、commmonsのオフィシャルサイトでフリー試聴できます。各サブスクリプションサービスの他、ハイレゾ音源でも配信中です。」


■ U-zhaan & Ryuichi Sakamoto『energy flow - rework』
https://commmons.com/special/bttb/

■ 坂本龍一『BTTB -20th Anniversary Edition-』
https://wmg.jp/sakamoto-ryuichi/discography/19849/

■ 釜山映画祭
http://www.biff.kr/eng/

<ゲスト:高橋幸宏さん>

「今年、僕もそうなのかな、幸宏もそう……ソロ活動40周年。つい1週間ぐらい、僕の最初のソロアルバムである『千のナイフ』の40周年の発売日だったと思うんですけども、えーと幸宏くんも40周年ということで。まあ、軒並み僕の世代はそうですね。大貫さんも少し前そうだったと思いますけど。で、デビューアルバム『Saravah!』のボーカルを全部録り直して、録音し直して発売して、とても僕も大きく関わったレコードなので、とても懐かしくて、その話をたっぷり聞きたいと思うんですけども。」

坂本「高橋幸宏くんです。こんばんは。」
高橋「こんばんはです。」
坂本「あれ、いつ以来だっけ、ついこないだ会ったね。」
高橋「えーと、6月にロンドンで会ってる。あ、こっちでも会ってるじゃん。」
坂本「もうね、平成も終わるんだよ。」
高橋「僕たち、もうすぐ天皇陛下よりも年上になっちゃうんだよね。」
坂本「なっちゃうよ。だからさ、よく僕らがね、子供の時にさ、明治生まれのおじいちゃんがいた訳でしょう。」
高橋「僕たちすごいね。ふたつ跨ってるじゃん。」 
坂本「だから、それと同じになっちゃうんだよ。明治のおじいちゃんになるの。」
高橋「いやいや、僕もだから、同じだから(笑)。教授だけなる、みたいな言い方だったけど(笑)。」
坂本「想像つかなかったよ。子供の時は。」
高橋「明治っつったら、だって。あの、時代劇に出てくる世界観のちょっと経っただけじゃん。今はだから若い子たちはどう思うんだろうね。昭和っていうと、あのなんとかのから、ちょっと経っただけでしょ、とかって思うんだよね。」
坂本「そうだろうね。」
高橋「最初の東京オリンピックのやつの前で、東京タワーがなかった……頃からあるんだよね、とかっていう。」
坂本「まだ、建設途中ですよね。」
高橋「ここ (J-WAVEのスタジオ) から見えますもんね。」
坂本「首都高がまだなかった時代ですから、僕たちの子供の時は(笑)。」
高橋「そうだよ。それどころか僕たちがYMOの時に、テレビコマーシャルが東京の夜景の中に三人が浮かんでるのが……東京タワーしかないの(笑)」
坂本「暗いよね、東京が。全然キラキラしてないんだから。」
高橋「で、高い建物がないんだもん他に。」
坂本「ないよ。東京タワーだけ、ぽんと建ってる。」
高橋「そう。その中に3人だから、目立つのよね。」
坂本「だからさ、あれ、暗いCMだよね、今から見ると。」
高橋「そう。真っ暗(笑)」
坂本「幽霊みたいに3人が、東京の街に立ってんだけど。」
高橋「まぁ、でも、それがまぁね、いいんじゃないんですか、それも。」

坂本「えーと、40年ぶりのそのデビューアルバムを……歌を録音し直して、発売したばっかりという。」
高橋「だってあの頃、歌なんか歌ったことないんだから、本当は。ほとんどね。ミカ・バンドでもなかったし、サディスティックスで数曲歌ってたぐらいで、アマチュアバンド以来だよ、だから。」
坂本「そのクリームのカバーとかやってた頃……」
高橋「は、歌ってたけど、リードボーカルは東郷昌和くんだったから、どっちかっていうと。この時はコーラスだもんね。」
坂本「あ、そう。」
高橋「達郎くんも、美奈子もみんなバックコーラス……それで僕がリードボーカルで(笑)、ダメでしょこれじゃと思ってたから、長い間。」
坂本「全然そんなことないよ。これが出来て……40年前にね。すぐ細野さんに聴かせたんですよね。そしたらね、「ELASTIC DUMMY」のアレンジはすごいいねっていうのと、ボーカルの声がいいねって言ってましたよね。」
高橋「それ、細野さんっぽいなって思ったんじゃないの(笑)、そうだっけ。」
坂本「これでボーカルがいいから、YMOで幸宏がリードボーカルってことになったんだから。」
高橋「でも……「中国女」でフー・マンチューのとき、音程なしで歌ってみたら、あ、それがいい。っていうことになっちゃったけどね。」
坂本「フー・マンチュー唱法っていう歌い方の話ですけどね。」
高橋「これね。本当に作ったとき、毎っ晩、覚えてるだろうけど、飲みに行ってたよ。」
坂本「行ってました。」
高橋「だいたい2曲ぐらい録るんですよ。流石にね、スタジオで曲を作ったりしないから。で、ちょっとまだよく覚えてないんだけど、みんなメロディーを……仮メロを聴かないで、せーので演奏してんのかな、これ。」
坂本「してますね、仮メロないもんね。」
高橋「じゃあ、でも、メロディーは出来てたんだよ、もうこれ。」
坂本「知ってる知ってる。」
高橋「ということは、よくみんな想像でさ、いいところにおいしいフレーズがいっぱい入ってるよね、これ。」
坂本「すごいアレンジャーがよかったんですよ。」
高橋「そうですね(笑)、教授のお陰ですよ。」
坂本「冗談冗談(笑)、とんでもないです、はっはっは。」
高橋「でもさ、アレンジって言っても、ほら、リズムは、4リズムのときからギターも一緒に演ってるわけじゃない。ギタリスト二人ぐらい、いっしょにやったりしてるからね。」
坂本「誰だっけね、これ。憲司と……」
高橋「(大村)憲司、松木さん、茂。高中が、ラストの「PRESENT」って曲のときに、教授がシンセのフレーズを先に弾いてるの。そのときに、高中がじゃあ僕もこれでいいかなって、例のあの、足踏みしながら16分で……」
坂本「カチカチのね。全く跳ねない。」
高橋「それを笑いながら、僕がいいねって言ってるのが入ってるんだよね、あれ。それでカウント出してるの。」
坂本「頭にね、ちょっとカウントの前に話し声が付いてますけどね。」
高橋「ちょっと上げました、今回。このレコーディングは実は、教授も覚えてるだろうけど、亡くなったトノバン (加藤和彦) の『ガーディニア』っていうアルバムのときと、ほぼ重なってて。「LA ROSA」って曲は、『ガーディニア』に入っているような、多分、当時トノバンはマイケル・フランクスとかあの辺だったんだと思うんだけど、それも教授に随分、手伝ってもらってるんだよね。」
坂本「そうそうそう。」
高橋「で、その時に、未だに発見出来てないんだけど、「シルバー・レイン」っていう曲があっの覚えてない?」
坂本「はい、覚えています。」
高橋「でも、入らなかったの、『ガーディニア』に。で、もったいないよねって二人でよく話してて、あれポップでいい曲だったよねっとかって言ってて。それで、この「PRESENT」っていう曲を作ったの。」
坂本「なるほどね、そのイメージでね。」
高橋「で終わって、トノバンの家に二人で呼ばれて……川口アパートの頃。そこでご飯、食べたの。」
坂本「暗い部屋だったね。」
高橋「えぇ、そうでもないでしょ(笑)。」
坂本「いや、照明が。雰囲気じゃなくて、照明が暗かったよね。」
高橋「そうね、古いアパートだけど、雰囲気のある。」
坂本「だって、バーみたいだったもん。どっかの。」
高橋「そうだね。食事が終わって、このアルバムを聴いたんだよ。その時にこの曲を教授が出だしで、「ナウいなぁ」って言ったのを覚えてる(笑)。」
坂本「死語ですよ、死語。」

坂本「これは、発売記念のLIVEとか演んないの?」
高橋「やるよ。再現LIVEっていうのが流行ってるらしいっていうところから始まってるから、これ。そもそも。」
坂本「11月24日か。」
高橋「そうそうそう。なんかこの日、Cホールしか取れなかったんで。」
坂本「東京国際フォーラム、ホールCですね。開演6時だって。」
高橋「なんかもうね、チケットが皆さんに行き渡んなくて、ものすごくクレームがきていますね。」
坂本「え、もう売り切れちゃった?」
高橋「はい、あっという間でしたね。なんか、3分くらいで最後売り切れたってやつで、最終……」
坂本「よかったですね、追加公演はやらないの?」
高橋「追加は、僕はやらないと思いますこれ……再現するのが大変過ぎて。」
坂本「あぁ、そう。このミュージシャンは言えない、まだ?」
高橋「まぁ、いつもやってる……僕のバックをいつもやってくれている40代後半ぐらいからの人たち……じゃないんですよ。」
坂本「じゃないんだ。」
高橋「うん。今回は、ある程度任せられ、もうちょっと上の人もいたりして。ドラムは当然必要になるから、僕、歌うとき。」
坂本「ドラムはあの人ですか、やっぱり。」
高橋「ドラマーの人は、もう想像……(笑)」
坂本「ですよね。(ジェスチャーで)この人は出るんですか?」
高橋「その人は、オールマイティーな人ですね、ちっちゃい人(笑)。」
坂本「はいはいはい。その人は出るんですね。」
高橋「その人と、あとおっきいキーボードの人。」
坂本「はいはいはい。大きい人も出ると。なるほどなるほど。」
高橋「もう相当な数になりますけど。」
坂本「いつものトップの人たちですね。あのドラムのあの人さ……」
高橋「あの人(笑)」
坂本「僕、本当に好きだし尊敬してるんですけど、あのさ‥……四角い箱のキック、やめてくんないかな、あれ。」
高橋「あっはっはっはっは(笑)、言っとく!」
坂本「なんで、箱使ってんの(笑)。なんか、子供の積み木を入れる箱みたいじゃない。」
高橋「でも、あれいろんな叩き方があって、いろんな使い方が出来るから。僕はやんないですけど、あぁいう楽器ですから。」
坂本「じゃ、この11月24日のLIVEでは、もう、歌に徹する感じ?」
高橋「うーんと、ダブルでドラム叩くのも……「ELASTIC DUMMY」とか演りますね。あ、言っちゃった。」
坂本「「ELASTIC DUMMY」演るの、ダブルドラムで?難しいねぇ。」
高橋「演りますよ。そんなにね、ビートがね、きっちり16分ね、ストトン!ダン!ストトン!ダン!って出来ないかもしれないから。一人ずつ分けようかなと思って。」
坂本「これLIVEで1回も演ったことないよね。」
高橋「ないよ。このアルバムの曲、全部。」
坂本「これ、「ELASTIC DUMMY」……もう僕も弾けないですもん。」
高橋「これのソロは、なんかもう外国の……イギリス人かアメリカ人が、この曲のRyuichi Sakamotoはすごいっていうのを、つい最近上げてたよ、なんか。今でも出来るんだろうかって書いてあったから、たぶん出来ないぁて思った。」
坂本「出来ない、全然出来ないですよ。バッキングだって難しいですよ、これ。」
高橋「細野さんのベースすごいっす。」
坂本「知っています。」

坂本「「SARAVAH!」も嫌だったっでしょ。」
高橋「歌は嫌だったよ(笑)。」
坂本「『SARAVAH!』のBメロにいくとこが転調したとこの……」
高橋「マイナーで歌ってんの。」
坂本「音程が間違ってるって、当時から言ってたよ。覚えてる?40年前から言ってたの。」
高橋「言ってた?後から気がついた、最近。」
坂本「もう、飲むたびにそれを言うわけ、あの頃。だから多分、40年ぶりにあれを直したかったんだろうなっと思って。で、ついでに全部歌っちゃったんだろうなと思って。」
高橋「ライブアルバムの中に入ってんだけど、短いバージョンが。アコースティックで。それはもう直ってるから、このオケを後で直したいなって……」
坂本「タータタ、ターティターターってとこ。」
高橋「なんで教授はあの頃、言わなかったんだろうなと思って。」
坂本「僕は録音してる時から気がついてたんだけど。そう、ブルーノートだと思えば……」
高橋「そう、ブルーノート系の印象だったんだろうけど、やっぱメジャーにした方が、そこから世界パッとが変わるじゃない、一瞬で。」
坂本「でも、あれはあれで別に……バックはメジャー長調なんだけど、だからあえて僕は、その時は言わなかったんだよ。気がついてたけど、もちろん。」
高橋「分かってるよ。ブルーノート扱いっていう多分解釈だったんじゃないかと思ってますみたいなのを、最近では言ってるんだよね、僕。」 

高橋「「LA ROSA」っていう曲が、最後の方とかね、「SUNSET」の最後……僕のドラムとなんか妙にユニゾンなの。なんか、口車を合わせてる訳じゃないんだけど、合ってんだよね、ちゃんとお互いに。チャック・レイニーだよね。」
坂本「チャック・レイニーそっくりだよね。」
高橋「あれ弾けないって言ってた。これ聴いてもう1回。」
坂本「もう弾けないって……弾いてよねぇ(笑)。」
高橋「こんなベース弾けないって。」
坂本「いや、弾けないっていつも言うけど弾くよね。」 
高橋「教授だってある程度、別にわざわざやる必要がないと思ってるだけで。ただこの頃の年ってさ、もうやれること全部出してやってる感じしない?」
坂本「うん、……力入り過ぎ。」
高橋「(笑)でもドラムはね、それなりに音数少なくていいすよ。やっぱボーカル、意識ちゃんとしてたんだと思う。」
坂本「そうだね。その分、ストリングスとかブラスとかキーボードとか、周りが派手に聴こえる。」
高橋「うん。というか、いいですよアレンジが。素晴らしい。今だったらシンセで全部出来るけど、全部、生じゃない。」
坂本「全部、生です。」
高橋「よく、でもこれだけちゃんと演れる人たちを探したよね。」
坂本「いや、今考えてもものすごい豪華ですよね。音も豪華。」
高橋「豪華ですね。亡くなった人たち以外は、今でもバリバリ現役ですもんね。」
坂本「そうだね。……いやー、大変だ。」
高橋「40年前だよ、26歳ですよ。」
坂本「40年て、よく分かんない。」
高橋「なんで、こんなのを作ったんだろうね(笑)、不思議だよ、僕。」
坂本「まだ、聴いてるっていうのがすごいですよね。やり直したりしてるっていうのは。」
高橋「ちょっとやり残した感はあったんでね。」
坂本「おもしろいなぁ。」
高橋「聴いてみたら、アレンジのすごさが、やっぱちょっと驚きましたね、僕は。」

坂本「よくでも、当時のマルチテープが残ってたなあ。」
高橋「そこだよね、問題は。問題はっていうか、奇跡なのに。それがなきゃ実現しなかったし。」
坂本「うん。え、これは16ch……」
高橋「24(ch)だった。で、ピンポンが思ったほど、少なかったですね。」
坂本「アレンジがいいんですよ、はっはっは、違うか(笑)。」
高橋「また出ました、自画自賛!(笑) いや、アレンジがいいんですけど、もちろん弦とかブラスとか、ある程度まとまっちゃってるけど……」
坂本「ステレオになってるでしょ。」
高橋「でもね、聴いてみたら、飯尾くんと……飯尾(芳史)くんはエンジニアの名前ですけども、当時、彼は中学3年か高校1年くらいの時にそれを聴いて、で、後に東京出てきて、YMOの時にアシスタントになったんですけど。もう全部すごい詳しいわけ、刷り込まれてるから、何度も聴いてるから。ほんで、1個ずつチャンネルをチェックしてて、あのブラスとかを僕たち当時、そんなに細かく多分チェックしてないと思うんだけど、吹いてない人とかいるの。」
坂本「本当?(笑) 欠けちゃったりしてるんだ。」
高橋「場所によって。付いていけなかったりとか、ま、そりゃしょうがないよね、せーので1、2回しか演んないんだからね。」
坂本「それはね、アレンジャーが悪いね。気がついていないアレンジャーが(笑)。」
高橋「というか、あ!と思った時には、もう終わっちゃってたんだろうね。」
坂本「言い出せなかったんだ(笑)。」
高橋「今の若者で、ちゃんと16分の弦とか弾ける人たちがもういるから、ブラスももちろんだし。自分たちから手を上げて、「すみません。もう1回演らせてください。」って言うじゃない。」
坂本「言いますね。」
高橋「だから、そこの進歩たるや、すごいよね。」
坂本「特にリズム感に関しては、格段の進歩です。弦楽器なんかは、当時はリズムが合わないのが当たり前だったんです。」
高橋「スタッカートで弾いてくれないもんね、16分とか。音だけは弾いてるっていう。」
坂本「当時は、普通のオーケストラのミュージシャンが、アルバイト的にスタジオの仕事もやるっていうんで、スタジオの仕事をすごく馬鹿にしてたんですよ。」
高橋「そう。だから教授なんかみたいなアレンジャーの人は、教授の仕事は、結構この人あれだよ。って、だいたい第1バイオリンの人が集めるじゃないですか、メンツを。教授が呼ぶ人っていうのが、当時二人くらいしかいなくて、何班、何班って。それでその人たちが、例えば、僕の兄貴なんかも散々そういう仕事やってた。白玉が多い……」
坂本「白玉っていうのは、同じ音をずっと長く伸ばしてる、細かい音がない……」
高橋「1小節の中で動きとか、刻んだり複雑な和音がなかったり、5度とか3度とかで。……で、こっちにトークバックが聞こえてくるんだよね、マイクが各場所に置いてあるから。」
坂本「ミュージシャンが喋ってんのが聞こえてくる。」
高橋「「俺たちも、こういう仕事やるようじゃ終わりだよな」……とかって言ってた人たちの時代だよ。」
坂本「うん。で、僕なんか26、7(歳)のペーペーの、でまあなんかヒッピーみたいな髪の毛でゴム草履みたいなの履いてるんだからね。まだ汚い格好してるわけですよ。」
高橋「ま、でも、もうコーディネートしてとか僕に言ってたからね。」
坂本「それで、そんな時代ね、その怖いオーケストラの人たちがさ、おじさんたちがさ、来る訳ですよ。」
高橋「全然負けてなかったけどね。」
坂本「こっちも勝気だからさ。」
高橋「勝気どころじゃない(笑)。」
坂本「譜面を見てさ、ちょっと難しい譜面だったりする訳じゃないですか。で、向こうが、「おや?」っと思うわけじゃないですか。それで「嫌な人は帰ってください。」「弾きたくない人は帰っちゃってください。」とかって、俺言った事あるもん。」
高橋「あるね。他の仕事の時もあったよ。」
坂本「めちゃくちゃ生意気な26ぐらいでさ(笑)、そんなこと言ってる。」
高橋「あとさ、写譜屋さんがね、嫌がったもん。写譜屋さんてさ、アレンジャーがその日持ってきたものを、全員のバイオリンならバイオリン、スコアを写す。」
坂本「ものすごい速さで、アレンジャーが書いてきた譜面を楽器別に書いてくれる人がいるわけ。スタジオで待機していて、本番の1時間ぐらい前に渡すと、ばーってその場で書き出すわけ。……嫌がってた?」
高橋「だって、教授のはやっぱりほら、白玉のがつらーって行くわけじゃないから。複雑で、いいのかな、本当にこれで……みたいな。だから譜屋さんに嫌がれるというか、「あ、坂本龍一か……」みたいなのはあったと思うよ。あぁ、あの人ねっていう(笑)。」
坂本「はっはっはっは(笑)。」
高橋「相手を見るわけ。教授だと、もう第1バイオリンの人がもう分かってて、この人、難しいからみたいな。でもブラスでもやっぱり分かってないからね。大体ジャズやってるから、ブラス系の人はリズムがそんな酷い人ってのは少なかったけど。」
坂本「まぁ、少なかった。けど……あのね、ジャズの人のリズムってのは癖があって、遅れるんの。」
高橋「癖あるよね、ジャストじゃないからね。」
坂本「で、きちんと遅れてんの。ずーっと、統一的に。いつも後ろなの。」
高橋「(笑)あとさ、キメの部分で遅れたりする人いるでしょ。」
坂本「なんかね、それが、こう、なんていうの……いい演奏だという、固定概念がどうもあの当時あったらしくて、いつも遅れてるんですよ、はっきり。」
高橋「(笑) じゃ、全部ずらせばいいじゃん、前に。」
坂本「ま、実際ね、録った後にそこの部分だけ前にずらしちゃえば、合うことは合うんだけど。」
高橋「でも1回、別のテープに移して、また戻さなきゃいけないから……」
坂本「クオリティが悪くなっちゃう。で、やっぱりその遅れる感じが嫌だから、「もっと前に前に!」とかって言ってましたよ、僕は。」
高橋「言ってたね。突っ込んだ感じでやってくださいとかね。」
坂本「本人たちはなんかね、とにかく人より前に飛び出しちゃうこと、演奏してて極端に嫌うんだよね。それはブラスに限らず、みんなそう。ギターやドラムやベースの人もそう。」
高橋「確かにそうだね。僕は平気だけどね。全然。正しいと思ったら。」
坂本「それでなんか、後ろであればあるほどいい、みたいなノリがありましたよ。当時ね。」
高橋「あったね。タメって言ってね。」
坂本「溜まってた方が大人っぽいって。おもしろいんですね。で僕らほら、もうこの『Saravah!』作った後、1〜2年後にもうテクノですから。」
高橋「1〜2年後じゃない、この年に1枚目。78年に全てが始まるんですよ。2月に、この歌入れをやってる時には、もうコタツ入ってるんですよ。」
坂本「あそう。じゃ、ほとんど同時なんだね。」
高橋「教授はもう『千のナイフ』の構想はぜんぶ出来てるわけよ。」
坂本「『千のナイフ』も作ってたのかしら、じゃあ……」
高橋「まだ、かかってないかもしれない。でも、この年に出てるから。あのほら、「MOOD INDIGO」とか、これクリックをまず……クリックと言っても今みたいにコンピューターがないから、教授はもう使ってたんだけど、その後。なんかでドンカマみたいなので入れて。」
坂本「リズムボックス、リズムマシーンですね。」
高橋「それに合わせて、教授、全部手弾きで弾いてるわけよ、「SUNSET」っていう曲もそうなの。で、実を言うと「ELASTIC DUMMY」も一度、全員でまず4リズムで演ったの。松木さんもいっしょに。」
坂本「だけど……よくなかったでしょ。」
高橋「そしたらなんかね、僕たちのフレーズじゃないの。もっと、なんか……僕たちのグルーブってもっと前で……」
坂本「カチカチだからね。」
高橋「で、「クリックに合わせてやってみよう。」って教授が言って、僕も賛成して、細野さんも全然平気で、ただ松木さんが大反対で、超ブーイングで(笑)、「冗談だろ。」って言われて、いや、冗談ないですよって少しずつやったんだ。それで全部出来上がったの聴かせたら、「めっちゃくちゃいいね。」ってことを言ってた。」
坂本「あ、そう。松木さんはやっぱり溜まってる方がかっこいい、大人っぽいっていう人ですから、こうムードを出すっていうかね。」
高橋「あと、何でみんなでいるのに、みんなで同時に演んないわけっていうさ。ありましたね、そういうこと。」
坂本「松木さん、僕らよりちょっと年上で、ちょっと年季が入っているスタジオミュージシャンでね。」
高橋「有名な逸話のある人だよ、覚えてる?エンジニアが、「すいません、もうちょっと硬くしてくれます、音……」「分かった。」って。「あぁ、すいません、ちょっと硬くなり過ぎたんで、もうちょっと柔らかく……」って言ったら、「硬ぇの柔らけぇのって、お前、焼きそばじゃねぇんだよ。」って言って帰っちゃったっていう(笑)。」
坂本「それに近いこと、僕もやってました。エレピを蹴倒して帰ったの。」
高橋「それは、何回もやってるよ、リハ中にもあったよ(笑)。」
坂本「そうだっけ。プロフェットを蹴倒して火が出ちゃったこともあるね、はははは(笑)。」
高橋「シンセ蹴飛ばしたってのもあって、その時にコーヒーが乗っかってて、自分で拭いてたってのもあったね(笑)。」
坂本「そうそうそう、慌ててね(笑)。申し訳ないなって言って。かっとしやすい性格なの。」
高橋「若い頃ですよね。」

坂本「えーとじゃあ、記念のLIVEもあるということでね。今年あと2ヶ月もないんですけど、何かこう、やることとかあるんですか。」
高橋「そのLIVEぐらいかなあ。あとはゲストで、小坂忠さんの再現LIVEがあるから、その2日後かな。ゲストすごいすよ、20人くらい有名な人が出る……」
坂本「美奈子もまた出るのかしら。」
高橋「出るでしょう、きっと。」
坂本「元気そうでよかった。かっこいいですよね。小坂さんね。」
高橋「ま、これですね。年内は。」
坂本「じゃあ、皆さんもほんとに聴いてあげてください。この40年ぶりの………」
高橋「もう大変なんすから(笑)、聴いてやってください。」
坂本「本当大変なんですから、『Saravah Saravah!』ね。デビューソロアルバムですよ。」
高橋「40年前、26歳。『SARAVAH!』ですかね。」
坂本「この時間のゲストは、高橋幸宏さん、でした、ありがとう!」
高橋「こちらこそ、ありがとうございました。」
坂本「もう1曲聴いて、お別れしますか。「SARAVAH!」でいいですか。そのBメロのいくところの頭をちゃんとよく聴いてくださいね。」
高橋「半音ね。弦はクラウス・オガーマン風にって言いました、僕は。」


■ 高橋幸宏『Saravah Saravah!』
http://columbia.jp/artist-info/takahashiyukihiro/discography/COCB-54275.html

■ 高橋幸宏 オフィシャルブログ [room66+]
http://www.room66plus.com

<ゲスト:スティーブン・ノムラ・シブル監督・佐古忠彦監督>

「続いてのゲストは、スティーブン・ノムラ・シブル監督、佐古忠彦監督。シブル監督はドキュメンタリーの『Ryuichi Sakamoto: CODA』の監督。そして佐古さんは、テレビのキャスターなんですけども、去年、ドキュメンタリー映画を撮りまして。で、なぜこの二人がいっしょなのかというと、お二人とも、先月、「平成30年度文化庁映画賞」を獲られたばかり。シブル監督はその為に、わざわざニューヨークから来てくれました。実は、佐古さんの映画の方に僕はテーマミュージックを提供していまして、奇しくもこのふたつ映画に、僕が両方関係しているということになって。それが縁ということで来ていただきました。」


<佐古忠彦監督作『米軍が最も恐れた男〜その名は、カメジロー〜』>

坂本「佐古さんがカメジロー(瀬長亀次郎)という男の人知ったのは、『筑紫哲也 NEWS23』で?」
佐古「いや、直接、亀次郎さんの事は23時代は取材はしてないんですね。沖縄の中で大きな存在だったことは、いろいろ見聞きをしていたのですが、なかなか亀次郎さんにアプローチをするチャンスがなかったんですね。なぜかというか、沖縄戦という戦争のことであるとか、今の基地の問題のニュースにはアプローチするのですが、戦争が終わって今の間が、いわゆる戦後史。」
坂本「占領時代ですよね。沖縄がアメリカの領土であったり。」
佐古「あまり、そのことに触れてなかったな、という思いがあって。今の基地の問題を語る上で、なぜか沖縄が反対している映像が出てくると、それだけで政府に反対するような人たちっていう、本土側から全く理解がない声が挙がってきたりするんですけど。」
坂本「そうね。」
佐古「それはなぜかってことを考えたときに、あの歴史を伝えてないからだ。戦後史を伝えてないからじゃないかって気になりまして。であるならば、亀次郎さんじゃないかなと。戦後史の言わば、主人公の一人ですんでね。亀次郎さんという人が、どう占領下で立ち向かっていったのか、民衆を引っ張っていったのか。知れば知るほど、これを知らないと今ある姿や理由が分からないんじゃないかと思うに至りました。」
坂本「なるほどね。その歴史的な背景を本土の人たちの多くが知らないというのも、大きな一つの原因でしょうね。だからこういう映画が作られてたっていうことが、少しでもいい方向に働くといいんですけど。そして今、続編を考えていらっしゃる?」
佐古「今、ちょうど撮影を行っている最中です。」
坂本「1作目では、言い足りなかった?」
佐古「"戦う亀次郎" というのを、今回の第1作では中心に描いていきました。で、全国で上映をしてもらって、いろんなお客さんの反応を頂いたんですけども、「かっこ悪い亀次郎っていなかったんですか?」「家庭ではどんな顔だったのか。」そんな声をいただきました。亀次郎さんが残した230冊以上の日記をほとんど読ませて頂いて、そこにはいろんな顔があって、父としての顔、夫としての顔、そして本編で那覇市長だった亀次郎さんが、法律を変えられてアメリカ軍に追放されるんですけど、それ以降の亀次郎さんは何をしていたのか、沖縄で何があって復帰に向かっていたのか、そこをもう1回描きたくて。」
坂本「亀次郎という人間の、別の面が浮き出てくるような続編になりそうですね。」
佐古「撮影はほぼ終わりに近づいているので、残る期間は、もうそのまま編集に流れ込むようになると思います。今までとは違う時間軸の中で撮ってきた映像を放り込んだときにどうなるか。実は、今、自分の頭の中で構想している中身を積算すると……3時間以上になってるんですね、作品が。これはまずい、と。これをどう削り、まとめるかってことに悩み続けることになると思います。」
坂本「何月頃に公開とかって決まってるんですか?」
佐古「まだ決まってないんですけれども、来年の夏頃には公開出来たらいいなぁと思っていますが、そこを目標に作業をしていこうと思っています。」


<スティーブン・ノムラ・シブル監督作『Ryuichi Sakamoto: CODA』>

坂本「僕は亀次郎のような偉い人間では全然ないんですけども、『CODA』というドキュメンタリー映画を、5年以上かけて制作されたのは、どうしてですか。」
シブル「ドキュメンタリーというのは被写体が全てです。僕が言うまでもないですけど、坂本さんの音楽が素晴らしくて、音楽に向かわれてる姿が本当にとても美しくて。それをなるべく自然に伝える方法はなんだろうって悩めたのも幸せでしたね。そういう、いい意味でのプレッシャーも多かったですけど、今思えばとても楽しくやらせていただいていました。」
坂本「それはよかったですね。映画自体はお好き?」
シブル「製作中は、忙しくなっちゃってどうしても観れないんですけど、好きですね。」
坂本「それはドキュメンタリーに限らず……」
シブル「限らずですね。ドキュメンタリーもフィクションもとても好きですし、フィクションの映画も作りたいですし。」
坂本「逆に製作中は、他の人のドキュメンタリー映画は観ない方がいいかもしれないね。」
シブル「そうですね。自分の場合は、製作中、上映されているものは観ますね。音楽ドキュメンタリーはざっと観ましたね。メイスルズ兄弟の『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』から、ボブ・ディランのやつから、割合こういうジャンルなんだっていう作品は観尽くしましたね。その上で、じゃあ何を、坂本さんだった出来るのかなって考えるところまでは、それはリサーチで観ますけど。」
坂本「ドキュメンタリー映画の魅力って何かありますか?」
シブル「一言で言えないくらいたくさんありますけど、一つは今、ドキュメンタリーて結構ルネッサンス期みたいだっていう人もいますね。アメリカのケン・バーンズさんとかもそういうことを仰っていますね。技術革新ていうのが大きいでしょうね。それこそ、『CODA』を撮り出した頃も、CANONが "CINEMA EOS" というシリーズを出したりして、割合、シネマティックにドキュメンタリー映像が撮れるようになりました。そういった技術革新の中で、情緒的な表現とかね……ドキュメンタリーなんだけど、そういうことが狙えるっていう、ちょっとエモーティブにドキュメンタリーを作ろうと出来るっていうのは、自分は一つ魅力として感じましたね。あとは、まぁ自分が半分アメリカ人ということもあるんでしょうけど、アメリカのドキュメンタリーの歴史というのがおもしろくてですね。もちろん日本も素晴らしい伝統がありますけど、即興的ですね、アメリカ人のドキュメンタリーは。メイスルズ兄弟なんかも、それこそギミー・シェルターの中で、ローリング・ストーンズが「ワイルド・ホース」のレコーディングをしている時に、どんどん寄っていくんですね。」
坂本「はい。」
シブル「カメラが一台だから、誰かに寄ると、他のもの全部捨ててる訳ですね。その場で。敢えて即興的に踏み込んで、カット割りをその場で頭の中で決めるっていうのが心地よいですね、ドキュメンタリーは。」
坂本「大きな、フィクションとドキュメンタリーの違いは、繰り返しがきかないじゃないですか。「もう1回やって」って言う訳にはいかないでしょ。だって、出来事は1回限りなんで。リアルタイムで進行していっちゃうから。」
シブル「ましてや音楽があると、いわゆるジャンプカット出来ないんですよね。かなり、即興的にならざるを得ないっていう状態が、それを楽しめるかどうかっていうんですかね。」
坂本「繰り返しがきかない、あるいは取り返しがつかないっていうのかな。そういう意味じゃ、音楽にちょっと近いかな。音楽もそうなんですよ。リアルタイムで進行していって、万が一にお客さんの前で途中で止まっちゃって、もう1回やります、っていうこともなくもないけども。」
シブル「そういう側面はおもしろですよね。撮り直しはきかないんですけど、うまくいかなかったらそこは使えないっていうことになるので、そういった形でまた他のデータを探していくしかなくなる訳なんですが。ただ、撮り落としちゃダメですよね、絶対いいシーンは。」
坂本「今年もあともう残すところ2ヶ月弱となりまして、やり残したこととかありますか。」
シブル「いや、なんかそんな風に考えたくないですね(笑)。前向きでやれた事が全てよし、みたいになれたらなぁみたいな。」 坂本「そうですね、いいですね(笑)。」



■ 映画『米軍が最も恐れた男〜その名は、カメジロー〜』Official Site
http://www.kamejiro.ayapro.ne.jp

■ 映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』公式サイト
http://ryuichisakamoto-coda.com

<坂本龍一 「この2ヶ月で聴いた曲から紹介」プレイリスト>

「ここからは僕が、この2ヶ月ぐらいに聴いていた音楽をさらってみましょうかね。ほんとにばらっばらですよ。最初何からいこうかなー……普段こういうの滅多に聴かないんですけど、Fred Astaireというね。うーん、滅多にない、どう間違えたか、聴いているんですけどね。」


  • They Can't Take That Away from Me / Fred Astaire

「次も、ちょっと近いといえば近いかな。これもね、滅多に聴かない……10年に1回も聴かないかな。なぜか聴いてしまった、Frank Sinatraね(笑)。多分僕の口からSinatraの名前が出るのは初めてじゃないかなと思うんですけど。あの、Antonio Carlos JobimとSinatra。そしてアレンジは、オーケストレーションは、Ogermanというね、凄いアルバムがありまして、その中からJobimの曲ですね。」

  • Dindi [The Frank Sinatra Collection] / Frank Sinatra

「で、全然変わりますね……80年代によく聴いてた懐かしい曲を聴きたくなって、検索したら出てきたんですけど。Wim Mertensていう人がいまして、Crépuscule というレーベルが当時あったんですけど、そこのリーダー的な存在と言っていいのかな。まぁ、もしかしたら耳にしたことがあるかもしれませんけど、ピアノのとてもいい曲、ま、ほんとに初めて聴いた人でも何か懐かしい感じがするような(笑)、独特のものですよね、おもしろいですね。」

  • Close cover / Wim Mertens(The Belly of an Architect)

「次はですね、僕はつい最近まで全然知らなかったんですけど、若手のジャズですね、アメリカ人のね。名前の発音の仕方が分からない。エーキン・ミュイジアー、ミューザイアーかなあ。で、この人はトランペット奏者なんですが、この『Origami Harvest』……折り紙の収穫、折り紙収穫、というアルバム。ジャズでは珍しい、いわゆるクラシカルな弦楽四重奏が使われたりしていて、そのミックスが……マッシュアップじゃないですけど、ミックスがおもしろいアルバムだなぁと思ったんですね。」

  • a blooming bloodfruit in a hoodie / Ambrose Akinmusire

「じゃあね、アイスランドの若いピアニストがいて、クラシックの。Vikngur Olafssonという人で、もう数枚レコードが出てるんですけど、最近出たアルバムで、バッハのリワーク……バッハのリミックスでもないんだけどリワークかな、そういうアルバムがありまして。その中で、もともとバッハの曲なんだけど、それをかなりアレンジして、タイトルが「For Jóhann」という。これは今年、突然亡くなった、Jóhann Jóhannsson (ヨハン・ヨハンソン) のJóhannだと思うんですけど。僕もJóhannとはとても深く交流していて、家にも遊びに来たことがあるんですけども、アイスランドでは超有名人ですよね。このVikngurという人が、Jóhannと親しかったかどうかは僕は詳しくは知りませんけども、Jóhannを悼むような曲なんで、とてもいい曲だと思いました。」

  • For Jóhann / Vikngur Olafsson

「あと、もう1曲だけね。この傾向のものを最近、ほぼメインに聴いているというような感じの……アンビエント系ですよね。えーと、William Basinskiという有名なアメリカ人のアンビエント実験音楽系の人と、オーストラリアのミュージシャンでフィールドレコーディングなんかもよくやっている人なんですけど、Lawrence Englishというのがいて、実は先週ぐらいにオーストラリア行ってた時に、一緒にいたんですけど、Lawrenceとは。この二人がやった、デュオのアンビエントのアルバムで、アルバムタイトルが『SELVA OSCURA』というものなんですけど、これどれでもいいんですけど、ま、1曲目でいいかな。「Mono No Aware 1.1」という曲あって。」

  • Mono No Aware 1.1 / William Basinski & Lawrence English

<『エコレポート』── エコロジーオンライン 上岡 裕>

「エコロジーオンラインの上岡裕です。海洋のプラスチック汚染が盛んに報道されるようになりましたね。その大きなきっかけになったのがコスタリカの沖で捕獲されたウミガメの映像だったんですが、ウミガメの研究に関わっているスタッフがカメの鼻につまった異物を除去するビデオが世界中で話題になったんですよね。なんと長いままのストローがカメの鼻につまっていた……みなさんも海に流れ出たプラスチックごみが海岸に漂着して砂浜をゴミの山に変えてしまっている映像などを見たことがあると思います。腐ることのないプラスチックとの出会いは、私たち人間の暮らしを豊かにしました。プラスチック容器を使えば、長く衛生的に食品を保管することができるし、自然生まれの素材と違ってとにかく長く使えるものが作れる。石油から化学的に作られ加工のしやすいプラスチックは、大量消費社会を支える花形とも言えるものでした。しかしその結果、自然に分解されづらいプラスチックが大量に廃棄されるようになった。その結果、海洋が汚染される結果になりました。つい先日も、海岸に打ち上げられたクジラの胃袋を解剖してみたらプラスチックごみが大量に出てきた、というニュースも話題になっています。」

「怖い話でいうと、先月、ウィーンの学会で発表された研究で、人間のカラダも既にプラスチックに汚染されていることが分かっています。日本、イギリス、イタリア、オランダ、オーストリア、ポーランド、フィンランド、そしてロシア。世界から一人ずつ、8人の大便を調査したところ、全員の便から、平均して10gで20個のマイクロプラスチックが見つかった、といいます。それだけ我々はマイクロプラスチックを食べているのか……ということなんだと思います。歯みがき粉や洗顔料にスクラブとして使われるマイクロビーズや、海洋に流れ出たプラスチックが波の力や紫外線などによって小さく砕かれ、5mm以下になったものをマイクロプラスチックと言います。その小さな破片が私たちが食べている海産物の中に紛れ込み、私たちのカラダもむしばみ始めているのかもしれません。」

「プラスチックがどのように人間のカラダに影響を与えるかは、まだよく分かってはいません。でも、カラダに良いわけはない。まさに地球温暖化とともに、私たち世代が何とかしないといけない問題です。この問題については日本でも、環境省が本腰をあげて取り組むことが伝えられています。使い捨てプラスチックの排出量を、30年までに25%減らすことを目標に、レジ袋などの有料化の義務付けを検討するのだといいます。海の向こうのシアトルでは、一足早くプラスチック製のストローや使い捨てのフォーク、ナイフ、スプーンについて、すでに禁止の措置がとられています。国内のレストランや食堂も、ストローをなくしたり、紙に変えたり、生分解性のものに変えたりするお店も出てきています。目先の利益だけを考えて何の対策もせずに自然破壊をそのままに放置すれば、将来の漁業被害や我々の健康被害などに、大きなコストとして跳ね返ってきます。脱使い捨てのプラスチック社会を作るべく、しっかりとチャレンジしたいものです。自分はよくストローをレジのところに返しに行くんですが、ストローがそのままごみ箱に行ってないか不安一杯です。」

■エコロジーオンライン

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