RADIO SAKAMOTO

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「坂本龍一です。二ヶ月に一度お届けしているレディオサカモト。いつもそう思うんだけど(笑)、あっという間の二ヶ月でしたけども、皆さんお元気でしたか。今回はね、ここニューヨークの僕のプライベートスタジオからお届けしています。ほんとに早いもので、なんと今夜が、もう今年最後の放送となってしまいます。毎年まいとし、正月が来ると、ああ、もう今年も終わりだなあと、まぁなんと気が早いことでしょうか。でもね、ほんとにそのくらい時間があっという間に過ぎていくので、この調子だと、気がついたら死んでるっていうので、乙なもんだなあと思ったりもしていますけども。」


<ふと目覚めたら、戦メリのメロディが譜面に書いてあった>

「ここでは近況の報告をします。いまね、ちょっと当日の模様を聴いてもらったんですけども、3日に閉幕した、今年で30回目を迎えた、東京国際映画祭で、SAMURAI賞という賞をいただいてきました。」

オンエアでは、11月1日に行われた、第30回東京国際映画祭のTIFFマスタークラス 第4回“SAMURAI(サムライ)”賞授賞記念「坂本龍一スペシャルトークイベント〜映像と音の関係〜」の模様をお届けしました。

「今回モデレーターを務めさせていただきます、小沼純一と申します。坂本さん、よろしくお願いします。」
「どもども。ご無沙汰しております。」
「まず映画……っていうと、あのー(笑)」
「改まって(笑)」
「映画のお仕事する場合、まずオファーがあるわけですよね。」
「基本的にはもうオファーされるんですが、なんと、僕はですね、生まれて初めて映画音楽をやったのは『戦場のメリークリスマス』なんですが、僕からオファーしたんですよ。音楽もやらせてくれるなら(映画に)出てもいいみたいなことを……もうホントにね(笑)、何を考えてるんだか、今となっては分かりませんけど、本人としても(笑)。」
「ふっふ(笑)」
「そんなことをつい、言ってしまったらですね、大島さんは、もうその場で「はい、お願いします」っていうわけ。でも、ずぶの素人ですよ、映画音楽も。もちろん役者もやるのも初めて。生まれて初めてのことがふたつも重なったんですけども、大島さんはYMOなんかを聴いておられたかもしれないけども、映画の中に使う音楽を果たしてコイツができるかどうかなんてのは分からないわけで、今にして思うと、とても勇気のある方だと(笑)……思いますね。」
「もしそれが、役者……としてのみだったら、坂本さんの人生は変わってしまったですかね。」
「随分変わってたでしょうねえ。うん、そう言われてみたらそうですね。」
「映画の中で鳴ってる音楽を聴いてる、でも実際に作るということなったときは……」
「全然違いますよね。」
「ですよねえ。何か方法論とか、どういう風に始められましたか。戦場のメリークリスマスでは。」
「まあほんとにずぶの素人なんで、大島さんも教えてくれないんですよ。で、最初に何したかというと、荒編集の映画のビデオをもらって、自分でどこに音楽を入れたいかっていうのを素人ながら、こう、リストアップしていって、それで直後に大島さんと会って、大島さんのリストと合わせたら、95パーセントぐらい同じだったんです。まあ、偶然というか。で、その時点で大島さんは「うん、分かった。好きにやってくれ」……好きにやってくれって言われてもねえっていう感じ。でまず、だからテーマから考えましたね。メリークリスマスだから、クリスマスソングだろうと。ふっふ、単純ですねえ(笑)。でね、有名なクリスマスソングってありますよね、いくつかね。それを改めて聴いてみて、別に共通性はないですね。ただ、鐘のような音が入っているんですよ……入っていることが多い。チャーチベルというかね。だけど、この映画のクリスマスは南洋ですよね。南太平洋のどこかの島の、多分、アジアの島ですよね。なので、そのサンフランシスコやヨーロッパの街並みのクリスマスではなくて南洋の熱い島のクリスマスの話ですから、要するにヨーロッパの教会の音じゃダメなわけですよね。などというふうに一応、理詰めで考えていって(笑)、何となく想像してもすぐは出てこないんですけども、二週間ぐらいいろいろ試行錯誤してたのかな。で、ある午後……まあいつものようにピアノに向かって、ああでもないこうでもないってやっていて、ふと、意識がなくなったんですよ。……(笑) それで目覚めて、ふと見たら、譜面が書いてある。誰かが書いてくれたのかもしれないけど、はっはっは(笑)、便利ですよねえ、記憶が飛ぶとあるっていう。殴られたのかなあ。」
「自動記述ですかねえ。」
「あのメロディーが譜面に書いてあって、だけど和声というか、そのハーモニーが若干違うのね。そこは、こっちの方がいいかなあとか調整して、直して。だけど基本となるあれは一瞬で、あったんで……自分で作った気がしないんですよね(笑)。便利なことだよね、ほんとに。」

■ 東京国際映画祭2017

http://2017.tiff-jp.net/

<ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』>

そして今回の映画祭では、2017年11月4日から公開になっている坂本龍一さんのドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』の特別上映も行われました。監督を務めているスティーブン・ノムラ・シブルさんから番組宛にメッセージをいただきました。

「レディオサカモトをお聴きの皆様、監督のスティーブン・ノムラ・シブルと申します。わたしは普段、ニューヨークに暮らしているんですけれども、映画を撮りはじめるきっかけとなりましたのは、2012年の春、ニューヨーク市内のイベントで坂本龍一さんをお見かけしたんですね。震災後の日本での状況、特に放射能汚染についてのレクチャーがあったんですけれども、そこで坂本さんをお見かけして。なぜここにいらしてるんだろうと、まず思ったんですね。で、私自身は、東京で生まれ育ったんですけれども、90年代初頭ぐらいまで細かく、坂本さんの音楽をフォローしていました、ファンでした。その後、大学を出て仕事を始めたことなど、坂本さんだけではないんですけれども、音楽のことを細かくフォローするにはいろいろあり、しばらくギャップがあったんですね。で、突然そういうふうに目の前に坂本さんがいらして、変化を感じましたね。そこで、たまたま以前、音楽ドキュメンタリーでエリック・クラプトンさんが関わっている作品を作っておりましたので、うーん、もしかして、何かできるかもしれない。と突然思ったんですね。それがこの映画を作り出した最初のきっかけでしたね。」

「とにかく震災後の坂本さんっていうのは、ものすごく日本の変化に関して、繊細な意識をお持ちでしたね。で、やはり、いちばん大きな変化は、ご病気だったんじゃないかと思います。我々も2012年から撮影させていただき、坂本さんが新たなオリジナルアルバムをお作りになるまでの期間、取材させていただくというプランでやっていたんですけれども、ちょうど新しいアルバム制作に入られるというタイミングで、ちょっと喉がおかしいということになり、やはりその変化っていうのが大きかったんじゃないかと思いますね。で、その治療を経て音楽に戻っていく姿っていうのが、この映画のメインのフォーカスになっていったんですけれども、いろいろな変化を経て、坂本さんが新たな音楽を発見していかれるっていう姿が、自分はすごく深いものを感じましてね。そういった方向の映画になっていったんだと思います。撮り始めた当初から、CODAというタイトルで作品を作り始めたんですけど、まさか、ご病気をなさるなんていうことも全然思っておらず、新たな音楽が生まれるところで映画を終わらせたい……と、そういう意味で映画の中での終わりというニュアンスで、CODAというタイトルを付けたんですけど、映画の中にも出てきますが、『async』という素晴らしい作品を今回お作りになりましたが、それが、ひとつのまた新たな始まりで、今後もすばらしい音楽を世界中の人を魅力するような音楽を、どんどん作り続けていただきたいと思います。」

「ここまで、坂本龍一さんがドキュメンタリーの取材にアクセスをお許しくださったことは、歴史上ないと思います。で、その坂本さんのそのパーソナルな、ご自身がお撮りになった映像とか写真とか、そういった貴重なアーカイヴ素材もふんだんに入っておりますし、何よりも坂本さんのその、クリエイティヴなプロセスを近い距離から見させていただいていたので、ぜひ映画館で観て、感じていただきたいと思います。坂本龍一さんてね、偉大な音楽家なので、音をとても重要視している映画ですので、ぜひその劇場で、5.1サラウンドで、音を感じていただければというふうに思っています。」

このメッセージを受けて、坂本さんは───

「このシブル監督とは、もう5年以上になりますかね。撮影してたのも5年で、それからまたけっこう経ちますから。何度もなんども顔を合わせてインタビューをしたり、同行していろいろ撮りに行ったりですね、いっしょに各地を点々とした仲間でもありますけども。まず驚いたのは、そのひととなりが普通の日本人以上に、もうほんっとに腰が低くて。まあそれで、あ、この人だったら側にいてもらってもいいかなという気になったんですよ、それだけなんですよね。別に僕は、自分のドキュメンタリーを……自分のね、生活を晒したいというようなとは、まるで正反対の人間なので……晒したくないんですよ、ほんとうは。でも、なんかこう行きずりというか、こうなってしまったので、撮り始めたからには、いいドキュメンタリーになってもらいたいという気持ちでなるべくいろいろな面も見せているわけですけれども。」

「さてこの、映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』は、11月4日から、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAなど、全国で公開されています。僕も舞台挨拶にあちこち行ったんですけども、興味を持たれた方はぜひご覧になってください。そしてちょっと気が早いんですけど、今年の4月に僕のアルバム「async」のリリースを記念して行われたLIVEの模様が、来年の1月27日から『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK : async』と題して、角川シネマ有楽町で公開されます。これも、スティーブン・ノムラ・シブルさんが監督を務めていました。これはほんとにそのLIVEそのままですね。一部はドキュメンタリーのCODAの方にも使われています。」

■ 映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』

http://ryuichisakamoto-coda.com
■ 映画『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK : async』

http://liveviewing.jp/contents/sakamotoasync/

<GUEST : あいちトリエンナーレ2019 芸術監督に就任した津田大介さん>

今回のゲストは、愛知県で三年に一度開催される現代アートの祭典「あいちトリレンナーレ2019」の芸術監督に就任された、ジャーナリスト/メディア・アクティビストの津田大介さんです。

「遅い時間にすいませんね。津田君といえばポリタスというか……音楽と政治のことが多いと思うんですけども、なんと、あいちトリエンナーレ2019のディレクターに指名されて、本人もびっくりという。」
「いやー、もう本人がいちばんびっくりしているというのはね。メールが来たときに二度見したというかですね、これ宛先間違ってないかなっていうふうに思ったけども、どうやらこれはほんとらしいぞ……と。最初は、無理無理無理無理と思って、どうやって断ろうかと思ったのが、最初のメールを見たときの感想でしたねえ。」
「で、向こうとしては何でなの。意図があるわけでしょう、当然。」
「まあ多分、2010年にはじまって、3回やって4回目ということなんですよね。で、恐らくは、1回目がすごく祝祭生を大事にする、まさに『都市の祝祭』というテーマで始まって、2回目が2013年で、建築家の五十嵐太郎さんが『揺れる大地 (- われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活)』っていう、まさに震災に完全に応答したテーマで、それをあえてなんで名古屋でやるんだっていう批判もされたらしいんですが、かなりシリアスなテーマの芸術祭になって、で、2016年が『虹のキャラヴァンサライ(創造する人間の旅)』という祝祭性の方向にまた行って。次どうするんだっていうときに、まあ僕のことを知ってくれたのは建築家の五十嵐太郎さんで、やはりこういう芸術祭のディレクターにはアート以外の文脈と接続できるような、そういう人選がいいんじゃないかということで……例えば津田大介さんとかみたいなっていうので推してくれたみたいなんですけど、有識者会議が荒れるだろうとなと思って提案したら、いや、いんじゃないって意外とすんなり決まってしまって、五十嵐さんも驚いたという話は後で聞きましたね(笑)。」
「そもそもアートフェスをやろうという人たちが、なぜ、アート以外の……政治とか社会とか、僕のような音楽もそうかもしれませんけど、ジャンルの違うことを取り入れようとするんだろう。アート自身の危機感っていうのはどこから来てるんだろうね。」
「まあほんとに、SIAF - 札幌国際芸術祭とかね、坂本さんからの大友(良英)さんとか、まあ或いは、小林武史さんのような、社会に対してすごくいろいろな活動をしている人が現代美術に近づいて、それで芸術祭をやるっていうのが、僕もいち観客としてすごく興味深く見てたんですけども、例えばまあ、五十嵐さんは建築……建築ってやっぱり美術とも近いですし、音楽ももちろん芸術の一部ですから、すごく芸術のクリエイターの方々がそういうのをやるっていうのはともかく、まあ、僕の場合やっぱり、ノンフィクションとかジャーナリズムとかなので(笑)、まあ、ネットとかメディアとかはやるけども芸術……といわれるとちょっとね、そことは全然違う距離の人間だったので、やっぱそこは驚きみたいなのはありますよねえ。」

「津田君はそもそも、子ども時代から、こう、絵画とかアートとかに関心を持ったことはあるの。」
「いやー……いい質問ですねえ。子どものときに絵画教室とか行ったことはあるんですけど、あまりにも下手でですね(笑)。で、絵心があまりにもなくて、絵を描くのが嫌でいやで、中学のときには夏休みの美術の課題も出すのを放棄して、まあ普通に美術で「1」とか取ってましたからね、成績で。そんな人間がアートに関わるっていうのも不思議なもんなんですけど。ただ社会状況で思うのは、今年の夏、ちょうどいろんな芸術祭があって、ヨコハマトリエンナーレ2017や、大友さんの札幌国際芸術祭2017もそうなんですけど、すごくその接続とか孤立だとか多様性とか分断っていうのを、すごくテーマに取り入れてるものが多かったんですね。それってやっぱりブレグジットとかトランプ大統領誕生とか、移民の排斥とか、ほんとに世界中で今起きている不寛容な波とかそういうものに、やっぱりそこに何かアートが対応せざるを得ないというか、対応した作品というのがすごく多くなったっていう。そういう社会状況の中、じゃ、2年後どうしていくんだろうっていうところで接続できる人間を考えたときに、実は僕はメディア芸術祭とかでは作品を出したことがあって、それで新人賞とかいただいたりはしてるんですよ。まあ、そういったのがあったので、美術とそこまで遠いところにいる人間じゃなさそうだし、キュレーターがサポートすればできるのでは……っていうふうに思われたのかなっていうふうには思いますね。」
「津田君の役割としては、社会状況っていうのかな……ある種の考えと、愛知で行われるアートっていうものを繋げる役割という感じでしょうかね。」
「そうなんですよね。僕も受けることを決めて事務局の人と話したときに、これは結構難しいというか無理難題だろうなと思ったのが、いままでの芸術祭監督が歴代みんな言われたことなんですけど、あいちトリレンナーレっていうのは国際芸術展であるので、海外のアートが好きな人……アートマニアが見ても唸るようなハイクオリティーな作品を出してくれ、と。芸術祭なので、それが一個です。ただ、やっぱり現代アートなので、名古屋とか愛知から来るふつうの人が見ると、知識がない人には敷居が高い、と。だから、マニアだけでなく一般の人にも分かりやすいものにもしてくれと。そして国際芸術展といってるんだけれども、愛知固有の文脈、愛知のローカリティも重視してくれと。この三つを満たしてくれというで……非常に相矛盾する三つを満たしてくれというのが、向こうからのオーダーで。これはなかなか難しい、まあやっぱ行政ってそういうこと言うなーとか思いながら、それはそれでおもしろそうなテーマでもあるなあという風には思ってる感じですかねえ。」
「あれもこれもと言いがちなんですよね。」
「まあ、これが発表されたときにネットとか見てても、ものすごく政治的なアートばっかりが並ぶんじゃないかっていう反応が多いんですけども、実際、僕もそういう作品は好きだし、そういうのを入れたいなとは思ったんですけど、今回はですね、芸術監督就任するにあたって、ちょうどヨーロッパで、ヴェネチア・ビエンナーレと、5年に一度のドクメンタ、10年に一度のミュンスター彫刻プロジェクト……それが全部やってたんですね。それを全部見てきたんですけど、まあなんかやっぱり全然違って、まあおもしろかったというか。ヴェネチア・ビエンナーレは、今回 "VIVA ARTE"っていう万歳っていう、ある種、軽薄なというか、まあすごく能天気なテーマで、確かに綺麗だしかっこいいし、なるほどいいねという作品はあるんだけど、けっこうバラバラだよねっていう感じで、で、ドクメンタはドクメンタで "アテネから学べ" っていうですね、大変政治的なテーマで……」
「今回アテネとドイツで同時開催でね……」
「アテネ会場すごいよかったみたいですね。」
「アテネを見ないと見たことになんない、っていうっていう風に言われてましたねえ。僕も見てないんですけど。」
「でも、すごいなあと思ったのは、とにかく会場が大きくて作品も多くて、しかもそれが非常にシリアスなテーマで、ドイツってギリシャに対して経済的には緊縮を強いたわけですよね。そのおかげで今のEUの混乱の原因みたいなものになってるのもあるでしょうし、そうやって経済的にはドイツのある種、アイデンティティを認めずに緊縮を強いている……だけれども、文化的には皆さんから学びますよっていうテーマにしてやるっていう。」
「むしろあれは、メルケル政権のそういう緊縮財政政策に対するアンチですね。いや、そんなのは当たり前で、だからそうじゃない日本がちょっとおかしいんで。例えばヴェネツィアの場合は、80年代だったかな……各国がパビリオン出すでしょう、ドイツ館のアーティストはナム・ジュン・パイクだもん。そんなの当たり前なんだよね、もう昔から。」
「こないだ森美術館の南條(史生)さんとも話したときに驚いたのが、日本て、大中小だいたい合わせて380ぐらいの美術館があるんですが、全員日本人なんですよね、館長って。こんなのやっぱりね、ヨーロッパとかもないし、中国とか韓国の美術館なんかも他の国籍の人が入ってきてるわけですから。」
「だめだなあ。当然です。」
「この辺りは本当にドメスティックなんだなあと。」
「そのそれも壊さないと駄目ね、津田君がやるんだったら。」
「まあそういうのも含めてやりたいなと思いますけどね。僕、もともと音楽が好だし、それの中でノンフィクションとかジャーナリズムみたいなことをやっていたので、札幌国際芸術祭も、小林武史さんのリボーンアート・フェスティバルも、どこかで必ず毎日LIVEとか音楽を演ってたんですよね。あれすごくいいなと思ってて、だから二年後の愛知でも、どこかで音楽がずっとなっているってことはやりたいなと思ってますし、だから、僕を象徴するのはひとつ、音楽でもあるし、あとネットとかメディアでもあると思うので、ネットを使ったものとか、或いはメディアアートみたいなものも、どこかの要素でちゃんと入れたいなとは思ってますね。やること多くて、本当に大変そうだなあとは、ひしひしと感じてます。
「愛知はボランティアのスタッフがいいんですよねえ。いいなと思いました、見に行って。支えている人たちがいいな、優秀だなと思いました。楽しみにしています、ぜひ見に行きますね。頑張って、身体に気をつけてね、ストレスが大変だから。」

■ あいちトリレンナーレ

http://aichitriennale.jp/index.html
■ 札幌国際芸術祭 – SAPPORO INTERNATIONAL ART FESTIVAL

http://siaf.jp
■ Reborn-Art Festival 2017

http://www.reborn-art-fes.jp

<「デモテープ・オーディション」坂本龍一×U-zhaan×長嶋りかこ>

番組デモ作品オーディション優秀作の発表、今回はJ-WAVEのスタジオにいるU-zhaanと長嶋りかこさん。ニューヨークからスカイプ経由で参加の教授の三人で行いました。

U-zhaan「ここからは僕、U-zhaanと」
長嶋「長嶋りかこでお送りします。」
U-zhaan「というわけで教授とも繋がっております。お久しぶりです。」
坂本「あ、僕もね、あそうですか、やるの。坂本でーす。」
U-zhaan「教授のニューヨークのスタジオとスカイプで繋がってるんですけれども、教授の後ろには……いっぱいキーボードが飾られてるんじゃないんですよね、あれ。使ってるやつですよね。」
坂本「飾ってるわけじゃないですよ(笑)、そういう趣味はないんで。でもね、すごく無精なのね、僕ね。だからこっからそこまで行くのが面倒くさくて。」
長嶋「あー、そういうこと!?じゃあ後ろ向いてすぐ弾くってことですか。」
坂本「それも面倒くさくて、目の前にないと……駄目なんで、この距離はちょっと面倒くさい感じで、あまり使わないんです(笑)。」
U-zhaan「今回はあのー、応募数が200作品近かったらしいですよ。すごいですよね。」
坂本「だけどさ、随分こう、毛色の変わったものが増えてないですか。」
長嶋「そうですよね。なんかカラオケで流れそうなやつとか結構多くなかったですか。」
U-zhaan「これをどう聴けというのだみたいな作品もありましたよね(笑)。」
坂本「ちょっとなんか投稿する場所を間違ってるんじゃない……誤解しちゃったんじゃないかみたいな。」
長嶋「ねえ。狙ってるのかマジなのかがすごく曖昧で、どっち……」
坂本「いや、ウケを狙ってるわけじゃないんじゃないかっていうねえ、感じも多かったんですけど。YouTubeで投稿できるようになって、最初は割とテクノロジーに強い人たちが投稿してきた傾向があったんですけど、あっという間に、普通になっちゃいましたね。あったかいイメージビデオみたいなのが(笑)、たくさん出てきて、こう驚いてるんですけど(笑)。」
U-zhaan「いちばん、長島さんが印象に残ったのは何ですか。」
長嶋「あのー、ウォータードラムのやつ、あれ好きでした(spume / 3branches)。」
坂本「うんうん、そうね、いいね。」
U-zhaan「教授は何か、印象に残ってますか。」
坂本「うーん、まああの鈴木くん(いただきます / 鈴木伸明トリオ)のもインパクトありますよねえ。音的に好きなやつは、あのアコギのやつとか(tappers delight / ashino)、海のウォータードラムかね、やっぱり僕も。僕らの趣味って三人ともすごく偏ってるので、相手を選んで投稿した方がいいかもよ。もちろんジャンルは設けてないんで、なんでも歓迎なんですけど、審査する方がすごく偏ってますから、ここで選ばれなくてもがっかりしないでね、みんなね。で、こん中じゃあね、U-zhaanがいちばんPOPな趣味があるんですよね。」
U-zhaan「うーん。この……(今回は通過してないのですが)長谷川光志さんという方の「面影」っていう曲は、ほんとに素敵なポップスだと思いましたよ。そういえば。でもやっぱり、応募してるところが違うって感じがするよね(笑)。」
坂本「申し訳ないよね、なんかね、一生懸命やってるのにね。」
長嶋「確かにこういう方、ね、今回いっぱいいらっしゃいましたね。」
坂本「なんで今回多かったんだろうねえ、なんかあったの日本で。」
U-zhaan「(笑) いや、もう手軽にミュージックビデオをリンクだけ送れるようになったって事なんじゃないですかね。」
長嶋「あ、U-zhaanもこないだ、PV作ってたよね。」
U-zhaan「あの蓮沼執太のやつ……」
長嶋「そう、蓮沼くんのやつ、U-zhaanが作ってた。」
U-zhaan「ほんとにiPhoneで撮るだけですね。」
長嶋「めちゃくちゃおもしろいんですよ、それ。」
U-zhaan「ありがとうございます。」
坂本「観せなさいよ、黙ってないで観せなさいよ、それは。リンクを送りなさいよ。」
U-zhaan「いやいやいや(笑)……えー、それはちょっと。汗が出てきちゃった。」

■ MV「ベーグル」蓮沼執太&ユザーン

https://youtu.be/QQLM0UTN2co
RADIO SAKAMOTOオーディションに、インターネットから作品を応募できるフォームができました。作品はファイルのアップロードのほか、YouTubeのURLを指定しての投稿も受け付けます。
詳しくは、エントリーフォーム内の応募要項をお読みください。

AUDITION ENTRY FORM

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<坂本龍一 「この2ヶ月で聴いた曲から紹介」プレイリスト>

「ここからは、僕がふだん聴いている曲の〈プレイリスト〉を紹介しますね。何からいこうかな……、Actressの新しいアルバムからの曲ですけれども。」

  • There's an angel in the shower / Actress

「はい。それからどこいこうかな……えー、はい。全然これ僕、なんだか分かんないんですけど。(名前を見て)何語なのかも分かんないんですけど(笑)、聴いていいなあと思って。何なんでしょう、教えてください。」

  • Guetna / Njib Ould N'Ghaimich

「はい、次ですね。日本人で Phewさん。懐かしいと思う方もいるかもしれませんね。Phewさんは僕より少し年下なんですけど、1980年頃、僕ら仲間と付き合っていて、僕がプロデュースしてEPをいっしょに作ったり、LIVEをして、結構、短い時間でしたけど、濃く付き合ったことがあるんですけど、その後、連絡が途絶えてしまって。でも最近この何年か、また音楽活動やってるみたいで、このニューアルバム『A New World』も、とってもいいですね。で、今年だったかなあ、ニューヨークのブルックリンでもLIVEを演ったりだとかして、活動していて、たぶんもう、60歳近いかと思うんですけど、活発に活動されていて、ほんとに嬉しいんですけれども。」

  • A New World / Phew

「次は高橋悠治さん。ま、僕は、若い頃はというか今でもかな、なんとなく交流があるんですけど、僕が勝手に私淑している大ピアニスト、作曲家ですね。彼が弾くピアノ曲も素晴らしいんですけども、何十年も前の若いときにサティのアルバムを録音していまして、つい最近出たのがまたサティで、重複している曲もありますけども、弾き方はかなり変わっていて、録音も素晴らしくて、僕はこの最新の悠治さんのサティのアルバムが大好きなんですけども、その中からぜひ一曲。」

  • ノクチュルヌ 第2番 (エリック・サティ) / 演奏:高橋悠治

「最後はですねえ、ジョン・ケージですね。"Living Roog Music" というシリーズがあるんですが、副題が "Melody" です。」

  • Living Roog Music: III - Melody / Gert Sorenson, Ars Nova

<『エコレポート』── エコロジーオンライン 上岡 裕>

「レディオサカモト、ここからはエコロジーオンライン上岡 裕がお伝えします。エコロジーオンラインの活動を始めて今年で17年。その初期に本格的に関わったのが、教授たちと立ち上げたartists' powerでした。僕らは当時、このaritists' powerと並行して田中正造直訴100年というキャンペーンのお手伝いもしていました。栃木県にある足尾銅山の操業によって起きた公害を止めようと奮闘した田中正造。命をかけてその被害を天皇に直訴した日から、ちょうど100年が経った頃のことでした。田中正造という人はエコロジーオンラインがある栃木県佐野市という町で生まれました。そういう意味で子どもの頃から、彼の話をよく聞かされました。田中正造という人がいなければエコロジーオンラインは生まれていかなったかもしれません。正造は日本のエコロジー運動の父とも言える人で、福島原発の事故の際も、彼の遺した哲学や言葉が多くの人によって引用されています。彼が亡くなった際には、佐野で行われた葬儀に3万人の人が集まったとも言われます。その葬儀が行われたのが、104年前の10月12日。その日を記念して佐野市が制定したのが「田中正造の日」です。それにあわせて環境保護に取り組む全国の団体を表彰する事業も始まりました。今年の「田中正造の日」はグローバルに自然保護を手がけるWWFジャパンの山岸尚之さんの講演もありました。彼は気候変動を止めるために各国のNGOと連携して国際的なキャンペーンを手がけています。田中正造が生きた時代は、現代のような大量消費社会ではなく、環境破壊は国の中や地域で起こるものでした。一方、大量に資源を消費して豊かな暮らしをおくるようになった現代では、環境破壊はグローバルとなり、地球温暖化や熱帯林の破壊のように、地球のどこかに暮らしている、貧しい国の貧しい人たちが被害を受けるようになりました。現代社会に田中正造が生きていたら、そんな貧しい人たちを救うために頑張ったのでは……山岸さんはそう訴えたのです。エコロジーオンラインの活動はこの佐野という町からスタートして、世界のあちこちで自然エネルギーの支援を手がけるまでに成長しました。国内で地球温暖化防止を呼びかけている団体が、なぜ途上国で貧困を無くす取り組みをするのか。そんな疑問を持つ人も多いようです。僕らはartists' powerの立ち上げの際に、気候変動を止めるためには自然エネルギーの普及が不可欠であることに気づきました。自然エネルギーは大規模なインフラを必要としません。必要なところに必要な規模の機器を持ち込めば電気や熱をつくることができる。どこにでもある日の光や風や川、ゴミなどから、タダでエネルギーをとり出すことができる。そういう意味で地球温暖化防止のツールでもあるし、貧しい人たちを支えるエネルギー源にもなる。そこから生まれた灯りは暗くて危険な夜から子どもたちを守ってあげるし、調理のために使われる炭や薪を減らして、森を守ることにつなげることもできます。グローバルな課題とともに、途上国のローカルな課題を解決することにつながります。そんな僕らの提案に大手自動車メーカーの支援が決まりました。これから2年にわたって、マダガスカルで自然エネルギーの普及を手がけます。田中正造の時代、足尾銅山の操業によって現地の山々は荒れ果て、はげ山が続く荒野へと変化しました。その山々を緑に戻すため、100年経った今もなお、多くの市民が植林に汗を流します。マダガスカルの森林破壊は足尾どころではなく国全体にまたがっています。そうした森林破壊を改善するために、破壊の原因となる薪や炭に変わる自然エネルギーを普及させ、緑化技術を持った日本の企業と連携して森林を再生する道筋を探ります。それが田中正造とつながりの深いエコロジーオンラインのミッションであると思っています。教授たちと始めたartists' powerからスタートした旅が、こうしてアフリカの東端に位置するマダガスカルに到着しました。そういえば当時、教授はアフリカのごみ問題をなんとかしたいと言ってましたよね。なんと今回、僕らが手がけるのはマダガスカルのごみや糞尿から生まれるバイオエネルギーの開発です。17年かかったけれど、教授からもらった宿題をやっと解く日がやって来たようです。さて次の宿題をもらう前に、マイクを教授にお戻しします。エコロジーオンライン上岡裕でした。」

■エコロジーオンライン

http://www.eco-online.org