「音楽家の大友良英です。この時間は、坂本龍一さんが2ヶ月に1度お届けしているレディオ・サカモトなのですが、皆さんもご存じの通り、教授は病気療養中のため、今お仕事をお休みされています。今夜は坂本龍一さんに代わって、わたくし大友良英が "レディオ・オオトモ" としてお届けします。なぜ、いきなり大友かって思ってる皆さん、すいません。キャラも違いますからね、全然ね。あの、そう思われているリスナーの方もいるかもしれませんので、実は教授から僕宛に伝言があるということで、これ実は僕もここで初めて読みます。教授に代わって代読させていただきます。えっと、これですね。じゃ読みますね。坂本龍一さんからのメッセージです。」
大友君、どうやってお返ししたらいいかな。今回は任せるにあたって、大友君しか思い浮かばなかった。今まで何十年とお互いにやってきた音楽はずいぶん違う部分も多かったと思うけど、ここへ来て大きなサイクルができてみると、似ているわけじゃないけれど、一番信用できるのが大友君の音なんだな。縁だな。頼むね。リスナーの皆さんへ、レディオ・オオトモ、どうなるかわからなくて、とても楽しみ。みんなも楽しんでね。
|
|
「っていうメッセージです。うわーちょっと。読んでてすいません、こそばゆいな。あのー、違いますよね、坂本さんの音楽と私の音楽。ずいぶん違うんですけど、実際に坂本さんとお会いしたのは、2010年の12月だったんじゃないかな。NHKの番組の収録、ラジオの収録のときに会って、放送されたのは2011年の冬……震災直前だったと思うんですけども、その時に初めて一緒に即興演奏やって、で、その時に坂本さんとデュオで即興演奏やったんですけど、面白かったんですよ。で、ピアノの人でデュオやって面白い人って正直言うとあんまりいなくて数えるくらいです、世界中でもね。それが坂本さんとだと、すごく面白くて、終わってちょっとびっくりしたのを覚えてます。それ以来、お付き合い頂いてて、僕も坂本さんとデュオやるのは、すごい楽しいですね。何か音楽性がおんなじわけじゃないんですけども、すごくよく……お互いに分かってるっていうか。あ、そうなるなっていう。何か、なんでしょう、普通に会話をしてるような感じであるクオリティの即興ができる感じが、あります。ということで、今回は大友良英のナビゲートでこの番組を進めさせていただきます。慣れないかもしれませんけど、皆さんどうか温かい目で見守ってください。今日はゲストお二人をお迎えしたいと思います。お1人目は黒沢清監督。最近は大島渚賞の審査員や、雑誌『GQ』の対談などで教授と親交を深められてますが、実はわたくし大友とも、映画の劇伴などで……えーとね、2本やってるかな。ご一緒したりして、長い関係ではあります。たまにしか会わないんですけどね。そしてもう一方は、最初にこの番組のお話が来たときに、もうすぐにこの人と対談したいなと思った、作家の柳美里さん。現在は福島の南相馬市で、ブックカフェのフルハウスを営まれています。美里さんにスタジオに来てもらって話したいと思います。そしていつものオーディションコーナーは、U-zhaan、長嶋りかこさん、蓮沼執太さんの3人が務めます。それでは、レディオオオトモ。最後までお付き合いください。」
<大友さんの近況「一音楽家として、やっていこうと思っております。」>
「ここで私、大友良英の近況ってことになりますけども、もう皆さんと一緒でですね……2020年はのびのび活動できませんでした。2021年も同じです。ただ、いろいろ思うとこあって、僕震災後10年間、"プロジェクトFUKUSHIMA! " のディレクターをやったり、札幌国際芸術祭のディレクター……坂本さんの後にやったりとか、いろいろそういう現場を動かしていくような、裏方の仕事をいっぱいやってきたんですけども、今年の3月で "アンサンブルズ東京" という、ずっと一般の方たちと一緒にワークショップしながら音楽をやるフェスティバルみたいなのを毎年やってたんですけど、その仕事が今年の3月いっぱいで終わるので、これでディレクター業を卒業。自分ではもうディレクターという仕事は受けない、と思っています。あの、音楽のディレクターはやりますよ、もちろん。バンドのリーダーとか。だけど芸術祭とか、そういう大きなイベントとかのディレクターは受けずに、側面でお手伝いはもちろんしますけれども、なんかね、自分自身もいつまで……音楽家として演奏できるかなって、この1年間すごい考えちゃって、やっぱり音楽やりたいです。演奏家でいたいので、残りの時間を考えると、それ以外の仕事は少し抑えて、とにかく自分の音楽をやる時間、この先作りたいな……と思ったりしてるので。えー、ディレクターみたいな仕事は、好きでもちろんやってたんですけどね、やんなきゃいけないなと思って。でも、もう今年62歳ですから、そろそろ若い人たちに全部お任せして、自分はもう、一音楽家に戻っていろいろやろうかなって考えてます。だから2021年は、そういう感じでライブをいっぱい演りたいぞって言ったけど、できないよねー、こんな状況じゃ。だからたぶん録音作品を丁寧に作っていくことになると思います。去年もアルバム何枚も出しましたけども、今年も録音作品をいくつも出していくことになると思いますし、あと他の人とやってるバンドだと、のんちゃん。……あまちゃんの主人公だったのんちゃんなんかとやってる、「のんとも。M 」っていうバンドがあったり、能楽の能楽師の一噌幸弘さんのやってるグループに参加してたりとか、そういうのもあるので、一音楽家としてこの先やっていこうと思っております。それではここで1曲。東日本大震災の前の年に、神戸の阪神淡路大震災のドラマ『その街のこども』っていうのを作った時に作った曲があるんです。「その街のこども」という曲ですけども、僕は震災以降、ずっと10年間いろんな福島での活動をするときに、いつもこの「その街のこども」というドラマが支えになってきました。それのエンディングに作った曲で阿部芙蓉美さんが歌います。「その街の子供」を聴いてください。」
<対談:黒沢清×大友良英『映画音楽の世界』>
大友「さて、ここからはゲストをお迎えします。えーと、黒沢さんご無沙汰しております。」
黒沢「大変ご無沙汰しております。」
大友「いつ以来でしょう。パルコかどっかで、たまたまお会いしたことがあったような気がするんですけど。」
黒沢「たまたま……たまたまは何度かお会いしてるかもしれない。まぁでも本当に、二本やっていただいたんですよね。最初は…」
大友「そうですね。最初は…」
黒沢「NHKの…」
大友「小泉さんが朗読した…」
黒沢「そうですよね。」
大友「はい。」
黒沢「それは小さいもんでしたけど、その後は『岸辺の旅』という映画で本当に全面的にお世話になりました。」
大友「いえいえいえ、その節は。すごくあの、黒沢さんのアイデアがすごい面白くて、最初は映像とか本見たときには、僕オーケストラっていうアイディアは全くなかったんですけど、通常の日本映画だと、あんまりああいうのオーケストラにならずに、ピアノとか小さい編成で普通やってくんですよね。」
黒沢「そうですよね。」
大友「それをオーケストラって最初言われたときに、合うかなと思ったんですけど、頭の中でシミュレーションしてみると全然映画の見え方が変わるなって思って。あのときはびっくりしました、はい。」
黒沢「逆に僕も、まぁそんなに規模の大きな映画ではなかったんですけれども、生音でやりたいと思っていたので、ついオーケストラと……口走ったんですが、あのそのときはオーケストラといっても、いくつかの生楽器と、メインはシンセサイザーというか打ち込みというか、そういうこと……なんだよな、結局な……と思っていたらほんっとにオーケストラでしたよね、びっくりしました。あ、ほんとなんだって。逆にこちらがびっくりでした。」
大友「いえいえいえもう、言われた通り、やるのが仕事ですから(笑)。」
黒沢「すみません。ありがとうございます。」
大友「でもあの、今は本当に音楽作る方たちは打ち込みもすごく多いし、打ち込みでも全然遜色ないくらいできるんですけども、ただ僕、技術的に打ち込みの技術が自分にはないので、そうすると人に依頼することになっちゃうんで、それは嫌かなというのと、せっかくオーケストラ使えるならオーケストラでやりたいなっていう。」
黒沢「ありがとうございます。僕も多分、これまでいろんな映画でオーケストラっぽい曲を作ってきたんですけど、本当にすべてが生楽器で、すべて本当のオーケストレーションの構成で作ったのは、あれが初めてでした」
大友「そうですか。」
黒沢「音楽的には、実はあの映画が一番贅沢……だったんですよね。」
大友「結構スタジオミュージシャンのフィーもギャラもそこそこかかりますもんね、オーケストラでやっちゃうと。まぁ小ぶりのオーケストラではあったですけどね。」
黒沢「とても楽しかったです。本当にありがとうございました。」
大友「こちらこそ。でも通常、映画作るときってだいたい音楽の方が後からつくわけですけど、音楽で世界というか見え方が変わるという経験は何度かしててるんですけども、あんなに変わったことないっていうくらい、僕にとっては変わりましたね。だから黒沢監督はどこまでそれを想定してたのかなって、今日まずそこからお話聞こうかなって思ってるんですけど、はい。」
黒沢「いや、あのまぁ『岸辺の旅』と映画をどれぐらいの方が観てらっしゃるか分からないんだけど。たまたま最近というか、かなり最近、今年になってからですけど、NHK……あんなの珍しいんですけど、NHKの夕方、BSじゃないですよ、NHK本体の地デジの夕方、『岸辺の旅』やったんですよ。」
大友「みたいですね、びっくりしました。結構いろんな人に言われました、それ。」
黒沢「そうなんです。僕もこわごわ観たら、やっぱ音楽で観ちゃいますね。音楽ってやっぱり観ちゃうんだよなぁっていう力が、あるなあと思います。」
大友「あの、恐ろしいですよね。音楽ってそういう意味では。」
黒沢「そうなんです。」
大友「理屈とか超えて人を惹きつけちゃう力って、別に自分の音楽ってことじゃないですけど、あらゆる音楽にあって、だから悪用しようと思ったらいくらでも悪用できるなっていつも思うんですけども。」
黒沢「えぇ、僕もそう思いました。ですから、あの映画は、そうですね。僕もはっきりと音楽のイメージを持って、大友さんにお願いしたわけではないんですけど、でも……何か、音楽が何かをしてくれるだろう……予想もしないすごい効果を多分、作り出してくれるだろうというのは、いつも思いながらお願いしています。で『岸辺の旅』ではそれが……強烈に音楽でこんなになっちゃうんだというのが、一番強烈に表現できたので、まぁすごく嬉しかったですね。ああなるとは僕も全然思ってないんですよ。」
大友「あ、そうですか。」
黒沢「思ってないんですけど、なんかなるだろうと。思いもよらぬことに、何かなるだろうというのは、もう楽しみです、いつも映画を作るときの。」
大友「それは音楽だけじゃなくて、黒沢監督の撮り方にもそういうのを感じるんですけども。100%コントロールしてるってわけじゃなくて、そこで起こってしまったことを逃さないみたいな……感じってあるんじゃないですか。」
黒沢「まぁ、そうですね。そんなにいつもメチャクチャなことをしていないんですけども、脚本通りやってはいるんですけど、俳優が思わぬ表情をしたり、カメラマンも思わぬ方向から撮っていたりするようなことは、いつも、とっても、楽しいですね……あ、これが映画なんだなっていう。しめしめみたいな感じで現場をやり過ごしています。」
大友「なんかだからちょっと、ちょっと距離を置いてみると悪い人だなって思いながら見てるんですけど(笑)。」
黒沢「いやいや。全然悪さはない。まぁ、映画監督ってこういう仕事なんだと思います、文字通り監督……ですね。自分が何かある才能があってそれを発揮しているんじゃなくて、いろんな人の才能をちょこちょこちょこちょこいただいて、まとめさせていただいているっていう。ただ、監督がいないと、多分まとまらないんですよ、あまりに皆さん才能があるんで、ええ。その才能をそこそこ、うまく……そこそこの部分をつなぎ合わせるのが僕の仕事ですかね。」
大友「それは音楽のバンドのリーダーとかディレクターをやっていてもそうで、ただ……野放しにするとすごい楽しくはなるんですけど。」
黒沢「あぁ、そうですよね。」
大友「ある形にはならないですよね、通常は。2〜3人ならなるんですけども、それ以上の大きな規模になると、やっぱり必ず、そういうものがないと、うん。」
黒沢「あぁ。」
大友「あの、今ずっと話してるのは『岸辺の旅』という黒沢監督と一緒にやった映画についてですけど、あの映画に関して言うと、自分でも全く予期しなかったなぁ、あの音楽がつくことで、映画の外側に世界がすごいあるっていう感じが僕してきたんですよね。」
黒沢「はい。」
大友「もともと、現実の世界とそうじゃない世界があるように見える映画なのが、そもそもリアルじゃないストーリーなのに、よりそういう感じがしたっていう。最初、音楽付いてない状態で見た時と、付いてからとで変わったところ……でしたかね。」
黒沢「いやいや。もうそのために、大友さんにあそこまで分厚いというか、脚本を読んだだけでは、たぶん想定できない、複雑な音楽を作って頂いたんですね。」
大友「いやぁ、思いつかなかったですね。もうひとつ、打ち合わせのときに黒沢監督が言った面白いことで、今でもはっきり覚えているのは、昔の映画……たぶん50年代とかの映画のことをおっしゃってたと思うんですけど、日本でも海外の映画でも別にストーリーどうこうじゃなくて、すごい大きな編成がついている……ってことをおっしゃっていて。確かにそうだなと思って。そういうことも想定してるんですって言ったのが、いまだに忘れられないというか。」
黒沢「あ、まぁそうなんですよね。それはもうたぶん、歴史的な必然なんでしょうけど、昔はそうですね。1950……まぁもっと前もそうなのかな。」
大友「そうですね。40年代もそうですね。」
黒沢「そうですよね。音楽っていうと、なんとなくオーケストレーション、あるいはビッグバンドとかね。」
大友「とにかく巨大な編成がついてますよね。」
黒沢「大勢でわさわさ演るっていう……サイレント映画でも、映画を上映しながら脇でバンドががしゃがしゃ音楽を鳴らしていたわけですから、だいたい映像にくっつく音楽は、割と当時それしかないわけですけどね。いくつかの楽器、生の楽器でがさがさ演るってことだったので、やっぱりまぁ、分厚いですよね。だから1960年代ぐらいまでは、何でもない低予算の映画でも、相当、分厚い……ゴジラとか典型ですよね。」
大友「そうですね。あの、ものすごい分厚い音が付いてますよね、低音楽器を豊かに揃えて。」
黒沢「そうです。画面より音のほうがどんだけ金かかってんだよって感じがしてきますよね。それが当たり前だった。」
大友「(笑) あの頃は専属のオーケストラもいたでしょうし、安く使えたんでしょうね。労働組合がうるさくなかったでしょうし。そういうので黒沢監督も僕も育っちゃってるようなとこはありますよね、たぶんね。」
黒沢「ただまぁ、多分大友さんもご存知のように、これも1960年代くらいのある時期から、まぁそういうのにむしろ反発して……マイルス・デイヴィスを使うぞとか、まぁあるいはアメリカ映画だったら、もっと本当ポピュラーミュージックのようなものを、あそこサイモン&ガーファンクルとかね、そういうのを流そうっていうのは……」
大友「ニューシネマのあたりから大きく変わってきましたよね。」
黒沢「はい。あのあたりからもっと……何て言うんですかね。ただ分厚いとかっていうんじゃなくて、ある種の音楽にも作家性っていうと変ですけど、アーティスト性みたいなものを売りとしてくっつくようになってたんでしょうね。たぶん大友さんもそうなんじゃないの、僕なんかは物心ついた頃、観た映画はむしろそういう方が多かったですよね。」
大友「そうですね。」
黒沢「それはそれでありだったんですけど、なんかね、それが嫌でもっと昔の映画は、もっと分厚かったはずだ。って、そういう反発もあったんですよ、僕も世代的には。」
大友「うんうんうん。」
黒沢「周りのみんながいとも……周りのみんなって、あの昔自主映画とか撮ってた頃の話ですけどね。すごくお手軽にビートルズとかかけるわけですよ(笑)、自主映画だからタダだから。それはなんか違うぞっていう……感じで、8ミリ映画を作ったりもしていました。」
大友「最初から黒澤監督の音楽のつけ方って、僕はすごく独特な感じがしてたんですけど、なんとなくテレビにしろ映画にしろ、こういう風に音楽つけてくればいいっていう無難な線というか普通の線っていうのがあったとすると、黒澤監督のはいつもそれとは全然違う付け方をしてくる……って僕は見てて思ってましたね。あ、ここで付くんだ、とか。ここ付いてないんだっていう。」
黒沢「あぁ。」
大友「それはあの、音を全部含めてなんですけどね。」
黒沢「いやぁー、まぁそうですね。あんまり自分で意識していないんですけど、本当にひとえに……音楽はすごいなあということは分かるんですけど、まったく音楽に関して素人だという、素人の強みなのかもしれませんね。」
大友「黒沢監督ってよく、自分は音楽は素人だっておっしゃいますけど、全然そんなことないと思っているんですけど(笑)。」
黒沢「もう素人です、全然わかんないですよ。でも僕も当然のように大友さんに音楽をお願いしちゃってますけど……もう一昨年か、一昨年やっていた、いや『いだてん』の曲、めちゃくちゃいいですよね。」
大友「ありがとうございます(笑)。」
黒沢「僕ね、あの大河ドラマとか割と、全てではないんですけど結構見てるんですけど。」
大友「あ、そうなんですか、意外ですね。」
黒沢「結構見てるんですよ。いや、あの知り合いの俳優が出てるという理由もあるんですけど。」
大友「あ、そうかそうか、そうですよね。」
黒沢「冗談抜きに大概見てるんで、1年間見るんでそのテーマ曲って嫌でも頭に入ってくるんですけど、いだてんは……早かったですよー、頭に入るの。オンエアされて3回目ぐらいで、もう僕口ずさんでましたから。」
大友「やったっ。もう、当然テレビの音楽を作るときは、それを目標にしてますからね(笑)。キャッチーにつかむっていう。」
黒沢「あぁ、すごいですね。ですよね。」
大友「あれが、ちょうど黒澤監督と一緒に仕事をした少し後くらいから本格的に実は打ち合わせが始まってたので。監督とやったので、オーケストラ使ったのは実はすごく参考にその後……」
黒沢「あ、そうですか。」
大友「僕、そんなにオーケストラってやってないので、大河ドラマだとどうしてもオーケストラを使わなきゃいけないみたいな問題が出てくるので、あれはだから実はつながっているんですよね、僕の中では。」
大友「がらっと話変えちゃいますけど、今このコロナ禍になって、実際に監督は撮影とかされてるんですか。」
黒沢「いえいえ、全く撮影はしていません。まぁあの……幸い撮影も何も、予定も何もない時にコロナ禍になってしまったので、やろうとしていたのが延びたとかいうことはないんですけれども、もう何にもやってないですねー。まぁ撮影はそうそういつもやってないので、まあこんなもんだなと思ってるんですけど、その……一番辛いというか、やっぱりここもう20年ぐらい、なんだかんだ海外に映画祭含めて、プロモーションとか趣味の旅行も兼ねて、年に何回行ってたかな……月1回ぐらいのペースでは行ってたんですけど。」
大友「結構行ってらっしゃったんですね。撮影でも行かれてますもんね。」
黒沢「撮影でも行きました。ただ、もうぱたっと丸1年以上行ってないかな。全く海外に行けなくなったっていうのが、結構自分としては異常な感じですね。どうしてるんですかね、皆さん。」
大友「(苦笑) 僕の感覚で言うと、もうずっと半分くらいが海外だったので、その間て、日本語でものを考えない時間なんですよ。」
黒沢「あー、なるほどなるほど。」
大友「英語はもちろんそんな上手じゃないんですけど、行ったら英語で喋らざるを得ないので、そうすると何か考え自分のいつも考えていることと違うことを考えつくんですよね。」
黒沢「うーん。」
大友「言葉の数が足りないせいもあって、言ってる意見も日本語でしゃべるときよりもはるかにストレートで大ざっぱになったりするんですけど、それがそのまま自分の考え方にも影響して、海外で思いつくことと日本で思いつくこと、全然違ったりしていたっていうチャンスがなくなっちゃったんで。」
黒沢清「あー、なるほど。」
大友「うわぁ、窮屈窮屈……日本語を離れたいって最初のうちは思ってたんですけど、怖いもので慣れちゃいますね、なんだか。」
黒沢「それはそうですよねえ。でもこのー……今もこういう状況でリモートで大友さんとお話しているわけですけど、コロナになる前はこんなことを僕全然……今はもうこれ正直あんまり楽しくないんですけど。」
大友「まさか都内にお互いにいるのにこんなになるなんてね。」
黒沢「そうですね。逆にそれこそ海外も含めて、ちょっとリモートで海外の映画祭で上映するから、その前の30分リモートで質疑応答してくれとかですね、結構気楽に言われて僕も断る口実もないので、はいやります、とか言って結構やってんですけど、自分が行かないのに……日本国内も含めてですけど。」
大友「はいはい。」
黒沢「全然楽しくないのは、なんでだろうっていうね。なんでだろうと当たり前なんですけど。」
大友「いや……楽しくないですよね。」
黒沢「全然楽しくないですね。やると、もちろん向こうの人の反応とかも聞けて、その瞬間は一瞬、ちょっとした高揚はあるんですけど、じゃあこれで終わりましたって言った瞬間、シーンとまた自分の部屋に……戻るっていう、あのすっごい嫌な感じ。」
大友「映像が切れた後、何事もなかったかのように、部屋に一人でいるんですよね。」
黒沢「そうなんですよ……あれ、ほんと嫌ですとね。」
大友「嫌ですね。今日もそうなるのかな、この後(笑)。」
黒沢「そうですね。僕はこれちょっと六本木いるんで、少し……少し楽しいんですけど。」
大友「六本木にいるんですね。」
黒沢「そうなんです。僕だけスタジオに……スタジオというか、はい。」
大友「別に歩いていける場所に、俺、いるんですけどねっていう(笑)。なんか、なんでしょうね。そこの場所に行く途中の道とか帰りの道とかも含めて、人って生きてるんですよね、多分ね。」
黒沢「いやあ、多分そうなんだなというのがよく分かりますね。」
大友「そうですね。映画ってそういうとこカットするじゃないですか、もう残酷なまでに。突然、 次のシーンに行ったりするけど、人生でそれをやられるとちょっと……なかなか(笑)。」
黒沢「そうですね、おっしゃる通りですね。映画はまぁ、そういう酷いことをしちゃうんですけど、基本的にはまあ、家からバスとか電車に乗って、映画館に来て観ていただきたいというものなので。」
大友「はいはい。」
黒沢「それを想定して作っているんで。」
大友「この状況だと映画館じゃなくて、多分……PCの画面で観たり、テレビで観る人がすごく今増えてると思うんですけども。その辺は、監督はどんなふうに思われているんですか。なるべく映画館という感じですか、やっぱり。」
黒沢「ただこれは本当に……日本ですと、おっしゃったようにそれはできたら映画館で観てほしい、でも時節柄、PC画面のテレビ画面で観たりする、それも仕方ない……まぁでも一方で、鬼滅の刃が大ヒットしているとかですね、映画館……客を半分しか入れてないけど、まぁ何か新作が公開されているとか日本ではそう、ですよね。」
大友「そこそこ入っているって聞きましたけど。」
黒沢「ヨーロッパ……数日前にイタリアの人と話したんですけど、イタリアはもちろんフランスもそうですね、映画館1年間、閉まっているんですよね。それを考えると、1年間すべての映画館が閉じていると、ああ、映画終わったかもしれない……っていう気に多分なってくるんでしょうね。」
大友「うんうんうん。」
黒沢「それは恐ろしいですね。日本は幸いそうなっていないので、客が減っているとか、ちょっと閉めたけどまた開けてるとか、いずれ行けばいいんだとか、新作はやっぱり公開されたりしてるわけですけど、1年間映画館が閉まっている状況って、考えるとちょっとゾッとしますね。もう……下手するとこの世からなくなってしまうんじゃないかっていう何か、嫌な感じ……」
大友「映画を上映する場所がまずなくなっちゃうかもしれないし、行く習慣が消えちゃうかもしれないってことですよね。」
黒沢「そうですね。で……もう自分の中でも、思い出の中にしかそれは存在しなくなるのかもしれないというと……」
大友「昔、映画館があったんだよっていう話をしなきゃいけなくなるっていう。」
黒沢「そうなんですよね。まだ日本だとピンと来てないんですけど、ヨーロッパあたりではものすごくその危惧が……あるようですねえ。」
大友「そんな中で、監督は次の手というか、次、何やるっていう計画なり何なりは、いま進んでるんですか。」
黒沢「一応……はい。」
大友「言える範囲でいいですけど。」
黒沢「まだ言えないんですよね、というほど具体化したものはないんですけど、いろいろやろうとはしていまして、映画はまだ存続する……と信じて、映画館で上映される映画みたいなものを何本か、企画は進めていて、みなさんやろうやろうと言ってはいるんですが、本当にやれるのかなという不安はどっかにはありますけどね。」
大友「カンヌで賞を獲ったりした関係もあると思うんですけど、海外からのオファーとかもあったりするんじゃないですか。それともそれもやっぱり切れちゃってる……んですかね。」
黒沢「実はあるんですよ。ただあんまりまだそこは、ちょっと言えない面もあるので。」
大友「すみません。」
黒沢「いえいえ。海外だとそこは皆さんポジティブで、作ることにかけては結構やろうやろうと。実際掛け声だけじゃなくて、着々といろんなものを作りつつあるようです。作って、「え、上映されるの?」って、「それはわからないんだがね、まだ。」という。でも逆に映画館が完全に閉じてる分、作ることはできるので、ちょっと注意すれば。ここで作らなくなったらもう本当に終わりだっていう危機感もあるようで、仮に上映形態はまだはっきり分からなくても、可能な限り作ろうという気運は高まっているようですね。作ることでしか映画が今、存続できないかもしれないみたいな。だから海外で、このコロナが何とか収まったらやりましょう、という企画を進めたりはしています。」
大友「それは楽しみですけどね。あの、ちなみに今海外の話になっちゃったんで、もうちょっと聞きますと、言葉が違うところで映画を作る……って監督はどうなんですか。要するに映画って基本的には映像も音楽もですけど、言語にすごく頼るもの、だとは思うんですけど、自分のネイティブじゃない言語で、何かやっていくっていうことに対しては、お考えとかもしあれば今日お聞きしたいなと思ってたんですけど。」
黒沢「いや、実はフランスで撮った経験で言いますと、僕、意外と言葉どうでもいい人間だったっていう、気にならなかったです。」
大友「あ、そうですか。」
黒沢「あの、平気だったんです。フランスの俳優がフランス語で喋ったりしてるの、さっぱりわからないんですけど、逆に言葉から解放されて、こちらは……もう、おまかせですよね。ある意味無責任に楽しめましたね。俳優が皆さんが満足してれば、それはそれでOK。僕はもうこっちは、全然何がOKなのか分かんないので、逆にどういうふうに、まぁどんな画面で撮られているかとか美術はどうなんだとか、普段はあまり注意が向かないところにすごく注意がいって、充実しましたね。」
大友「あぁ。それはすごく面白い話……ですね。なんか欠落することによってっていう。」
黒沢「そうなんですよ。案外言葉って、まぁ言葉重要ですけど、そんなに映画にとって致命的なものでもなくて、ずっと喋っているわけでもないですからね、映画の中で人が。それこそ音楽の方が、僕にとってはものすごーく重要なような気がしてきましたねえ。」
大友「音楽も外国語の歌とか、とお付き合いしなきゃいけない時ってやっぱりネイティブじゃないとニュアンスなんかわかんないんですよね、正直言うと。細かい発音とか。」
黒沢「そうでしょうね。」
大友「だけど、よくよく考えると自分がポップス聴いてた時に、意味で聞いてないなというか、言葉の。日本語に至るまで。むしろ声質だったりビートだったりすると、そこまで言葉の細かいニュアンスじゃないのかなって思うことも、あったりして。」
黒沢「あぁ。そうなんでしょうね。」
大友「それよりも、声質とか……の方が気になっちゃったりっていうのはもちろんありますけどね。映画は大変じゃないかなって僕、想像してたんで、フランスで撮られたのも、どうやってたんだろうってちょっと気になってました。」
黒沢「いや結構……実は楽だったんですね、不思議な経験でしたね。まぁまぁそんなことでいいのかと怒られるかもしれませんけど。意外とそうでした。」
大友「いやいや。なんか、むしろ監督にはそういう、何て言うんでしょう。日本語じゃない映画もこれからも撮ってみると面白いんじゃないかなって思ってました。はい。」
黒沢「たぶんフランス語だからよかったってなるかもしれません。何にも分かんないので……これ英語だとほとんど分かんないですけど、少しわかる分、欲求不満が英語の方が出たかもしれませんね。フランス語、もうもう全然。」
大友「そうか。全く分からないと諦めもつくって(笑)。」
大友「監督は、あの坂本さんとは、結構お古いというか。」
黒沢「まったく古くなくて、いやもう……こちらはもちろんYMOの頃からファンだったりするんですけど、本当にお会いして、1年目ですかね……たまたま、ぴあが主宰する大島渚賞という映画の賞の審査員審査員長が坂本さんで、もう1人の審査員に僕を……ぴあが指名してくれたんですね。ですから、その縁で、本当にあれが最後の海外でしたけど、去年の1月ニューヨークで坂本さんと初めてお会いしました。」
大友「あ、そうですか。」
黒沢「大島賞の選考会で。それ以来プライベートでお会いするほど親しくしていないんですけど、また2回目の大島賞とか、ちょっと雑誌の映画の対談とかそういうことでポツポツとお会いすることができたっていう、それぐらいの関係……です。」
大友「仕事を、映画とか映像に関しての仕事をか一緒にされたということは現状…」
黒沢「全く。全然。」
大友「ないんですね。」
黒沢「いやあ、流石……ちょっと恐れ多くてというか、大友さんでも恐れ多いんですけど。」
大友「いえいえ、何言ってるんですか(笑)。黒沢監督が恐れ多い人なんて、今いないと思いますよ、この世に。」
黒沢「いえ、だから……やっぱちょっと世代的にも、どっか伝説というか神話化された方なので、お会いするとき結構ドキドキしましたけどね。わ、坂本龍一と会うんだーって、ちょっと…… 」
大友「あ、でも分かります。僕もそうでしたね。あ、本物だ!って思いましたけど。」
黒沢「あの、たぶんお会いしたら誰でも思うでしょうけど、なんて人当たりがいいというか。悪い言葉かもしれませんけど、わあ、人たらしなんだなぁ、この人っていう。この男も女も参っちゃうよなー、きっと多分この人に、っていう。なんかすごいですよね、あの……魅力というか。」
大友「そうですよね。坂本さん聴いてくれてるかな、この番組。」
黒沢「これでみんなメロメロになるんだ、という感じがもう。」
大友「何かお話してても楽しいですよね、坂本さん」
黒沢「そうですよねー 。」
大友「なんか最初のうち、僕もやっぱ大先輩ですから、音楽の世界の。知名度のレベルもまったく違うので、すごくこっちの方が気を遣ってるつもりだったんですけど、実は坂本さんの方が気を遣ってくれてて、そういうところでも含めて懐深いというか、ちゃんと扉を開けててくれたんだなって思いましたけどね。」
黒沢「いやー。そうですね。」
大友「あれ。監督の方が坂本さんよりも年齢若い……ですよね。僕と坂本さんの間くらいかな、監督って。歳きいたことないからごめんなさい、分かんない。」
黒沢「と言っても、もう僕、高齢者ですから。」
大友「そうですか。あ、ワクチン、早めに打てる……?」
黒沢「そうです。ただ高齢者の中で一番若いです。何を威張ってんだ。」
大友「じゃあやっぱり、坂本さんと僕のちょうど間くらいですね。いやいやでも、坂本さん早くお元気になって欲しいなって思いますけどね。」
黒沢「そうですね。昨年暮れに本当お会いしたとき、全然お元気で。」
大友「そうなんですよね、僕もびっくりしました。」
黒沢「まぁね、でもそのへん、ちゃんと周到にいろいろと考えてらっしゃる方ですから、まぁ安心はしてますけどもね。」
大友「あの、次はきっとこの番組聴いてる人も、坂本さんと黒沢監督の会話を聞きたいと思いますので、それも僕も楽しみにしております。」
黒沢「こんなには喋れません。いや、ついつい大友さんだから喋っちゃいましたけど、坂本さんの前では恐縮して喋れません。」
大友「いやいや。何か今日は本当にどうもありがとうございました。」
黒沢「とんでもないです。こちらこそ。次は生でお会いしたいですね。」
大友「そうですね。生で会いたいですね。どうもありがとうございました。」
黒沢「こちらこそ、ありがとうございました。」
<対談:福島出身・大友良英と福島在住・柳美里が想う『震災と芸術』>
大友「続いて、ここからのゲストは、作家の柳美里さんです。こんばんは。」
柳「こんばんは。」
大友「ご無沙汰です。」
柳「お久しぶりです。」
大友「直接会うのは1年ぶり……去年の3月のフルハウスのオープンの時ですよね。」
柳「そうですね、2020年の3月14日に、常磐線が全線開通して、9年ぶりに。それで3月20日に、私のブックカフェがリニューアルオープンという形で、大友さんと飴屋法水さんに、即興でイベントをやっていただいた……」
大友「でしたね。柳美里さん南相馬にお住まいで、そのフルハウスという本屋さんだけじゃないですよね。本屋さんと……」
柳「ブックカフェですね。」
大友「ブックカフェがあって、それで本屋さんの裏に、何かお芝居やるスペースみたいなものまで。」
柳「演劇アトリエ「 La MaMa ODAKA」があります。……と名付けました。」
大友「大きく出ましたね。そうそう。そこに呼ばれて行って、僕は常磐線で行けるんですごい、開通したんで楽しみにしてたらその日、強風で、常磐線が動かなくて、急遽レンタカーを借りて行ったのを今でも覚えてますけど。」
柳「常磐線って強い風が吹くと、度々止まるんですよね。」
大友「そっかそっか。まぁ、吹きさらしですもんね。」
柳「そうですね。津波でかなり防風林も流されてしまったので。海からダイレクトに風が……ということはありますね。」
大友「すごい素敵なカフェで。そもそも、柳さんて福島の人ではない……ですよね、育ったわけでもないですか。」
柳「ないですが、縁があって私の母が福島県南会津郡の只見町で中学・高校時代を過ごして。それで、その後家族で浜通りに転居して、今の南相馬市原町区で8年ぐらい暮らして……」
大友「じゃあ、縁はあった。」
柳「そうです。その8年経って、茨城県土浦市に常磐線で南下して、土浦市で私が生まれたんです。」
大友「そういうことなんですね、なるほど。最初、震災のころ、Twitterで、なんとなく柳さんがいっぱい発言して福島のことを発言しているのを見ていて、そのうち福島に来るんだなって思って……その縁を全然知らなかったので、最初はびっくりしてたんですよね。」
柳「大友さんにとっては福島に行くっていうよりも、やっぱり福島に来るっていう感じなんです?」
大友「今、来るって言っちゃった?」
柳「そう。迎えるという感じ……」
大友「かな。無意識かな。あの、僕は生まれは福島じゃないんですけど、小学校の途中から大学で東京へ出るまで福島。」
柳「でも、今でもご両親が福島に。」
大友「そう。うちの両親はそもそも全然逆に福島に縁なかったんですよ。父親が神戸で、母親が横浜で。結婚した後も横浜に住んでいたんですけど、ちょうど高度成長期の60年代後半に親父の工場が福島にできたんで、それで転勤してきて、それで僕も連れられて。」
柳「そっか。じゃあ代々、福島でってわけではないんですね。」
大友「全然ぜんぜん、誰も親戚も何にもいないかな。だから最初は2、3年居るだけだと思ってたら、親も含めて終生住むことに。」
柳「もう今……80代?」
大友「親父は93、お袋88なんで、まぁ多分、福島で骨を埋めることになるかな。」
柳「福島で人生を全うする。」
大友「はい。多分、親が一番思ってなかったと思いますよ、ずっと福島に住むとは。」
柳「まぁ意外ですよね。私も福島で暮らすとは、2011年3月11日以前は思っていなかったです。」
大友「そこにでも住んじゃおうって思ったのは……どうして、あるいはいつ頃からそういう風に本格的に思われたんですか。」
柳「あの、初めて浜通り原発周辺地域に行ったのは2011年の4月21日。4月22日の零時をもって、原発から半径20キロ圏内が警戒区域として閉ざされるってニュースを当時暮らしていた神奈川県の鎌倉市で見て、それで取るものもとりあえずというか、とにかく閉ざされる前に見ておかなければ……今みたいにこう何て言うんでしょう、段階的に解除されるって当時は思わなかったんですね。」
大友「思えなかったです、うん。」
柳「もう40年とか50年立ち入ることができないんだと思ったので、とにかく閉ざされる前に行って見ておこうと思って、行ったのが最初でしたね。で、楢葉町にもすでに検問所ができていて、そこから車で通過して、最初に降り立ったのが富岡町の夜の森でしたね。」
大友「あ……桜が咲いてた、もしかしたら。」
柳「満開でした。」
大友「そうですよね。」
柳「あの年は寒かったので、いつもだとやっぱり4月21日っていうと……」
大友「もう終わった頃かな。」
柳「散っちゃってる時が多いんですけど、あの時は満開……でした。」
大友「夜の森って、桜が有名なところなんですよね。」
柳「そう、1500本埋まってるんですよ。」
大友「わ、そんなにあるんだ。」
柳「で、それから通うようになって、2012年の3月から臨時災害放送局で、「ふたりとひとり」という、地元の方お二人のお話を聞く番組の聞き手を務めるようになったんです。」
大友「はい。」
柳「それがディレクターの今野聡さんという人がいて。」
大友「よく知っています、いいキャラの人ですよねえ(笑)。」
柳「そう、ゆるキャラなんですけども。で、彼と2012年の元日に原町のファミレスで会って、閉局するまで続けるって言っちゃったんですよ。」
大友「はいはい。」
柳「それで、今野さん、どれくらい続きますかね。って……「あくまで臨時の災害放送局なので、長くて1年でしょう。」って今野さんが言うんです。だったらもう、閉局まで続けられるって言ったんですけど、1年いちねん、年末に更新されるんです。」
大友「はいはい。」
柳「電話かかってきて、「柳さん、来年も続くことになりました。」って、分かりましたって。結局2018年の3月25日に閉局するまで続けることになったんです。」
大友「あ、なるほど。」
柳「それで、600人の方のお話を伺ったんですけれども。」
大友「わ、そんなにいっぱい聞いたんですね。」
柳「で、毎週金曜日の番組ですよね。で、鎌倉から南相馬に通うというのが、時間的、経済的な理由もあって、かなり厳しいと。でこれ、閉局までやるって言っちゃったから、約束を守りたい……っていうジレンマで、引っ越すっていうことを決めたんです。」
大友「(笑) そこがすごいですよね。」
柳「でもやっぱり言っちゃった、約束したから……守りたいと思った。」
大友「わあ。今野くんの功績、大きいんですね。」
柳「そうですね。みんな後臨時災害放送局ってどんなだって思うんですけど、ほんと市役所の一室にあるんですよね。でもそこは生放送がやってて使えないので、私と今野さんでその機材を二人でも持って、で、いろんな方の……うどん屋さんとかクリーニング屋さんと、もう食堂とか学校とか消防署とか警察署とか、二人で訪ねてマイクを立てて……」
大友「じゃあ生放送じゃなくて、ちゃんと取材して撮ったものを編集して流してたんですね。」
柳「そうですそうです、今野さんが。」
大友「そうなんだ。それすごい貴重な……ある意味貴重な財産というか。」
柳「そう。でも今、聞けるようになってます。」
大友「ポッドキャストみたいな形で?」
柳「なんかね、どっかにまとめてあります。検索すると出てくる。」
大友「そうですか。ぜひ聴いてるみなさん、チェックして。俺も聞いてみます。それで結局住むようになって、でも本屋さんってアイデアは、その後?」
柳「そうなんですね。それももう、話すと長くなるんですけども、本屋を自分がやりたいと思ったことは一度もなくて。」
大友「あ、そうなんですね。」
柳「本屋ってふらっと立ち寄る場所で、好きな場所で、かつ自分が本を作るようになってからは仕事先みたいな。けれども、福島に移住したのが2015年の3月で、そこからまたそのラジオに出てくださった学校の先生との縁で、小高工業高校という南相馬市小高区旧警戒区域にあった高校との縁がつながって、高校の現代国語の時間に文章表現と自己表現の講義をするようになったんです。それで、その中で生徒と先生方と話をするうちに、2016年1月に小高区の避難指示が解除されて、2017年の4月から小高工業高校と小高商業高校が合併して、小高産業技術高校という新しい高校が出来て、生徒たちが通うんだっていう話を聞いたんです。それで、どんな町になるんだろう……と、彼らが通学する上で。で、避難指示解除に向けての住民説明会に出るようになったんです、小高の。そしたら、いま3757人なんですけども……それでも3割戻ったんですね。でも当時は避難指示が解除された直後って1000人台……で、この中で生徒たち500人が通学する通学路って、お店がなくて真っ暗なんですね。で、何かあった時に生徒たちが飛び込めるというか、ちょっと寄り道したりする場所が必要なのではないかなーと思って、誰もやらないなら、私がお店やるか。と思ったんですが、私18歳のときに書くことを仕事に選んで、アルバイトも一度もしたことないんですよ。」
大友「え、すごいですね。」
柳「ま、やってきたんですよ。それで私ができるお店って何だろうと思った時に、本屋しかないかなと思って、やろうって思いついてしまったんですね。」
大友「はいはい。それがそれが実現したのが、今あるフルハウス。」
柳「フルハウスというブックカフェです。」
大友「確かにあそこはただの本屋さんじゃなくて、カフェもあって、ぶらっと本買わなくても寄れる……雰囲気があって、ちょっと図書館っぽい感じもありますよね。」
柳「そうそうです。だから当初から、うちは立ち読み、座り読み、大歓迎です、というふうにインフォメーションしているし、で生徒たちに話を聞いたら、みんなお小遣いが少ないんですね……月3000円ぐらい。」
大友「あ、今でもそんなものなんですね。」
柳「3000円から5000円ぐらいで。それって何か、コンビニエンスストアで菓子パンとか飲み物を買ったらなくなっちゃいますよね。」
大友「本を買う余裕はとてもない。」
柳「ない。でも常磐線の本数っていうのは、1時間半、2時間に1本なんですよ。小高駅は無人駅で、過ごす場所というのがない……ですね。それで、第2の駅舎みたいな感じでなればいいなと思ってフルハウスを作ったんです。」
大友「なるほどなるほど。高校の頃っていろんな影響を受けるから、人生変わる人いるだろうなって、僕も見てて思いましたけど。」
柳「町って今こう……復興したのか復興してないのかってよく問いかけがあるけれども、町って避難指示が解除されると最低限の生活に必要なものって揃っていくじゃないですか。薬局とか学校とかコンビニエンスストアとかスーパーマーケット、ホームセンターですよね。でも、生活って最低限必要なもの……では成り立たない。」
大友「そうなんですよね。」
柳「そう、いま不要不急の外出は控えようって言われて……」
大友「不要不急のものがないと……」
柳「そう。で、大友さんがやってらっしゃる音楽も、私がやっている演劇なんかも、不要不急に入りますよね。」
大友「不要不急ジャンルに入れられちゃったかな。」
柳「だけど……本屋とか劇場とかジャズ喫茶とかライブハウスとか、そういうものがなければ、それはなんか町……と言えるのだろうかと思うと、私は寄り道できたり無駄話に花を咲かせたり、あるいは時間をつぶせたりする場所が必要だと思うんです。」
大友「そう思います、そう思います。今回も柳さんからの提案で、リモートじゃなくてぜひ直接……って言われたんですけども、リモートでもできるんですけど、余計な話にならないんですよね、あんまり。」
柳「そうそうそうそう。」
大友「なんか、喋ってると大切な話はするんですが、話それないというか。」
柳「リモートだと顔は見えるんですけど、視線が交わらないんですよね。」
大友「はいはい、そうだね(笑)。」
柳「目を合わせて間合いを計るっていうところがあるじゃないですか。」
大友「ありますあります。僕ね、目線合わせるの実は苦手なので、照れくさいんですけど、その照れくささは必要なんですよね、ちょっと。照れくさいなと思いながら目線を合わせてるうちに……あとそらしたりとか、っていう微妙な間合いがないと、なんだかやっぱりうまく喋ってる感じが、しないかな。」
柳「そうですね。モノローグみたいな感じに……細切れのモノローグみたいな感じにリモートだとなっちゃう。」
大友「お互いにモノローグを聞きあって、で終わったあとプチってスイッチ切ると、すごい寂寥とした世界が広がる(笑)……だから今回は、直接お会いできてすごい、やったって思ってますけど。」
柳「そう、私も嬉しいです。」
大友「なんかこの1年間、音楽家はやっぱりすごく演る場所がなくなって、もちろん演劇の人もそうだと思うんですけども、その中で、今まで何を大切にしていたか……っていうことを嫌でも思い知らされた、感じ……ではあるかな。それをすぐに取り戻せない……かもしれないけど、でもここが大切だったんだ、って見えてきた感じが。」
柳「その、インターネットがこれだけ普及してると、見ることと聞くことというのはできるんですよね。だけど、五感のうちで嗅ぐとか、触れるとか、味わうというのは、その場に行かなければできないことで、実はその3つはすごく大事なのではないかなと思いますね。ライブハウスの汗の匂いとか。」
大友「昔だったらタバコの匂いですし……あと、本屋さんの匂いって……」
柳「紙や木の匂い。」
大友「……ってあるんですよね。図書館の匂いとか。何かいつも会ってる人とリモートでやると脳内で多分それ、多少補うんですけど……意識はしなくても。だけど、全く初対面だとそういう補いはないから、やっぱり何か欠落したまんまに、なっちゃう気は……しますけどね。」
柳「本当に知っているのだろうか、知ったのだろうかという不安……ですよね。」
大友「そんなことをずっと考えていたこの1年だったんですけど、ちょうど今年が震災から10年目で、本当だったらきっと、いろいろみんな、伸び伸びとやれた時なのに、それも今できなくて。」
柳「集うっていうことが駄目だと言われてますので、感染症的な観点からだと。人間関係をぶつ切りにするとか。」
大友「集っちゃダメ、触れちゃダメって……すごいですわ。こんな形で、世界が変わるって想像もしてませんでしたけど。」
柳「そうですね。去年の今頃って自分は何してたかって……こう振り返ると、なんかすごい別世界のような気がしますね。」
大友「何か壮大な計画立てて、俺と飴屋(法水)さんを誘ってましたよ。」
柳「そう、常磐線で舞台芸術祭をやるので、私が書いて、飴屋さん演出して、大友さんに音楽をお願いします……っていう。」
大友「いつの間にか決まって感じがしてびっくりしたんですけど(笑)。」
柳「そうそう。そのライブで即興で……大友さん音楽を奏でていらして、じゃあ飴屋さんも朗読して、私も朗読して、飴屋さんの娘さんのくるみちゃんも朗読して、それでトークがあって、その中でお願いしたので。」
大友「はい。断れないですよね、あそこではね(笑)。」
柳「でも何か物事ってそういう……何か思いつきというか、出会い頭で決まるみたいなとこあるじゃないですか。」
大友「ありますあります。僕は縁って思ってるんですけど、自分で何かやろうと思って計画進めることよりもそうやって始まったことのほうが、何かリアルで面白かったりするので、ある時からそういうのが来たら、よっぽど嫌じゃない限りは受け入れようかなと思ってて、あ来ちゃった!すごいのが来ちゃった!って思ってたんですけど(笑)。」
柳「で、あれよあれよといううちに、緊急事態宣言……もうその翌月ですもんね。」
大友「翌週くらいから……あれギリギリのタイミングでできましたけども。」
柳「そう、3月20日で。でもまだあのときは……ダイヤモンドプリンセス号の船の中の感染があって、あのときはまだ他人事だったんですよね。」
大友「ですよね、まだちょっとみんなそんな感じだった。」
柳「まさかこんなふうに。」
大友「でもその間に、なんと突然、海外で賞をもらったりとか、いろんな展開が美里さんにはあったりして。」
柳「全米図書賞。」
大友「はい。急に忙しくなっちゃったんじゃないですか、もしかしたらあれで。」
柳「そう、思いもよらなかったですね。去年の9月にロングリストっていう10作品が発表されて、私の作品の英訳がある。」
大友「『JR上野駅公園口』という作品ですね。」
柳「英訳タイトルが、「Tokyo Ueno Station」なんですけども。」
大友「あ、英訳はそういう、シンプルな。」
柳「Tokyoが入るんです。」
大友「Tokyoが入るんですね。それはそうか。上野って言われても分かんないもんね。」
柳「分かんないから。それで入っていて、ロングリストに入ったらすごいなと思ったら、10月にファイナリストに残って。で、11月に発表になって受賞したので、それからが大変でしたね。」
大友「うん。なんか傍で見てて大変そうに見えました、いろいろ。これは大変なことになってるんじゃないかなって。」
柳「そう。まぁ、地元の方がすごく喜んでくださったんですね。その震災の後は、辛くて悲しいことばかりだった現状、今日は嬉しくて泣いた……って、何か災害公営住宅のお爺ちゃんが納豆とか持ってきてくれて、冷蔵庫から。食べてくいろって。」
大友「それ嬉しいですね。」
柳「そう。皆さん、こう喜びを伝えようという気持ちが、こう強くて……買って持ってくるってよりかは、大根とかにんじんとか、畑から。新聞でくるんでたくさん持ってきてくださって、野菜だらけになっちゃって(笑)、けんちん汁とか、なんかか鍋にしてかなり食べました。毎日。」
大友「それも福島っぽいなぁ。震災後、いろいろ活動しててすごい僕が感じたのは、やっぱりどうしても日本語の中でやりとりをして、日本語の中で意見を交わすので、海外に行ったときにまったくこの議論って伝わってないんだなってよく感じてた……んですよ。それで、ただひたすら同情されるみたいな感じになってて。でもこれ、この長い議論の果てに今ここにいるのどうやって伝えたらいいんだろうっていつも思ってたんですけど、例えばこういう一冊の小説が訳されることによって、何かごたごた細かい説明じゃなくても伝わるものってちゃんとあるだろうなと……僕は思って。ああそうか、小説というか物語ってこういう大きな意味があるというか、本来だったら共有できない地域の人に何かを伝えるっていう意味合いがあるんだなと、言語訳されることによって。っていうのをすごく感じて。」
柳「そうですね。小説だとやっぱり、その登場人物の人生を一緒に読者も辿るというか、書いてあるのはただの白い紙の上に黒い文字が書かれてるだけだから、想像力をフルに読む人が使って、組み立てて映像化しますよね、脳内で。だから逆に記事や写真などよりも、自分のこう身の内に……原発の周辺地域の方の苦難の歴史というか、を感じていただけるのではないかなーと思います。」
大友「あんまり僕物語のことを考えたことなかったんですけど、きっと物語って、実際のリアルな新聞とかドキュメンタリーとは違って、そういう効用があるんだろうなって、今頃気づきだしましたけどね。」
柳「うーん。やっぱ本って他者が書いたものだけれども、自分のものでもある……んですよね。それがもしかしたら、その人の傍らに生涯共にできるかもしれない本が、と思いながら書いてます。」
大友「ですよね。もうだいぶ話しちゃいましたけども、今後、この先……今この先の計画をとても立てにくい時期だとは思うんですけど、柳さんなりに何か考えてることってありますか?」
柳「小説は、もう今月から書き始めようと思っていて、そのタイトルは「JR常磐線夜の森駅」です、富岡の……」
大友「富岡の桜の名所の場所ですね、はい。」
柳「除染作業をしている作業員の方を主人公にしようと思ってます。」
大友「それはいつ頃発表になるものなんですか、まだ分からない?」
柳「夏ぐらいです。」
大友「小説以外に考えてらっしゃることはありますか。」
柳「演劇もやりたいと思うんですけれども、今ちょっと不透明ですね。でもこういう状況で、皆がなかなか繋がりを持てないからこそ、音楽とか演劇とか、小説の果たす役割っていうのは、増しているのかなとは思っているんですけどね。」
大友「だから、こうやって今日会えるのも……すごい何か尊いですよ。会えたー!って。」
柳「そうですね。会えないかも……しれないし、また会えなくなるかも、しれないし。」
大友「そうですよね。本当は人生ってそうなのにね、いつだって。」
柳「そうですね。まぁ生きてないかもしれないしって。」
大友「そう、(小声で) 本当ですよ。こそこそ言っちゃいますけど。」
柳「でもね地震……なども続いているし。」
大友「そうね。こないだの地震は大丈夫だったんですか。本屋さん、やばかったんじゃないですか。」
柳「うち、一部損壊です。」
大友「うわ、揺れたでしょ。」
柳「かなり揺れましたね。こう、這いつくばってても跳ねるぐらい揺れて。」
大友「あっ、そんなに揺れたんだ。」
柳「家財、タンスとか食器棚とかは尽く倒れて。」
大友「ちょっと、実は写真見ました。」
柳「全部こう、陶器、ガラス製品は尽く割れましたね。だから、もうあんまりまだ片付けてなくて。ちょっと見ると……」
大友「わかるわかる。ちょっと気持ち挫けるもんね、それは分かります。」
柳「でもあれがバレンタインデーの前だったから2月13日の夜に地震があって、2月18日にはとりあえずフルハウスはオープンしたので、ランチを食べに来るお客様とかにランチは提供してました。」
大友「それは何よりだと思います。なんかもう本当に揺れないでほしい……けどね。」
柳「そうですよね。3月11日が近いから、皆さん経験した方が寝込んでしまったりされて。」
大友「そうそう。実際の家の被害とかより気持ちのダメージが……」
柳「大きいですね。」
大友「やっぱ福島の人に会うと、それはみんな言ってて。もう許してやって……って誰に向かって言ってんだともう分かんないけど、ちょっとそんな気持ちですけどね。でも、ちょっと話を戻しちゃうと、多分、こんな震災とかいろいろなかったら、僕、柳さんと会うことなかったような気が……この後こうやってなんとなく縁が続いて、その飴屋さんも含めて。」
柳「そう、飴屋さんと大友さんがそんなにある時期、親しくして。知らなかった。」
大友「そう。ある時期めちゃくちゃ仲良かったんですよ。飴屋さんが多分、いちばん世に出てなかった時期。何か、人が世に出てないと近づく癖があって(笑)。世に出だすともういいかなって……なんなんでしょうね、この癖。でも僕も頼ってた、飴屋さんに。あの人面白いから、意見をいろいろ聞く感じで。」
柳「うん。そうだから、実現できたらいいですよね。」
大友「うんうん。そんなすぐじゃなくてもいいと思うんですけど。」
柳「芝居……飴屋さんと大友さんと私でひとつの作品を作る、いずれ。」
大友「作れたらいいな。」
柳「でもこの前のフルハウスのオープニングイベントの時は、何かこうパチっと合いましたよね。」
大友「あったあった。いやあれがなかったら、すれ違ってたら、ちょっとできないと思いますと正直に言ったと思うけど。なんか俺は、あぁ巻き込まれてる!大変だよ!って言いながらやるのが好きなので。」
柳「そうですか。」
大友「はい、とりあえず巻き込まれて、大変だよって思いながら何か機会があったらやれたらって思っちてますけどね。」
柳「ぜひコロナが収束してくれるといいなと思います。」
大友「きっと、坂本さんが何とかしてくれると思います(笑)、坂本さんは。」
柳「坂本さんはコロナを収束させにさせに……行ったのかな。」
大友「きっと、どこかの星に今行っていろいろ戦ってきてくれてるので、坂本さんが帰ってくる頃にはね……はい、これ聞いてる皆さんも安心して。こんな言葉で安心できないかな(苦笑)。でも、必ず出口はあると思うので。」
柳「いつか収束する時はあるので、何か気持ちが続いていけるように、何か充実……」
大友「結構気持ち厳しくなってる人、周りでも多いので、なんとかなるからって……気楽に考えようっていうしか、俺できないんですけど。そうだね、そしたらやりましょう。」
柳「うん。やりましょう。」
大友「なので聞いてる皆さんも大丈夫ですよ。はい、みたいな感じでしょうか。柳さんどうもありがとうございました。」
柳「ありがとうございました。」
大友「突然呼び出しまして失礼致しました。楽しかったです。」
柳「楽しかったです。」
<デモテープ・オーディション 総評>
U-zhaan「レディオ・サカモト。ここからは僕U-zhaanと…」
長嶋「長嶋りかこと…」
U-zhaan「そして、病気療養中の坂本龍一さんに代わって…」
蓮沼「えー蓮沼執太の三人でお届けしていきます。」
U-zhaan「前回も執太は、参加してくれてたんですよね。」
蓮沼「はい。」
U-zhaan「デモテープオーディション優秀作、今回はここ2ヶ月の間に応募いただいた200作品ぐらいの中から審査していきました。僕はこの三船寄道さんのやつがすごくいいなと思います。普段と全く違う作風で、すごく幅のある人だなと思いますね。でも今回も楽しかったですね。」
蓮沼「すごい楽しかったです。」
長嶋「楽しかったー。」
U-zhaan「今回は選ばれたものは、結構あの、一般的に音楽っぽいものが多かったんじゃないかなと思うんですけど。フィールドレコーディングばっかになっちゃう時とかもありますもんね、なんか。教授だったら何を選んだんでしょうね、これ。」
蓮沼「気になります。」
長嶋「ね、気になりますねー。」
U-zhaan「教授……が絶対好きだろうなって思うのはどれだと思います?」
蓮沼「僕は左右じゃないですかね。やっぱり。」
長嶋「あ〜。」
U-zhaan「うん。」
長嶋「何気に韓国の歌のやつもなんか好きなのでは、と(笑)。」
U-zhaan「あ〜。」
蓮沼「韓国のね、ドラマにハマってるっておっしゃってましたもんね。」
U-zhaan「何でしたっけ。愛の不時着でしたっけ。」
長嶋「そうそうそう(笑)。」
蓮沼「いやそれだけじゃなかったですよ。何か知らないようなのいっぱいおっしゃってましたよ。」
U-zhaan「執太は韓国ドラマとか観たりしないですか。」
蓮沼「そうですね、あまり観る機会がないですね。だから詳しい人に教えてもらいたいぐらいです。なんで坂本さんに聞きます(笑)。」
U-zhaan「教えてもらってたじゃん(笑)。教えてもらってたけど思い出せないというのは、興味がないってことなんじゃないんですか(笑)。」
蓮沼「いやいやいや、そんなことないです。坂本さんに教えてもらったやつは観てます。」
U-zhaan「蓮沼さん、嘘はやめたほうがいいですよ(笑)。」
蓮沼「そんなことないよ。坂本さんから映画とかを教えてもらって、これ観とけーみたいなのあったら観てますし。」
U-zhaan「僕あの、去年の年末に坂本さんからオススメの映画の話をしたときに薦めていただいた映画を観ましたよ。面白かったです。小津安二郎さんの『東京物語』。」
長嶋「へー。」
U-zhaan「毎回何度か観て、毎回序盤でギブアップしてたのを最後まで観てみたら、すごくすごく面白い映画なんだと思ったっていう感じですね。」
長嶋「それ、序盤でギブアップしていたのはなんで?」
U-zhaan「序盤でギブアップしていたのは……なんですかね、テンポ感が合わなくて、その良さっていうのが、だんだん進行していくうちにやっと分かってくるって、自分の理解がないだけだったんだなっていうのが、すごい分かりましたね。」
U-zhaan「今回はリモートでの審査でしたが、最近は何してましたか。」
蓮沼「こんなご時世なんで、もはや、U-zhaanがあの勝手にタブラを自分で録ってそれを送ってもらうっていう、スタイル。」
長嶋「へー。」
U-zhaan「まぁでも、驚きのスピード感になるよね、逆に。やろうって言ったら、もう一瞬で送っていくっていうだけの(笑)。」
長嶋「えーそれってさ、その曲の構成とかは、蓮沼君が出すの?」
U-zhaan「今回に関しては、そう。執太が作った曲に楽器演奏者として参加してるだけなので、そういう感じ。」
執太「作り方の方向は決まってるわけじゃなくて、その時そのときで、割と適当です。」
長嶋「(笑)。」
U-zhaan「蓮沼さんは、ライブとかしてないですか。」
蓮沼「4月にライブがあるんですけど、それまでないですね。」
U-zhaan「そっか。僕は、あの2月にライブしてきまして、無観客ですけど。阿寒湖でアイヌの人たちと一緒にライブっていうのは。」
長嶋「へー。」
U-zhaan「アイヌの音楽すごい良かったですね。口琴とかめちゃくちゃかっこよかったです。」
蓮沼「それは何か、一緒にやったりするの?」
U-zhaan「一緒にやったりというか、アイヌの人と一緒に演るのみ。」
蓮沼「あぁそうなんだ。」
U-zhaan「基本的にはそう。コムアイだったり環ROYとか、ディジュリドゥのGOMAちゃんとか一緒に行ったんだけど、その人たちはその人たちで、アイヌの誰かと何らかの形でセッションっていう感じで。」
長嶋「へぇ〜。」
U-zhaan「何か教授も、その阿寒湖のところに行ったことがあるみたいで。」
蓮沼「うん。」
U-zhaan「教授と撮ったことがある写真とかみんな見せてくれたりしましたね。」
蓮沼「うん。」
U-zhaan「すごい良かったんで、執太もまた今度一緒に行きましょう。」
蓮沼「ぜひ誘ってください。」
U-zhaan「りかこちゃんも、どういう形でセッションできるのか分かんないけど。」
長嶋「ついでに連れてってください。」
U-zhaan「なんか、アイヌの模様とかも面白いしね。」
長嶋「面白いよね。」
RADIO SAKAMOTOオーディションに、インターネットから作品を応募できるフォームができました。作品はファイルのアップロードのほか、YouTubeのURLを指定しての投稿も受け付けます。
詳しくは、エントリーフォーム内の応募要項をお読みください。
|
|
RADIO SAKAMOTOオーディションに御応募頂いたデモ作品にまつわる個人情報の管理、作品の管理は、J-WAVEのプライバシー・ポリシーに準じております。詳細は、こちらを御確認ください。 |
|
<次回のオンエアは、2021年5月2日です。>
「大友良英がお送りしてまいりました、レディオ・サカモト。さて、そろそろおしまいの時間です。今回の番組の感想などいただけたら、すごい嬉しいです。えー「大友引っ込め!坂本カムバック!」みたいなのでもいいですよ、ちょっと傷つくけどね。そんな感じで今夜の感想などいろいろ皆さん送ってください。えー、僕自身は、坂本さんにあんなメッセージいただけたのがもう、ちょっと光栄すぎてびっくりで、代打を務められただけでもすごい嬉しかったんですけども、坂本さんの番組楽しみにしてる皆さん……は、どんなふうに感じてくれたかな。何よりも黒沢監督や柳美里さんと喋れたのがすごい楽しかったです。さて次回のレディオ・サカモトは、2ヶ月後の5月2日の放送予定です。それでは皆さん、お元気で。大友良英でした。」
|