「坂本龍一です。二ヶ月に一度お届けしているレディオサカモト。みなさん、お元気でしたか。2019年、最初の放送はここ、東京、六本ヒルズ33階にある、J-WAVEのスタジオからお届けします。皆さんは年末はどうだったんすか。忘年会とかでしょうか。僕は、年末年始、このように日本に居ることが多いんすけど、やっぱり日本の年末年始はいいですね。特に、まあ、あまり普段は、バケーションとかホリデーとかっていう柄じゃないんで全然行かないんですけど、だいたいこう恒例になっているのは、年末に、ほんっとに二、三日、温泉に行くと。これがほんとに年間で唯一の楽しみでして。ま、温泉てのはほんとにこう、日本ならではの空間というか楽しみ方でね。世界の旅行慣れしている人も日本の温泉ていうのはもう特別なサービスだと、特別な楽しみだと、思ってる人も多いですね。」
「本来なら年始の番組ですからね、新年のご挨拶をしたいところなのですが、昨年末に、個人的にとても親しい人をね、二人も亡くしてしまって。まあ僕はほぼ親戚……家族のように思っていた二人が亡くなってしまいまして。個人的に喪中ということで、新年のご挨拶は控えさせていただきたいと思います。その一人はベルトリッチなんですけどね。まあ、僕の兄であり父のような存在なんですけど、まあ残念ながら亡くなってしまいました。」
「ここからはね、近況報告なんすけど、昨年末……10月がすごい忙しかったんだよね。で、11月はニューヨークに戻ってきて、ほぼずっと12月の頭まで映画音楽の制作をしてたんですよ。でね、3つぐらい異なる映画の音楽を頼まれて……それは映画全編じゃないですよ、全編だったら3つ同時にやるのは全く不可能なんで、テーマ、プラスαみたいなのを頼まれて。でも3つとも全然内容の違うものをやってたんで、ちょっと頭がごちゃごちゃになってましたけど。それから12月、日本に来て、『ブルガリ アウローラ アワード』っていうのに出たんですね。初めて出たんですけど、かなりキラキラした世界で。アウォードですね、賞を……活躍した或いは輝いている女性にあげるという、それを推薦する一人ということで。だから毎年、僕が輝いてるなと思った女性を選ばなきゃいけない。1回目は長嶋りかこさん。2回目はアーティストの毛利悠子さん。で、今回、3回目……コトリンゴを推薦しました。コトリンゴもね、女性らしいドレスを着ちゃって、キラキラ、宝石なんか着けちゃったりして。馬子にも衣装って言ったらちょっとむっとしてましたけども(笑)。」
「そのあとね、16年ぶりに中国の北京に行ったんだなあ。16年前は、実はただ通過して桂林という山水画のような風景のところに行っただけだったので、その前はというと1996年ですね。僕は初めて北京でソロのコンサートを演ったんです。それ以来といってもいいぐらい、だから22年ぶりだったのかな。まあもう違う国といっていいほどね、変わってるわけですけど。僕が最初に中国に行ったのはラストエンペラーの撮影だったので、なんというか僕たち日本人の感覚からすると、日本の戦前みたいな感じ。モノクロな感じ(笑)、確か85年ぐらいですね。だからもう、その当時の面影はないというか、道は広いし、さらに何倍も巨大になってましたねえ。人口も多いというのもあって、全てが日本の十倍くらいの規模というか。ほんとにたくさんの高級車が走ってるような世界で、経済力は感じましたね。で、文化力もだいぶついてきたなあという印象でした。向こうのアーティストやミュージシャン、アート関係のキュレーターとか、そういう人たちにも会って。英語がとても上手い人や、あとは海外留学している人も多いしね。今後どうなっていくんすかね。久しぶりの中国で、ごはんも美味しかったし、なかなか興味深いものがありました。」
「そして12月は、19日に『坂本龍一 選 耳の記憶』っていうのを発売しました。「婦人画報」っていう雑誌ありますよね、僕が子どものときから聴いて育ってきた音楽について、推薦しながら語るという、そういう連載ですね。友達のtajimax、田島一成くんという有名な写真家が月々の内容に合わせて写真を撮ってくれるという、そういうものを今回まとめたもので、文字とCDですね。足掛け4年ぐらい連載していたので、前半後半に分けて……だから後編が今月30日に出るそうです。」
「それから今年の3月にはまた、東北ユースオーケストラの4回目の定期公演があるので、年末はその合同練習っていうのがあったんですよ、福島で。それに行って、もう朝から晩まで子どもたちの練習に付き合ったり。3月の公演の前には、泊まり込みで3日間、合宿をします。今回は岩手で合宿ですね。」
<ゲスト:若林恵さん>
「さて、今夜のゲスト。編集者でライター、『WIRED』という雑誌の日本版の編集長もしていた、長らくしていた、若林恵さん。一昨年ぐらいからかな、何度か会って、ニューヨークで話をしたりとかですね。まぁ共通点というか……共通の関心もあるんですけども、なんだろ話していて、話しやすいというかおもしろいというか。理解力があるというか。まあ、WIREDを長らくやっていたので、ITとか他のテクノロジーはもちろん、そういう知識はたくさんあると思うんですけども、若林さん自身は思想とか哲学、ポップカルチャー……で、実は音楽にものすごく詳しくて、かなり好きみたいで。現代音楽の一部のファンしか知らないような作曲家を知ってたりするんで、すごく深掘りしてる人なんだなあっていうのをね(笑)、それも楽しみのひとつです。」
「ここからはゲスト、若林恵さんです。こんばんは。」
「こんばんはー。」
「新年ということで、2019年以降の、占いというか、今年どうなるか。まあね、誰も分かんないですけどね、そんな話もしようかと思いますけど。」
「はい。」
「若林さんといえば、未来にはうんざりしていると。」
「(笑) いや、去年までそうだったんですけど、今年は意外と楽しんじゃねえかって気がちょっとして、はっはっはっは(笑)。」
「え、その変化はなんなんでしょうか(笑)。」
「ほんとに僕、いわゆるソーシャルネットワークとかああいうものとかっていうのが、実は好きじゃなくて。いわゆるデジタルテクノロジーの進展とかをみんながわっしょいわっしょいしてる感じが、とても苦手で。ただ、そのお祭りがひと段落した感じがちょっとあって、もうちょっといろんな事をきめ細かに考えなきゃいけないだろうっていう風な感じがより強くなったのが、2018年だったかなあと思ったんすね。で、FacebookとかGoogleとかあの辺がまあ、大きく社会問題になったじゃないですか。」
「ですね。スノーデンとかFacebookの問題とか、社会の前面に出てきて、随分ナイーブだなと。」
「そうだから今年、ヨーロッパが相当強くカウンターを打ち出してきたっていう、そのGDPRっていう、ヨーロッパらしいじゃないですか……ある種の個人の自由とかプライバシーっていうものを死守するんであると。それ半分はアメリカの覇権に対するいやがらせではあるんですけれども。それが出てきたのが僕は、ちょっといいなと思ったんです。」
「ですね。」
「そのヨーロッパの取る道、中国が取る道、アメリカが取る道……で、最近はちょっと実はインドがおもしろいんじゃないかと思ってインド行ってたんですけど、なんかそれぞれが、じゃあインターネットによって変わっちゃった、その統治のやり方みたいなものを、自分たちの国家なり、ある種、地域の理念に即して、もう一回どうやってそれをガバナンスするのかっていうあたりが、おもしろくなってきたなっていう。アメリカ一極じゃない世界に、その面でもなってきてるっていう。」
「僕はね、16年ぶりに中国に行ってきたんですね。北京に3日間だけだったんですけど、よく話に聞く誰もキャッシュはもう持って歩いてないよとか、実際そうですね。ま、これはデジタルということとは関係ないかもしれないけど、経済力というのかな、実際の目で見るとすごいものがあって、まあもちろん今、米中戦争で厳しいですけども、これをまあどうやって乗り切るのかっていうのはありますけども、まあ、でも、すごい勢いとお金の力と、文化力もついてきましたね。」
「やっぱそうすか。なんかその中で僕、中国のインディペンデントなパブリッシャーをやってる子とイベントでいっしょになったことがあって、彼らが言うには、上の世代がいないので、彼らは、学ぶべき人たちがいないっていうのは、まあ、いいこともであり、悪いことでもあるというか。そん時にやっぱり日本の、特に60年代から80年代ぐらいにかけて、そのいちばんカルチャーが豊かだったときは、かなり興味を持ってるっている風な。」
「そうです、貪欲な。貪欲なというか吸収して、先端は吸収し終わって自分のこと始めてるぐらいな。人でいうと、建築だったら安藤(忠雄)さんとか。いちばんいいところ、おいしいところを全部吸収しようと、そしてその先に行こうというきらいがすごいすね。」
「やっぱりあれなんすかね。これはやっちゃいけない、みたいなルールみたいなのが上の世代がいるとどうしてもそういう……それがないのがいいんですかね。日本は同情されましたよ、上の世代がいっぱいいて大変だね、みたいな(笑)。」
「そりゃありますけど、そんなこと言ったらフランスとかイタリアは遥かに大変なわけで。10年ぐらい前かなあ、パリに行ったときに、セーヌ川にたくさんの橋が架かってるじゃないですか。その中のひとつが素晴らしいデザインなんで、その橋の袂に潜っていって、何年に建設、誰々の建築みたなのが書いてありますよね。それ見たら、19世紀なんですよ、当然ね。てことは今の僕らでいえば、ひいお爺さんぐらいかな……が、設計しているわけですよ。ひいお爺ちゃんが、こんな完璧なもの作ったら、俺たちどうしたらいいんだっていうのが、それがまあヨーロッパですよね。」
「あっはっはっはっは(笑)、まあそうですね。」
「大変ですよね。半分、楽っていうかその伝統を守っていけば、引き継いでいけば、やることはあるので。いいとも言えるし、でもそれを乗り越えるのが大変すよね。」
「大変すよね。」
「中国はやはり、1949年の革命からずっと厳しい政治状況が続いていて、国を建設しなきゃいけない、文化っていうのは全部プロパガンダになっちゃう。ところがその間の僕らは、戦後のアメリカの傘の下でのうのうと生きてですね、戦争もなくて、文化を発達させることができたんで、ハッピーなというかラッキーな境遇にいたんだなとは思って。」
「そうすね。だから今年になったらほんとに、まあやっぱアジアに、ある種の何ていうのかな、パワーがほんとに移ってくっていう感じがして、それこそカルチャーみたいな話も、どうしても今までは西洋が主体で、それを僕らが追っかけてるっていう認識でしたけど、これからはほんとにもしかするとアジアがそれを主導してくっていう風な時代が来るかなっていう感じがちょっとして。それはひとつ、わくわくする話でもあったんですけど、どう思われます?」
「あのね、音楽史をみるとね、バッハが亡くなったのが……」
「1750年とかですよね。」
「ちょうどね。そっから150年経つと1900年で、まあ20世紀が始まるわけじゃないですか、現代になってくわけですよね。で、その前っていうのは、まあルネッサンスなわけですよね、1600年とかバロックが始まる頃ですね。その前がまあルネッサンスで。割とね、150年で区切れる。1900年から……20世紀初頭ですけど、150年でいうと、2050年でしょ。だから今ちょうど、その大きく変わるところにもう差し掛かってる、トランディションの時代っていうのかな。」
「ほんとですね。」
「まだ、くっきり次がどうなるっていうのは見えないんだけど、多分、2050年……だから今世紀の真ん中頃、パラダイムが、がくっと変わってくるのかなっていうのは予感しているじゃないですか、もう既に。それはやっぱりアジアなんだろうなって思いますね。アジア、それに続いてアフリカがくるのかなって思いますよね。」
「うーん、楽しみじゃないですか(笑)。」
「大航海時代から始まったとすればね、もう5世紀ぐらい欧米の時代が続いたわけで。これからはもうアジアとアフリカですよね。もうひとつはロシアですね。」
「ロシアか、なるほど。最近、ロシアとか行かれてます?」
「行ってないですねえ。僕のドキュメンタリー、CODA (映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』) はロシアで演って、やっぱりものすごく熱い若者たちが観に来てくれたみたいんですけど。」
「あそうですか。反逆的なというか、アンチ・プーチン的な……抑圧が強ければ強いほどこう、ファッションとかでもぼこぼこと出てきてるのかなっていう気がしますけども。」
「逆にそういうところで自己表現しているアーティストとかデザイナーは、ライターも含めてかなり鍛えられますよね。」
「そうですよね。でも坂本さんも少しそういうところに身を置いて、ちょっと自分をいじめてみようかなみたいな気持ちは?」
「いきますかねえ、あまり体力ないんで(笑)。」
「あっはっはっは(笑)。でも僕はベルリンに行ったときに、それこそ武邑(光裕)先生って方に教えていただいたんですけど、ベルリンって一種の……分断されていて、いきなり壁がなくなって、じゃあ仲良く暮らしなっていう風に言われて。だけど30年、まったく違う価値観で生きてた人たちがいっしょに暮らすって相当な負荷じゃないですか。そん時にやっぱりその、ある種、両方の人たちが、自分たちの過去とか文化的な価値みたいなものをちょっと一旦下ろして、いっしょに乗れる……コモングラウンドみたいなものが必要だったっていう話を武邑先生がされていて、その時に役割を果たしたのが、それこそ電子音楽だったりとか。」
「ま、テクノですよね。テクノ文化ですよね。」
「テクノですよね。それがやっぱりある種なんていうのかな、伝統的でない、なんか新しいものだった、っていうことがとても大事だったっていう風な話をされていて、なるほど音楽とかっていうのはそういう機能があるのか、っていうのは、ちょっと今までとは違った回路で人が出会うためにも、すごい重要なんだなっていうのは思って。」
「そうですね。ベルリンにラブパレードが起こったっていうのはそういう背景がありますし、僕の仲のいいカールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)というアーティストも元々、東ドイツの出身で、彼がね、僕に写真集をプレゼントしてくれた。それが、壁がなくなった直後から雨後の筍のように東側にできた、クラブ……それこそテクノ・クラブみたいな、そのほんとに廃墟のようなビルに勝手に若者が入っていって、看板もなしにただクラブをやっていて、いつの間にかなくなったり、まだてできたり。だから無数にあった、その写真集(笑)。最初に東側にクラブができたのは、壁崩壊後、1週間でできただって。」
「すごい。いい話ですね。」
「ぐっときちゃうでしょ(笑)。わくわくしちゃうねえ。」
「じゃあ、それに似たことがもしかすると、朝鮮半島統一で……」
「北朝鮮に、それがもう統一したらさ、どーんってクラブができたりするかもしれないよ(笑)。」
「そうすると、やっぱりそれはほんとに一種の、文化的なグラウンドゼロっていう感じになるのかなっていう。」
「音楽はどうなの。若林さんは驚くほど音楽好きで。」
「どうですか、坂本さん。2018年の音楽ってあんまりぴんと来なかったっていうか(笑)。」
「うん、ぴんとこないなあ。」
「それこそ、ピッチフォーク(Pitchfork)みたいなメディアでほんとに点が高かったのは、Mitskiっていう日本人の女の子。アルバム『Be The Cowboy』はものすごい評価高かったのと、あとはイヴ・トゥモアだと思いますよ。」
「イヴ・トゥモアね。一般的に評価高いんだ?」
「2018年のピッチフォークのアルバムの点数では、いちばん高かったはずですよ、9.1とかですよ。」
「えーー、ほんと。」
「なんですけど、聴いてもきいてもよく分からんっていうアルバム。いやあれ、変すぎてちょっと……でも坂本さんは前々からイヴ・トゥモアのお名前はおっしゃってましたよね。」
「僕ね、家に本がいっぱいあるんだけど、だけど断捨離しなきゃいけない。でもほら、古本屋に売っちゃったら、自分の手から離れる。それは嫌じゃない、貴重な本もあるし。で、あまりに本が多いんで整理しようと思って、考えると “貸本屋” っていうのがあって、あれはほら、どっか行っちゃうわけじゃない。そういう空間がいいと思って、それを作ろうとしているんです、今。4月オープンかな、神田です。」
「本とかもそうなんですけど、僕、クラシック音楽っていうのは、ちゃんと……僕、ロックから入って、しかもヘビメタから入った人間なんですけど、坂本さんとかの影響なんですけどね、現代音楽の情報とか入ってくるわけじゃないですか。そうすると分かんなきゃいけないんだっていう、ほら、プレッシャーを感じるわけじゃないですか。何度も跳ね返されましたけどね。やっぱりスッと入れないんすよ。こっちもちゃんと準備が……自分の中にコンテクストみたいなのができないと。ただ、なんかその跳ね返されんのが、僕は好きなんですけどね。あ、分かんねえやっていう。」
「僕が跳ね返されたのは、レゲエです。」
「あそうですか、レゲエ、分かんねえって感じですか(笑)。」
「分かんない、何がいいんだろうと思って。でも、多分いいんだろうと思って、分かんないんだけど聴き続けて、2年かかりました。」
「マジすか、おもしろい。それいつの話ですか。」
「1970年代。まだYMO始まる前の頃。2年ぐらいね、我慢して聴いてた。そしたらある日、ぱーんとレゲエ空間がね……幾何学的な空間が。あ、そういうことなんだ、って。それまではドミソとレファラしかないじゃん……」
「ないんすよね(笑)。」
「なんだよこれって思って。こんなにおもしろいんだって思って、ある日、見えた(笑)。」
「坂本さんでもそういうのあるんすね、おもしろい。」
「まあ頭で考えちゃだめなんだねえ。」
「2年間がんばるって、やっぱりそれは分かりたかったんですか。」
「何かあるはずだっていうふうに思ってて。そしたら意外とテクノに近いじゃんと思って。」
<オーディション・コーナー総評>
U-zhaan「オーディションコーナーです。僕、U-zhaanと……」
長嶋「長嶋りかこで、お送りします。」
坂本「(ぼそっと) 坂本龍一もいまーす。」
U-zhaan「なんで二人でやるみたいになっちゃたんですか(笑)。」
長嶋「(笑) またやっちゃった。すいません。」
U-zhaan「久しぶりに(教授と)いっしょなのに突然置いて行っちゃった(笑)」
坂本「涙が出ちゃいました。」
U-zhaan「長嶋さん、出産をしたら、伸びが気持ちよくなったって言ってるんですよね。」
長嶋「あ、背伸びがね、なぜか。背伸びするとすごい気持ちいいんですよ。」
坂本「背伸びが。」
U-zhaan「こう腕を伸ばして背伸びをするのが。」
長嶋「今まで感じた気持ちよさと全然違う。なぜか。ちょっと分かんないんですけどこれ。」
U-zhaan「音楽の趣味とかも変わってたりするんですかね。」
坂本「変わってるのかなあ、楽しみですね。」
長嶋「どうですかねえ。」
U-zhaan「全然、とんでもないものを選んだり始めたりして(笑)」
長嶋「あのー、3branchesさんの甥っ子の声が異常に可愛かったっていう。」
坂本「やっぱり(笑) そこは敏感になってくるんだ。」
長嶋「めちゃくちゃ可愛いなーって(笑)」
坂本「子どもの声使ったら選ばれますよ、今後は。」
長嶋「実は五つ星、付けてた(笑)。あ、でもこれはいけないと思って。」
坂本「きゅんきゅんしてました(笑)。」
U-zhaan「私情が入ってると思って。」
坂本「いいんじゃない、それは別に。他に選ぶ基準なんてないんだから。」
U-zhaan「子どもの声を曲に入れておくとママから受けるっていうことですね。」
長嶋「はい、反応しちゃいました。」
坂本「今年の抱負とかあるんすか、お二人は。」
U-zhaan「特にないですね、僕。年始に抱負とかを持ったことがないですね。」
坂本「僕もないですね。」
U-zhaan「うん、ないですよね。なるようにしかならないなと思う。」
長嶋「私はですね、まず子育てを軌道に乗せたい(笑)。」
U-zhaan「軌道に乗ってないみたいに(笑)。」
長嶋「まだ掴めてないですね(笑)。」
坂本「掴めてない、あたふたしているうちに終わっちゃうのかな。」
長嶋「今日も(家で)このオーディション聴きながら、ぎゃーぎゃー子どもが泣いてて(笑)。」
坂本「ありゃー。」
長嶋「なんかそういう曲なのかって思うぐらい(笑)。」
RADIO SAKAMOTOオーディションに、インターネットから作品を応募できるフォームができました。作品はファイルのアップロードのほか、YouTubeのURLを指定しての投稿も受け付けます。
詳しくは、エントリーフォーム内の応募要項をお読みください。
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RADIO SAKAMOTOオーディションに御応募頂いたデモ作品にまつわる個人情報の管理、作品の管理は、J-WAVEのプライバシー・ポリシーに準じております。詳細は、こちらを御確認ください。 |
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<坂本龍一 「この2ヶ月で聴いた曲から紹介」プレイリスト>
「ここからは、僕が最近聴いていた、今日も聴いた(笑)、音楽のプレイリストを紹介しますかねえ。今日、朝、聴いていたのはですね、Gotchです。アジカンのゴッチ。あのね、ゴッチが即興を演ってんですよ、ノイズとかで。知ってた?みんな知らないよね、あんまね。でねこれは、タイトルは「無謬 / Infallibility」というね、ゴッチというアーティストネームで、アジカンではなくて個人でね、やってんすけども。これ1曲がね、45分58秒あります。ずっと1曲ですね。ドローンが敷いてあって、その上で自由に、何回か重ねたんでしょうね、一人でね。多分、自分のスタジオでやってんでしょうけどねえ。へぇーと思って。で、この上でポエトリーリーディングをしたりもするみたいですよ、LIVEでね。おもしろいね。これだったら共演できるかも(笑)。二人で即興で。この3年くらい即興に、はまってるみたいなんですよ。そんな面があったなんて全然知らなかったもんねえ。」
- 無謬 / Infallibility / Gotch
「で、たまたま即興がブームでこの数日、聴いていたのが、ソニック・ユース (Sonic Youth)のポップなアルバムではなくて即興の方をね、聴いてたんですよね。なのでソニック・ユース、これ1曲が18分39秒ある。長いから、もちろん一部だけなんですけど、他にもこういう即興的なものを集めたアルバム、ソニックユースは何枚も出してますね。ま、どれもおもしろいです、ぼーっと聴いてるにはね。」
- Agnes B Musique / Sonic Youth
「次は全然、即興じゃなくて、冒頭にも言いましたけど、僕の兄であり父のような存在でもある(ベルナルド・)ベルトリッチが亡くなりましたけども、日本でほとんど知られてないベルトリッチの映画なんですけど、1981年の『La tragedia di un uomo ridicolo』……ある愚か者の悲劇という邦題かな。で、モリコーネ大先生がサントラをやってますけど、その中の「Ancora pour Barbara」、バルバラのためのアンコールという曲です。もう素晴らしい。ロマンティックな曲。」
- Ancora pour Barbara / Ennio Morricone
「次は全然飛んでしまってですね、日本アーティストのPhew。って、これ僕は、いつごろだろう。38年前かな、ぐらいに(笑) コラボレーションしたことあるんですけど、Phewという女性の『Voice Hardcore』というアルバムからですね。」
「そして、なんでこれを聴いたのか全然覚えてないですけど、最近聴いたのが、もうこれ皆さん、しばらく耳にしていないと思いますけど、ドナ・サマー……の(笑)、有名な「I Feel Love」ね。これはテクノの原型みたいな曲ですよ、ジョルジオ・モロダーね。聴いてみましょう。12インチ・バージョンです。」
- I Feel Love (12 Inch Version) / Donna Summer
「もう1曲だけかけちゃおうか。あのー、ジョージ・ハリスンで、『Electronic Sound』というアルバムから。えーって感じでしょ。18分44秒もある、この曲も。やってんだねえー、みんな(笑)。」
- Under the Mersey Wall / George Harrison
「最後はエコ・レポートのコーナーです。そう、上岡裕さんがやってるエコロジーオンラインね……20年近くやってるんですけど、年末に『環境大臣賞』っていうのを獲ったんですよ。よかったねえ。」
<エコ・レポート>
「エコロジーオンライン、上岡裕がお届けします。2019年になりました。エコロジーオンラインは昨年、新エネ大賞をいただくところから一年をスタートし、年末には地球温暖化防止活動で環境大臣賞をいただきました。18年にわたって地球温暖化や自然エネルギーの普及に取り組んだところが評価されたのだと思います。立ち上げ当初から、こうしてお付き合いいただいた教授をはじめ、僕らの活動を支えてくれる皆さんがいなければいただけなかった賞だと思っています。ありがとうございます。ただ、僕らの活動は評価をされたとはいえ、地球環境が良い方向に向かっているかというと、そうではありません。環境保護の先駆者たちが予想したようにさまざまな問題が複合的に重なりあい、解決不能な問題へと転換し始めています。」
「エコロジーオンラインは、Facebookやツイッターで、地球環境問題に関わるニュースのシェアをずっと続けていますが、ここしばらくで最もショッキングだったのが食塩のプラスチック汚染の問題です。この研究は、韓国の研究者グループと環境保護団体「グリーンピース東アジア」の合同チームが、塩に関する研究を活用してまとめたもの。その分析によれば、調査対象になった食塩39品目のうち、36品目でマイクロプラスチックが検出されたというのです。分析対象となったのは、ヨーロッパ、北米、南米、アフリカ、アジアの合計21の国と地域から集めた塩のサンプルです。イギリス沖で採取されたヨーロッパホタテガイにマイクロプラスチック汚染の可能性が指摘されるなど、プラスチック汚染の広がりのニュースは世界の注目の的にもなっています。地球温暖化の原因の一つである化石燃料をつかった火力発電は、大気汚染の形で私たちの呼吸器に戻って来ます。そのせいで毎年100万人を越える人たちが命を落としています。私たちの暮らしを豊かにしたプラスチックは、マイクロプラスチックという形で食物連鎖の中で、私たちのカラダに戻って来ます。」
「マダガスカルでは国の象徴でもあるバオバブの木が枯れ始めています。原因は分かっていないのだそうです。私たちが生み出したさまざまな形のゴミや化学物質が異常気象や水や食料の汚染として自然界を襲います。私たち人間も、またその一部です。自分たちが生み出したものによって自分たちの首を絞めている。そろそろこういう "負の連鎖" を終わりにしないといけない時期なのだと思います。2019年は、明るいニュースが届くようなものになるといいなと思っています。」
「さて、世の中はSDGsが大流行しています。大企業が参加する経団連からお笑いの会社まで取り組んでいます。SDGsは日本語でいうと、持続可能な開発目標。景気よくSDGsが語られているけど、地球を持続可能にする環境汚染対策は先送り、なんてことになったら本末転倒です。しっかりと見つめていきたいものです。」
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